Tuesday, June 13, 2017

アルパインクライミングのサイト

■ アルパインクライミングになじむ

今朝は、こちらのサイトを発見しました。 アマゾンなどでも、アルパインとつく本は出ていますが、あまりメジャーとは言えないので、こういうサイトを読みふけったりしていると、

山をやる

ってどういう話か、分かるようになるのでは?と思うようなサイトです。

http://www.f5.dion.ne.jp/~mitsu_g/mokuji.htm

とってもおもしろく、読みふけってしまいました☆

とくにフリートークはおススメです。

http://www.f5.dion.ne.jp/~mitsu_g/freemokuji.htm

アルパインクライミング(=”本格的がつく登山”)とつかない登山は違いますが、それでも、

登山の本質がアルパインクライミングに基礎を置くものである

ということは変わらないと思います。

なぜか、

 準備なしの無謀登山
 体力予備なしの登山
 いきなり登山

などがもてはやされている昨今…。

それはなぜなのか?とっても不思議ですが、たぶん、情報がないためだろう、無知の為だろうと思います。

このようなサイトを読んでいれば、色々と分かることも多いと思います。

Wednesday, June 7, 2017

アレックス・オノルドのフリーソロについて

アレックス・オノルドのフリーソロについて、パートナーと話をしています。
Freerider 含5.12D

■ ここに掲載する意図

昨今山の指導を得れる人は、あまり多くないと思いますので、思想に触れることがないことが、山をスリルの場と勘違いし、結果遭難する人が後を絶たない理由だと思います。

特に初心者の中高年の方は、注意してください。山歴40年で指導的立場にあった人でも、中高年と言われる年齢になったら、リスク管理の面から、単独では山に入らないのです。

また若い方も同様に、ニュースを聞いただけで、内容を吟味せず、結果だけをマネする人が出てこないかと心配しています。実際にそうしたことがヤマレコでかつて起こりました。

フリーソロが賛美されるような風潮を作り出すのはよいことではありません。ただでも無謀といえる登山が横行している現代です。

それがここに掲載する意図です。

http://www.supertopo.com/rock-climbing/Yosemite-Valley-El-Capitan-Freerider
より引用。

■ 師匠の感想

リードしたことのある人は知っていると思いますが、(リードという言葉が分からない方は、まったくの射程範囲外ですので、この記事は無視してください)、実のところ、60mロープは長いので、リード時は重いです…。正直な所、ロープの重ささえなければ、ラクラクで登れるところに、プロテクションを設置しながら登るのは面倒くさいです。

なので、プロテクションの面倒もなく、ただ登ったら気持ち良いだろうなぁ~と、クライマーなら誰しも考えると思います。

私の、”フリーソロだったら気持ちが良いだろうな~ プロテクション設置するの、面倒だもんね”への返事です。

ーーーーーーーーーーー返事ーーーーーーーーーーーー

フリーソロの醍醐味は面倒がないだけではありません。確かに面倒がる人もいますが。

ソロは一人ですから、完全な自己責任で、純粋に自然を堪能できるのです。自然との対峙ですね。

私も若い頃、程度はありますがフリーソロしてました。40歳までフリーソロしていましたが、ソロの友人が、大怪我したり亡くなったりして止めました。それもありますが、その頃、指導的立場にありソロは止める様に指導していて、命の尊厳に気づいたのです。

今から考えればフリーソロは若気だったと思います。

純粋なフリーソロと、ザイルやソロイストを使用するフリーソロがあると思います。

私は、若い頃前者、40歳から後者、今に至っては一人で山に行かないようにしています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アレックスオノルド君のフリーソロのニュースを聞いて、まさか俺もフリーソロしてやるぜ!と思った人はいないと思いますが…。

アレックス君のインタビューを見ると、確実性の積み上げの結果のフリーソロであり、一か八かのスリルを求めた結果ではないのは明らかでした。

■ 積み上げたら楽勝になる

積み上げた結果、山が来る、と言えば、私の阿弥陀北稜が、そのような山です。阿弥陀北稜が、テーブルに乗ってから、機会に恵まれず、3年も経ってから行きました。

もう、その頃には楽勝になっており、パートナーの必要すらなく(笑)、単独で行きました。ゆとりがあったので、ノーザイルで行きましたが、怖いこともなく、完全にいつもと同じリラックスでした。厳冬期の阿弥陀北稜だから、ロープが必要な山ですが、フリーソロで登っています。たかだか4級なので。

本来行くべきだった当時…北稜がまだチャレンジ!と感じられるような、ワクワクするような段階の頃…には、私を殺してしまいかねない人しか周囲におらず一緒に行くことはできませんでした。

その次の年にパートナーだった大学生は、単純にまだルート自体を知らない段階でした。登山体系すらも読んだことがない段階だ(一般登山者の方の多くがその段階だと思われますが…)と、連れて行くにしても、そのルートにどんな意味があるのか自体も分からないですから、したがって行きたいのかどうかも分からない!という段階なので、セカンドでも、連れて行くことはできません…。

■ 女性だと目立つ

余談になりますが、私の周囲には、なぜかそのくらいの段階の人が集まってくることが多いのです…たぶん、何かおもしろうなことをやってるなーという、野次馬っぽい感じかなぁ、と想像しています。

私は女性であるため、体力もそう高いわけでもないだろうし、彼女がやれるなら、俺もやれるに決まっている、と感じさせるんでしょうね。確かにその通りなんですが、でも、払わなければならない代償は、若くても年を取っていても、男でも女でも同じです。

もし実態を知ったら…たとえば、歩荷トレーニングをしなくてはならない(女性25kg、男性30kg)とか…、とってもお金がかかるんですよ~(ギアだけで最低100万円くらい)とか、…知ったら来ないかも(笑)。

■ フリーソロしたかったころ

さて、話は戻りますが、岩との対峙…

私も、岩の初心者時代(注.フリークライミングの初心者ではなく)、どうしても一人で岩に取り組みたいと思い、一人で岩場に行ったことも…。十二ヶ岳の岩場には、ちょうど良い具合にフィックスが張ってあって、万が一登れないときは、フィックスを使えば、練習のためのトップロープが張れる、と感じていました。

どうしてかと言うと、どうしても、下のビレイヤーに遠慮してしまって、じっくり取り組めない、と感じていたのです。まずもって、そもそも信頼できないビレイでしたし、ビレイに甘えられるような人がいなかったのです。なので、完全に一人でないと登れるものも登れないと感じていました。

それで、ソロイストの使い方を研究したこともあります。この時は、5.12登る人が、自分がソロイストするときは、5.7レベルだと聞き、今5.8がギリギリグレードなのに、ソロイストするわけにはいかない、と納得して、あきらめました。

でも、今では、そんな焦燥の時代も終わり、登れるって見て分かるけど、ロープがない場合は、登らないです。

アレックス・オノルド君のエルキャピタン、フリーソロの詳細を読み、山も岩も、

確実性を積み上げる活動

だと、改めて実感中。

そうでない山は、あんまり好きになれません。

Monday, June 5, 2017

心で善悪を判断する

■ 焼き場に立つ少年

今朝は、この写真からスタートしました(笑)。

焼き場に立つ少年

と題されたジョー・オダネル氏による写真です。

こちらの写真の衝撃は、言うまでもありませんから、ここでは触れません。

恐ろしい… そう言う気持ちを持たない人はいないとおもいます。

戦争下の社会自体が崩壊した中で、親もなく、家もなく、この後、この少年はどうやって生きたのでしょう… 食べるものはどうしたのでしょう… 

■ 無知と恐れ

驚いたのは、この写真が乗せられていたサイトに寄せられていたコメントです。

原爆投下を正当化し、2017年の現代の軍拡を主張していました。憲法9条を擁護する人を、「頭がお花畑」とののしるコメントがたくさん…。

その人たちの発言の出所は、無知 と 恐れ の二つです。自分がやられる側になると恐れているのです。

私はアメリカに若いころいましたから、アメリカ国内で、原爆投下正当論が一般常識として受け入れられているのを知っています。それはただの一般的な見方にすぎず、ほとんどの人は、単純な無学で、”他の人も受け入れているから”と言う理由でそう思っているにすぎません。日本だけに、”大衆”がいるわけではないのです。相当な学がある人の間にも、この考えは広がっており、教科書が教える都合が良い史実が、他国の例にもれず、アメリカでも作られていることがうかがえます。この事実から学べることは、政府(権力)が、非を認めるのは、それだけ難しいことだ、ということです。

国際関係論を大学で学びましたから、冷戦構造や核の抑止力によるバランス理論も知っています。カンタンに言えば、双方がにらみ合っていれば、発射できないという理論です。

■ 正義は心のレベル

しかし、そういうのは、頭で考えたことです。

心で感じ、魂が揺さぶられる次元のことではありません。

原爆投下後の広島・長崎を見て、魂が揺さぶられない人間は、この世にいないのではないか?と思います。

このような目にあいたい人間は一人もいません。

自分がされたくないことを人にしてはいけない 

と、世界中のどの宗教も教えます。宗教でさえなくて、ただの一般常識です。

非暴力、アヒンサの原理は簡単で、幼稚園生でもわかります。隣の子をぶっちゃダメなんです。ただそれだけです。

しかし、理性はいともたやすく、このレベル…5歳児でも知っている善…を覆してしまうのです。

■ 心の声を聴く

だからこそ、理性を手放し、心の声をダイレクトに聞く、という東洋的なアプローチ…代表としては、ヨガや瞑想などが、西洋の社会で注目を浴びるようになったのかなぁ…と思ったりしています。

思うに… 山も同じです。

ダイレクトに心に語りかけてきます。山で朝日が昇るのに立ち会い、地球が美しいと感じない人は、ほぼ皆無でしょう。

美しい地球を守らなくてはならない、と感じない人は、いないと思います。

現代社会は高度化され、心や魂で”感じる”ことよりも、理性で”考える”、”判断する”ということが重視されます。

ですから、こうした直接心に問いかけ、原始的と言っては語弊があるかもしれませんが、より生命の本質に近い部分で、ごく単純な部分で、善悪を感じることが大事なことです。

すべての生命体にとって、善悪は単純です。死は悪で、生は善です。

心で感じたことにたいして、理性が異なる判断をするときは、より高次な理性のほうの判断が間違っています。心理学では認知の歪みと言われています。

理性による判断の大筋を間違わないよう、心に立ち返る体験…つまり基本に立ち返ること…が、現代では、より一層必要なのではないか?と思います。

それが、自然に触れるあらゆる活動、瞑想、ヨガ、その他の心に立ち返る活動、が必要な理由です。