Thursday, June 23, 2016

ジム嫌いの師匠の想い出

■ ジム嫌いの師匠

最初に私を見出してくれたのは、個性的な会の代表を務めているベテランだった。雑誌の岳人などにも書いていた往年の山ヤだった。

私は、と言えば、アルパイン0年生で、事情が分からないことだらけだった。

一般縦走登山は、一通り、縦走も雪も自分で終わり、山へ行くのに地図を持ってこないような状態は抜け出している状態ではあった。でもアルパインへは進まない予定だった。

私は当時、進められて、ジムへ通っており、気の合うパートナーを得た。

一方、師匠の方は、私が人工壁通いを始めたことを苦々しく思っていたようだ・・・。

当時、私は、山の事情や、旧来的な育て方と、新しい育て方があるのも全く知らないので、師匠の抵抗は、ぜんぜん意味不明。(今では事情が少し理解できるようになったつもりだ。)

師匠がなぜ、弟子の私がクライミングジムに行くのに、難色を示すのか分からなかった。

普通はヤル気があるねって喜んでくれるんじゃないの?

■ 初心の頃は、守りの技術を教わるべし

かと言って、師匠は岩には練習になるほどは、連れ出してはくれなかった。

師匠とのクライミングは、三つ峠と十二ヶ岳の岩場の2度のみで、フリーの岩場には行ったことがない。あとはアイスのルート。アイスのゲレンデ。

今思えば、ランニング支点の取り方やビレイポイント(アンカー)構築の方法などを師匠は伝授したかったのだろう。しかも、リアリティのある現場で。

ただ、初心者は、それを教える前段階に、ゲレンデ通いが、3年程度必要なのかもしれない。

教わる側が以下のような段階だったからだ・・・。つまりドがつく初心者から、ドがつかない初心者に
なるのに3年かかるのかもしれない。

■ ドがつく初心者とドが付かない初心者

初めての三つ峠では、私のパートナー候補者として来てくれたNさんは、師匠を引っ張り落としそうなビレイをして、師匠は顔面蒼白。 

彼女は、私がハンギングビレイしていると、「すごいですね!怖くないんですか?」と、かなりトンチンカンな感想を漏らすほどの初心者で、師匠と私が懸垂準備をしていても、右往左往するだけで、次に何が起こるのか、分かっていない様子だった。

アンカーやロープドラッグを起こさないランニングの取り方などを教えるには、まだ単純な確保理論に対する理解が足りていない。

つまり、ドがつく初心者だ。このような段階の人に、アンカー構築を教えても、耳に入らないだろう。

■ ベテランの安全監視が必要な段階

それほどあぶなっかしい初心者の二人であれば、二人で岩に行く、というのはない。

ので、当時私は岩に行きたくて仕方がなかったのだが、私を引っ張り落とすビレイヤーの彼女をさすがに外岩に誘う訳にもいかない・・・。

私としては、できることはジム通いくらいなものなのであった・・・。

こういう状態の時は、いくらパートナーでも、安全管理上、ベテランの同行が必要だ。

■ おメガネ・・・

師匠は大ベテランだったので、ジムで会った新しい相方(男性)と一緒に岩に連れ出して欲しかったが、懸念があった。

 1)師匠が得るものがない

 2)若い男性は、おそらく”師匠のおメガネに叶わない”・・・(汗)。

師匠としては、得るものがない上、連れて行ってもらう方も、「俺、一人でも、これくらいのぼれらぁ」と思っているので・・・双方互いが必要だと思っていない(汗)。

安全管理してもらう側は、管理してもらうと思っていないし、してあげないといけない立場になる側は、感謝されない行為をしなくてはならなくなる・・・

という訳なので、どうしても、しわ寄せは私に来ることになるのは、見えていた。

ので、相方の分まで私が肩代わりして連れて行ってもらう恩を着ないといけないことになり、私としては、荷が重かったのだ。

師匠に引き合わせても、相方もありがたいとは思わないだろうし、師匠の側のおメガネにも叶うとは思えなかった。

■ 目が高い師匠

そもそも、師匠は、目が高そうだった。14サミッターでも師匠の目にはかなっていなかった。

初心者だから実績が必要になるわけではないが、山の好み、山への姿勢、そういうものが真摯でない昨今の若い人は、なかなか師匠に紹介できそうなクライマーがいなかった、ということだ。

師匠の気に入るクライマーの、ストライクゾーンは、とっても狭そうだったのだ・・・。

フリー寄りの人とアルパイン寄りの人は、あまり相性が良くない。

■ ジムの弊害

師匠とは、去年の今頃から、連絡が途絶えて、もうまる一年近くになる。

相方と登っていた頃は、師匠は自分の会の新人君の話をして、私を羨ましがらせるばかりだった。

師匠の会の新人君は、ベテランに連れられて日和田などの初級の岩場に連日何度も何度も通っていた。私は、レベルに合っている易しい岩場へは、相手がおらず、なかなか行けなかった。

師匠がジム通いに否定的だったのは、今思えば、以下の点が懸念されるからだろう・・・

≪懸念事項≫

 1)ボルダリングの価値観を身につけてしまう つまりグレードだけを追求するようになる

 2)外の岩の危険について、無頓着になる

 3)登れるルートをグレードだけで判断するようになる

 4)ルートコレクターと課す

 5)そのような安全管理不在の人たちとルートに行き、危険な目に遭う

実際、私は数々の危険な目に遭ったような気がする。

あるとき、岩に誘われて行ったら、ビレイヤーが経験者ではなく、完全初心者のビレイだった。それで、私は生まれて初めての5.8を初リードする羽目になった・・・(汗)。

このような場合、いつも問題になるのが、

 危険を作り出している人がいい人で、なおかつ、無知であるがゆえに故意でないこと

である。故意でなければ罪は問えないが、そのつもりがなく殺人して、知りませんでしたごめんなさいで通れば、法はイラナイ。

現在クライミングは無法地帯であり、

 クライマーの側がビレイヤーを選ばなくてはならない

が、初心者のクライマーの場合、自分に選択の責任があるとは知らされていない

初リード時も、私はこの人のビレイで登る羽目になった、というのが正直なところであり、ベテランがビレイしてくれるものと思って、同行していたのだった。

ビレイヤーはいい人ではあったが、終了点で「どうしたらいいの?」と何をしていいのか分からなくなり、またセカンドのビレイも、アンカー構築も私のほうが教える側だった。

このようなケースは、多くみられると思うが、非常に危険だ。何が危険なのか、分かっていない状態だからだ。

■ 初心者同志はリスク満点

相方との関係もそうで、私自身がまだ自分自身も初心者で、自分がどこのなんというルートに行って良いのか理解できるようになる前から、自分自身の安全管理をしなくてはいけない立場だった。

私自身のルート選択は、それほど突拍子もない難易度のところは、出さない。例えば、今年は奥穂南稜くらいがレベルかな~と思っていたら、それは合っていそうだった。

しかし、一般的に、クライミングを始めたばかりの男性たちは、行きたいルートが行けるルートとは、かなりかけ離れている。

ただし、「頭を冷やせ!行けるスキルがあるかきちんと見極めろ!」というのは、誰もが通る道だ。

それを知っているから、ベテランの男性クライマーは、私を心配してくれるのだろう。

一方で男性初心者で女性とつるみたい人は、そのような度を超したルート設定の我を押し通したいからだろう。

■ ブレーキこそが先輩の役目

そこで、初期の頃の先輩の役目は、ブレーキ役というものだ。

ところが、このブレーキ役は嫌われ役なため、それを果たしてくれる人は少ない。

そうしてくれるかどうか?は、その後輩にどれだけ責任感を感じてくれているか?による。

どうでもいいクライマーだと思われたら、誰も止めてくれない。勝手に行って、勝手に落ちてください、と言わんばかりだ。

極論したら、死んでもこっちのせいではない、と思っていたら、誰も口を出さないだろう。

■ 弱いほうの立場

そう言う場合の、私(女性初心者)の立場は?というと・・・、かなり危険だ。

一緒にいる相手は、私を死の危険に陥れているとはつゆ知らず、そうしているわけだからだ。

例えば、相手が墜落したとしよう。私はトップをレスキューできるだろう。守りの技術は教わっているからだ。

では、私が登れなくなったら・・・?セカンドなら、プルージック登攀で切り抜けられよう。

しかし、アンカーがしっかりしていなかったら?その可能性はある。アンカーが崩壊して落ちたら、トップのクライマーは、私をレスキューできるか?できない可能性があった。

レスキューを共有はしていなかったからだ。何を知っているべきか?というようなことだ。

一緒に行く相手が十分スキルがあるかどうか?も師匠からはコントロール外となり、コントロール外のリスクには責任が持てない。

■ 守りの技術

私は、クライミングは、守りの技術から教わっていた。

一番目は懸垂下降、カラビナだけでも懸垂できる技術。

それからプルージック登攀。

笑い話だが、初めての小川山のクラックでもフリーで登れない場合はプルージックで上がった。後でユマールも買った。

ビレイヤーの自己脱出。

トップが落ちた場合のリーダーレスキュー。

相方は逆だった。まずクライミング。そしてビレイ。その後に支点。その後の懸垂や、レスキューは今からだった。

師匠は、レスキューを共有していない相手と私がクライミングへ行くのは嫌だったのかもしれない。

■ 間違えながら学ぶ道

彼とだと、二人とも実力以上のルートに取り付き、取り付いた後で実力以上だったと理解する、という流れになりそうだった。

もちろん、こういう流れで理解してもいい。・・・のだが、その場合は、敗退が確実である必要がある。

登れないところを登り、ルートファインディングのミスなどで、行き詰まる・・・というのは良い経験だ。私も沢でしている。

けれども、その場合、ミスを拾ってもらえること・・・たとえば、行き詰まったら、上からロープを投げてもらえるなど・・・、すでに私も2回も投げてもらっているが・・・が必要になる。

二人だと、それは期待できないわけだし、一度のルーファイのミスがあれば・・・そして、そういうことは初心者には必ずあるものだが・・・、支点が見つからなければ、落ちるかクライムダウンしかなく、そうなれば、下のビレイヤーは、トップをレスキューすることになるのかもしれなかった。

ということを理解していたのは、私だけだったのかもしれない。

ルートファインディングが難しくて登れない、ということは、体験していないとなかなか理解がしづらいのだ。

初心者はよく支点があるほうではなく、易しいほうに引きづりこまれて、ランナウトしてしまう。

支点がないのが怖くなり、登れば登るほどリスクが高まる。沢の高巻きでも同じだ。

■ 初期の人工壁のメリットは支点の強固さ

そういうリスクを容認しつつ登っている私を師匠は見ていて、いらだっていたのかもしれない。

私自身も、相方が暴走するリスクは知っていたし、相方とは話が通じると思い、リスクコントロール可能な相手だと思っていたから、一緒に登っていたのだった。

私の考えでは、初心者の時期は、人工壁が必要だ。

 1) 人工壁では支点は強固で、落ちることが日常なのでビレイ経験が積める

 2) ビレイが分かるだけでなく、落ちてはいけないところ(1P目)も学べる

 3) 手繰り落ちしてはいけないことも理解できる

 4) 回収のテクも学べる 

例えば、被った壁での支点回収は、最後のピンを外して、2ピン目に戻る。

そういう細かな点が、いきなり外岩で始めると学ぶことができない。ビレイの習得は最大のもので、ビレイヤーの立ち位置など、人工壁で学べる。

しかし、現代の人工壁のビレイヤーは恐ろしく間違ったビレイをしていることが多い。

そういう人をお手本にしてしまうことを師匠はおそらく懸念したのかもしれない。

■ 師匠の視点

師匠は60代だったので、人工壁はなしで育った時代の人だということだった。これは後で知ったことだ。

今の時代のクライマーは、人工壁から入り、外壁へ進む人が多い。師匠の時代には、外岩や外壁という言葉もなかったそうで、岩は山にあるのが当然なのだそうだった。たしかに。

私の考えでは、今の時代の人は、山から入っても人工壁は必要だと思う。私の結論は、必要、というものだ。

仮に私のあとに来た人に私が教える立場になった場合、人工壁をすっ飛ばすと、私は、その後輩のビレイが、私の墜落を止めてくれるかどうか不安なまま、登り続けなくてはならない。それはできない相談だ。(そのできない相談をやっている会も多く、すごいな~と思う)

実際、師匠のリードクライミングの墜落を私は止めたことがない。

おそらく、師匠の側からすると、落ちるはずの無い楽勝なところしか登っていないから、私のビレイが安心できるかどうかは、あまり問題ではなかったのだろう。

弟子のほうがクライミング力で劣るので、弟子を成長させるために、登る程度のところでは、師匠は落ちない、ということだが、一方の弟子の方は落ちるので、師匠の側のビレイが確実であることは必須である。

どちらのビレイも確実でないなら、どちらの側も、落ちる難易度には取り付けない。

■ 下手くそ組

師匠は、ときどき、私に意味不明のことを言った。

「登れない組なんですよ」 「クライミングは下手くそなんですよ」

私が登れる以上のところを登る人に下手くそだと言われても、「?」となってしまうだけだったのが、あとで、他の人に事情を説明してもらった理解できた。

ようするに、3点支持で何とかなるクライミングと、2点支持のクライミングに決定的差があるのだそうだった。

 3点支持 = 主に歩きの延長、アルパインで使う
 2点支持 = 主にスポーツクライミングでは、この登り方

というわけで、フリークライミングが登山にとりいれられてからは、2点支持のマスターで、登山道の歩き方もスピードアップしたのだそうだ。

それについては、甲斐駒の小屋で、他会のリーダーからレクチャーを受けた。

スピードアップする以前の登り方でも、ルートは登れる。登れるが、スピードが違うと両方経験している現在の師匠が言っている。

■ 上手組

アイスで知り合ったベテランは、以前の師匠と3歳しか年齢も変わらないが、2点支持のスポーツクライミングの登り方を中高年と言われる50代でマスターしたのだそうだ。

師匠と違い、彼は、私には人工壁が手っ取り早いと言っている。

その点だけを見ると、全く違う意見だが、二人が見ている山は似ているのではないかと思う。

先日、旗立岩に行ってくれたベテランも、同年代だが、フリーもこなす。

思うに、今の60代の人たちにとっては、フリーを山に取り入れるか、取り入れないか、は、大きな分岐点だったのだろう。

■ フリーは基礎=必修

ところがそれ以降の人にとってはフリーは選択肢ではない。もちろん、今、アルパインクライミングを始める人には、選択肢ではない。

必修項目だ。

フリークライミングは、基礎力とされており、フリーを回避して、山をする、ということは、誰であっても、何歳で初めても、選択肢にはないだろう。

今アルパインをするなら、60代で山を始めてもフリーは必修項目だ。(60代でアルパインはツラいと思うが)

何としてもフリーの基礎力なしで、山を続けたい場合は、沢のほうへ流れて行ってしまうようだ。

その沢も、あまり難しいところへはいけない。現代の沢も、記録になるようなところは、高難度の登攀を前提にするからだ。

一方初級の登攀力のクライマーにとっては、沢は易しい登攀練習の場になる。丹沢の沢を全部終わってから谷川へ、ということと似ている。

記録だけが登山ではないので、記録を残すような山をしたい、と思わなくてもよいが、そうであっても、フリークライミングをしないというのは、山ヤには逃げにしかならないだろう。

一般的な”山”で求められるフリーの力は、そこまで高度なものが要求されるものではないからだ。 

最低限と言うことで言えば、5.10Aが過不足なく登れれば、大抵の5.9は危なげなく、登れるわけで、日本中のルートが、かつて、Ⅳ級A0と言われたことを考えれば、クラシックルートに行く限りは、ルートファインディングを誤らず、Aゼロする気でいれば、技術的には困難であるはずはない。

この状態のことを私は、5級マスターと呼んでいる。つまり5級ならどこでも登れるという意味だ。

クラシックルートは山の弱点を突いたものなので、どんなに頑張って探しても、5.13Aは出てこないのだ。

■ 若い山ヤ

しかし、一方で、さらなる高みを目指す若い山ヤが、5.13や14へ続くフリークライミングのマルチピッチルートを、取りかかる前からあきらめてもいい、ということにもならないだろう、と思う。

最終的に、高難度マルチはやらない可能性があるにしても、それを鼻から選択肢から外すということも、20代の若い男性には早すぎる。まだ可能性をあきらめる段階にはない。

もちろん、私のように40代で山を始めた女性や、相方のように50代で始めた男性には、高難度マルチピッチは、常識から考えると、成長の伸びしろから見て、射程範囲には最初からあまり入ることはないだろう。

 20代の伸びしろ → 大 → 高難度マルチの可能性もあり
 30代の伸びしろ → 中 → 高難度マルチは、本人の努力と機会次第
 40代の伸びしろ → 小 → 高難度マルチの可能性は限りなく小さい
 50代の伸びしろ → さらに小 → 高難度マルチどころか、ロープワークマスターの可能性も小

それでも、基礎となるフリークライミングの登攀技術・・・2点支持・・・をマスターする方向で努力すべきであるというのは、現代の山ヤとしては、最低限のラインと思える。

何歳であってもだ。

一般的に、5.11を登るのには、才能は関係ないのだそうで、誰でも地道に努力をしていれば、イレブンは、登れるグレードだと言われている。

実際に、クライミング人口を見ても、5.10代を登っている人が人口の半分以上で、11以上を触る人、リードする人は、熟達者となり、5.12以上を登れる人は外の岩場ではガクッと減る。

■ 高難度だけを目指すという弊害

ボルダ―などでは、より困難なグレードを登る若い人はたくさんいる。

が、ボルダ―は、山で必要な技術とかけ離れすぎており、突破力が付くが、長いルートを登らないかぎり、持久力やタクティックスが付くわけではないので、一瞬のグレードでは、同じグレードの長いルートへは対応できなかったりするのである。

例えば、3年かけて難しい一つの課題へ取り組んで登れるようになることはできるが、私がもしそのような道を選んだら、師匠はガッカリして、山ではなく、グレードが欲しいのだろう、と悲しむだろう。

そういうタイプの逸脱というのは、若い時にこそ、避けなくてはならない。

そして、このタイプの逸脱への誘惑が多いのは・・・これがまた、クライミングジムというわけなのだなぁ。

つまり、上半身裸の若い男性が、雄たけびをあげて地ジャンしていたりするのである。

見た目に分かりやすいが、山で上裸だと虫に刺されるし、日焼けは心配だし、なにより小さな傷がいっぱいついてしまうし、ワイドクラックなんて出てきたら登れない(笑)。

それに、上裸を見て褒めてくれるギャラリーも山にはいないのだ。山でかっこいいのは、上裸の肉体より、目ざといセルフビレイ。私なんて、相手の支点が微妙と思ったら、それとなく自分のセルフをもう一個別にとるのだ。

師匠は、もしかすると、有望だった岳人をボルダラーにされてしまうということが過去に事例としてあったのかもしれない。

そこは、私が山を忘れて、クライミングだけにハマってしまうのでは?と懸念していたのかもしれないが・・・

残念なことに(笑)、師匠の弟子は師匠が見込んだだけあり、元々ジム嫌いなのであった(笑)。

あまり好きではないけれど、必要がある、ということは、悩ましいものである。







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