Monday, August 22, 2016

ミッションインポッシブル

■ 憧れのクライマー

私の憧れのクライマーは山口輝久さんで、それは初めて読んだ山書が『北八つ彷徨』だから。

昭和山岳会出身の山ヤさんが貸してくれた。高齢の方だ。

彷徨するような、迷路のような北八つは、すでに失われて久しく、残念なことに北八つは山ガールの山になってしまった・・・。

■ 雪

私の心は最初からずっとにあった。八ヶ岳が最初の山だから。北八つで山を始めた。

山岳会に入会勧誘を受けたとき、勧誘してきた先輩に「どういう山がお好きなのですか?」と聞いたら、「雪稜」と答えた。

それで、入会してもいいかな、と思った。実は、さんざん高齢化と聞かされていたので、入会は躊躇していたのだ。

先輩は藪の雪山に連れて行ってくれた。キワモノ山行、と自嘲気味に言っていた。

やりたいのは雪なのに、人工壁を頑張らないといけないと言うことで、山の世界は、ほんとにややこしい。

ちなみに私には冬壁はないなと思っているし、雪稜でも厳冬期北アはないなと思う。厳冬期に悪天候につかまると北アでは一週間の缶詰でそんな体力はありそうにない。正月はせいぜい南アかなと思う。

残雪期のロングルートが憧れの山。

■ 憧れの講師

4年ほど前のまだアルパインも何も知らない頃、豪雪のタカマタギに行った。40分で6人でラッセルしたトレースも消えてしまった。

その山行で講師だった松本講師に雪を学びたいと思った。

転進先の選定を含め、判断が的確で、指導は合理的で納得性が高かった。理不尽さや不合理さ、精神論はなく、観察の的確さ、ち密さと合理的精神、思いやりの心があると思った。

残念ながら、ご縁がなく、この年、入会前に、リーダー講習に行くことになってしまった。

■ 友情

友情に立脚した関係には、損得やギブ&テイクを前提にした関係よりも、信頼を置いている。

友情は、欲という濁りがない感情だ。

私と夫の間には子供がいない。妻も夫も自立していて、おのおの喰うには困らない。

ということは、いつ別れても、互いに生活に不都合は起らないということだ。

それどころか、一緒にいるためには、様々な犠牲を払わなくてはならなかったりして、デメリットさえある・・・が、

仕事を取るか、結婚を取るか?

それで仕事をとったら、結婚って何なんでしょう?

愛ってなんだろう?と考えた場合、一緒にいたい、という以上のことがあるのだろうか?

まぁ、愛は惜しみなく奪うもの、というのも一面では真理ではある。

惜しみなく奪っているかのように見えても、奪われているとは感じないのが、愛なのかもしれない。

子供の要求にはキリがないが、答える親の方は大変だといいつつも、それを喜びとするから、答えていたりするのであるから。

■ 18人

単独か夫と山に行くだけなら、パートナーはいらない。登攀にはパートナーが必要になる。

これまでの同行者を数えてみたら、18人だった。

会で知り合った先輩や紹介された人は入れない。なぜなら、会でつながっている人は、会がなくなれば、関係が終わりになるからだ。

会のつながりは、そのような表面的なつながりでしかない。友情には立脚していない。

だから、友情に立脚してクライミングをしようと思えば、むしろ会に所属しない方が良いかもしれない。

この18人は、完全に、偶然の力、私の人脈形成力によって、知り合った人たちだ。

年平均、6人。2ヶ月に一回入会者がある、と思えば、いわゆる山岳会よりも、成績が良い。(私がいた会では、年に一人か二人しか入会者がなかった。)

これらは、動機はどうあれ、基本的には、友情に立脚した関係の人たちだったので、改めて感謝したいと思った。

■ 前の仕事

どうして、こうした人脈形成が可能になったのか?振り返ってみると、前の仕事の影響が大きいと思う。

山梨に来る前は、福岡で仕事で、新事業開発室という部署にいた。

この仕事、目先が効く人でないと、すぐやることが無くなってしまう。

スケジュールを自分で埋め、自分の仕事は自分で作る。でないと、ルーティンワークは一切ないので、ただぼーっとすることになってしまう。

指示されるのを待っているタイプの人には絶対にできない仕事だ。

私はエンジニアでキャリアをスタートしたし、一人でやる仕事が、元来好きで、営業的なことは苦手だった。人見知りと言う苦手を克服したのは、市場調査を経験した後だった。だから、この仕事は以前の私ではできなかった仕事だ。

もしかすると、この仕事は、山パートナーゲットのための修業か、予行演習みたいな意味があったのかもしれない。

あらゆる経験・・・仕事を含め・・・は、その人が自分自身のミッションをやり遂げるために与えられていると言うから。

まぁ問題はミッションが何であるか?が、非常に分かりにくい、ということなのだが。

■ 安定

こういうスキルも、すでに獲得後であったこともあり、山岳会をスピンオフしても、全く問題なく、むしろ問題が減り、今は念願叶って、安定的で幸せなクライミングライフを確立。

とはいえ、パートナーは療養中だ(笑)。

登攀力だけの問題なら、ジムで頑張れば、済むことだ。ジム通いは、ほとんど現代ではマナーと言えるかもしれないから、あまり特別なことをしているわけではない。

とくに最近はなんだか苦手だったジムも、苦手感が無くなってきた。むしろ、故障に気を付けないと。

一人で登ると、やりすぎの害を起こしやすい。私はそうでなくても自己完結しているタイプのため、集中してしまいやすい。

バランスが何事にも必要だ。というわけで対策は、コンディショニングなどのメニューを作ること。

■ ヨガ

ヨガの仕事を山梨に来てから始めた。 イントラ資格を取る前と取った後では、同じアーサナをするのでも、紀元前・紀元後くらいに意味が違う。

スタジオに入ると、ホームグランドだと感じる。お客様のほうが私に教えの機会を作ってくれているというのは真理だ。

瞑想状態に入ると、人生の意味を教えられる。愛されて生きることがカルマの浄化であること、今のままでよいこと、そうしたことは、自分自身でしか発見できない。

とかく、人は、ハーフエンプティのほうを考えがちだ。実際は多くを与えられ、奇跡の人生を生きている。奇跡にさえ不満を持つようになる。

誰の人生でもそうだが、私自身の人生を振り返っても、奇跡の存在を感じる。

どれほど乏しい環境で、どれほど大きな成果が可能になったのか?ということを考えれば、この先、資源が乏しいことは、あまり不安の種にならないはずだ。

多くの人が何かがないと何かができないという思考に陥ってしまっている。

が、その親自身がどうやってきたのか?と振り返ると、必要だと信じられているものは、別に要らないモノだったりもする。

その人自身の存在が、幸福には学歴不要の証明、あるいは経済的豊かさ不要の証明、にもなっているのに、そのことにあまり気が付いていないことが多い。

”〇〇がないと××ができない”に、まず目が行ってしまうと、できることもできなくなる。

良く考えると、個人的な幸福に、必要な資質は、すでに揃っていることが多いものである。

私の職業上のヨガは、個人的な幸福の延長にある。

今は自分のスタジオを運営しているわけではなく、ティーチャーズトレーニングを受けるにも、遠征となれば不必要な費用がかかるので、時機が悪いと判断して、時間的ゆとりの優位性を生かす戦略を取っているだけである。

教えているスタジオはホットだし、ホットでは体力的に週3日教えるのが限界。5年のキャリアがあるが、5年もホットをしているのは、すでにロングキャリアになる。

■ 課題

私の課題は、習得が早いが、飽きるのも早いことだ。器用貧乏とは私のことである。

過去を振り返る。

私のTOEICの点数は、20年前に取得した925点である。当時の満点は950点。これは受験者の上位1%に属す。受験回数は2回。あっけなく点が取れてしまった。というわけで、2回目でTOEICは卒業。

普通の人にとってTOEIC900代はすごいが、英語を仕事にする人にとってや、海外に住んだことがある人にとっては、まったくスゴクナイ。楽勝の範囲だ。

英語力は、まだ伸ばせるだろうが、第三者に実力を証明するために、数値や結果を追いかける必要はない。

そもそも今の生活では英語はあまり要らない。もっぱら友人のデイビッドとの語らいに使っているだけだ。若いころ、あんなに苦労して獲得した英語力なのだが・・・。

ソフトウェア開発者として、キャリアをスタートした。開発言語は、徹夜で勉強して、すぐにマスターして飽きてしまい、キャリアの後半はほぼマネジメント側に行ったので、今となっては、開発者として働くことはできそうにないし、したいとも思わない。

仕事で必要が起きたので、ビジネススクールに通ってマーケティングを勉強した。まわりは、ずらーとビジネスの大先輩。

卒論でクラスの一番が取れてしまった。昔から戦略立案は得意だった。強みを生かして、この分野で仕事をしたいが、なかなか機会に恵まれていない。

バレエは、もっとも困難な活動だったせいか、20年も続いた。バレエは難しく、バレエは本当に報われない。

仕事などよりも、情熱を傾けたかもしれない。福岡では、伊藤先生に師事できて幸せだった。一流講師。ノイマイヤーの通訳を務める機会ももらった。光栄なことだった。振り返ってみれば、福岡時代は幸せだったなぁ。

残念ながら、山梨には環境がないので一時停止している。が、未練たらしく、まだ10足ほどポアントを持っている。レオタードも、どうせ再開するときは、新しいのが欲しくなるんだし、と、何度も捨てようかな・・・と思ったけれど、まだ持っている。

最近クライミングに傾注するようになり、バレエを思い出すことが多くなった。バレエの虫とクライミングの虫は似ているような気がする。

登山は3年で一般登山は卒業だった。普通の人にとっての”すごい”は、アルパインをする人には、全然スゴクナイ。

現在、課題になっているところの、フリークライミング。5.11までは、誰でも行けると言われているから、行かなくてはならないなと思っているが、今までの他のアクティビティとの比較で考えると、比較的苦戦中かもしれない。強力な助っ人をゲットしたところだ。

しかし、習得の速さがすなわち飽きにつながっているという、過去の傾向を考えると、あまり習得が早くない方が、私にとって価値が高まるのかもしれない。

バレエもだが、大人になって年を取って始めた活動では、今からプロ選手になるではなし、体を壊さないように、のんびり構えてやるに限ると思う。

急がなくてはならない理由はどこにもない。

それどころか、逆で、急いでしまっては、楽しみが無くなる。

それは高齢のクライマーが行きたいところがもうない、と言うので前途が見える。ルートはちょっとずつ行かないと、すぐ行きつくしてしまうかもしれない。

大事なことは、幸せ”でいる”ことであって、幸せ”になる”ことではない。

幸せは、”もっともっと”の世界にはない。”ありがとう”の世界にあるのだ。

■ 誰の評価を求めるか

大阪を離れたとき、仕事を手放さなくてはならなかった。

しかるに、この10年の私の”決断”と、その決断から得た”結果”の因果関係や決断の意味、重みをもっともよく知っているのは、ビジネススクールの仲間たちであろう・・・。

というわけで、過去7年のプライオリティ順に

 ・登山 → 趣味とは言え、ここまで来れたこと、
 ・ヨガ → 仕事として充実
 ・結婚生活 → 充実
 ・クライミング → 最近の新しいチャレンジ課題

に対する、誰の評価が私にっとって意味があるか、と言えば、彼らの評価になるかもしれない。

自分自身が、「よくやったな~、私」と思っている以外は。

登山の成果を山ヤにたいして聞けば、上には上がいる世界のこと、登山史に名を残すようでないと何をやっても意味をなさない。13をオンサイトしたり、K2に登る以外は誰にも評価されない。

多くの優秀な山ヤたちが、そのために、「俺の山ヤ人生には意味がなかったのか」「俺なんか大した山ヤじゃない」と言って、苦しんでいる。

趣味で心の充実のために山をやっている人間が、そんな世界での評価を求めても詮無いことだ。

絶対的に肯定できる活動の一つは、レスキュー技術の普及。

最近、とりかかったところ。

というわけで、この7年間の、自分自身を評価するなら、よくやっているね、と言ってあげたい。

 

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