Wednesday, October 19, 2016

岩に幸せを見出すようになってしまいました

■ クラック 初オンサイト

先週末、瑞牆で、初のクラックをオンサイトして、現在しみじみ中・・・

正直言って、クライミングは、一般登山と違って、難しさの質がけた違いに高い。また、リスクも桁違いです。緊急性があるリスクがあります。

一般縦走は、雪から始めたことももあり、あまり困難を感じることもなく、指導者の必要も、ピンポイントでしか感じることがありませんでした。

ピッケルの使い方とか、アイゼン歩行とかはプロから習いたいと思ったけれど・・・ウエアを着た方が良いとか、工程管理にプロの必要を感じたことはありませんでした。

何しろ、山岳会に入会した時、私のための新人歓迎山行は、私の企画でツルネ東稜だったくらいです。(これは、参加者にスキルと体力が低い人が参加したため、川俣尾根ピストンに計画縮小になりました。)

一般的な体力と知力がある、若い人なら、ガイドブックにある山は、そう困難もなく、ごく基本的な山の常識を守っていれば、さしたる大きな危険に晒されることもなく、どれも歩けるようになるだろうと思います。

・・・が、これが通用しないのが、クライミング。とくに単なる岩トレではなく、フリーになると・・・もう困難度が違います。まぁ、もともと、フリーは困難度を高めていく活動ではありますが。今では、アルパインの基礎は、フリークライミングと言われています。

なので、この全く異質の困難度のフリークライミングで、オンサイトができると言うことはとっても嬉しいです。

クラックに関しては、初のオンサイト☆ 「クラックのオンサイトは、格別ですから」と昨日は、ジムのお兄さんに言ってもらえ、とてもうれしかったのでした。

そう、プロテクションも自分で設置するから、必要なゆとりがたくさん・・・今は10Aのクラックをトップロープで登れるくらいですが、それで5.8がオンサイトです。2グレード下ですね。

■ 登頂照明

先日参加した奥秩父の縦走の登頂証明が来ました。

手厚いサービスにビックリ。

こんなことをしてくれるのか~と驚きました。

■ うれしいのはオンサイトのほうだった・・・

しかし、私の登山の喜びは、もはやロングな縦走の達成感にはなく、クライミングで、息を殺して、オンサイトを増やすことにある・・・ということを理解。

焼岳はとても素敵な山で、景色を楽しむと言う意味で、とても癒されました。

しかし、奥秩父縦走は、チャレンジとして価値が高いかと言うと、これはもう別次元と言うか、チャレンジの質が違いすぎて比較の対象にはならないかもしれません。

明日はまた岩です☆ たくさん岩登りが出来て幸せです☆


Thursday, October 13, 2016

焼岳

■ 敦子さんと悪性リンパ腫

今日は島根から、山の友人が来ると言うので、焼岳へ。 

山で出会った人と一緒に山に登るようになる・・・ これは、登山の醍醐味であると思う。一つの出会いが、次の出会いに結びつく。

敦子さんとは、まだ登山の初心者の頃、南アルプスで出会った。白鳳峠というマイナーな道を双方が使って降りた経験・・・あの道はひどかった・・・が、共通点だった。

数年来の知り合いとなり、去年は編笠山をご一緒し、今年は焼岳をご一緒した。

敦子さんは悪性リンパ腫のサバイバーである。若いころに放射線治療を受け、その治療の影響で、今回も脳に腫瘍が発見され、腫瘍摘出手術を受けたのち、4か月後での復帰戦である。

開頭手術で4箇所も腫瘍を摘出したのだそうだ。闘病生活は、吐き気などとの戦いで、腫瘍の影響によって視力や視野が影響を受け、それが正常に戻るのも大変だったらしい。

私の怪我のようにただ切ったところが塞がれば良いというのとは違う。

そもそも悪性リンパ腫は24歳の時の発症だそうなので、生涯が悪性リンパ腫の克服とその影響の克服というわけで、山は彼女が生きることのモチベーションとなっている。

■ 山に行くことを日々目標として生きる

私も山をライフスタイルとして、6年・・・色々あったなぁ。正直な所、山を取り巻く業界・・・観光業としての登山や金勘定、安易な遭難、安易な本チャン、高所遠足と言われる高所登山の事情・・・に対して理解が深まれば深まるほど、あまり登山を魅力と感じなくなった。

しかし、今日の焼岳は、小さな白い球のような花をつけた高山植物が咲き、青いスッキリとした空に浮かぶ、山頂の岩場がとても美しく、

 ただ自然っていいな♪ 自然はきれいだな♪

と、自然に触れることの、大切さの原点に触れることができた。

大事なことは、自然の中で、ただ、その美しさに触れて、心を打たれること・・・

自然はこんなにも美しく、永遠であり、人の人生などほんの一部でしかないこと・・・、

偉大な自然の前には、人間の存在など小さなものでしかないということを実感すること・・・

・・・だからこそ、今ある命を大切に生きて行かなくてはならないこと・・・

が確認できた。 そんなことが考えられた久しぶりの山だった。






Tuesday, October 11, 2016

登山価値の喪失プロセス

■ 貶める

最近出かけたガイド山行で、常連のお客さんたちが、「北岳バットレス四尾根に行った」と言う。「この人、セルフ外しちゃうんですよ~」 どうも初心者の人だからのよう。

基本的にセルフを外すことが危険行為だと理解できないような段階の人を、そのような危険がある山に連れて行ってはいけない、というのが大方の、”責任ある大人”のものの考え方である。が、そこでは、位置づけは笑い話というもの・・・。笑い話なら、まだ良いが、武勇伝と化す寸前だった。

なぜなら、その人はヒマ○ヤでシュルンドに落ちて、行方不明になり、「置いて帰ろう~ 最初からいなかったことにしよー」と思われちゃったらしいのである。もちろん、これは照れ隠し交じりだと思う。
だが・・・、真意は 

”これくらいの(低い)スキルの人(きっと、あなたもそうでしょう)でも、ヒ○ラヤへ連れて行けちゃうよ~(私と一緒なら)”というのが真意

であろうことくらいは、分かってしまう。

■ 偉大さを喪失

ヒマ○ヤに憧れはなかった。ただ敬意はあった。

登山史におけるヒ○ラヤの地位は不動だ。名だたる名登山家たちの名が連綿と連なる、ヒマ○ヤの歴史・・・。

ヒ○ラヤに行きたいとは思わなくても、敬意を示さない登山者というのはいまい・・・

しかし、その話を聞いて、その敬意の気持ちが、急速にしぼんで行った・・・。

もう、すでに”腐っても鯛”ですら、なくなっているのだ。そのことが、この事例から分かった。

山に地形図を持ってくるのが当然だと知らない先輩が、厳冬期の北岳に登ったと聞いた。厳冬期の北岳の価値が急速になくなった。その人が行ける程度の山なら、行かなくていいや・・・という気持ち。

山は歩けなくちゃ話にならない。が、歩けるだけでも話にならない。

歩けるだけじゃ話にならないところを、歩けるだけで済む話になってしまっている、現代の登山の
事情・・・

一体どうしてこうなってしまったのだろうか?と思っていた・・・こういうタイプのリーダー・・・が、良かれと思って、そうしてきたのだ、ということだった。

■ ブルータス、お前もか

「ブルータス、お前もか?」という気持ちだった。その人のことは著作などから、大変尊敬していたからだった。

四尾根にしても、連れて行ってもらうだけなら、誰だって行ける。

自ら、ルートガイド集を買って、何ピッチのルートで何時間かかりそうなのか計算する必要はない。

岩トレに出る必要もない。

今のスキルで、何ピッチに何時間かかるのか、計算する必要もない。

ルートファインディングする必要もない。

ロープワークの練習をする必要もない。

支点の研究をする必要もない。

万が一、間違った時のために、装備を研究しておく必要もない。

落ちた場合に備えて、救急救命法の訓練を受ける必要もない。

レスキュー訓練を一緒に行く仲間としておく必要もない・・・

”ついていく”以外なんの資格も・・・もっと言うなら、”努力”も必要ない・・・。

したがって、そのような四尾根なら行く価値がない。そのような山なら、どんな山も行く価値がない。

人生は短く、時間は貴重だ。

限りある資産なのだ、時間もカネも。だから、本当に価値がある、と感じられることに使わなくてはならない。

■ 素人扱いを喜ぶ人はいない

どんな世界においても、”あなたはド素人”と想定されている・・・ということに、喜ぶ人間はいまい。

そして、価値を失った山・・・体力さえあればいいだけの山・・・に喜ぶのは、山の世界では、ド素人だけなのである。

つまり、私は、ド素人扱いを受けたことになるのだ(^^;)。もちろん、これは、論理的帰結としてそうなると言うだけのことだ。

「○○へ連れて行ってあげる♪」 と発言する人は、本当に、相手が喜ぶ山に連れて行ってあげたい!と親切心から、あるいは職業的事情から、あるいは商売上の理由で、思うのだろう・・・ 

でも・・・、残念ながら、すでに、努力なしで手に入る山・・・が価値がないものである・・・ということは、分かるようになってしまった。

■ 素人並みの実力しかない

もう一つの論理的帰結は、ド素人並みの実力しか、実際のところ今の私にはないのだろう・・・ということだ。

ないものは、ないもの。今の姿を素直に見つめ、不足しているスキルは獲得する、だけだ。

それが、自己肯定感を高める唯一の道である。今までもそうして来たし、今からもそうするだけなのだ。

素人でも行ける山だからと言って、素人で行く必要はないのだ。

あらゆることの価値は、自らが作り上げるもの、なのだから。



Sunday, October 9, 2016

カモシカならず

■ カモシカ

今日は、ちょっと残念な山行だった。昼夜兼行で歩くカモシカ山行と思って出かけたら、4時半出発&16時幕営で、普通のテント泊の山だった・・・(汗)。

私は、(時間で区切って適当な幕営地を見つける山)ではなく、(できるだけ距離を稼ぐ)&(できるだけ長時間歩きづづける山)だと思って、出かけたからだ。

そのために軽量化し、行動食を充実させたら、行って見たら普通のテント泊で、朝夕のご飯が充実していた・・・あれ?

ので、同行者たちのザックは重く、ザックの軽い私は白い目で見られた・・・えっ?でも・・・重いと早く遠くまで歩けない・・・

そんな軽いザックなのだが・・・それでも、ツエルトもコッヘルも入れていて、単独になっても、幕営も食事も完結するスタイル・・・食事も朝昼晩、3日間、自己完結できる量持って行き、水を4、5リットル担いだとしても、15kgくらい。

ヤル気満々で臨んだのに・・・。

私はカモシカ山行を期待していたのに、違った。なんだかコンセプトが誤解がある山だったようだ。

■ 一応成長

とはいえ、金峰山ー甲武信の約26km~27kmの山行が、

 2016年 16時間半

 2013年 24時間

で、3年で歩行力は大幅UPしているようだった。3割短縮。前よりザックも2kgほどだが重い。実際今回は、共同装備を入れて、14kgくらいだっただろう・・・。

今回理解したのは、

 ・小柄な女性が、スピードを維持しつつ、歩荷負担をあげて行くのは、かなり得るものが少ない努力であること

 ・歩荷力は日々の積み重ね

 ・ライト&ファーストはありだし、ヘビー&スローもありだが・・・ヘビー&ファースト はないってこと。

だ。私自身は18kgを限界値とすることにした。普段の山でも一日は20kmくらい歩くが、それは日帰り装備でのこと。

年に一度、富士山に登ったり、年に一度歩荷山行したりするのは、

体力の定点観測

という点で意味があると思うが、男性並みに25kg 20km タイム短い、ってのはないと思う。