Wednesday, August 24, 2016

答えの無い問いに答える活動

■ フレームワーク化

登山も、クライミングも、他のスポーツと比べて、フレームワーク化が遅れている。

たとえば、危険認知を教えるべきなのに、そうはなっていない。確保理論もクライミングをするなら、どのような初級者でも最初に知るべきなのにそうはなっていない。

だが、逆説的に言うと、そのため、人を選ぶ。

言われたことをただやる人には適さない。

自分で道を切り開く人にしか適さない。

■ 自学自習

最近、思うのだが、私は常に独学の人だった。塾も行ったことがないし・・・正式な新入社員教育は受けたことがなく、”社会人のイロハはすでに知っています”、という顔をして、即戦力採用で、労働市場に入り込んだ。(実は知らなかったので、こっそり覚えた・・・笑)

独学力、というのは、今の時代の人には、本当に得る機会がないかもしれない。

最初の職場は開発だが、開発言語(プログラミング)も、まず”できます!”と返事してから、できるようになった(笑)。

なにしろ、”できるようになってから仕事します”では、仕事を干されてしまう。

市販の教科書を買ってきて一晩勉強して、何食わぬ顔で前から知っていたような顔をしないと、IT業界では生きていけない・・・

だから、資格試験に受かったから来た、という人は評価されない。たたき上げが評価される。

逆説的だが、私が開発部で評価されつづけたのは、資格が何もないのに実績があったからだ。

ので、新人さんが私のところに来て、「あの・・・すいません、IPアドレスって何ですか?」って質問をしたときには、かなりズッコケた・・・。

IPアドレスって何ですかって質問をすることは、開発者の恥であり、それさえ知らないようでは、今日、今すぐ首にしてくださいと自ら首をさしだすようなもの。

それと同じことが、クライミングで起きる。山岳会でも起きる。

地図出してくださいと言っても、きょとんとしている。あなた、何しに来たの、ということだ。

■ 通訳業と市場調査

通訳と言う仕事はその究極だ。だれでも分かることだが、日本語であっても金融業に通じていない人には、金融用語は説明がないと意味が分からない。

この普通のことが分からなくなるのが、通訳を依頼した依頼者。通訳は神のように何でも知っていると期待している。

通訳の立場に立つと、1のことを通訳するのに、最低でも10以上、怖がりでメンツを失く事を恐れ、良く勉強する人は100くらい勉強する。どの単語が現場で出るのか分からないからだ。

というわけで、1回の通訳で、通訳はその分野のエキスパートになってしまう・・・。通訳の時給は、2万円が相場だが、1時間で仕事は済まない。1時間のために1週間、下手したら一か月勉強している。

市場調査会社にしばらくいた。調査依頼が来ても、依頼自体がちんぷんかんぷん。例えば、東南アジアにおける電子電力系の普及程度を調べて欲しい、と言われても、なぁ。そんなこと、知っている人が、この世にいるんでしょうか?な質問だったりする。

依頼者が販売者なので、おたくの方がプロでしょうという感じなんだが。なので、この仕事も行ってから、やってみてから、こういう結果が出ましたけど、たぶんこんなところなんではないでしょうか?的な回答を見つける。

■ 答えのない問いに対する答え

結局、答えがないような問題、課題に対する答えを、思考錯誤しながら練り上げる、というような活動が、私には合っているのかもしれない。

ということは、現在の課題は、

 腕力なし、クライミング経験なしの女性をクライマー化する大作戦中なのかもしれない???

グロービスに行って気が付いたのは、私が仕事で取り組んできたような、つかみどころのない問いに対する答えを得ると言うような、ケースバイケースの問題解決に必要なのは、知識ではなく、原則思考だということ。

原則のことを、ビジネスでは、フレームワークという言葉が使われている。

登山も、クライミングも、他のスポーツと比べて、フレームワーク化が遅れている。

たとえば、危険認知を教えるべきなのに、そうはなっていないし、確保理論もクライミングをするなら、どのような初級者でも最初に知るべきなのにそうはなっていない。

知識の中から、役立つ原則を抽出するというのは、高度な思考力が必要だ。

クライミングや登山には、市場調査のようにデータ集めに資金がかからない。本もあまりたくさんは読まなくていい。

自分の体や経験がデータだ。経験値、と言われるもの。

そこが魅力となっているんだろうな。

■ 弟子と師匠の関係

しかるに、弟子と師匠の関係は、原則(知恵)の伝達だ。

弟子は師匠の経験値をはしょることができる。師匠は、生の経験を通して、原則を抽出したにも関わらず、弟子は経験なしで原則だけを受け取ることができるのだ。

人間の学問は、みなそのようにして発展している。

電気が発明された後は、電気を発明する苦労は、あとの人はしなくて良い。

弟子のほうの役割は、その原則をさらに洗練させて行くことだろう。

Monday, August 22, 2016

How To Warm Up For Climbing With Louis Parkinson | EpicTV Climbing Daily...

Dead Bodies On Mt Everest

Mount Everest Mallory & Irvine 1924 Discovery Of Mallory's body

ミッションインポッシブル

■ 憧れのクライマー

私の憧れのクライマーは山口輝久さんで、それは初めて読んだ山書が『北八つ彷徨』だから。

昭和山岳会出身の山ヤさんが貸してくれた。高齢の方だ。

彷徨するような、迷路のような北八つは、すでに失われて久しく、残念なことに北八つは山ガールの山になってしまった・・・。

■ 雪

私の心は最初からずっとにあった。八ヶ岳が最初の山だから。北八つで山を始めた。

山岳会に入会勧誘を受けたとき、勧誘してきた先輩に「どういう山がお好きなのですか?」と聞いたら、「雪稜」と答えた。

それで、入会してもいいかな、と思った。実は、さんざん高齢化と聞かされていたので、入会は躊躇していたのだ。

先輩は藪の雪山に連れて行ってくれた。キワモノ山行、と自嘲気味に言っていた。

やりたいのは雪なのに、人工壁を頑張らないといけないと言うことで、山の世界は、ほんとにややこしい。

ちなみに私には冬壁はないなと思っているし、雪稜でも厳冬期北アはないなと思う。厳冬期に悪天候につかまると北アでは一週間の缶詰でそんな体力はありそうにない。正月はせいぜい南アかなと思う。

残雪期のロングルートが憧れの山。

■ 憧れの講師

4年ほど前のまだアルパインも何も知らない頃、豪雪のタカマタギに行った。40分で6人でラッセルしたトレースも消えてしまった。

その山行で講師だった松本講師に雪を学びたいと思った。

転進先の選定を含め、判断が的確で、指導は合理的で納得性が高かった。理不尽さや不合理さ、精神論はなく、観察の的確さ、ち密さと合理的精神、思いやりの心があると思った。

残念ながら、ご縁がなく、この年、入会前に、リーダー講習に行くことになってしまった。

■ 友情

友情に立脚した関係には、損得やギブ&テイクを前提にした関係よりも、信頼を置いている。

友情は、欲という濁りがない感情だ。

私と夫の間には子供がいない。妻も夫も自立していて、おのおの喰うには困らない。

ということは、いつ別れても、互いに生活に不都合は起らないということだ。

それどころか、一緒にいるためには、様々な犠牲を払わなくてはならなかったりして、デメリットさえある・・・が、

仕事を取るか、結婚を取るか?

それで仕事をとったら、結婚って何なんでしょう?

愛ってなんだろう?と考えた場合、一緒にいたい、という以上のことがあるのだろうか?

まぁ、愛は惜しみなく奪うもの、というのも一面では真理ではある。

惜しみなく奪っているかのように見えても、奪われているとは感じないのが、愛なのかもしれない。

子供の要求にはキリがないが、答える親の方は大変だといいつつも、それを喜びとするから、答えていたりするのであるから。

■ 18人

単独か夫と山に行くだけなら、パートナーはいらない。登攀にはパートナーが必要になる。

これまでの同行者を数えてみたら、18人だった。

会で知り合った先輩や紹介された人は入れない。なぜなら、会でつながっている人は、会がなくなれば、関係が終わりになるからだ。

会のつながりは、そのような表面的なつながりでしかない。友情には立脚していない。

だから、友情に立脚してクライミングをしようと思えば、むしろ会に所属しない方が良いかもしれない。

この18人は、完全に、偶然の力、私の人脈形成力によって、知り合った人たちだ。

年平均、6人。2ヶ月に一回入会者がある、と思えば、いわゆる山岳会よりも、成績が良い。(私がいた会では、年に一人か二人しか入会者がなかった。)

これらは、動機はどうあれ、基本的には、友情に立脚した関係の人たちだったので、改めて感謝したいと思った。

■ 前の仕事

どうして、こうした人脈形成が可能になったのか?振り返ってみると、前の仕事の影響が大きいと思う。

山梨に来る前は、福岡で仕事で、新事業開発室という部署にいた。

この仕事、目先が効く人でないと、すぐやることが無くなってしまう。

スケジュールを自分で埋め、自分の仕事は自分で作る。でないと、ルーティンワークは一切ないので、ただぼーっとすることになってしまう。

指示されるのを待っているタイプの人には絶対にできない仕事だ。

私はエンジニアでキャリアをスタートしたし、一人でやる仕事が、元来好きで、営業的なことは苦手だった。人見知りと言う苦手を克服したのは、市場調査を経験した後だった。だから、この仕事は以前の私ではできなかった仕事だ。

もしかすると、この仕事は、山パートナーゲットのための修業か、予行演習みたいな意味があったのかもしれない。

あらゆる経験・・・仕事を含め・・・は、その人が自分自身のミッションをやり遂げるために与えられていると言うから。

まぁ問題はミッションが何であるか?が、非常に分かりにくい、ということなのだが。

■ 安定

こういうスキルも、すでに獲得後であったこともあり、山岳会をスピンオフしても、全く問題なく、むしろ問題が減り、今は念願叶って、安定的で幸せなクライミングライフを確立。

とはいえ、パートナーは療養中だ(笑)。

登攀力だけの問題なら、ジムで頑張れば、済むことだ。ジム通いは、ほとんど現代ではマナーと言えるかもしれないから、あまり特別なことをしているわけではない。

とくに最近はなんだか苦手だったジムも、苦手感が無くなってきた。むしろ、故障に気を付けないと。

一人で登ると、やりすぎの害を起こしやすい。私はそうでなくても自己完結しているタイプのため、集中してしまいやすい。

バランスが何事にも必要だ。というわけで対策は、コンディショニングなどのメニューを作ること。

■ ヨガ

ヨガの仕事を山梨に来てから始めた。 イントラ資格を取る前と取った後では、同じアーサナをするのでも、紀元前・紀元後くらいに意味が違う。

スタジオに入ると、ホームグランドだと感じる。お客様のほうが私に教えの機会を作ってくれているというのは真理だ。

瞑想状態に入ると、人生の意味を教えられる。愛されて生きることがカルマの浄化であること、今のままでよいこと、そうしたことは、自分自身でしか発見できない。

とかく、人は、ハーフエンプティのほうを考えがちだ。実際は多くを与えられ、奇跡の人生を生きている。奇跡にさえ不満を持つようになる。

誰の人生でもそうだが、私自身の人生を振り返っても、奇跡の存在を感じる。

どれほど乏しい環境で、どれほど大きな成果が可能になったのか?ということを考えれば、この先、資源が乏しいことは、あまり不安の種にならないはずだ。

多くの人が何かがないと何かができないという思考に陥ってしまっている。

が、その親自身がどうやってきたのか?と振り返ると、必要だと信じられているものは、別に要らないモノだったりもする。

その人自身の存在が、幸福には学歴不要の証明、あるいは経済的豊かさ不要の証明、にもなっているのに、そのことにあまり気が付いていないことが多い。

”〇〇がないと××ができない”に、まず目が行ってしまうと、できることもできなくなる。

良く考えると、個人的な幸福に、必要な資質は、すでに揃っていることが多いものである。

私の職業上のヨガは、個人的な幸福の延長にある。

今は自分のスタジオを運営しているわけではなく、ティーチャーズトレーニングを受けるにも、遠征となれば不必要な費用がかかるので、時機が悪いと判断して、時間的ゆとりの優位性を生かす戦略を取っているだけである。

教えているスタジオはホットだし、ホットでは体力的に週3日教えるのが限界。5年のキャリアがあるが、5年もホットをしているのは、すでにロングキャリアになる。

■ 課題

私の課題は、習得が早いが、飽きるのも早いことだ。器用貧乏とは私のことである。

過去を振り返る。

私のTOEICの点数は、20年前に取得した925点である。当時の満点は950点。これは受験者の上位1%に属す。受験回数は2回。あっけなく点が取れてしまった。というわけで、2回目でTOEICは卒業。

普通の人にとってTOEIC900代はすごいが、英語を仕事にする人にとってや、海外に住んだことがある人にとっては、まったくスゴクナイ。楽勝の範囲だ。

英語力は、まだ伸ばせるだろうが、第三者に実力を証明するために、数値や結果を追いかける必要はない。

そもそも今の生活では英語はあまり要らない。もっぱら友人のデイビッドとの語らいに使っているだけだ。若いころ、あんなに苦労して獲得した英語力なのだが・・・。

ソフトウェア開発者として、キャリアをスタートした。開発言語は、徹夜で勉強して、すぐにマスターして飽きてしまい、キャリアの後半はほぼマネジメント側に行ったので、今となっては、開発者として働くことはできそうにないし、したいとも思わない。

仕事で必要が起きたので、ビジネススクールに通ってマーケティングを勉強した。まわりは、ずらーとビジネスの大先輩。

卒論でクラスの一番が取れてしまった。昔から戦略立案は得意だった。強みを生かして、この分野で仕事をしたいが、なかなか機会に恵まれていない。

バレエは、もっとも困難な活動だったせいか、20年も続いた。バレエは難しく、バレエは本当に報われない。

仕事などよりも、情熱を傾けたかもしれない。福岡では、伊藤先生に師事できて幸せだった。一流講師。ノイマイヤーの通訳を務める機会ももらった。光栄なことだった。振り返ってみれば、福岡時代は幸せだったなぁ。

残念ながら、山梨には環境がないので一時停止している。が、未練たらしく、まだ10足ほどポアントを持っている。レオタードも、どうせ再開するときは、新しいのが欲しくなるんだし、と、何度も捨てようかな・・・と思ったけれど、まだ持っている。

最近クライミングに傾注するようになり、バレエを思い出すことが多くなった。バレエの虫とクライミングの虫は似ているような気がする。

登山は3年で一般登山は卒業だった。普通の人にとっての”すごい”は、アルパインをする人には、全然スゴクナイ。

現在、課題になっているところの、フリークライミング。5.11までは、誰でも行けると言われているから、行かなくてはならないなと思っているが、今までの他のアクティビティとの比較で考えると、比較的苦戦中かもしれない。強力な助っ人をゲットしたところだ。

しかし、習得の速さがすなわち飽きにつながっているという、過去の傾向を考えると、あまり習得が早くない方が、私にとって価値が高まるのかもしれない。

バレエもだが、大人になって年を取って始めた活動では、今からプロ選手になるではなし、体を壊さないように、のんびり構えてやるに限ると思う。

急がなくてはならない理由はどこにもない。

それどころか、逆で、急いでしまっては、楽しみが無くなる。

それは高齢のクライマーが行きたいところがもうない、と言うので前途が見える。ルートはちょっとずつ行かないと、すぐ行きつくしてしまうかもしれない。

大事なことは、幸せ”でいる”ことであって、幸せ”になる”ことではない。

幸せは、”もっともっと”の世界にはない。”ありがとう”の世界にあるのだ。

■ 誰の評価を求めるか

大阪を離れたとき、仕事を手放さなくてはならなかった。

しかるに、この10年の私の”決断”と、その決断から得た”結果”の因果関係や決断の意味、重みをもっともよく知っているのは、ビジネススクールの仲間たちであろう・・・。

というわけで、過去7年のプライオリティ順に

 ・登山 → 趣味とは言え、ここまで来れたこと、
 ・ヨガ → 仕事として充実
 ・結婚生活 → 充実
 ・クライミング → 最近の新しいチャレンジ課題

に対する、誰の評価が私にっとって意味があるか、と言えば、彼らの評価になるかもしれない。

自分自身が、「よくやったな~、私」と思っている以外は。

登山の成果を山ヤにたいして聞けば、上には上がいる世界のこと、登山史に名を残すようでないと何をやっても意味をなさない。13をオンサイトしたり、K2に登る以外は誰にも評価されない。

多くの優秀な山ヤたちが、そのために、「俺の山ヤ人生には意味がなかったのか」「俺なんか大した山ヤじゃない」と言って、苦しんでいる。

趣味で心の充実のために山をやっている人間が、そんな世界での評価を求めても詮無いことだ。

絶対的に肯定できる活動の一つは、レスキュー技術の普及。

最近、とりかかったところ。

というわけで、この7年間の、自分自身を評価するなら、よくやっているね、と言ってあげたい。

 

■ 戦力外の弟

私には2歳年下の弟がいた。一般に赤ちゃんの時は男の子の方が女の子の赤ちゃんより、病気に弱く、手がかかる。弟も例外ではなく、母は赤ちゃんの弟と幼児の私を抱えて大変そうにしていた。

母はシングルマザーだった。だから、私は”上の子は手がかからなくて助かる”であることが親孝行だった。私の自立は、幼児の時代から始まっていた。

弟は母親にべったりで、幼稚園に行くにも、いわゆる”ぎゃん泣き”して大変だった。母親が勤め先に出るのでも、同じ。妹もつられて泣いてしまう。

それでいつしか、ぎゃん泣き中の弟と妹を私が抱っこして、その隙に母親が家を出る、というチームワークが生まれた。

妹は、母がいなくなると、姉の私にべったりとなった。が、6歳の子が2歳の子のだっこをずっとしているのは、すごく大変だ。妹はまだ赤ちゃんだから、鼻水は垂れるし、ばっちいし、かと言って、2歳児は10kgくらいあって、もう重い。だっこしている私自身も、まだ6歳だったのだから。

一方、弟だってまだ4歳。戦力外だった。ロッキングチェアに登って落ちないでくれるだけで、ありがたかった。弟はいたずらして、怪我で3回、救急車に乗った。

男の子は成長が遅い。弟はおねしょがなかなか治せなかった。私は3つでおねしょは克服したが、弟は小学校3年生までかかった。

■ シゴキ

彼が小学校に上がった時、母が弟を地元のスイミングクラブに入れた。最初の日は鮮烈だった。弟は、ただプールに投げ入れられていた。人形みたいに。

溺れる~という声が聞こえてきそうだった。むちゃくちゃな動きで、何とか水から逃れようとしていた。

やっと上がってきて、ホッとしたのもつかの間、また投げ入れられていた。弟は泣いていたと思う。

それでも、この日から、弟はスイミングスクールに通うことになった。母は他の子が履いているような濃紺のスイミングパンツではなく、真っ赤な競泳用水着を弟に買って与えた。弟にしては、すごく恥ずかしかったのではないかと思う。

でも、その年から、私たちは、フェンス越しに弟がプールで虐待されているのを眺めた。赤パンなので見つけるのはたやすかった。

やがて冬が来ても、真水で泳がされ、唇は紫で歯がガチガチ言っていた。

母は私と妹を弟と同じクラブに入会させようとしたが、私は断固として拒否した。妹はカッコいいスイミングインストラクターのお兄さんにつられて入ったが、子供用プールでおもちゃ遊びする程度のことしかできなかったらしく、すぐ退会。

結局、弟だけがこのシゴキに耐えた。我が家のホープ。文字通り、希望の星。

■ 頼りにはならない

弟は3、4年生で、もう選手だった。我が家の休日は、弟の大会を中心に回った。5,6年生になると、メドレーやバタフライも出来て、家には、ずらーとメダルとトロフィーが並んだ。

6年生の修学旅行は長崎に行く。この長崎の時、弟は私に一番良いお土産を買ってきてくれた。びっくりした。母に買ってきたものより高価なお土産だったからだ。サンゴのネックレスだった。

我が家では、いつも、子供達がみんなでおこずかいを貯めて、ママに何かを買ってあげるのが通例だった。

当時、私は14歳だった。大人びていたので、街の中を歩いていると、大学生や新社会人の男性が声を掛けてくる。怖かった。

弟が中学生になった時、彼は「〇〇の弟」という呼ばれ方をされなくてはならなかった。学校の成績はてんでダメだったが、水泳のおかげで、スポーツは何をやらせても上手にできた。

最初、野球をやり、その後サッカーをしたが、すぐレギュラーになった。私はテニス部でキャプテンだった。

大変だったのは、サッカーで泥で汚れた、弟の衣類の洗濯。それでだいぶ弟とは喧嘩した。

この頃は、もう取っ組み合いの喧嘩はしなかった。しても私の方が負けてしまうのが明らかだったからだ。でも、断固として、弟の衣類を洗うのは拒否したので、弟は自分で洗うようになった。

私が中学生の頃までは、弟と二段ベッドの上と下で寝ていて、ある暑い夏、私がお腹の辺りに変な感触を感じて、起きると、知らない若い男の人がベッドの脇に立っていた。

それで、「ター坊!起きて」と叫んで、上の段で寝ている弟を起こしたが、弟はその男を見て、知っている人だと言った。

しかも、姉が酷い目に遭わされているのを理解していないみたいだった。全然、頼りにならない弟だった。13歳。

この事件のあと、この男の人は下着泥棒でストーカーだった、ということが警察から伝えられた。弟はストーカーをずっと見ていたのに、変だとは全然気が付かなかったのだ。

弟は14歳の頃、バレンタインデーのチョコを14個ももらってきた。中学が一番彼が輝いた時代だったかもしれない。

15歳になった弟は成績が悪すぎて行く高校がなかった。仕方ないので私立へ進んだ。あまりガラも良くない男子校だった。

1年生でさっそく額に剃り込みを入れていた。この頃は、もうすでに超逆三角体型で、弟は180cm近くあり、私は152cmと小柄なので、弟を見上げるようになっていた。

弟が高校生になったころ、姉の私は、すでにバイトしていて、朝5時には家を出て、夜は夜中の2時ごろに家に帰ってくるような生活をしていた。授業料もランチ代も自分で出していたのだった。

弟も高校に入るやいなや、土方のバイトを始めた。弟は、いつも私のマネをしている。2番目の子は、1番目の子がした失敗をしなくていいってことなのだ。

私はもう家事はしなかった。私自身の人生をなんとかする責任は私自身にあった。弟もそうだった。

その次に弟に会った時、弟はすでに冷たく、死後硬直した体になっていた。心臓発作だった。24歳。私は26歳だった。

■ 弟と学んだこと

私は、豪傑気取りでお酒を飲んで暴れている男性や浮気性の男性は嫌いだし、それは弟も同じだっただろうと思う。父親を思い出させられる。

私には、強くてたくましい弟がいたから、腕力があり、強くたくましい筋肉隆々のクライマー連中を見ても、男の子なんだから、そういうもんだ、と思う。筋肉を見て、うっとりなんてしない。強さでどーだ!と見せつけられても、どうもこうもない。

私に同じことを求められても、できないし、したいとも思わないし、する必要があるとも思えない。

私より山で、弱い男性を、パートナーにしたいなんて思わない。そんな女性がいるんだろうか?

男なんだから女性より強くて当たり前。

弟はスポーツは万能だったけれど、それは、スポーツの中のことだけで、頼りにはならなかったし、私のボディガードにさえなったかどうか・・・。確かめる前に死んでしまった。男の子のほうが生命力が弱いのだ。

小さいころはおねしょしていたんだし、母親を求めて、ぎゃん泣きしていたのは、弟のほうで私ではない。

弟と母親の愛を競ったことはない。常に弟が母親の愛情を勝ち取ることは自明だった。母にとって一番大事な子供は弟だった。だから、早死にしたのだ。

周りの大人は私が男の子だったら良かったのに・・・と良く言った。弟と並んでいると、よく兄弟と間違われ、私は男の子と間違われることが多かった。

山に愛されるのは常に強い男性で、女性の私ではない。私が男性と同じやり方で山に挑んだら、山はあっという間に私を飲みこんでしまうだろう。

男と女は違う。でも、弟は14歳の私にサンゴのネックレスをくれた。ちゃんとリスペクトはある。女性には、花を送りましょう。男は強くありましょう。

私のあとをついて、私の履いたスカートを履きたがっていた弟。坊主頭の弟。あやとりが上手。

私は”ねえちゃん”で、弟はいつまでたっても”ター坊”だ。それ以外、考えられない。

女と男は、ただ違う。特質が異なるのだ。











Wednesday, August 17, 2016

子なしハラスメント

■ 子なしハラスメント

このような記事が目についた。

ーーーーーーーーー
夫婦を苦しめる「子なしハラスメント」

東京都に住む男性会社員(35)は、結婚5年目。同じ年の専業主婦の妻との間に子どもはいない。3年ほど前から不妊治療を始めた。

「何で働いていないの? 毎日何しているの?」

妻は自分の両親に、こう聞かれたらしい。仕事もしていないのに子どもがいないのはなぜか、と責められているように感じ、傷ついていた。「子なしハラスメント」の空気は、夫婦の間をぎくしゃくさせることになった。

ーーーーーーーーーーーーーーhttp://news.yahoo.co.jp/feature/99

世界的に見て、日本と言う社会は多様性に乏しい社会だ。

多様性がないというのはどういう意味か?

みんなが同じ生き方しか許されない、という意味だ。

自分に自由な生き方を許していない人は、人にも自由な生き方を許さない。

自由を熱望しつつ、得ることができない境遇に自らを追いこんで、それを他人のせいだと思っている。

人生は、様々な理由で様々な不都合が起り、今は就職しようにも、以前のような、椅子に座っていれば、ボーナスがもらえるような、生温かい仕事はない。

自分の生活自体が成り立たないというのに、結婚することなんてできない人も多い。生活防衛で結婚したとしても、夫婦二人が生活して行くのがやっとなら、子供は持ちたくても持てないかもしれない。

純粋に生物学的事情で持てない人もいる。あるいは生き方の選択として持たなくても、それは個人の自由で、世間が詮索するような種類のものではない。

本来、大人の社会では、個々人の事情は詮索しないのがマナーだ。

日本にはそのようなマナーは成立していない。この面での日本の社会的成熟度は、他の欧米諸国と比べて著しく低い。

そのような個人の事情に、”世間”がいちいち鼻をつっこんで

”あなたはこうするべきだ”

と断罪する。その人が、どのような苦難を経て、現在の地位にいるのか?なんて、知りようがないのに。

あなたが子供を持たないことを非難したその相手は、不妊治療に何年も苦しんだかもしれないのですよ?

それくらいの想像力も働かない、自称子供の大人が多すぎることが、この国を非常に住みにくい世界にしている。



Monday, August 15, 2016

ウォーレン・バフェットの言葉


成功とは、いいと思うものを得ること。幸福とは、得るものをいいと思うこと。

 ウォーレン・バフェット:投資家

バフェットの著作はいつくか読んでいるが、こんなことを言っていたらしい。真実を突いている、と思う。

どんな人も、”自分がいいと思うものを得よう”として、現在の自分に至ったはずだ。

だが、多くの人は、”自分がいいと思ったもの”を得ても、それが”いい”と思えなくなる。幸福だとは感じられなくなる。

一例をあげよう。

どんな男性でも、結婚相手になった人には、”結婚してほしい”と懇願して結婚したはずだ。その女性は、”自分がいいと思ったもの”だったはずだ。その女性を得ることは、成功と考えたから、プロポーズしたハズだ。

ところが、30年、40年とつれ添うちに、妻を疎ましく思うようになる。自分が得たものをいいと思えなくなるのだ。

世の中に、このような結婚は多い。結果として、不忠がはびこり、浮気する男性が後を絶たない。そうした男性は、世の中の誰もが浮気をしているのだから、自分にも許されて当然だと主張する。

女性の側はたまったものではないのだから、このような世の中の考えには同調してはならない。

このような不幸な結婚は、反面教師として、決してそのような経過をたどることのないようにしなくてはならない。

結婚は、幸福とすることができるのである。それは得たものを良きものと考える思考から生まれる。

思考は具現化するものだからだ。

■ 青い鳥を追うのを辞める

子供の頃の私は、考えが浅かったので、私の親はくっついたり離れたり忙しかったこともあり、安定を求める子ども心から、じゃあ、さっさと別れて良いと思う人をまた得たらよいのではないか?程度にしか、考えていなかった。

大人になり、合理的思考も発達すると、それは何の解決にもならないことに気が付いた。

とっかえひっかえ、その時良いと思う人を次々と恋人として得て、次々飽き、次々とまた良いと思う人を得る。繰り返しにすぎない。

言い古された青い鳥のお話と同じことだ。

これは恋人、結婚相手のみならず、仕事や趣味の成功などでも同じだ。

もし、青い鳥のお話と、結末が同じだとすると、探し求めた幸福は、すでに掌中にあるものであるはずだ。

それはなんだろうか?

■ 未来形

バフェットの言葉が、幸福とは”得るもの”をいいと思うこと、と未来形であって、”得たもの”をいいと思うこと、でないのは、素晴らしいことかもしれない。

過去形の”得たもの”をいいもの、としてしまうと人間は成長をしない。

あるもので満足、という進歩の無い世界観となってしまうだからだ。

来るもの、得るものは、かならずしも、願いどおりとは限らない。

美しい花嫁を願い、その通りのものを普通、人は手に入れる。しかし、人は老い、美貌は必ず奪われるものである。それは不可避な変化だ。

それだけではない。

神はいつも、願ったものを与える。だが、願いはいつもすこし違った形で叶う。

例えば、神は、強くありたいと願った人には、試練を与える。試練こそが人を強くする唯一の物だからだ。

その叶った形を良いもの、幸福として受け取れることが大事だ。

現代人の問題は、強くありたいと願ったのは自分なのに、試練を与えられると、それを幸福だとは考えられないと言う点だ。

しかし、試練なくして、どうやって強くなろうと言うのだろう?

裕福になりたいと願えば、寝る間もないほど働くという環境が与えられるだろう。私自身もそうだった。

働かずしてどうやって裕福になろうと言うのだろう?

今、日本の労働環境は劣悪で、人々は長時間労働に晒されている。

誰もがそれを幸福だとは考えられないほどだが、それは労働が美徳だと考えられているためではなく、贅沢が美徳だと考えられているためだ。

誰もが食べるに十分なだけの稼ぎで満足すれば、それほど働かなくて良いはずなのだ。

経済的豊かさが唯一の成功であり、幸福の指標だと考える人が増えれば増えるほど、世界は長時間労働で占められるのが道理だからだ。

ヴィトンのバッグを買うために隷属的な長時間労働を受けいれるか?と尋ねられれば、誰もがNOと答えるだろうが、長時間の労働をした自分にご褒美をあげようとすると、結局は、ヴィトンのバッグになってしまうという結末はよく見受けられる。

それは、贅沢しか、自分を幸福にする他の価値観を自分に許していないからだ。

経済的な贅沢をあきらめることができないならば、同じ価値観の中から出ることができない。

■ 今持てるものに満足を見出すところからスタート

どのような生活にも、喜びの瞬間はあるものである。どのような貧しい人にも太陽も月も同じように光り輝く。

今できる、その生き方で、心を充足させる方法を見つけることが、得たものをいいものとする考え方である。

そこがスタート地点だ。

つまり、幸福は、幸福だと認めるところからスタートするということである。

行ける山が、いつもいい山。

幸せの再定義

■ 山瞑想が不要に

かつて、山に行くことは、私にとっては、非日常や瞑想を意味していた。脳の活性化&レスト。

ところが、今は、なんだかクライミングのほうが、脳のレストになっているような???

■ 再定義

ということで、私は自分の幸福の定義を再定義しなくてはなるまい。

始めのころは、景色、だった。山で良い景色を見て、心洗われる、良い思い出を作ることが目的だった。それは叶い、とても幸せな気分に包まれた。

その次にやってきたのは、山瞑想だった。山で精神の平衡を取り戻す。心のリセット。元気になるために山に行く。

次に、やってきた幸せは冒険だった。夫と知らないところへ行くのが楽しかった。へぇ~の量が幸福の量。

次は、挑戦だった。どんどん難しい山に行けるようになることが楽しかった。夫と二人でどんどん山を難しくしていった。達成感が幸福の目安という訳だ。

ただ、私一人がどんどん難しい山に行きたくなってしまい、夫とは一緒に行けなくなってしまった。この領域はまだ満たされていないままに、ブーム終了。本来、挑戦できると思える最難の山には、挑戦していない。

が、ただ同時に、難しい山と思われている山がラクラクになってしまったので、難しさを追求すること自体に、そもそも魅力を感じなくなった。

次に、どんな山でも、山さえ行けたら幸せ、という時代が続いた。沢や岩は目新しい体験で、好奇心をかきたてられた。沢をどうするのか、岩をどうするのか?とにかく”知る”のみ!

沢でも、岩でも、読図山行でも、何でも楽しかったので、そのまま好きなように山に行っていたら、108日も山に行くことになってしまった・・・。まぁ、かなり幸せ満喫ってことだな。量の時代ということだ。量が幸せの目安。

ただ、量をこなすうち、山なら誰と行っても楽しいわけではないことに、気が付いた。スタンプラリーみたいな、ピークの数だけの登山や、安全をアナタ任せの同行者との山、どんなすごい山に行ったか、その自分がどんなにすごいやつかを自慢したい同行者との山は、全然楽しくない。

リスク満点でくつろげない。なにしろ、危険認知が甘々どころか、命あっての物種、だからだ。この調子で行けばいつか事故で、凍傷や転滑落になることが、予想できる。

・・・ということで、幸福の目安が何であったか?言い換えると、何を目的に山に行っていたか?をまとめると

 景色(ご褒美) → 瞑想 → 冒険 → 達成感 → 量 → 知識 → 質

という変遷をたどっている。

■ 夏山は人ごみ

山行の質を重視する人が、人で充満した夏山なんて行きたくないのは、普通のことだ。

私が山に行きたいのは、そもそも、アイソレーション、人から離れるためなのだからして。

というわけで、幸せの再定義。

■ 幸せの再定義

フィジカルのアップ。精神の充実。


Sunday, August 14, 2016

普通のことがありがたいことだと思えるようになること

私には謎があった。

登山歴40年と豪語する山男が、「俺の人生には、あれがない、これがない」と嘆いてばかりいたことだ・・・

山に登っていれば、かならず、今持てるもの、で感謝するようになるはずだ。

 ただ、今この時、息をしていること

 五体満足であること

 温かい衣類を着ていること

 頭の上に屋根があること

 戦争状態のように、命の危険に脅かされるような状況にないこと

この映画は、そういう基本的なことを思い出させてくれる、良き映画だった。


Thursday, August 11, 2016

命を自分の自尊心を満足させる道具にしてしまってはいけません

■ 仲間

先日、国体で、会の先輩に久しぶりに会った。先輩はなんだか私に会ってうれしそうにしていた。私のほうでも、変わりない姿を見れてうれしかった。

退会はスムーズだった。君の期待に応えることができない、と先輩は言っていた。ごめんね、ということだ。

あきらめ、諦観、そういったものが、今、山の世界を支配しているのは、仕方がない。

No way out というような状況だからだ・・・。 出口がどこにもない迷宮に山の世界は入り込んでしまっている。

進歩はなく、退廃があり、停滞した空気感の中で、できることを精いっぱいやる、という山は、逆流に逆らって進む川の遡行みたいな感じだ。

■ 停滞

大体は、みな宴会山行へ逃げ込む。

本来の山の良さは、体力に見合った山をいつでも楽しむことができる、ということなのだが。

山の世界では、まだまだ競争原理が幅を利かせている。

この競争原理は、誰も幸せにしていないのに、不思議なことに誰も手放せない。

高尾山より、剣が上。

二級の沢より、六級の沢が上。

そんな世界が嫌だな~と思い、アルパインはもういいから、自然ガイドの世界に転進しようかな~と今春思った。

登山者として初めてのころ、よくネイチャー系講習会に行って、愉しかったからだ。苔とか、アニマルトラックとか、色々勉強した。

が、そこでも。

おばちゃん登山者たちは、何座行った、何年やっているの競争をしていた・・・ 上高地なのに、明神も知らないで、上高地のすべてを知っていると言わんばかりなのだ。

■ 結局は自尊心の問題

競争と自己顕示欲の山となると、結局は、自尊心の問題です。

登山を自尊心の問題で登っている人が多いのが、昨今の遭難者増加問題の端的要因であると思います。

私の会では、過去の自分の登山歴から、自分の能力を過信した先輩が率いた阿弥陀北稜(初級のアルパイン)で、3人の凍傷者を出しました。

これは計画時から慢心がうかがえる計画で、計画に意義を唱えたのは、悲しいことに、新人の私だけでした。

つまり、しがらみが理性の窓を曇らせるのです。

計画者が言っても聞かない人だから、ということもありますが、それでもその人が凍傷になったり、死んでしまってよい、と言う訳ではないでしょう。

他の会員は、人間関係の悪化を恐れて言うべきことも言えないのです。

しかし、山では、人の命がかかっています。

人の命を、自分の自尊心を満足させる道具にしてしまってはいけません。

それは、自分の命であっても、です。

■ 今日の言葉

自分らしく振舞い、
思ったままを言葉にしなさい。
    
なぜなら、そのことを気にする人は
あなたにとって大切な人ではないし、
     
あなたにとって大切な人は
そんなことを気にしたりはしないはずだから。
         
私をきらいな人を
憎む時間なんてないの。
     
だって、私を好きな人を
愛するのに忙しいのだから。
     
自分が愛する人たち、
自分を愛してくれる人たちに
大切な時間とエネルギーを注いでいきたい!

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山岳会を考える

Tuesday, August 9, 2016

コメントをくださった方々に感謝しております

■アドバイザー

最近、コメントを読み返して、読者の方から、多大な応援、支援、ご心配、そして愛情をいただいたことに、しきりに考えが行っています。

大いなる存在の叡智が、私を山での死から守ってくれたのかもしれません。

本当に、大変ありがたいコメントを多数お寄せいただきました。感謝しても感謝しきれるものではありません。

これらのコメントのほうが、アルパインを志向したい読者の方にとって、参考になると思いますので、まとめ。

700以上のコメントがあるので、1Pではまとめきれませんので、また書きます。

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KatiPoroさん July 21, 2016 at 9:20 AM

≪新・これなら安全にいけるんじゃ百名山≫の提案は大変、興味深い内容でした。
団体感の維持と達成指向の活用は、ほんとに肝になりそうなキーワードです。

大変、おもしろい内容の記事をありがとうございます。

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山田岳July 1, 2016 at 2:57 PM

大学山岳部ではこの小刻みのステップが理解されない傾向がありますね。ある山岳部では登山歴のない一年生が最初に登った山がゴールデンウィークの西穂岳というのだから驚きです。ちなみにその山岳部は後に事故を起こしました。
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wko57May 16, 2016 at 4:35 AM

今週末夕もや尾根から黒富士に登る予定です。詳細な情報と写真、大いに参考になりました。ありがとうございます!

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とりおたMay 9, 2016 at 9:00 AM

はじめまして。全部のページがためになります。このページはとくに心に響きました。
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MハゲMarch 30, 2016 at 1:13 AM

ハゲオヤジです。ありがとうございます。
すでに退会されてたんですね、私の勇み足でした。

会員間で当番制順番制で山を決めるってかなり自由すぎますね^^;
自由な反面、山域、ルートを初心者レベルに限定しないと危険でしょう。

その会で前穂北尾根はなかなかです。
川俣尾根も、雪でブッシュが埋まったら歩きやすい等、発見があったと思います。
そんな感じで、夏に3000m級を登って「ここに雪がついたらどうなるんだろう?」などとイメージしてみてください。おもしろいですよ。

Kinnyさんは講習会に出たり自身で開いたりと勉強熱心な上、山行も多く場数を踏んでいるので、ハゲオヤジとしては太鼓判を押しております。
楽しめるレベルに突入されていると思います。
是非、自然と融合してください。
大丈夫だと思いますが一応、難易度を上げる場合は緻密に計画してください。
ヘマやらかしたらカミナリ落としますよ。
それでは。

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ハゲおやじFebruary 13, 2015 at 2:00 AM

こんばんは
少し協力させていただきたいと思います。

•リスクを具体的に落とし込む>予測する・考えることが大事ってことですね。い

ろんなリスクが溢れてくるでしょう。私の経験では、体力がないのが一番のリスクです。
•無理のない計画を立てる>自分の、自分たちの力量を知り、そして山の情報を得てプラニング
•力量に合った山にする>自分の、自分たちの力量を知り、そして山の情報を得てチョイス
•ダメだと思ったら引き返す>引き返せない状況、動いたら危険な状況に深入りしない>動いたら危険な状況とは?いろんな状況があります。それを知るには経験を積むこと、経験者の話・記事や本から知るのもよし。
•オーバーペースで苦しいときは、その旨、リーダーに連絡する>そうですね。体調不良や尿意もね。


行動を自粛すべき寒さ>天候・山域・防寒具・標高・気圧配置(風)にもよりますけど、稜線に出るならマイナス5度から要注意でしょう。夏山の雨で低体温症とか個人差もあるので。

昭和に比べたら今は装備も進化してますし、情報も得やすく、共有しやすいとおもいます。

また山に行けますように。どこかの山で、また会いましょう。

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Keisuke YamaguchiJanuary 13, 2016 at 9:52 AM

初めまして。
いつも楽しく拝見させていただいております。
3,4年前に黒戸尾根の日帰り8時間をやりましたが、ミニマムな装備とそれなりに強いフィジカル&経験&コンディションが整えば35+でも十分に実現可能だと思います。最近よんだ本("Training for the New Alpinism")によると、第一線でビッグマウンテンのアルパインをやってる人たちは空身で1,000m/30minが一つのベンチマークのようなので、黒戸尾根であれば4-5時間くらいでやっつけられる計算になるはず。タイムアタック的な登り方に執着しすぎると山が楽しめなくなる気がしますが、十分な体力とタクティックスで挑めばスピーディーかつ快適&楽しい登山を両立できると思っています。

ちなみに、ブログ主さんとは2,3年前に本沢温泉の大部屋でお会いしているかもしれません。当時オーストラリア移住の調べ物をしていたら偶然出会ったブログに山登りネタが書いてあって、それ以来ブログを拝見しています。

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Climber KDecember 7, 2015 at 6:06 PM

アメリカンエイドという用語は和製英語です。
ヨセミテの岩壁等で行われている、できるだけギアを残置しない、エイドクライミングのことです。日本の残置だらけの人工登攀ルートと区別するために、ヨセミテ帰りの日本人クライマー達が、日本国内で行ったエイドクライミングの呼称です。

私の思想では、
人工登攀=ハーケン、ボルト等の残置をつかうクライミング。
エイドクライミング=自分たちで支点を構築し、回収するクライミング。

私はカムの効かせ方はエイドで覚えました。
いきなりフリーで登りながら、カムセットを学習するのは危険です。
ガメラ菊池さんもそんなことを書いていたような。

トップロープでカムをセットしながら登り、ロワーダウン時にカムに体重をかけて暴れてみると、カムが動いて行く理屈が理解できるでしょう。カムの内刃と外歯をどちらに向けたらより安全とか、軸の岩面からの角度とか。しかし、習ったほうが安全確実です。
小川山レイバックでグランドフォールした重大事故を2件知っています。

写真の棒フレンズは私と同じです。初代は自分でスリングを結びました。
スリング付きは1982年から販売され、1と2と3の中間サイズもこの年からでした。
回収用の細引きは私もつけてます。
カラビナはシモンのベントゲートのスピリッツだし、オーナーは私と同世代でしょう。
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Climber KNovember 30, 2015 at 10:02 PM

ワールド・カップ日本代表のコーチをしている人が、ジムでスクールをやっています。
2年前に私はそのスクールに入りました。やったことは、ジムでの私の限界グレードの少し下のグレードを、2時間くらい、スクール生のパートナーと交互に登り続けることでした。パートナーは70歳でした。

私はコーチのビレーでジュニア選手が、12台を2時間で20本登っていたのを以前目撃していました。
同じ練習をグレードを落としてやらされたのです。2時間でリード12本、その後ボルダー30分でした。

若い人と年寄りの一番の違いは、疲労回復力なのです。今まで登り続けている故障気味の年寄りが、今さら強くなるわけないのです。週一のスクールと土日曜日は岩場。当時トライしていたのは小川山の12aでした。

岩場はマイペースなので問題なしでした。スクールでだんだん疲労が溜まり、このままでは本格的故障を起こすと思いました。

私は岩を登るのが目的なので、インドアで故障するなど、本末転倒はなはだしいと思いました。

腰や膝に爆弾を抱えている私は、柔道の受け身のように足から着地後、背中から後ろにころがらないと不安です。

コーチはボルダーは足からのみ着地しなさいと言います。
彼はスクール生の話は一切聞かず、「自分はプロだから言う通りやれ」というスタンスです。
彼は職人なんでしよう。職人=自己の経験からしか学ばない。他人の話は聞かない。文献等から学習をしない。
スクルーを終えてから、中高年スクール生で故障者が続出しているというのを聞きました(-_-)。

プレーヤーとして実績があっても、コーチとしてはなはだ疑問です。技術的な指導は一切ありませんでした。
唯一学んだことは私の今までのやり方が、適正だったということでした。

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Climber KNovember 30, 2015 at 11:21 PM

グリグリ2とクリックアップは9.6ミリのロープで、ルベルソやATCガイドと比較して繰り出し抵抗があります。
これ以上太いロープの操作性はかなり悪いです。
私は所持していませんが、グリグリ2は使用法を誤ると危険なビレーデバイスらしいです。
私のホームジムPUMPでは、何年か前にグランドフォール事故の多発により、
グリグリとシンチは使用禁止になりました。クリックアップはOKです。
ジム用9.5ミリロープの場合はクリックアップです。クリックアップでの危険な行為は、上下逆さまにロープを通すか、
ビレー側の手を放している以外にありません。単純明快、ロープの繰り出し操作はATCタイプと同じで、初心者もOKです。

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ーーーーーーーーーーーーuconこと清水菖司November 27, 2015 at 11:54 AM
uconこと清水菖司November 27, 2015 at 11:54 AM

どの言葉も同感です。
下戸の私が追加するとすれば「山に酒と睡眠薬は持ち込むな」ですが、これを言うとヒンシュクを買い、離れてゆく人が多いです。
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Climber KNovember 13, 2015 at 10:56 PM

Kinnyさんこんばんは。

私が初めて剱岳に登ったのはGWの早月尾根からでした。
大日岳の立山川側に張り出した巨大雪庇がひと際印象に残っています。
合宿最後の日に剣沢のBCから、大日岳を往復することになりました。
最も重要なことは、あの巨大雪庇の上を歩いてはいけないことでした。
稜線の傾斜が緩い部分は雪庇の上です。絶対安全圏は稜線から50メートルと想定しました。
なので室堂側の急斜面をトラバースしていきました。
早朝は雪が硬く、くるぶしが痛いトラバースが延々と続きました。
休息するときは傾斜が緩い雪面に上がりました。そこは岩や這松が露出している所。ここは山稜の上で安全です。この程度のことは山岳会一年目の私でも考えていました。

(つづきは上記リンクをクリック)
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Climber KNovember 10, 2015 at 6:28 PM

教えている人が間違っているのか、自分で改悪しているのかわかりませんが、一番目の写真のビレーはジムでは多いです。クライミングをする前に、正しいビレーを覚えることが先決です。
 (続きは上記リンクをクリック)
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Climber KNovember 8, 2015 at 1:23 PM

この遭難はGW後半の三連休最後の日でした。
このとき私たちは奥又白に入山していました。
3日目に悪天になると、入山前から予想されていました。

(続きは 上記リンクをクリック)
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登山再考November 4, 2015 at 11:55 AM

返答ありがとうございました。お忙し中すみませんでした。Thrive,Thriver.Climb,Climber.でしたね。

ブログを読んでいつも感心しています。理路整然と「登山」「山岳会・界」の事など本当によく考え、書いておられます。私は34年間、どっぷり山岳会・界につかっています。あなたの文章をすべての登山愛好者に読んでもらいたいです。

ハフツー物、紀行文、小説、雑誌、定期購読、等山に関する本はいろいろ読んでいますが、あなたのように深層心理をきちんと書いた文章は、ありません。さて登山を続けている間はどこかの山岳会に入っている方が良いと思います。遭難・救助・搬出・捜索のバックアップはもちろんですが、日頃の会活動ではクライミングをしない方、する方も会計・会報・事務局・新人教育・他団体の窓口等いろいろお世話しています。

その活動を通して、優秀な方に出会ったり、勉強になる事があります。良い人間関係も期待できます。参考になればと思い、書きました。
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RebayashiOctober 14, 2015 at 11:28 PM

どうも、初めてレスポンスします。
当会への批判記事の掲載、ご苦労様です。
先日、貴女の退会後最初の例会があったのですが、天敵がいなくなった会員のビッグマウスが2倍くらいになってしまった。やれやれ。(匿名)

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DamienOctober 16, 2015 at 3:16 PM

ご無沙汰してます。

ブログ再開したんすね。嬉しいです。

とか一応、前置きを書いて
この報告書の入手方法を教えてもらえないですか?
直接読みたいです。
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登山再考October 8, 2015 at 1:56 PM

はじめまして、二日前から読んでいます。コメントから察すると大変頭が良く、プロフィールも読みました、素晴らしい方だと思います。良い意味で登山界の貴重な方です。上から目線の言い方で、すみません。

31歳から66歳までどっぷり山岳界につっかている身にとっては、胸にささる事ばかりです。

山岳会のありかた。クライミング、その他すべてを考えて、文章にできる能力。今まで会ったことはありません。私も未だ、発展途上?思案中です。山岳界に失望しないで、長いめで見て下さい。
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清算・・・ 山岳会を考えるその1 の 

適切でわかりやすい文章です。Kinnyさんが思ってることは概ね理解できます。 あなたのキャリアで、よくここまで達観したと思います。  山は自分の時間とお金をつかいます。なので自分のやりたいようにやるべきです。

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モウアラJuly 29, 2015 at 5:58 PM

はじめまして、mooalaです。
そしてもう、サヨナラなんですね。

私は岩しかしてないですが、自分で行って帰るがモットーの極小クライマーです。
なので、なんとなく似たような事を考えてる方がいるなぁと、時々お邪魔していました。
短い間でしたが楽しくかったです。
過去の記事はまだ全部読んでないので、ゆっくり読ませていただきます。
これからもいい山/岩との出会いがありますように。(お互いに)

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snowSeptember 11, 2015 at 9:54 PM

はじめまして。
金峰山から辿り辿って、こちらへ伺いました。
そして、最新の更新が最終回…
しかし、とても勇気を頂ける言葉の数々。
ありがとうございます。
最初から、少しずつ読ませて頂こうと思っています

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mitis2012August 10, 2015 at 12:06 PM

大変参考になりました。
しかしながら、今回の件は下山後にでも本人に忠告すれば良いように思えるのですが如何でしょうか。タイミングは遅くても良いと思います。それが教育ってやつかなと思うのですが。

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yosemiteJuly 19, 2015 at 10:46 AM

昔(70年代)も「チョンボ棒」はときどき見かけたことがありました。
使う人はやはり「小兵」クライマーが多い感じだったと記憶します。 
平均して男性より身長が低く筋力も劣る女性クライマーが用いるのなら許されるといった雰囲気と傾向はありました。
しかし男性だと、まさに「チョンボ」の名の通りで、一般には軽蔑の対象ですので、市販された道具ではありませんでした。
「ズル」したい人が、ひそかに自分用に作って、隠し持っているといったところです。

私は「グリッフ・フィフィ」が「チョンボ棒」の原型ではないかと思ってます。
自分のプライドからは許せないものなので、フィフィも買ったことも使ったこともありません。
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DamienJuly 15, 2015 at 5:57 PM

甲州の谷事情は分からないんですが、
「脆いことで有名な場所」でなくても、降雨時や降雨直後は落石が発生し易いです。

横を登山道が走ってるようなところや、歩き易い尾根にスグ出れるようなトコロ以外は
「川幅一杯まで増水したら、どこからエスケープするか」を ある程度 考えておいたほうがいいです。

「集水域の広さ」も事前に行き先選択や、行く行かないの判断の大事な要素です。

普段水量の少ない区間でも、集水域が広いと、降雨時、大変なことになる可能性が高くなります。 
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DamienJune 9, 2015 at 10:00 AM

(プルージック登攀は)アピールポイントってゆうより必須条件、マストアイテム、マストテクっすね♪
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DamienJune 8, 2015 at 4:12 PM

ショルダーが好きです♪
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DamienMay 28, 2015 at 5:13 PM

ごちそうですねぇ。

知っておられるかもしれませんけど
飯盒は焚火の木の上に乗せてしまいます。
乗せる面が水平になるようにして
木は太めのを。
なので、苦労して ぶら下げる必要はないと思います。

ぶら下げと関係ないですけど、黒以外の塗装のヤツでも焚火で加熱すると全部、真っ黒になっちゃいますね。

やっぱり沢登りは日帰りより谷中泊ですよねぇ。一緒に行ったかたが気に入ってくれたようで良かったですね。
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DamienMay 22, 2015 at 3:06 PM

業務中にも関わらず、興味深く読ませていただきました。

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yosemiteMay 20, 2015 at 7:13 PM

肩がらみには、「肩がらみ確保」と「肩がらみ懸垂下降」の2つがあります。
しかし、ボディー・ビレイは、肩よりも腰、立ちよりも座り、というのが基本の教えなので、普通は肩がらみ確保なんてやりません。 

大学山岳会での人生初めての懸垂は、肩がらみでした。 ザイルと服の摩擦で制動する訳ですから ・・・

(つづきは上記リンクをクリック)
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yosemiteMay 20, 2015 at 10:00 PM

昔、80年代前半に、沢登り講習会講師を務めたので、一言。

1)バンガロー泊&葛葉川本谷
は、「バンガロー泊」ではなく「広沢寺」がメインです。 
そこはシングル・ピッチのスラブ系(小川山のような花崗岩の本物フリクション・スラブではない)の有名ゲレンデです。
ここで、沢登りの前に三点支持・懸垂・ロープシステムなどの岩登りの基礎をやるのでしょう。

3) 水根沢
ここは大きくはないものの釜や淵のへつり・泳ぎで有名です。 
沢を全部行くと結構長いので、大方のひとは詰めることはせず、沢の中ほどでで遡行をやめて沢沿いにある登山道に上がって下りてきます。 

4) 小川谷廊下
「廊下」というほど大地形ではないですが、水と楽しめるきれいな沢です。 
バイルが欲しいような難しげなへつりはないと思います。 
5回は行きましたが、いつも水浴びするのが楽しかったです。 
ここも途中の林道から下りて来られるので、楽ちんなところです。

5) 東沢釜ノ沢
ここは沢登りというよりは沢歩きでしょう。 
田部重治の『奥秩父』で有名となり、深田久弥などのクライミングできない人もたくさん登ってます。 
いわゆる「破線ルート」ってやつで、昔は山慣れた岳人はザイルなどは携行せず登ったところです。 
両門の滝までは3回行ったことがあります。 秋の紅葉が青緑の水に生えて最高ですね。
難攻不落・前人未到と言われた「法螺外」は、たしか80年代に突破されたと記憶します。
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yosemiteMay 16, 2015 at 1:31 PM

回答ありがとうございます。
眼から鱗、ようやく分かりました。 普通、「新人」というのは1年生だけに言うコトバですよ。
「入会して3年目」だったら、実力は別としても一応「中堅」とか呼んでもらわないと・・・(汗)。

入会3年目の30歳代男性が冬山合宿のリーダーになって、山行を企画・指揮したけど、藪漕ぎと河原歩きで敗退に終わった、ということですね。 
しかも、仮に宝剣まで行けてたとしても、そのリーダーにはフィックスを張る技量もない。
これでは、遭難予備軍です。 
「・・・そんなのにワタシ、付き合っていたら殺されます・・・。」と言うのも大袈裟じゃないですね。
その人がリーダーを続けるなら、バリエーションや積雪期は絶対いっしょに行っちゃダメです。 
というか、私だったらとっくに退会して別の会に移ってます。
もう「君子危うきに近寄らず」、を通り越して、「命あっての物種」に近い状況です。
人はなまじ近くにいると、「情け」とか「しがらみ」とかで、ものごとに曖昧にしますが、
Kinnyさんはすでに命が懸かるカテゴリーに足を踏み入れてるのですから、
「情けは人の為ならず」を実行しないとマズイと思います。
好きなタイプか嫌いなタイプか、そんなこと言ってる場合じゃないですよ!
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yosemiteMay 8, 2015 at 12:33 AM

積雪期の涸沢岳西尾根は昔から鬼門です。
70年代80年代も毎年のように滑落死亡事故がありました。 
年末の蒲田富士でチビ谷側に落ちて亡くなったのは星野隆男さん(山学同志会)です。
私は大学山岳会の初めての冬山で穂高を経験し、帰京した矢先にその訃報を聞いたと記憶します。
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DamienApril 28, 2015 at 12:14 PM

(学ぶべきことは)ココに書いてあることとジャンピング以外では、アブミかけかえによるエイドクライミングぐらいかなー。

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yosemiteApril 25, 2015 at 1:44 AM

昔も、Ⅴをトップで登れなければ、自立した一人前のクライマーはありません。
おそらくジムとジム同然に作った外岩のラインばかり登っているから感覚が麻痺したと思います。 
それも仲良しクラブでトップロープやハングドッグが常態化してるとさらに感覚麻痺を助長させます。
その使えない状況を、沢登りや雪山登山に当てはめようとするのはバカとしか言えません。

外岩であっても懸垂でボルト・ピトンを設置して作ったスポーツ・ルートはジムのと同等で、そんなムーブにフォーカスしたところを登れるかどうかだけを判断基準にしたらダメです。
残置ピトンがあるにせよ、自力でルートファインデングして確認してランニングビレイを取って登る、フロム・ザ・グラウンドなクライミングのリード力に基準を置いてグレードを俯瞰しないと意味がありません。 
(詳細は上記リンクをクリック)
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yosemiteApril 25, 2015 at 8:54 AM
「外岩5.11aのオンサイトを本番ルートへの条件にしている会が多数ある」
YDGが付けられたルート(=80年代初頭から開拓されたルート)とローマ数字のクラシックルルート(=70年代末までに開拓されたルート)のムーブと「質」が違うことが分からないのかなぁ?
登るスタイル(=考え方と言っていい)も道具も違うのに、同じ線上に並べて判断基準にするのはバカげてると思います。
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DamienApril 23, 2015 at 11:13 AM

本当に お疲れ様でした。
有難うございました。無料で素晴らしい文章が読めて お得でした。
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yosemiteApril 22, 2015 at 11:50 AM

yosemiteです。

『山と渓谷編集部ブログ』で詳述版を先に読んで異和感を感じ、その後に5月号の記事を読みました。
「遭難に至る経緯」という表とパーティーが辿ったラインを赤線で示した地形図が作られ、不明点がいくつも解けたものの、遭難の核心はまだまだ謎だらけです。

(続きは上記リンクをクリック)
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DamienApril 6, 2015 at 10:14 AM

この記事、小冊子にして配布したら どうです? 税金で。
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yosemiteApril 4, 2015 at 10:42 PM

yosemiteです。

◆ 「バットレス四尾根、『チャレンジ!アルパイン』には、2~3時間で出ているんですが…(汗)」

これは「四尾根主稜」だけの標準時間です。 バットレスには下部岩壁があります。 四尾根の場合は普通は5ルートあり、1~2時間とされてます。 『チャレンジ・アルパイン』を持ってないので具体的に指摘できませんが、下部岩壁が説明されてない筈がありません。 ここはどれも3、4ピッチを確保して登る侮れないところで、バットレスの一部です。

いずれにしても、上級者の同行を廃して、初級者同志がバットレスに行くのなら、三ツ峠のようなゲレンデでつるべを50ピッチはやって、登攀・ロープワーク・懸垂などをスムースにできる力をつけてから挑戦すべきと思います。
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yosemiteApril 4, 2015 at 9:09 PM

yosemiteです。

◆ 「初心者は決して一人にしてはいけない、と師匠にくぎを刺されています。」
と言うのを見て、先日伺った2012年の三ツ峠ガイド客の滑落死亡事故を思い出しました。 
ガイド客=何回やっても初心者同然、、と思いますので、指摘通りです。

◆ 「三つ峠は、クライミングで支点にぶら下がらないといけないような、シビアな所はありません。だからランニングはハーケンだったりします」
RCCグレード(UIAAに準拠)で示されたⅢ~Ⅴ+までのルートは70年代初めまでに、ハーケンとリング・ボルトまたはRCCボルトで開拓されたラインで、ご指摘の通りです。 アンカーはペツル・ボルト等に打ち替えられてるところもあるでしょう。
しかし、5.10aとかのYDS(ヨセミテ・デジマル・システム)式グレードのルートが、80年代初頭以降にたくさん開拓され(あるいはフリー化され)ていて、小川山などと同じでムーブ解決を楽しむのがテーマですので、登り方が違います。

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Wednesday, August 3, 2016

責任感のある仲間と登る

■人間として尊敬できるということ

最近、仲間に恵まれ、改めて確信したことがある。

大事なことは、人間として尊敬できるということだ、ということ。

言うまでもないことだが、クライミングは、余暇の楽しみである。大事なことは登れることではなく楽しめることである。

人を人とも思わない態度(例:挨拶をしても挨拶を返さない、言動を無視する、相手を試すような態度を取る)など・・・、そもそも”人としてどうか?”というようなクライミングも過去にあった。一緒にいること自体が苦痛だった。

実力を無視した無理な計画や、自分の実力誇示のために相手に無理なペースを強いる、実力誇示や危険認知の欠如により、相手を命の危険に陥れる・・・たとえばラクがあると分かっている場所にわざと立たせるなど・・・、あるいは、登れるからイラナイでしょなどのロープの不携帯などのずさんな装備は、自分のことしか考えていない。

相手の命を自分が危険に陥れていることには、まったく考えが及んでいない。

自分のプライドのことしか考えないのは、心の習慣だ。権利意識が強く、権利には義務が伴うことには無自覚である。 

自分のプライドのためだったら、相手を危険に陥れても良い、という価値観を持っている、ということになるのに気が付いていない。

それが、心の習慣であるということは、基本的にまったく無自覚であるということから伺える。責任に気が付いていないことが、分かっていないことを表している。

つまり一緒に登りに行く仲間としての相手への責任感のなさ・・・に無自覚である・・・と言うこと自体が、山仲間としては不適格だということを表しているのだ。

二人でクライミングに行き、一人が怪我をしたら、片方は山を下りて伝令として走れなくてはならない。読図ができなかったら、どうやってそれをしようと言うのだろう?

歩荷についても同じだ。基本的に自分が必要とする装備+登攀具を担げなくては、パートナーにおんぶにだっこ状態であり、クライマーとして自立しているとは言えない。協力ではなく依存関係になっている。特定の相手がいないと登れない状態は依存であって協力ではない。

ロープワークでも同じで、懸垂くらいは自分でできないとガイド登山状態だ。

テント泊などでも同じことだし、パートナーの獲得でも同じことだ。誰かが見つけたパートナーを横から取るのは、まったく自立していない。

そういう依存は、心の習慣だから、そういう人は、日常生活でも個として自立していない。だから、失礼なことをしても、まったく自覚がない。自分の権利主張ばかりである。

■ 気の毒な立場

自立していない仲間しか得ることができない人は、とても気の毒だ。

私は、嫌な目にも色々とあったけれども、それらの嫌な目は起こるべくして起きたことだと思う。

なにしろ、今はそういった私を命の危険に陥れる人とは登らなくて良い。

不安なビレイに身を任せる必要もなければ、無理なクライミングを無理強いされることもない。縦走程度で世話を焼いてやらなくてはならない人とは登らなくて済み、相手の荷物を肩代わりして担いでやらなくても良い。道案内もしてやらなくて良い。

自らのことは自ら決めることができ、同行者の命についても積極的に責任を担おうとしてくれる仲間。

そういう仲間と登れることに感謝している。