Friday, April 29, 2016

ウンザリその2 セクハラ



■ うんざりその2 セクハラ




山の世界で、セクハラは、マジ深刻です。 






クラミング中に女性のお尻を見て、「いいね~」と言っているとクライミングムーブを見ているのか、ただお尻を見ているのか、ちゃんと女性には分かっています。念のため。




ちなみにセクハラの人は速攻で切るので今のパートナーにはいません。






ついでに女性のクライマーの先輩は、ちゃんとそのことを後輩に教えてくれます。下記の文章は良く書けていますが、個人的にも11歳からセクハラ続きだな~と思っています。早くおばちゃんになってセクハラされる側を卒業したいものですが、女性登山者の先輩によると、60代になっても続くそうです(汗)。






http://www.huffingtonpost.jp/gretchen-kelly/thing-all-women-do-that-you-dont-know_b_8735974.html


より引用


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女性の服装やレイプ、性差別といった問題について私が話したり書いたりすると、必ずと言っていいほどこんな言葉が返ってきます。


「他にもっと心配すべき問題があるんじゃないの? そんなに騒ぐようなこと? 神経質になりすぎていない? 理性的に物事を考えている?」


毎回そう言われ、毎回失望します。なぜ男性にはわからないのだろう?


でもその理由がわかったような気がします。


男性はただ知らないのです。


性差別に直面しても、事態をおおごとにしないため女性がそれを黙認していることを。


それはあまりにも日常的で時には気付かずにやっていることもありますが、女性全員が経験しています。


直感的に、もしくは経験を通して、不快な状況を最小限に留める方法を女性は知っています。男性を怒らせて、身を危険にさらさない方法を知っています。攻撃的なコメントを、様々な場所で無視しています。嫌なデートの誘いを笑ってごまかします。女性だからといって軽く見られたり見下されたりした時、怒りを飲み込んでいるのです。


本当に腹が立つし、残念です。でもそうしなければ、危険な目に遭ったり、クビになったり、ビッチ呼ばわりされたりする。だから大抵の場合、危険が最も少ない方法を選ぶのです。


毎日のように女性は性差別に直面します。だからそれをわざわざ口にしたり、恋人や夫や友達に話したりしません。ただ対処するのみです。


だからおそらく、男性は知らないのです。


わずか13才で、大人の男性に胸をジロジロ見られても無視しなければならなかったことをおそらく知らないのです。レジの仕事をしているときに、父親ほどの年齢の男性たちが声をかけてきたことをおそらく知らないのです。同じ英語クラスの男子が、デートを断っただけで怒りのメールを送ってきたことをおそらく知らないのです。指導教官が何度もお尻を触ってきたことに気付かないのです。そして、ほとんど常に、歯を食いしばって笑顔を見せていたことを全く知らないのです。目をそらしたり、気付かないふりをしていたのです。それがどれだけ頻繁に起こり、日常的なのか、彼らには想像もつかないでしょう。あまりにも当たり前なので、私たちはもはや驚きもしないのです。


それはあまりにも日常的なので、見なかったふりをして騒ぎ立てない。


私たちは怒りや恐怖や失望を、表に出すことはありません。笑顔を取り繕ったり、軽く笑ったりして、何もなかったかのように振る舞うのです。おおごとにならないよう努めるのです。心の中でも態度でも騒ぎ立てたりはしません。そうしなければ、大きな対立を招くかもしれないからです。


そうする方法を、私たちは子供のころから学びます。それに名前をつけたり、他の女の子も同じことをしているのかなんて考えたこともありませんでした。それは独学で得るものです。観察して、自分の行動がどんな結果を招くかを素早く察知するのです。


「それが女性の現実なのです。嫌な気持ちになっても笑って済ませます。なぜなら他に選択肢はないと思えたから」




私たちは心の中で素早くチェックします。彼は怒りっぽい人だろうか? 怒っているだろうか? 周りに他の人はいるだろうか? 彼は冷たい人に見えるけれど、本当は理性的でただ面白く見せようとしているだけなんだろうか? もし何か言ったら、成績や仕事の評価に影響があるだろうか? わずか数秒で声を上げるか無視するかを決めるのです。非難した方がいい? それとも無視すべき? 礼儀正しく笑うのと、何も気付かなかったふりをするのはどちらがいいのだろう?


私たちは日常的にその判断をしています。それでも、自分が危険な状況にいるのかそうでないのか、いつでも分かるわけではありません。


セクハラまがいのことを言ってくるのは上司なのです。チップを握った手を高く伸ばしてハグしなければ届かないようにしているのはお客なのです。興味がないと言っているのに、お酒を飲んでセックスを迫ってくるのは男友達なのです。デートやダンス、お酒を断ったら怒りだすのは男性です。


友達がそういう目に遭っているのを、私たちは知っています。そうしたことを何度も聞いて、当たり前になっています。真剣に考えることもありません。ある日、自分が本当に危険な状況に直面するまで、体の関係を迫った男友達が強姦の罪で告訴されるまで、大晦日に一人で働いている時にボスがやってきて無理やり年越しのキスをするまで、真剣に考えないのです。


こうしたあまりにひどい出来事が起きた時は、それも友達や恋人た夫に話すかもしれません。でもそれ以外のことは? 結局何も起こらなかったけれど、私たちを嫌な気持ち、不安な気持ちにさせた出来事を、わざわざ非難したりはしません。


それが女性の現実なのです。


嫌な気持ちになっても笑って済ませます。なぜなら他に選択肢はないと思えたから。


相手とうまくやっていくために調子を合わせなければいけません。


その時は威圧的に見えたけれど、本当は何もできやしない男を非難しなかったことを後悔するのです。


夜道を一人で歩くときには、携帯電話の通話ボタンの上に指を乗せておきます。


駐車した車に戻る時には、鍵を指の間に挟んでいざとなったら武器として使えるように備えます。


誘ってくる男性を断る代わりに、恋人がいると嘘をつきます。


混雑したバーやライブやイベントで、お尻を触られます。


振り向いて犯人を見つけても、何も言えないけれど。


駐車場で声をかけてきた男性に「こんにちは」と挨拶して立ち去ります。「何だよ、お高くとまって。フン...このビッチ」という罵りの言葉を聞かない振りをしながら。


それはもう生活の一部で、友人や親や夫にわざわざ伝えたりしません。


虐待や、暴行、強姦された記憶は一生つきまといます。


その時のことを友人は涙を流しながら話します。


私たちが男性に対して感じる恐怖、それに対応するための備えは決して大げさではありません。虐待や、暴行、強姦された女性を、山ほど知っています。


「おおごとにしないよう笑い飛ばし、声を上げないことは、男性にとっても女性にとっても得にならないのかもしれない」




だけど最近ようやく、このことを多くの男性は気付いていないのかもしれないと考えるようになりました。知り合いの女性が嫌な思いをするのを、目にしたり、聞いたりした男性もいるでしょう。中にはそれを止めようとした人もいるかもしれない。でもそれがどれほど頻繁に起きているか、それが私たちの発言や行動にどれほど大きな影響を与えるか、彼らは知らないのです。


私たちは、女性が直面している状況をもっと説明しなければいけないのかもしれません。私たち自身が目をそらさず、波風を立てないようにするのを止める必要があるのかもしれません。


性差別について女性が話すとき、笑い飛ばしたり耳を貸さなかったりする男性がいるでしょうか? 彼らは悪い人ではありません。ただ私たちが直面している現実を、実際に体験したことがないのです。私たちが話さなければ、どうやって彼らは知ることができるでしょう?


そう、彼らは私たちが日々直面している出来事を、知らないだけかもしれません。


あまりにも普通のことなので、伝える必要があるなんて私たちは考えもしないのかもしれません。


それがどれだけ広範囲に及んでいるのか、男性は気付いていないのかもしれない。だから、女性のタイトなドレスをからかったことに私が憤慨しても、彼らは理解できないのです。毎日目にする性差別や、娘や彼女の友達たちの経験に腹を立てても、それが氷山の一角にすぎないことに気付いていないのです。


性差別が実際に起こった時に指摘しなければ、男性は、それがどれほど日常的なことなのかを理解できないのかもしれません。店に入る時も女性は用心しなければならないのです。無意識のうちに、女性は周囲を警戒しています。男性たちはそれを知らないのかもしれません。


おおごとにしないよう笑い飛ばし、声を上げないことは、男性にとっても女性にとっても得にならないのかもしれません。


私たちは自身の肉体的な弱さを知っています。駐車場で大の男に襲われても勝ち目はないと知っています。


男性の皆さん、これが女性であるということです。


性の意味を理解する前から、女性たちは性的な対象として見られます。中身が子供のまま身体は大人へと成長します。車の免許がとれるようになる前から大人の男性にジロジロ見られ、声をかけられます。不快に思ってもどうしていいか分からず、何もなかったように振舞います。嫌な思いをしても、正面から立ち向かえば危険な目に遭うかもしれないと若い時に学ぶのです。体が男性より小さく、弱いことを女性は知っています。彼らが本気になれば女性はかなわない。だから目をつぶるのです。


だから今度、道ばたで声をかけられて不快な思いをしたと話す女性がいたら、否定しないで耳を傾けてください。


職場の男性に馴れ馴れしくされると妻が不平を言っても、無関心な態度を取らないで耳を傾けてください。


性差別を非難する女性をけなさないで、彼女の声に耳を傾けてください。


男性の話し方が不愉快だと恋人が文句を言った時、笑い飛ばさないで耳を傾けてください。


耳を傾けてください。あなたが生きている現実と彼女の現実は違うから。


耳を傾けてください。彼女の心配は大げさでも誇張されてもいないから。


耳を傾けてください。彼女か彼女の知り合いが、過去に虐待されたり、暴行されたり、強姦されたりしています。それが自分にも起こりうると彼女は知っているのです。


耳を傾けてください。見知らぬ男からの一言が、彼女を恐怖に陥れるから。


耳を傾けてください。彼女は自分と同じ経験を娘にさせないようにしているだけかもしれないから。


耳を傾けてください。聞いても何も悪いことは起きないから。


ただ、耳を傾けてください。

ウンザリその1 子供の有無



■ ウンザリその1




なぜ登山したいだけなのに、おばちゃん登山者と登ると、子供がいないことについてくどくど説明しないといけない…。 赤線は特に重要な所です。






以下の文章は、


http://www.huffingtonpost.jp/helene-tragos-stelian/storywomen-without-children-7_b_7567330.htm


からの引用です。良く書けているので、代弁として引用します。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーーーーーーーーーーーー


最近新しい友だちとランチをしました。お互いに知り合うためいろいろ質問しているとき「子供はいますか?」と尋ねました。彼女は「いいえ」と答えました。それは落ち着かない瞬間で、私は気まずく感じました。そして、別の話題に移ったのです。


この気まずさは私の心に残りました。何年間か郊外のママ友だちと付き合ってきた後、私は都市に引越し、大きくなった子供は間もなく家を出て行こうとしていました。私は多くの女性たちと出会い、また気まずい質問をしそうになりました。


子供のいない女性と関わるときのエチケットとは何でしょうか?

自分の子供のことを話してもよいのでしょうか?

彼女たちの暮らしついて尋ねてもよかったのでしょうか?

そして、そもそも"チャイルドレス"(子供がいない)という言葉を使ってもよかったのでしょうか?


私は子供を持たずに中年を迎えた知り合いの女性たち数人に相談し、彼女たちやその友人たちの意見を聞きました。身元を明かさないことを約束し、率直に話してもらうように心がけました。


以下は、彼女たちが語ってくれたことです。


1.理由を尋ねないで。または、自分は理由を知っていると決めないで


子供を持たない理由は数多くあり、それは私たちにはまったく関係のないことです。彼女たちが自分の経験を話すときは、自分で決めたときに、自分自身の言葉で話すでしょう。「なぜ?」という質問は、子供を欲していたものの、医学上の、あるいは他の理由で持てなかった人にとっては、とりわけ強烈な質問です。


エレンはずっと子供が欲しいと思っていましたが、一度もふさわしい人との出会いがありませんでした。37歳のときにシングルマザーになることを真剣に考えましたが、そのためにはサポートしてくれる人々のネットワークが必要だと感じました。


「(子供が産まれた)最初の2年をひとりで過ごすのは大変だろう分かっていました。ひとりの既婚の友人と、私が彼らの建物に引っ越して、彼らが私をサポートするのはどうかと話し合いました。別の友人とは、生協で一緒に買い物して、最初の数年間をお互いにサポートし合う、などといったアイデアを話し合ったりしました。


産婦人科医と医療上の話し合いをし、私の卵子の生存率を調べるテストを開始しました。でも結局、やめました。私は、父親との関係を持つチャンスのない世界で子供を育てていくことは望まないと結論を出したのです。私は両親と良好な関係で、父親とは特にそうでした。とにかく、自分にとっては正しくないと思ったんです」。


クリスティーナは子供を持とうと大きな努力をし、8回に渡って生殖補助医療を受けましたが、うまくいきませんでした。彼女のアドバイスはこうです。


「私が子供を持たないことを選択したのだ、と決め付けた質問はしないでください。ほとんどの人は善意から、誉めようさえして言うんだと思います。彼らは、私は子供を持てたはずで、そうであれば良い母親になっただろうと考えるんです。でも、そう聞くと「私は(その機会を)奪われたんです。私は不妊です!」と大声で叫びたくなるのです。誉め言葉だと思っている彼らを傷つけたくはありません。でも、私は不妊体験を見知らぬ人に説明したいとは思いません」


バーブが恋に落ちた男性は、最初の結婚のときの子供がおり「子供はもういらない」と彼女に言いました。40代のときで、彼女は決断しなければなりませんでした。彼女は、自分の"ソウルメイト"を選び、子供を産むことを優先しました。そして、後悔していません。


カーターは子供を持たないことを選びました。「なぜ女性が子供を持ちたいと思うのか、まったく理解できません。私にとってそれはあまりにも大きな責任を伴うもので、ストレスが大きすぎます。1日24時間、週に7日、"オン"でなければならないんですから。自分の子育ての基準がとても高くて、自分個人ではその基準に到達できないと分かっているんです。良い母親になるには、とても多くのことをする必要があり、私は良い母親になりたいと思うことでしょう。無理です。自分にはできないと分かります」


リサは子供を望みませんでした。そして、その選択についてちゃんと説明すべきだという無言の期待にイライラさせられます。「みんなが私に子供はいるかと尋ね、私が『いいえ』と答えると、ほとんどいつも会話が止まります。無言の時間が流れます。みんな『なぜ』と聞きたいんだなと感じます。子供を持たないのはとても異質で、奇妙で、悲しい。あるいは悲惨なことのようです。私に何か問題があるみたいです。誰かに子供がいると知っても、私は"なぜ?"とは聞きません」


ハラリーも子供を持たないことを選びましたが、彼女は、理由を聞かれるのを嫌だとは思いません。それでも、質問は立ち入りすぎることがあります。「その質問が、後悔についてだったとしたら、私は『子供がいないのに、どうやって後悔するんですか?』と言います。しつこく別の質問が続くなら、よくこうやって会話を終わらせます。『私は生殖するという特性を超越して進化したんです』」


2.同情しないで


ある女性にとって、子供がいないことは完全に癒えることのない痛みです。それでも、私がインタビューした子供を望んでいた女性たちは、中年を迎えるまでに自分の状況を受け入れていました。そんな彼女たちが最も望まないのが、同情です。反対に、彼女たちは自分たちが幸せで生産的な生活を送っていること。そして彼女たちに、私たちが子供のことを話してもよいと思っていることを知って欲しいと思っています。


クリスティーナは妊娠を試みましたが成功しませんでした。「誰か別の人が、ずっと昔に経験したことのように感じます。子供を持つことに成功した人をうらやむことはありません。腫れものに触るように振るまってほしくはありません。40歳で結婚して、41歳と43歳のときに子供を出産したある友人は、私の感情に配慮しすぎていました。それでついに『私に子供のことを話しても大丈夫だし、子供の影がちらつく会話で、空虚な気持ちに襲われたりはしない』などと伝えなければなりませんでした。彼女が罪悪感を感じるべきではありません」


3.母親になることを望んでいると思わないで


誰もが子供を持つわけではありません。そう、子育てや母親になることを望まない女性たちがいます。彼女たちが望むのは、彼女たちが私たちに対してするように、私たちも彼女たちの選択を尊重する、ということです。テレサの経験は、ときに女性がこの違いを理解していないことを物語ります。


「子供の頃から、自分は子供を望まないと分かっていました。母性やそうした欲求を感じたことがないのです。幸いなことに、同じ感情を持つ男性に出会い、結婚しました。30年以上幸福な結婚生活を続けてきましたし、子供を持たないという決定を後悔したこともありません。


20代の頃、子供を持ちたいかと尋ねてきた人たち――そして、『いいえ』という答えを聞いた人たちの反応は、『気が変わりますよ』、『まだまだ時間はあります』、『友だちが子供を持つまで待つといい。そうすれば子供が欲しくなります』といったものでした。


私が30代、40代の頃、子供がいないことへの反応はもっと攻撃的で率直でした。『もう時間がありませんよ』『あなたの生物学的時計はカウントダウンしている』『後悔しますよ』。あらゆる背景を持つ人々が、子供はいるかと尋ねてきました。それは問題ではありません。私も他の人に同じことを尋ねます。でも、私の夫や私自身が不能だったのかと聞くとすれば、それは不快です。まったくの他人に対して、自分のことを弁護しなければならないと感じることもあります。


50代から、もう63歳になろうかという現在まで、ある人たちは私の選択について受け入れてくれていると感じます。他の人たちは、ずっと率直に、『あなたは人生最高のことを逃した』と言います。そして、別の人たちは無言で、子供を持てば、人はより良い人物になるかのように私のことを判断します」


4.子供が嫌いなんだと決めつけないで


私がインタビューした女性たちの大半は、他の人の子供たちと一緒に過ごすことをとても楽しんでいました。彼女たちは、自分の兄弟姉妹の子供たちにとって、特別なおじさん、おばさんです。自分の兄弟姉妹、友人などの子供たちと自ら進んで交流します。


ジョアンはたくさんの子供たちと特別な関係を築きました。「私の生活に関わっている子供たちにすごく感謝しています。コミュニケーションやリーダーシップの能力を教えるクラブに参加していて、8歳から17歳までの若者を指導しています。3人の子供の名付け親になりましたし、大好きな姪たち、小さないとこ、友人の子供たちもいいます。本当に恵まれていると感じます」


5.仲間外れにしないで


私がインタビューした女性の多くは、他の家族のイベントに参加するのを楽しみにしていますが、いつも誘われるわけではありません。リサは言います。「子供のいる家のディナーパーティーやお祝い行事、たとえば祝日、卒業祝いなどに誘われることはめったにありません。誘って欲しいです。行きたいか行きたくないかは、私に決めさせてください」


子供のお祝い事への参加やベビーシッターなどを依頼されたアンから、親たちにいくつかアドバイスがあります。「私は、よく子供たちの誕生日パーティーに、たとえ子供のいない人がその場で私だけだったとしても、参加するのが好きです。でも、自分だけが子供を持たないことが大ごとなるのをうれしいと思ったことはありません。何か困ったことがあって子供の面倒を見て欲しいというなら、私は引き受けます。喜んで、無料で。そして子供を安全で幸せな状態で家に帰します。でも、晩ごはんにスナック菓子が出ないとは保証しません。それはその夜が(子供たちの状況など)どう進むかによります。ですから、ふさわしい食事についてお説教しないでください。たった一晩ですし、私はあなたがこれまでに契約したベビーシッターの中で最も責任感がありますし、無料です」


子供を持たない女性は、他の女性たちと同様、女友だちとの友情をとても大切にします。アンはこう説明します。「もし本当に好きな、子供のいない友達がいるなら、ランチに誘ってください」


女ともだちと一緒にいるとき、子供のいない女性たちも子育ての会話に参加したいと思っています。カットは言います。「みんなと一緒にいて、彼女たちが子育てやその大変さを話しているとき、それについてアドバイスできたらと思っています。(自分の)子供を持ったことがないとしても、子供たちと多くの時間を過ごしてきましたから」


ジェーンも同じ考えです。「子供を持ったことがないので、私はあなたが感じる終わりのないプレッシャーや大変な疲労を理解できないと思わないでください。私も、たくさんの姪や甥がいて世話をしてきました。時には何日間もです。でも『子供のいない女性はそう言いますね』と言われたこともあります。私は意見を言うことができないという意味でしょうか?」


それでも、子供のいない女性は、普段の会話が子供のことだけにならないことを望んでいます。バーブはこう言います。「あなたの子供のことや楽しい話を喜んで聞きます。でも、会話がそれだけになってはいけません。共通の話題に注意を向けましょう。それが人間関係を築く方法です。子供がいても、いなくてもです」


50歳くらいになって母親が、子供の巣立ちを受け入れはじめる頃、子供を持たない女性たちとの古い友情をもう一度楽しみ始めます。バーブは言います。「実際、何年も話していなかった女友だちと連絡を取るようになりました。再び、"母親の洞窟"から出てきたからです。自分の生活に彼女たちが関わるようになって、とてもうれしいです。母親もそうでない人も、50代初めになるとそれほど違いません。多くの同じ事柄に取り組んでいます。身体の変化、年を取っていく親、経済的な問題、そして最も大切なこととして、『私はだれで、今何をするか』です。


私たちが20代、30代だった頃を思い出します。だれもが結婚して子供を持つことに関心がありました。そうしたイベントは女性にとって人生の分かれ道です。夫と子供を持ちますか? 右へ進んでください。夫と子供を持ちませんか? 左へ進んでください。ふたつの道を進んだ私たちは今、同じ道に戻ってきました。年を重ねることは、人を等しくさせる素晴らしいもの。そして再び結び合わせるものです。とても素敵です」


6.チャイルドレスと呼ばないで


私がインタビューした人の多くは言葉遣いにこだわりませんでしたが、大半の人はチャイルドレス(子供がいない)という言葉は"何かが欠けているニュアンスがある"というリアの意見にうなずきました。チャイルドレスというのは、消極的な言葉です。子供を持たない選択をした女性たちにとって、特に不快な言葉です。


より良い言葉として、ある人たちは"チャイルドフリー"という言葉を好みましたが、他の人たちは取り繕いすぎだ、政治的に正しくあろうとしすぎだと感じました。


ジェーンはこうした区別そのものに疑問を投げかけます。「どうして子供がいるかどうかで識別される必要があるのでしょうか? 私の知る多くの親たち、とりわけ女性たちは、自分の子供の有無によって分けられることにうんざりしています。それは古臭い女性識別法です。同じことが男性に当てはめられることはまれです。なぜなら男性はいつでも、95歳になっても子供の父親になるチャンスがあるからです!」。


私は、わかりやすくするために、私は「ウィザウト・チルドレン」(子供を持たない)という言葉を使いました。他により良い答えがないからです。


7.失礼なことを言わないで


インタビューした女性たちは、信じられないほど強烈な質問に直面してきました。次に挙げるのは子供を持たない女性に言ってはならない9つの質問例です。スー、アン、リサ、ジェーンから教えてもらいました。


「子供を持つまでは、女性であることの本当の意味を理解することはありません」

「子供を持つべきでしたね。子供たちといれば素晴らしかったのに」

「子供を持ったことは、私が今までした中で最高のことでした」

「歳を取ったら、だれに世話してもらうんですか?」

「子供が欲しくなかったんですか?」

「子供が嫌いですか?」

「子供を持たなかったことを間違いなく後悔しますよ」

「養子をもらえたのに。どうしてそうしなかったんですか?」

「ああ、つまり子供を持つことよりもキャリアを選んだんですね」


多くの女性たちはこうした失礼な意見を以前よりうまく対処できるようになりました。しかし、立ち入った質問に答えたり、不快なコメントを許容したりする義務は彼女たちにはありません。私たちの責任は、子供を持つ女性であっても、そうでない男性であっても、これらの女性たちの感情に敏感になり、注意と思いやりを持ってこの話題を扱うことです。


ジョアンは適確にこう言います。「私たちはみな美しい女性で、選択や状況により、子供を持ったり、持たなかったりします。お互いに良いとか悪いとか考えて時間を浪費しないようにしましょう。お互いに支え合いましょう。一緒に立てば、お互いにより高め合うことができます

Monday, April 25, 2016

山中心からクライミング中心へ

■ 始めた経緯

このブログは、登山の初心者が、一般登山から、アルパインへステップアップするにしたがって

 1)習得した知識を書きとめておくこと
 2)同じような立場の人に役立ててもらうこと

を目的に、スタートした。

■ 今ある環境を生かすことに

山梨へ来た当初は、これまで通り、お勤めをしながら、趣味のバレエを続けていく、という生活をしたいと考えていた。しかし・・・問題発生。仕事がない。大人のためのバレエ教室もない。以前と同じ生活はできない。

・・・というので、ONはヨガのインストラクターの資格を取得してヨガを教えることにした。OFFはバレエに代わる趣味を求め、様々に試行錯誤した結果、残ったのが、登山だった。

無いものねだり(仕事&バレエ)を辞め、あるもの(ヨガの仕事&登山)で、なんとかすることにした。

・・・という事情で、”(仕事がない&大人向けバレエ教室がない)山梨では”、という限定つきで、私自身の幸福の定義を、

”山さえ行けたら幸せ”

ときっぱりと頭を切り替えた。

その結果、一般登山者レベルを含め6年で、年間山行数50~60、年間山行日数100日以上、アルパインにも、クライミングにも、自前で行けるようになり・・・という結果が出せた。運命の不思議に、とても感謝している。


山第四章
http://stps2snwmt.blogspot.jp/2015/12/blog-post_41.html

■ 質へ

さて、当初は、このブログは技術メモ的なものとしてスタートした。

カモシカルンゼ
だが、その役目は終えつつあると感じている。もちろん、山を知る、ということについては今からだが、基本的な技術については一巡感がある。

今後は、書き留めた技術情報の質を向上することに、重心をシフトしたいと考えている。

その理由の一つには、ブログの趣旨がずれてきた・・・ということがある。

■ 山を取り巻く世界への驚愕

アルパインの世界を教わるにつれ、いわゆる登山の世界が、"中高年登山"という名の”特殊な登山”に、とってかわられ、オーソドックスな登山の伝統は忘れ去られようとしており、登山の世界の技術伝承が途絶えていることに、驚愕せずには、いられなかった。

その結果、現在、”本格的がつく登山”の技術・文化の伝承は、危機的状況にあるということが、実体験上で確信できた。

いわゆる”山岳会”と名乗る会でも、”アルパイン”の世界は廃れ、宴会山行と百名山登山が主流だ。

ちなみに山岳会の英訳は、”アルパインクラブ”であるのだが、実際は、地図を読んで道なき道を歩いたり、藪が隠れた冬をチャンスと狙って登頂したり、あるいは、岩登りを含むような山は、”山岳会”では、キワモノ扱いされてしまう。本来はオーソドックスなのに。

こうした実情のため、ブログに発見したことを記すと、山の世界の文化人類学になってしまい、技術内容とは離れて行ってしまう・・・

現在、山岳会では高齢化が進行し、若い人は組織を嫌い、新人が入会してこないため、技術伝承は難しくなり、アルパインへ行く人はほとんどいなくなっていた・・・。

それは、前からその世界にいる人には、発見ではなく既知のことなのだが、そうと知らない人にとっては、ビックリ仰天の実情だった。

■ 山の世界の現状

良く言われることだが、縦のギブアンドテイクは現在機能していない。技術だけでなく、登山の文化も継承が危ぶまれている。

本来のオーソドックスな登山が、王道の地位を失い、逆にキワモノ扱いを受けてしまうようになってしまっている。

聞くところによると、それは全国レベルで起きていることで、社会人山岳会は高齢化し、大学山岳部は存続の危機にあるそうだ。

交通機関の発達や登山道整備など、山に行く物理的な敷居は下がったものの、アルパインに行く環境(人的・技術的)は、非常に悪化している、というのが実情だ。

そのような現状の中では、技術体力が優位な人に求められるのは、無料のガイド役のようだった。

高齢化した山岳会の中で、無料のガイド役をすることは、”貢献”とは私にはどうしても考えられなかった。それでは、ますます、山の技術は後退して考えない登山を助長してしまう。

連れて行く登山も、郷に入れば郷に従えと、やってはみたが、山の技術や文化の伝承に寄与するとは、私にはどうしても考えられなかった。

関連記事: 山岳会における新人教育は期待できない

■ 幸運なる出会い

このような逆境に進路を阻まれながらも、私の場合は、比較的悪環境下で、スムーズに成長できたほうのようだ。

それは、山ヤ同志の同志意識と言うものが働いていたと思う。アルパイン志向の人同士は、なんとなく、分かるものだからだ。

街でも、山でも、岩でも、アイスでも、同好の士に巡り合うことができた。

そのような幸運に恵まれた背景には、様々な理由があるが、ひとつには、仕事で培ったスキルを登山という活動に向けた、ということがあると思う。

 ・人に出会うスキル
 ・出会った人とつながるスキル
 ・その出会いを活かすスキル
 ・経験したことを統合するスキル
 ・経験を体系化して位置づけるスキル
 ・選択肢を複数持つ
 ・独学スキル

転機はいくつかあったが、一つ目は、昭和山岳会出身の長谷部さんとの出会いだ。北八つ帰りに立ち寄るパン屋で出会っているのだが(笑)。この出会いにより、山口輝久さんの本を知るようになり、『北八つ彷徨』を読み、ツルネ東稜や広河原沢などの記述を読んで憧れを温めた。

次の出会いは、登山ガイドをしている三上ガイドとの出会いだ。これは『八ヶ岳研究』を読むきっかけになった。言うまでもなく、『八ヶ岳研究』は八ヶ岳のバリエーションのバイブルだ。

次の転機は、南ア単独縦走中、出会った敦子さんとの出会いで、クライミングについて知るきっかけとなった。当時は私は”ぬんちゃくって何?”という登山者だった。敦子さんは、パートナーを墜死で失っている。

さらに、初めて出かけた谷川での山行が、雪山に開眼させてくれた。6人でラッセルしたトレースが40分で消えた。八つでは雪の何を知ったことにもならないのだと悟った。このときは地図読みはほとんどできず、講師に笑われる程度だったが、その後2年かけてマスターした。この山行がきっかけで、山をきちんと教わろうと考えるようになった。

入会秒読みだったが、偶然発見して申し込んだ大町山岳総合センターでの、リーダー講習に受かったことが、大きな転機となった。考えてみれば、このとき、山岳会で先輩の誰かにおんぶにだっこで山を教わるという路線からは外れたのだろう。ロープワークや確保、アルパインの基礎は、そこで教わったが、講習は数回でキッカケ程度でしかない。何を知らねばならないのか、自覚が促される、というのが講習の真の意義なのだろう。

しかし、助力なしに独学したと言うつもりは毛頭ない。

アルパインについては、師匠につき、1年かけて独学した、と言うほうが正しいように思う。

山で亡くなった知人の追悼登山で、三つ峠へ行った。その時、岩場で出会った人が鈴木さんだ。山に鈴木さんに出会うように、導かれたのではないかと思う。

アルパイン初期の独学に際して、もっとも大きな存在だったのが鈴木の存在だった。さまざまの文献の紹介や考え方の訂正をもらったり、初歩のルートに連れて行ってもらうことで、アルパインのなんたるかを示してもらった。

鈴木の強い薦めで山岳会に属した。師匠の薦めがなければ、所属しなかったと思う。山岳会については、高齢化と聞いていたので、最初から、あまり乗り気ではなかった。山梨の会は全部しらべ、もっとも良さそうな会を紹介してもらってから行った。さらに見学に行っても入会はためらわれた。例会があまり機能していそうではなかったからだが、勧誘を受けて、所属することにした。

会は家庭的で良い会だった。・・・が、地域山岳会だったので、その性質上、アルパインを志向している人は、ほとんどいなかった。宴会山行と日帰りのハイキングが主体で、オーソドックスに、地図読みの山を志向する人が、不遇であることが理解できた。クライミングはトラッドは難しく、かろうじてフリーが主体だったが、ルートに向けて、日常的にクライミング練習をするという環境にはなかった。仕方あるまい。

一方、岩場では、貴重な出会いが続き、現在も一緒に行くのは、基本的に山で出会った人だ。

特に、小川山レイバックで出会った岩田さんには、岩だけでなく、山のアドバイザ―をも、してもらい、とても感謝している。

また、山だけでなく、いかに山行を作るべきか?誰とどの山行に行くべきか?というようなソフト面のアドバイスを複数の方に指南していただけることにも、とても感謝している。

■ 今後

ただ、私の中ではアルパインは一巡し、今年はフリークライミングを頑張る局面に来たな~と感じている。

例えば、これまでアイスは、4級を登れれば良く、寝た氷を登れれば良いと考えていたので、特にムーブの習得は、必要ないと考えていた。岩も同じだ。

が、だんだん、アイスも慣れてくるに従って、傾斜が寝た氷は易しく感じるようになってしまった。(まぁ、段々がついている岩根アイスとかのレベルだが・・・)

今、興味があるのは、むしろクラックなどのトラッドクライミングとなってきた。だが、トラッドのためには、フェイスも必要で、フェイスは本当に女性には困難だ。今はムーブの習得のために、一時期、集中的に登り込みたいと思っている。

・・・となると、アルパインを志向する、このブログの趣旨とは少しずれてきてしまう。

そのため、フリークライミングの技術習得については、また別のまとめが適当だろうと思う。

■ アルパインを志す人へ役立つように

このブログは、自分自身が、アルパインの初歩的な技術を確認するための備忘録として、取っておきたいと思っている。

例えば、日本登山大系を知らない人は、山ヤとは言えない。

地形図を持ってこない人も山ヤとは言えない。

・・・が、今となっては、私にとっては登山大系を読んでも、記事にしたいという気持ちにはなれない。

私も一般登山しか知らない頃は、登山大系を知らなかったので、当時は、とても新鮮な気がした。

が、今では登山大系を見るのは、普通の事となってしまい、改めて”登山大系という本があります!”と、記事にしたい気持ちにはなれない。

・・・とはいえ、知らない登山者が多いのも事実だ。

また、周囲の人たちの様々な助力があったことを無駄にしたくない。

これまで得てきた支援を無駄にしたくない。

山の恩は、山の人、次の人にペイフォーワードしていきたい。

■ 教えてみたが・・・

実は、そう考えて、自分が教わったことを伝承するという義務を感じ、片手には収まらない数の人に基本のマルチピッチを教えてみた。

・・・のだが、結局、いくらロープワークができるようになったところで、

・その山に行くべき時期に行くとか、
・地図読みとか、
・装備の不備とか、
・判断力・認識力の問題

のほうが、単純にクローブヒッチができる・できない、という問題より大きいかもしれない。

装備不足、ルートファインディング、山の事前研究の軽視、などがあると、そもそも危険認知がおろそかになっており、そのような危険認知が疎かな人が、ちょっとした不注意で死んでしまう、ロープが出る山にいくべきなのか、そもそも疑問だ。

山は危険認知ができていたとしても、死の危険があるのだから、危険認知しない人には、もっとあぶない。

それはその人に親切な行為ではないかもしれない。

自分の命は自分で守るという意識を持つ必要がある。その意識ができているかどうか・・・それは、

 ・一般登山で必要となる知識については、すでに主体的に学んでいて、一通りの身を守るための知識はついている、

ということが主体性の目安になる。登山歴が30年であっても、地形図を山に持たないで来る人や森林限界以上の山にジャージで来る人は含まれない。

実際、私の周囲のアルパイン系の人というのは、別にこちらが教えなくても、『チャレンジアルパイン』くらいは知っている。

後進の人たちに参考にしてもらう程度ではあるが、役立ててもらうため、今後は、このブログは、コツコツと、これまで書き溜めた記事の再録、再編集をして行こうと思っている。

そして、私自身は、”山さえ行ければ幸せ”という、山中心の生活から、より身体能力のUPの方にシフトしたクライミング中心の生活にシフトして行きたいと思っている。

山梨では岩もとても良い。

 その時その時で、与えられたものを感謝して受け取ることが大事

だと考えている。つまり、置かれた場所で咲きなさい、ということだ。


≪関連記事≫
初めて読んだ本 北八つ彷徨
八ヶ岳のバリエーションルート

Monday, April 18, 2016

甲斐駒再訪

今回の甲斐駒は、素晴らしい山だった。降りながら、まだ終わらないでほしいな~と思ったくらいだった。

■ 天気図萌え

お正月第一週目の甲斐駒ケ岳は、トレースもバッチリで、厳冬期としては、とても登りやすいということが知られている。

その正月明け第一週の中でも、さらに今年は、寡雪のため、コンディション的に夏道に近く、易しいだろうということが想像できた。

冬山の一番のリスクは何か?と言えば、風だ。

その風が、予報によると風速22mだった。風速22mといえば、耐風姿勢が必要になる風。風速26mだったら行くかどうか悩やむし、風速30mだったら決定的に稜線はない。

風と寒気を見極めるため、予想天気図と500hPaの天気図を見たが、予想天気図では等高線がのんびりして、登山日和。500hPAの高層天気図によると、-36度線は、はるか上。

それで、これは!というので、色めきたった。なんだか、山に行く前から、勝利が約束されているような気がする天気図だった。

 予想図
実際 ほとんど一緒
 マイナス36度線は北海道のあたり


■ 復習山行

この山行は、一般ルート&小屋泊であるし、私にとっては復習で、未知の要素がなく、ゆとりがあることが予想できたので、同行者を持っても良かった(同行者を探す時は、ベテランを除外して、常に自分にとって、無理がない山、つまり単独でも行ける程度で、同行者は保険程度、にしている)。

それで、雪山に興味があるだろう人に、声を掛けてみた。


その人は3日あるので、仙丈ヶ岳の地蔵尾根に行く計画だという。地蔵尾根は仙丈ヶ岳の中では長い尾根で、2泊3日だ。

失礼だが、その方の脚力で行けるのかどうか、心配になった。前回一緒に歩いた時に、たまたま持病が発病している時だったからだと思う。

また、地蔵尾根はテント泊となるし、バリエーションルートなので、一般ルートの甲斐駒と違って、気軽に「ちょっと、明日ご一緒に・・・」という山とは思えなかった。

それで、地蔵尾根はお断りしたが、その方は甲斐駒には興味がないという。興味は、人それぞれなので、合意に達せず、今回は、私は私のお山に向かうこととした。

意外だったのは、10日が悪いと言っていたこと。9日から先には大きな高気圧が出番を控えてまっていて、移動性高気圧の大きいのの下に入りそうだったので、予報を聞くまでもなく、10日は良いのではないか?と思っていたからだ。

冬は、冬型 → 移動性高気圧 → 低気圧 という循環を繰り返すと考えていたので、サイクルで考えると、週末は高気圧の下に入りそうだった。

■ 甲斐駒でお口直し


今年のお正月山行は、黄連谷右俣が予定されていたのに、この山行はいまひとつ、ヤル気が最初から欠けたような山行になってしまった。前の晩、お酒を飲んだのがまずかったかもしれない・・・でも大晦日だったしなぁ。

結局、代わりにクラックに行き、それはそれで、とても楽しかったので、良かったのだが・・・。神様がしばらくは、フリーに注力しろと言っているかのようだった。

フリーと歩きは、両立がとても難しい。フリーを頑張ると、歩きが弱くなり、なんとなく、がっかりした気分になる。


私はフリーを頑張ってはいるとは言えない状況なのだが、それでも、相手が必要なクライミングが、単独でも行ける山と比べると、優先度が上になってしまい、歩きが後回しになっている。

そうなると、大きな山はだんだんと出番が無くなる。でも大きな山が充実感には大事な山.



最近は偵察山行が続き、大きな山がないので、もしかして弱くなっているかもしれないと思い、ちょっと確かめたい気もした。

2年前に甲斐駒に登頂した時は、まだ山岳会に入っておらず、2年たたず辞めてしまったが、山岳会に入会して弱くなっていたら、ご愁傷様だよなぁ・・・と思ったからだった。

結果的には、今回は



前回 7:00登山口 11:40 5合目 13:00七丈小屋

6:30出発 7:30 8合目 8:50山頂 13:00笹の平 14:10竹宇神社


今回 7:30登山口 11:40 5合目 12:30 七丈小屋

7:00 出発 9:00山頂、10:30七条小屋 13:10 笹の平 14:30竹宇神社

となり、特に前と比べて、体力は落ちていない。


登りで何組か追い抜いたが、追い抜いた人たちは、おおおかた山岳会で、黄連谷のほか、バリエーションルートを登るような人たちだったのだが、そのような人たちの普通の標準装備で、5合目に4時間で着くというのはなさそうだった。

私より先行していて、私が抜いたということは、私のコースタイムよりは遅いので、それではたぶん、4時間で着く、というのは未達だと思うが、一日目を七条小屋泊とすると、そう急がねばならない理由がない。

なんで5合目に4時間でつかないといけないのだろうか?二股まで早く行きたいのだと思っていたのだが、翌日の風が強い予報があったのだろうか?早くつきたい時は早出すればいいだけなのだが、早出が犠牲になっていたので、それも敗退の要因だった。

今回は、行く前から、良い山になる気配があった。天気図が良かったこと、朝家を出るとき、温かい朝だったこと。車中から見た甲斐駒は雲を被っていたが、近づくとモルゲンロートに変わった。

ワクワクして、心配は全然しなかった。小屋には14時までに入ればよいので、朝もそう急がなくて良いのだが、支度をしながら鼻歌がでそうなくらい、愉しみだった。

2年前は甲斐駒はすこし背伸びだと思っていたが、今回は背伸びとは思われなかったからだ。

ただ、慢心があってはならないと思い、装備は、単独と言えどもハーネス、ロープは用意した。

とにかく天気が良いので、気分が軽かったし、小屋がどれほど温かい小屋かも、よく分かっていたから、チャレンジ的な要素が少なすぎて、むしろソロテント泊にした方がいいのではないか?くらいな感じだった。

■ マイペース山行

黒戸尾根は、じっくり自分の脚を気持ち良く動かすことを心がけて歩いたら、全然疲れなかった。最近疲れた山をいくつかした、その疲れは、きっとオーバーペースから来るものだろうと思われた。

疲れ方でいうと、前回の甲武信の方がくたびれた。

黒戸尾根は長いと最初から分かっていること、アップダウンがあって、意外に平坦なことがあり、疲れてきたら、トラバースに出る、という感じだった。

山は、歩きだすと、一気に汗が噴き出す時間帯が来る。そこまで、大体30分くらいと思うが、その歩き出しで、オーバーペースに陥ると、その後は、快適に歩けないのかもしれない。

最初に飛ばすとダメで、その最初の汗が背中を流れるときまで、じっくりゆっくり歩くべきだ。

そうしていると、その後はあまり苦しまずに快適に歩けるような気がする。今回は少なくとも完全マイペースなので、全然苦しんでいない。

■ 100年に一度のチャンス?

そうやって歩いていたので、黒戸尾根はゴキゲンだった。特に問題になるような個所なし。

黒戸山までは普通の山。黒戸山の北側を巻く道は半凍結で滑りやすく、こけそうで怖かったが、アイゼンは出さずに済ませた。そこを抜けると、いきなり温かい陽だまりの5合目跡地に着く。5合目に着くと、テントが一張りと、洞のなかに生活の後があった。

5合目から先、伝統を感じる黒戸尾根らしい登山道になり、ハシゴの連続となる。しかし、そのハシゴも良く整備されていて、ロープも渡してあるし、心配がなさそうだった。2年前の黒戸尾根のほうがやはり大変だったかも?

前回は、笹の平でつけたアイゼンだが、今回は7丈小屋までつけなかった。

5合目から7合目へは、ハシゴや鎖場が連続するが、そう長くはない。5合目でテント泊するか、2俣でテント泊するかが黄連谷をやるときの定番かと思っていたが、実はそうではないらしい。

7丈小屋泊がどうも定番らしいのだ・・・。行って見ると、第二小屋に泊まっている20人のうち、ピークハントに来たのは二人だけだった。

体の大きな、そして声も大きな、男性が入ってきたのを皮切りに、アイスのルートガイドで有名なガイドさんも入ったらしく、小屋は満員となり、20人のうち18人までがアイスの人だった。

となりになった山岳会の人たちは、追い抜いてきた人たちで、大型ザックだったので、テント泊だと思っていたら、小屋泊で、篠沢をやるのだそうだった。大武川のほうの研究はしていなかったので、まったく知らず、へぇ~と思った。アプローチは黒戸尾根で同じなのだった。

この辺はアイスをする人には楽しいエリアなのは知っていたが、甲斐駒自体がまだ、私にとっては金峰山や八ヶ岳と比べ、お近づきになっていないエリア。

黄連谷の混雑を考えると、篠沢にしたのは正解のようだった。

後のパーティは、みな右俣か左俣で、左股は特に大滝で渋滞が起きるとあらかじめ分かる人数だったようで、夕方それを小屋番さんが大声で知らせた。

正月前後に記録が上がったので、今年は雪が少ないことが知れ渡り、100年に一度のチャンス!ということらしい・・・惜しかったなぁ。

でも、足並みそろえがまだだったのだから、仕方ない。ルートへ行くというのは、ゲレンデに行くというのとはまた違うものだと思う。

凍結は年末は今一つの記録が諏訪山岳会から出ていて、坊主の滝は巻いていたが、一度冷えたのでよさそうだし、予報はずっとマイナスの気温だったので、今週は凍結に問題はなさそうだった。

・・・というので、黄連谷は、非常に登りやすい、当たり年らしい。のだが、こんなに大勢が入ったのでは、大渋滞かもしれない。

アイスのルートはビレイしている時間がとても寒いし、渋滞で待つのが寒い。

・・・というようなことを考えると、この日は、自分のペースで登って帰れるピークハントの復習山行にしていて良かったかもしれない。

■ 小屋で

小屋の中は相変わらず、ストーブ一つしかないのに驚異的な温かさ。小屋は食事をださないためか、到着するとおしることコーヒーのパックをくれるが、今回はそれに温かい野菜ジュースまでもがついていた!びっくり~!

小屋代は4600円と、2年前に来た時から100円アップしていた。

それにしても、とても暖かく、毛布だけでも、夜中に暑いくらいだった。お湯は有料になっていた。

山岳会が二つ三つ入っていたので、にぎやかだった。私は単独だったのだが、隣の会の仲間に入れてもらって楽しく過ごせたのがうれしいことだった。

突撃隣の晩御飯で、鍋を見せてもらった。トマト味のスープパスタだった。私は単独なので、あまり食事に凝りたいとも思えず、前に買ってあって使っていない賞味期限が切れそうな袋飯の消化デー。ずっと非常用に入れているもの。「それだけ?」と言われるが、七条小屋はおまけをくれるのを知っていたので、あまり持ってこなかったのだ。

ピークハントだとそうお腹もすかないし・・・。お腹より水が核心な感じだ。沢とか、とってもお腹が空くんですが、なんででしょうね?クライミングもあまりお腹がすきません。

小屋でビールを買っても700円だそうだった。お酒も一人だと、テント泊で寒さが予想されるのでもない限り、そんなに欲しくないかな~と思い、今回は必需品のコーヒーやナッツやシリアルバーなどを持って行った。シリアルバーは、冬は通常食べないのだが、今回はあまり寒くなさそうだ、というので、これも安く買ったものを消化デー。単独は基本、余りもの消化デーだ。

八ヶ岳で会った人たちと再会。会を辞めてしまう前に会った人たちだ。聞くと黄連谷の左俣で、雪崩に遭ってヘリで運ばれたことがあるのだと・・・そんな大変な目に遭ったのかと驚く。

それにしても、谷の中でビバークする計画は、やはり、小屋泊で空荷で谷をスピーディに抜ける計画と比べると、とても体力的な負担が大きいのではないだろうか。

谷中の一泊でツエルトに夏シュラフ、しかも食料も軽量化で絞ってあるとすると、体力を奪われそうだ。もちろん、稜線より谷の中は風はなさそうだが、底冷えしそうだ。耐寒訓練になりそうだったから、行かなくて良かったのかもしれない。

■ 登頂日

そうこうして夜が更け、就寝となり、朝は3時くらいから、早朝発メンバーが起き出す。私は日の出とともに歩きだす予定で、7時歩きだしにしていたので、早いメンバーたちの支度を聞きながら、できるだけ睡眠時間を多く取ろうとする。

7時出発でも、一人だと支度も早い。6時に起き、コーヒーを入れ、袋飯を食べる。トイレに行き、さらにお湯を飲む。お湯は持って行った分を朝に消化してしまったので、小屋から少し二日目の分をもらったが、結局ほとんど消費しないで済んでしまった。

装備を片づけ、必要なものは身に着ける。ハードシェルを着て、下はレインウェアのズボンを履く。
手袋はまだインナーのままでよいだろうと、冬手袋はカラビナでぶら下げる。カメラと携帯をすぐだせるようにし、毛糸の帽子をかぶり、ヘルメットを被り、アイゼンを装着して、ピッケルを持つ。今回は、鎖が出て怖いところでは、セルフを取れるように簡易ハーネスを付け、もし怖くて懸垂しないといけないと思ったら、お助け紐を出す予定で、ロープを持って行ったので、すぐ出せるようにしておく。

小屋出発は予定通り、明るくなった7時としたら、外にガイドパーティがいて、どうも一般客の出発を待ってくれているようだった。ガイドパーティだから、気を使っているのかもしれない。

もう一人の同宿になったピークハントの人は、6時半ごろ出発していた。薄暗いくらいでも歩けるし、小屋から8合目までは、あまり危険箇所はないので、問題ないと思った。

私はヘッドライト歩きは避けて、普通に明るくなってから出た。高山病になってしまったという方も明るくなってから下山を開始していて、「どうして暗いうちに出るのだろうね」なんて話をする。

時間にも余裕がある時に、わざわざヘッデン歩きをしなくても良いかも?と思う。選べるなら、選ばないかもしれない。

しかし、一方で、状況的に強いられた時に、できるようにしておく、ということは重要で、年に一回くらい夜間山行(カモシカ山行とも言う)が合っても良いと思う。皆で歩けばそう、怖くないものだし。

そういう夜間山行にふさわしい山というのは、登山道が明瞭な山で、黒戸尾根は、ヘッデン下山の可能性があったので、ずっとヘッデンでも歩けるかどうか気にしながら歩いたが、笹の平あたりまでは、暗くなる前に降りていたいかもしれないとおもった。鎖場や梯子をヘッデンで歩くのはあまり気が進まないものだし、中腹は、登山道のとなりに新しい登山道が出来ていたりして、歩いたことがあれば、たぶん大丈夫だろうけれど、ずいぶん久しぶりだと勘が働かないかもしれない。

■ 風

登頂に際して、もっとも気になった風だが、天気図の方が合っていたようで、びっくりするくらい風がなかった。

前回も風がない予報だったが、今回も風は全然なかった。20分ほど、のんびり山頂に滞在した。

八ヶ岳は雲を被り、黒々とした赤岳が見えた。あまり良さそうではない。北岳や地蔵は快晴で、富士山には8合目あたりから、空気の層が見え、大気は安定していそうで、富士山も登山日和だったのかもしれない(登らないが)。

8合目までの登りでは暑いくらい、手袋もインナーしかいらなかった。朝早い時間のほうが風が強かったらしく、下りてくる人は、風が冷たかったと言っていた。

大体日が高くなると、風も緩むことが多いので、すこし出発を遅らせて良かったと思った。

昨日出たときは、モルゲンロートに染まる山を見た。今日は、日が出てから、山の一番良い時間帯8~10時の快適時間帯に、山の稜線にいた。

周囲には誰も同行者がおらず、快適だった。途中、岩の段差が多いところが出てくるが、前に来た時はすっかり雪で隠れていたところだった。こうなっていたのか、という感じ。ホールドスタンスはいっぱいあるので問題ないが、鎖はありがたく使った。

山頂に着くと、仙丈ヶ岳が見える。仙丈ヶ岳のほうにいっている知人は大丈夫だろうか・・・と気にかかる。

山頂にいた人たちと写真を取り合う。若いイケメンお兄さん二人だった。

擦れ違いがシビアなところですれ違いたくないので、後続のガイドパーティを少し待った。なかなか来ないな~と思っていたのだった。

やっと登ってくるのが見えたので、山頂を出発する。すれ違った人たちは、苦しそうにしていた。

思うのだが、どんなペースであっても自分のペースで歩けないと、やっぱり苦しいのではないだろうか?

下りに八ヶ岳の広い広い、すそ野を眺める。あの長いすそ野を全部歩きたい、という人がいるだろう、と師匠は言っていたっけな。

できるだけ標高の高いところまで、人工的な手段で行って、できるだけ楽に登頂することが価値があるように、いつからなってしまったのだろう・・・

山に登っていたら、普通は山の尾根の起点ってどこだろう?という気持ちになるものだ。甲斐駒から見ると、八ヶ岳の尾根のスタート点は、今登られているよりももっと実は長いように見える。

八ヶ岳の手前には、長い七里岩があるが、七里岩も八ヶ岳の一部だなという感じが、ありありとする景色だ。夫と見たい景色。彼もジオラマのように大地を見るのは好きだと思う。

私は全体像を把握するのが好きなのかもしれないな・・・そんなことを思いながら下山する。

景色を楽しみながら、できるだけゆっくり下りたいため、山岳会のパーティには先を越してもらう。

そんな調子でゆっくり下った。小屋まで下ると知り合いに再会した。あれ~と喜び、互いに近況を報告する。彼女はヒマラヤに行くことになったらしい。

小屋番さんは、宿泊者多数で苦労した話をしていた・・・どうも昨日は稀に見る混雑日だったようだった。

■ 下山

七条小屋まで降りれば、あとは普通の山なので、ウエアを片づけ、ヘルメットを取り、ピッケルをストックに持ち替え、普通の帽子にする。

アイゼンは、黒戸山が終わるまではつけていることにした。これは正解で、下りの黒戸山は、飛ばせた。

水平なところは、平地歩きで、脚をストレッチしながら歩き、登りは小股で3点支持で、下りはなんとなく飛び石歩行になってしまう。いつも思うが、登山で使っているのは、ムーブで言えば、ほとんどオポジションなのではないだろうか?

笹の平手前は地面が凍結していて、普通の地面に見えるところも滑る。それでも、登りより下りの方が楽だし、早かった。

2パーティほど追い抜く。あまり登ってくる人はいない。印象に残ったのは、ロープとアイスギアをもった初老の人。単独だった。一人でアイスを登るのだろうか?

笹の平手前で、大きなザックの男性の登山者に追いつく。抜きつ抜かれつしながら、だったので、結局一緒に歩いた。

大倉尾根で荷揚げしているのだそうだ。大倉尾根と言えば、男性35kg女性25kgの歩荷訓練に選ばれている尾根。

色々と山の話をして、楽しかった。カメラも三脚も入れて、重そうなザックだった。テント泊は、鳳凰が目の前に見えて、とても良かったそうだ。

たしかに今回はあまり冷え込まなかったし、風も予報とは比べ物にならない静かさだったので、テント泊も良かったかも・・・だが、それだと小屋で出会った人たちと出会えなかったかもしれない。

帰りは、彼を韮崎まで送ってあげたら、下山後のソフトクリームを奢ってくれてうれしかった。

いつも山のご褒美はアイスかソフトクリームってことになっているんだな(笑)。

ビールはキライではないけれど、同じ250円だったら、ハーゲンダッツに軍配が上がるかも。

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4年越しの甲斐駒

甲斐駒情報

甲斐駒2014





危険不感症

■危険不感症

去年の3月にもらっていたハゲオヤジさんのコメントをまとめる。

・大きな問題は、そんな無知・軽率な人を登らせてしまうリーダー

・自身は問題なく登れるレベルなのでしょうが、メンバーの安全安心を配慮しない(できない)、「危険不感症」の人はリーダー不適格

・雨予報の出ている日に雨具不携行の参加者へ一言するのは当然のこと

・領域の線引きは、森林限界地形と雪量を基に、

 ・雪崩が出るか
 ・雪庇があるか
 ・ザイルを出すか
 ・悪天下で行動できるか、
 ・エスケープルート

・谷川岳などの上信越の山は格段に雪が多くなり、低いところの谷沢地形や樹林帯のちょっとした斜面でも雪崩がある

・北アルプス・南アルプス・中央アルプスの前衛峰にも急峻なガリーや岩尾根・やせ尾根を通過しなければならない危険箇所があり、そういったところも(雪上訓練を受けていない人は)禁止領域

・雪訓は、冬山に入る山岳会では、その前に通過しなければならない「プロトコル」

高齢者がいるのなら、年一度の「健康診断」

・高齢であればなおさら、そこで健康(つまり技術)を、確かめねばなりません

・これが毎年シーズン出来ないのなら、アイゼン・ピッケルの必要な山への山行はやめるべき

・「まともな山屋の先輩は仕事が忙しくて」 とありますが、新人を育てる気がない先輩を、「まとも」とは言えません。 

忙しい、というのは、ただの「わがまま」

・「雪訓」をやらずに冬山に行くのは、「無責任」プレイです。

・それは、「岩ゲレンデ訓練」をやらずに岩V・ルートにゆくのと同じ。

・また、技術訓練と同時に大切なのは、訓練を通じて、「互いの気ごころ」に触れること

主体性=委譲

■ 主体性

昨日は、最近入会した会の総会だった。30代が多い会なので、私は年増に入る(笑)。

参加者が主体性をもって運営に取り組んでいる。新鮮だった。

前の会では、一部の特権者(管理する側)と平市民(管理される側)に別れる運営スタイルだったからだ。

主体的に会を盛り立てようと発言しているメンバーは、まだ数年レベルの入会歴の浅い人も多かった。前の会では考えられないことだろう。

何が違うのか?

会長職などの会を率いる人の度量が一番問題なんだろうな。委譲、ということだ。平たく言えば、実務は若い者に任せて、自分は見守るということだ。

■ 説明力

山は自己責任と言われる。が、自己責任と言われるのに、主体性を発揮しようとすると、危険を盾に、非常識登山者扱いされることが多い。

例えば、私は雪の山から登山をスタートしたが、さんざんガイド登山をしないことをとがめられた。

自分で自分のことを判断する権限(もしくは知識)が与えられない事が多い。本音は色々で、商業登山の場合は、要するにホンネはお金を払ってほしいということだ。自立してしまうと、優良顧客ではなくなる。

山岳会の場合は、心配だということなのだが、それなら、何がどう心配だ、と具体的に分かりやすく伝えることが重要なのではないだろうか?単純に会の責任問題になると困る、ということも、あるかもしれない。

”ホンネと建前”が分離=行動に合理性を見出すのが難しいスタイル・・・それでは、分かりやすさと公明さが無くなる。結果、運営に謎や無理が生じるのだろう。

もしかすると、古いスタイルの山岳会の衰退は、そうした封建主義的とも言えるスタイルの衰退にすぎないのかもしれない。

そうであれば、自己責任が増えているか?減っているか?と言う視点で見ると、

  封建的スタイルの衰退=主体性を持って活動している人が多くなったことを示す、

に過ぎず、正常化への正当な流れでしかないのかもしれない。この辺は企業形態と似ているかもしれない。

無責任と依存は表裏一体なのだ。自立させたければ、責任(決める権限)も持たせないといけない。

古い会   新しい会

発言権  経歴順 ⇔  メンバー一律
i役割   押し付け ⇔  自ら選ぶ
責任     会   ⇔  自己責任

発言は活発で、指摘は論理的・合理的だった。

合理的でない主張が、会員歴が長いというだけで通ったり、古い会員を守ることが至上課題になって公平性を失っていることはなかった。

発言がカジュアルなので、古い会だと生意気扱いされるだろうな~ということは容易に想像がついた。

パートナーが見つからなければ、出ていくだけのこと、ということで、メンバーの入れ替えも、頻繁そうだったので、”今いる人が今必要な活動をする”という方針だと、当然、入会数か月レベルの人が主体の活動にならざるを得ないし、その人たちが運営の主体者となる。

そうしたことは、数年の実績を積んで実力を証明し、上の者に「許されないと自由がない」という、従来型のスタイルでは起らないだろうなーと思った。

発言権を得るまでに石の上にも3年が、日本の通例だからだ。変な言いかただが、日本企業から外資にうつった時みたいな感じだ。

■ 感謝

私は指導者に比較的恵まれた。非常に感謝している。私一人の見識では、登山がここまで本格化することはできなかったであろうからだ。

もちろん、私自身の資質もある。

 ・オープンマインドでいること
 ・支払わなければならない代償を受け入れる気でいること (責任をもつこと)

は大事な二つの資質だ。
 
オープンマインドと言うのは食わず嫌いをしないということだ。臆せず、先入観で判断しない。これは多くの女性登山者に言えることだ。先入観で、「ロープがでる山は怖いからやらない」とか「リーダーは男性がやるもの、だから女性の私はロープワークを知らなくて良い」と、やってみる前に判断してしまえば、一般登山で終わりだろう。

何事もやる前からできないしないということにしてしまうと、山行の内容的にも、人間的にも、成長はしないだろう。食わず嫌いということだ。

もう一つは、代償を払うということ。何かを得るということは、代わりに何かができないことでもあり、何かを失うことでもある。

子どもを産むという幸福を得れば、自由な時間と言う代償は当然払わなくてはならないし、経済的にひっ迫するかどうかは、かかる経費と自分の収入を照らし合わせれば、事前に自分で予見できることだろう。

何か技術を教わりたいと思えば、授業料は払わなくてはならない。それは金銭的負担かもしれないし、遠方に住む支援者の元まで出かけていく、と言う事かもしれない。犠牲なしで何かを得ることはできないのだ。

私は幸運に恵まれ、また自分の資質もマッチしていたので、比較的知識が充実しているので、そうしたメリットを自分だけで独占する、というのは狭量なことだろうと思うし、教えてくれた人たちの意思にも、そむくと思う。

なので、それを後進の人に拡散する義務があると思う。

師匠らに教わったことを若い人、次の人に還元する事に対して、恩着せがましくする予定はないし、これまでもしていない。

が、相手の無知のために、自分自身が危険に巻き込まれてしまうほどの自己犠牲は、誰であってもすべきでないと思う。

■ これまでの問題点

これまで、何人かの人が教わりたい、もしくはパートナー候補と言うことで、来てくれた。私が教えられるのはアルパインの基本的なスタカットの手順まで。

それ以上・・・つまり、経験が必要な岩を見る目やルート選びなどは教えられない。

それらは一緒に成長していく中で、一緒に考えてくれる人が欲しいわけだった。

≪パート―歴のまとめ≫

30代前半女性: 高所登山経験者。危険予知せず。ロープワーク、何度教えても覚えられない。

50代後半男性: 性格的に慌ててしまうため、危険。ロープを通さず投げそうで怖かった。体力があるため、一人で行けてしまう。パートナーを本人は必要としていない上、パートナーにとってもその人と組むほうが危険になってしまう。

30代女性: 判断面で合意形成に不安が残るため、パートナー成立に至らず。

40代男性: いきなり四尾根のため。行ける場所の判断が違うため。

50代男性: ビレイが不確実。習得意欲がない。

50代男性: ビレイに不安。必要な所でロープを出さないで良いと思っている。

50代女性: 一般登山(読図)がまだ習得に至っていなかった。

40代女性: ロープが出る山に行きたい気持ちがない。一般登山未満で満足中

30代女性: 冒険的な心情が不向き。安心領域から出たいと思っていない。

結論すると、問題点は拡散すべき対象者が、アルパインクライミングに進むには、準備不足の人が多かったということかもしれない。

当然だが、パートナーには命を預けるので、そのことを自覚していない、無責任体質の人はアルパインには向かない。

危険予知をしようとしない人にも適性がないかもしれない。

危険予知のうち、具体的には、地図読み等も入る。読図をしないで済ませようとすると、単純な手抜きというだけではなく、地図をみないで山中に入ったら、どうなるだろうか?という危険の予測力に欠けている。

ロープワーク、ビレイ、雪上訓練、装備、天候知識などすべて同じ。

私は山を教わったことを、とても感謝しているので、私が知っている程度の事は、垣根なく教えてあげたいと思っている。

が、やってみた結果理解したことだが、準備不足の人に教えても、その労力は徒労になってしまう。

基本的に徒労は避けるべきだと思う。

そのサインの一つは

 ・装備不足

であり、雪山に行くのに冬靴を持っていない人は、短時間の体験レベルにとどめるべきだ。

また

 ・認識不足

も、教えるにはまだ早いということを示すことが体験して分かった。 認識不足であれば、立て板に水で何もかも流れて行ってしまうのだ。

したがって、登山者を育てるのは、タイミングをよく見て、必要なことを必要なタイミングで入れてやる必要がある。

そのタイミングの見極め、が、経験が必要、と言われる部分だ。

Saturday, April 9, 2016

年間山行日数

■ 実績積み上げ中?

アルパイン(ロープが出るような山)をスタートして、ちょうど丸3年だ。

15年度108日 退会 
14年度76日 山岳会入会   前穂北尾根
13年度59日 師匠と出会い  アイスルート
 ---ここからアルパインへーーー
12年度64日 リーダー講習受講
11年度22日 ツルネ東稜
10年度26日 登山一年目

だった。トータルすると、355日。うち三分の一は、去年(笑)。

350日というと、月に1回、一泊二日で山を歩くことにしている人にとっては、14年分のボリュームとなる。

これだけ集中的に山に行くことができる、時間的余裕を持てることは、長い人生の中でも、そうそうないと思われるので、

 山梨にいる間は山さえ行けたら良い

と、”経済的な幸福”や”キャリア”、あるいは”子ども”などの高額な幸福を後回しにせざるを得ない状況下での、代替え的成果としては、大変、恵まれた方だろうと思う。

大変、感謝しています。




Thursday, April 7, 2016

明神主稜

■ご縁

いつものことだが、山はご縁がつくるものだ、としみじみ思う。

明神岳は初めての上高地で示唆された山だったから、私にとっては原点を思い起こすことができる山だ。夫と秋の上高地に行き、明神岳を知った。その旅行中、雪を抱いた西穂独評(独評手前まで)へ行き、その感動が登山を続ける動機となり、今の登山に結び付いた。

今回も、目標を達成したというよりも、自然に明神主稜というルートに導かれた。



実は、皆に勘違いされてしまうのだが、登山に炎のような情熱を燃やしているわけではない。

むしろ、与えられた機会を丁寧にこなすということを気を付けている。丁寧に…ということの中身は、

 ・山の準備に手抜きをしない

 ・今の自分に何が必要かについて自覚したことに対して、手抜きをしない

とか、

 ・自覚した至らない点について、そのままにして前進しない、

ということだ。それは岩トレをしておくことや外部でのレスキュー講習を受けることなどだ。

やっておかなくてはならない、という自覚が起きたことを、やらずに済ませてしまうということは、自分への不誠実であり怠惰だ。

自分との対話において誠実であるということ&怠惰でない、ということは、健全な魂に必要なことだ。

大事なことは、自分で自分に嘘をつかないということだ。やらなければならないと自覚していることをやらないこと同様、やってはいけないと自覚していることをやり続けるのは、ココロの健康に良くない。

■ 8の山

今回の明神岳は、あらゆる意味でちょうど良い山だった。実は主稜ではなく、東稜が”私でも行けそうなルート”として並んではいたが、それはパートナー前提だ。初対面の相手と一回目の山で行くのにふさわしいか?というと、当然だがギリギリ度合いが過ぎる。

山では12の力をつけても、10の山しか行くことができない。まして初めての相手とは、自分の力が10だとすると、かならず、8~6とか、実力以下の場所しか行かない。

何かが起こった時に相手をレスキューする余裕を維持するのは大事なことだ。伝令だって、一人で道迷いせず、歩くだけの力がいる。

そういう意味では、一人で歩こうと思っていたルートに、ついでに誘ってもらう、というのは、相手には余裕があるルートという意味だ。私が女性の登山友達を誘う時は大抵がこのパターンだ。相手がいなくても、技術的には行けるルートに行く。

今回は、(単独行×2)よりもやや二人が有利で、多少のリスクテイクもできた。

一緒に行くとき、自分の役割は何だろうか?と考えるよう、師匠から最初の頃、くどいほど教わった。今回は、二人ならば、

・逆回りが取れる(クライミング=ビレイヤーがいないとできない)
・テントを担ぐ負担の代わりにギアを担げる
・アプローチの負担減

などのメリットがあった。逆に

・気を使わないといけないというデメリット

も、もちろんあったが、それは男性・女性に限らず、誰と行っても同じだ。それにしても、初めて1対1のイコールパートナーで一緒に行く人が、一年以上の投資を続けている会の人たちではなく、まったく初期投資ゼロの初対面の人だった、ということは本当に意外な展開だ。人生とは面白いものだ。

念のため断っておくと、私は”初対面”に思考停止するタイプではない。初心者当時も西穂で会ったドイツ人のクリスを家に招いて一緒に南アに行った。海外では知人の家に泊まる。下山中の登山者を車に乗せる程度はよくやっている。

こうしたことは、自分で相手の人柄を判断し、その判断を信頼するという自己責任の習慣がない人から見ると、危険で非常識極まりない行為に見えるだろう。念のため断っておくと、単独の時は、身元の知れない人を家に招き入れることはない。

■ 詳述

さて、前降りはその程度にしておいて、今回の旅の詳述に移りたい。

前夜泊1泊二日の計画だったが、前夜、私は夜、仕事の日だった。山の前日に仕事があるのは、わたしには理想の配置ではなく、仕事が体を使うヨガのため、山の前に消耗してしまう… しかも、ホットヨガなので、消耗の程度は、他のヨガと比べて強く、この日も10時に仕事を終え、消耗を避けるため、普段食べない卵を食べて、体力温存に努めた。普段は、ヨガの教えを守り、野菜しか食べない生活だ。しかし、それでは登山では、消耗がひどく危険を高めてしまうので、登山する場合の食事は、例外を設けている。柔軟であることも時には大切だ。

真夜中12時に甲府駅で待ち合わせ、ピックアップ、すぐさま甲府昭和ICへ。甲府駅前は再開発中で工事でピックアップ待機場が分かりづらい。そのまま、普段通り、諏訪湖ICまで運転。食事をして運転交代。沢渡まで運転してもらい、到着後すぐにテントを張って就寝した。

さわんど駐車場ではターミナル直結の第三駐車場ではなく、第二に停めてしまい、バスターミナルから遠くなってしまった。夜暗かったのでよく位置関係が分からなかったのだ…。トイレの位置も分からなかった。ともかく寝なくては、というので、私はザックとは別にシュラフとマットを持って行っていた。

2時間半ほど寝て、4時過ぎに起床、トイレもいけず、食事も後回しにバタバタとパッキングして、あと二人乗せたがっている、相乗りタクシーに飛び乗る。900円。おかげでバスターミナルまで歩く分が省エネできた。タクシーにはあと7人ほど乗っていた。

おかげで上高地には予定より1時間早く到着した。久しぶりの上高地は、ひんやり寒かった。5時半の上高地バスターミナル前で、朝食を取る。私はサンドイッチとコーヒー。コーヒーは失敗。ペットボトルにしなかったので、残念ながら、ゴミを担いで上がることになった。水を補給。私は水は自宅から2リットル持ってきていた。

上高地から前穂までは、二人ともアルバイトと分かっており、ともかくテーマは、”バテない程度に急ぐ”。アルバイトでバテてしまっては話にならない。メインディッシュに時間をかけ、前菜は軽く済ませたい。さっきまでは寒いくらいだったが、歩くと暑い。登山道は虫が多かった。

岳沢からの穂高はアプローチが最短で、もっとも負担が軽い。それでも盛夏は暑く、脱水によるバテが課題だ。水は岳沢小屋で補給できる。7時半、岳沢小屋でアイスクリームを食べた。カロリー補給。トイレ休憩もし、20分。

紀美子平までは、若い男性の単独の人たちとほぼ同じペースだった。おそらく12kg、15kg程度の荷を背負っているので、それにしては悪くないペースだ。

ともかく一面の花畑で癒される。岩稜帯はイワツメクサ主体だった。コマクサを駆逐した植物だ。つまり、本来はコマクサがある場所だ。

ライチョウ平あたりで滑って転んでいる女性がいた。その上は、木枠の中に石をはめ込んで整備されており、びっくりした。

落石を起こした若い男性が頭上におり、「落石を起こさないで。ラクと言って」と声を掛けたが、無言の否定が返ってきただけだった。同行者は、”あーあ、あんなこと言っちゃって~嫌われ損なのに…”と思ったようだった。その通りだ。

しかし、この件で、師匠が指摘した、穂高では人為落石が最大のリスク、ということを確信した。本当だ。歩くスキルがない人が、たくさんここに来ている。

すれ違うために道を空けると、空けたほうに登山者は来てしまう。自分でルートを見ておらず、人がいる=ルートと思っているのだ。逆にリスクが大きいところを歩く人もいる。休憩中に広く開けておいた側に登山者が歩かず、露出してよりリスクが高いほうに避けた人がいたので、私が道をふさいでいるか?と同行者に確認したら、十分安全に歩ける場所を空けていると言われた。

10時、紀美子平は人でいっぱいだった。タバコを吸っている人の煙が嫌だったので、休憩は5分程度ですぐに出た。中学生くらいの若い男の子の兄弟が、私のぴったり後ろについて、余りに近いので気持ちが悪く、先に行かせたら、すぐに落石を起こしたので、前に行かせるのではなかったと後悔した。同行者の前に出たので、「少し間を空けた方がいいかも」とアドバイスした。

10:38、前穂到着。20分で上がるつもりが40分掛けて上がったことになった。初心者の頃と同じペースだ。山頂では雨がぱらついた。

大学生と思しき若い男性パーティが今から奥穂に行くかどうかで相談中だった。前穂北尾根を登ってきたようだ。たしかに私も前穂北尾根で全精神力を使い果たしてしまい、奥穂までは水が足りなかったのもあって、だいぶバテ、小屋で500mLのポカリを一気飲みして生還したんだった(笑)。

中学生兄弟は結局、後から到着した。家族登山のようだった。

11時、同時に上がった人も降り、山頂は空きはじめ、補給を終わり、本日のメインディッシュ、明神に向けて出発。一般登山者の一人が我々の方に上がってこようとしたので、「一般の人はむこうですよ」と声を掛けた。

12:08、奥明神沢のコル到着。フィックスロープがあった。不思議に思うと、同行者は、春に奥明神沢に来たことがあり、最後が雪でつながっておらず、落石を最初で起こすと、雪上を延々と、その落石が伝っていってしまうのだと教えてくれた。それで補助用にフィックスがあるのだと。たしかに沢のツメで落石を起こすと、後ろはみな危険に晒される。

1年前に登った西穂高沢は南面なのに地面の露出はなく、すべて雪で覆われているので、落石の危険はない。奥明神沢は北面で、雪がもっと残りそうなものなのに、不思議だ。今回も山肌をみると、西穂方面は雪渓がたくさん残っていたが、北面にあたる明神の岳沢側はあまり残っていない。

明神主峰までは、いくつかの無名ピークを越える。そのあたりで、講習会の仲間に会った。こんなところで知り合いに遭うとは!向こうもびっくりしたようだった。誰だろうと頭の中を検索している様子が分かった。道が明瞭か、と聞くと、大丈夫だと言う。

先を急ぐ。明神主峰へは、岩稜帯の明瞭な縦走だった。かなりアルパインな景色、素晴らしい景色だ。同行者の写真を撮る。写真を撮ってあげようと申し出てくれたが、私はポーズをつけるのは苦手なので、遠慮したら、同行者はちょっとがっかりしたみたいだった。以前の同行者で、景色ではなく私をしきりに隠し撮りする人がいて閉口した。私は自分を主役にポーズを付けるのはまったく得意ではない。やはり山では、山が主役だと思う。夫は黙って適当に写真を撮っておいてくれる。なので、誰か分からないくらいに小さく映っているが、その程度でいいと思っている。

縦走路では、トウヤリンドウのつぼみをたくさん見た。ちょっと名前が分からない花もあったが、カメラにメモリカードを入れ忘れて出たので撮りそねた。花が多い山だった。一般道と違い、こちらはザレていて、落石を起こすような人は歩けないなと思う。気を付けていても、落ちることもあるので、先行している同行者の上に落ちない位置関係を配慮しながら歩く。つまり、真上を歩かない、というようなことだ。

主峰到着、12時半。前穂~明神間を1時間半と見積もっていたので、見積もりどおりだ。ここで二人目とすれ違う。単独の若い男性だった。夜に南西尾根を上がってきて、樹林帯が怖くてタイヘンだったそうだ。朝、5峰台地出発、にしては、ゆっくりなペースだと思った。苦労していそうで、何かあげたかったので、お兄さんには、私が拾った真新しい赤い捨て縄を渡した。懸垂で、持てるギアをみな使ってしまったそうだった。後でこのお兄さんの物だと思えるスリングやカラビナを回収した。真新しかったので、よほどの用心をしたのだと思った。パートナーがいれば…ということを言っていたので、女性を見かけて、少し驚いたのかもしれなかった。ギアを回収したので、名刺を渡せば良かったと後で思った。

さて、核心部の2峰に取り掛かる。2峰の基部でギアを装着。同行者がリードはどうかと言う。即座に否定して悪かったナー。残念そうな同行者。だがやっぱり1P目はリーチが遠く、わたしに適したピッチではなかった。セカンドでもカムが遠く、回収が大変だった。

やはり、リーチの遠さは、分析力明晰な男性にも、理解が難しいのだと思う。彼とは、フリーも一緒に行っったので、互いのクライミングの力や弱点は互いに把握しているハズだが、私が実際の身長よりも、背が高く見えるタイプなので、リーチの遠さによる、不利は背の高い相手には見えづらいらしいのだ。大抵の人は、小さくても意外に行けるなーと高評価の方をしてくれるようだ。

ただ同じ10.Aを登っても、手が届かないところでは私は落ちてしまう…。このカムの回収もスラブの上に乗らなくてはならなかったので、回収した後、ロープが弛んでのトラバースなので、冷や汗をかいた。トラバースなので、ロープをタイトにされても困るし、安定したところに乗るまでは自分だけが頼りだ。あとで記録を確認すると、1P目の出だしは背の低い女性にはツラそうと書いてあった。

というわけで、1Pめの出だし以外はそのピッチは問題なく到着。2P目は見たところ、問題なく行けそうだったので、リード交代。1ピン目は古いハーケンに残置スリングがあり、ビナだけ掛け、2ピン目はカムを入れ、スリングで距離を出して流れをよくしておいた。それでランニングは終わり、終了点は大きなピナクルだったので、メインロープを直接まわしかけて、セカンドを確保。自分のセルフは隣にも取った。回収のセカンドには先に安定した山頂に登ってもらった。

このようにして無事、2峰終了。ロープを畳んだところで、14時だった。

そこからは、3峰、4峰は、岳沢側を巻き、いくつかありそうなパターンの中で、まぁ安全では、と思える踏み跡をたどった。

三つ峠ではコケが生えている岩は滑るので避けるが、ここではコケが生えている=動かない岩という訳で、コケが生えている岩のほうが安心だった。

浮いている石を踏むことはなく、非常に薄いがよく見ればトレースがあった。ハイ松の中の場合は、切れ目ができており、ハイ松を踏まねば進めなかった真砂尾根とは違った。

ところどころ一般登山道化されているように感じられ、明瞭な部分と不明瞭な部分の落差が大きかった。稜線は明瞭だが、トラバースの岩稜は基本的に不明瞭で、岩稜の間に土が露出していれば、踏まれたと分かる。

そう言う感じで進んだ中では、5峰の下りで、台地までが一番不明瞭だった。登りなら明瞭とも思えなかった。まぁ下りは目標地点が見えているので、歩きにくいか歩きやすいかの差があるだけで、到達できない、ということはない。

ここは違うだろうなぁというところも進んだが、それは最小限に抑えられたと思う。しかし、一体本当はどこだったのだろう…赤い石のガレは、ラクを起こさずに歩くのは到底不可能に思え、ハイ松に逃げたくなるのは当然だったが、ハイ松の中にも道があるとは言い難かった。幸いハイ松を踏むのは、ほんの1、2分で済んだけれども、ハイ松の藪漕ぎになると、だいぶ体力を消耗してしまう。

私の中では、シャクナゲ>ハイ松>背丈の笹藪>ひざ丈の笹>茅という、藪山ブッシュの藪漕ぎグレードになっていて、先日も西破風山での藪こぎでは、うまくハイ松とシャクナゲを避けれたことが達成感につながった。それらは基本的に障害物=、避けるべきもので、ヤル気を出して突進して行く対象ではないのだった。

5峰台地には、15時半到着で、2峰~5峰が1時間半とこれも大体想定通りだった。とはいえ、全行程では、10時間行動になり、腹8分目というより9分目。5峰台地には、テント泊の跡が、いくつかあり、もっとも風を避けることができそうなコルを選んだ。コッヘルの風よけに石がすでに積まれていた。風が強く飛ばされないように気を付けながら設営。同行者はザックが大きかったのでテントの外に出し、アルミシートを掛けておいた。濡れても困らないものは出した。

テントを張ったら、コーヒーを沸かして一息つき、後は昼寝をして過ごすことにした。6時半ころまでお昼寝。夕食は、互いにラーメンなど、同行者はビール1缶を、私は日本酒1合を担ぎ上げていた。ナッツやフライビーンズ、海苔、牛タンでちびちびやりながら、夕食。白いご飯をまずは戻し、残りでラーメンを作り、間はお酒を飲んで過ごす。

夜も8時を過ぎる前に就寝準備、完了。さっさと横になって明日に備える。明日は降りるだけとはいえ、雨の中の下りになる予定だし、山では常に体力温存だ。同行者のシュラフは私がいつも夏山で使っているモンベルNo3の羽毛バージョンで、だいぶコンパクトなサイズだった。私の方は今回も盛夏だし、シュラフは省略し、ダウンパンツとダウンの他はシュラフカバーだけ。ザックに足を入れて寝た。レインウェアはズボンだけ履いたが、明け方の3時頃は上も寒く上も着ておけば…と思ったが、面倒で我慢して過ごせた。我慢できるくらいなので要らなかったということだ。

夜は星空を期待したが、あいにく雨。夜中はテントをたたく風が時折強く、雨も降った。眼下には、松本や遠くの日本海側の街の光が見えた。

朝は4:48起床、二人なので支度は早く、朝食は残りのご飯に味噌汁を掛け、流し込みで済ませた。水はちょうどそれぞれに下山に必要な分の残りで、きっちり消化。

6:04出発。雨はひどいことはないが、視界があまり良くない。幸い道は明瞭で、5峰の下りのように不明瞭でどうしようかと迷うことはなかったが、石が滑る。普通、登山道では、岩の上に足を置いて飛び石にした方が早い。ところがこの南西尾根では岩が、とても滑るので、土の上に足を置くのだが、粘土質で滑る。木の根も滑る。というわけで、サイドの立木をホールドに掴みながら、慎重にしゃがんで下る。普段、普通に歩くようなところも、腰を落としてしゃがみながら降りた。膝に来る道だ。

途中で、痩せたリッジに出るのだが、そこはフィックスが張られている。トラロープ。そのフィックスがないと、懸垂下降になるだろうし、そのリッジから下は、立木で視界を遮られているが、落ちたら一巻の終わり。ここを夜に登ってきたなんてエライな~と思った。同行者が目につく範囲で、20~30m後を行く。途中、分岐の踏み跡があり、私は直登側を選んだので、先行している同行者が同じかどうかの確認に声を掛けた。

今年、涸沢岳西尾根の樹林帯で、知人が滑落死したが、それはこれと似た場所なのだろうか…と想像したりした。

1時間で標高差500mを下っていたので、雨で慎重に下っているにしては悪くないペースだった。ゆっくりしても仕方のない場所だし、下りは登りよりカロリーは使わない。ただ神経を使う。

休憩なしでどんどん降りると、どんどん安心できる領域に帰ってきていた。途中尾根の分岐が一か所あり、踏み跡を外したので、とりあえず戻って、正規の道に戻る。尾根が広くなっているところは、踏み跡も、たくさんどこにでもついており、どうにでも歩けた。正解が一つしかないと信じている、踏み跡依存症だと、歩くところに迷うだろう。

ルートファインディングは登りより下りの方が難しい。とはいえ、尾根自体は分かりやすいので、適当に拾って降りる。途中こけたり滑ったりもなく、歩きづらい雨の中だったが、2時間で南西尾根終了。

岳沢の一般登山道との合流点でちょっと休憩した。もう安全圏で、ここまでくれば、終わったも同然だからだ。8:00だった。

河童橋までは、一般道ってこんなにも歩きやすかったんだ~と実感しながら歩き、30分。河童橋前の売店で、ソフトクリームを食べた。雨でぬれていたので、ソフトクリームで一気に冷えてしまった。しまった。今日はアップルパイとコーヒーにしておくべきだった。

アイスクリームをほおばっている人が前に二人いて、ちょうど下山したところらしかったので、タクシーの相乗りはどうか、と聞いてみたが、ダメで残念だった。来るときタクシーだったので、バスよりタクシーに乗りたいのだったが、バスターミナル付近では、相乗りの相手が見つからず、結局9:10のバスに乗って戻った。

帰りは、温泉がこの時間でやっているかどうか?が核心?だった(笑)。同行者がすぐ調べてくれ、10時開店。というわけで、足湯に浸かって10時の開店を待つ。開店直後に温泉に駆け込んだ。大した雨ではないのに、衣類が濡れており、不快だったから、早くサッパリしたかった。

温泉は、開店直後だけに女湯は一人だけ。男湯はもう一人二人いたようだ。さっと温まって、サッパリして上がり、温泉卵と牛乳を飲んだ。

さわんどはいつも思うが良い温泉がない。みんなはどうしているのだろう?坂巻温泉もいつも空いているし…。

使った温泉は梓湖畔の湯だったが、附属の駐車場を使えば、100円オフだということだが、一泊二日で駐車場を占領されては他に温泉に入りたいお客さんのほうの駐車場が足りなくなって困ったりはしないのだろうか?

帰りは、二人とも温泉で復活していて、元気になり、同行者が双葉ICまで、ほぼ9割を運転してくれた。運転は、私はキライではないが、人を乗せていると自動的に、人優先モードに入るため、疲れる。自分一人なら運転優先モードで気楽に歌いながら運転している。

甲府へは12時半には着き、サクッと登ってさくっと降りた、という、ゆとりを残した山となった。

今日はテントを洗ってほしたりと明日の山の準備をしながら記録を書いている。


初冬の足慣らし

1)メンバー: 2名(男・女)
2)場所: 八ヶ岳ライトアルパイン
3)目的: 冬のアイゼン慣らし・小滝その他、凍結具合の偵察
4)計画: 前夜泊日帰り

5)報告

■ プランニング 

12月1日は大同心稜へ行った。この日は、晴れの予報で、山が呼んでいる!と思われた。

Kimiさんが撮ってくれた写真
アルパインを始め、1~2年目というような、ちょうど段階が似ている友人がいる。二日間の平日休みが珍しく取れたそうだ。一日はゲレンデで岩をするとして、さて問題は、二日目だ。

岩登りは2日連続でやると、とても体の動きが良くなる。でも同行者は一日は歩きたいらしい。

もう冬に入り、岩ではなくアイスのシーズンインだし、もっともなことだ。私も冬に向けて少し歩いておきたい。新しいダブルブーツを買ったので、慣らしておく必要もあった。

どこか長めのルートはないか?11月、八ヶ岳はグランドが中途半端でとても悪い。12月1日と言うあたりもあまりアイゼンサクサクではないのは分かってはいたが、11月のつるつるが標高が下の部分だけになるのは知っていた。

以前11月末に阿弥陀中央稜へ師匠と行ったことがあり、その復習山行がまだ、だ。

なので、中央稜を提案してみた。ここは私はロングな足慣らし用のルートとして毎年使いたいなと思っているルートだ。易しいルートだが、1ピッチロープを出すので、相手がいないと行けない。

彼は赤岳主稜へ行きたいそうだったが、赤岳主稜は、中級クラス。まだ初心者同士では行けない。

それにロープが終始必要、ということは、滑落の危険が常にあり、雪が少ない時期=ピッケルを持っていても、滑落停止などできない時期に行くべき場所とも思えない。

それで大同心稜はどうかと提案してみた。

まぁ大同心稜にしても、稜線近くの岩稜帯で、ピッケルが意味がないのは同じことなのだが・・・ただ滑落停止が意味がないことでハラハラさせられる時間は、主稜と比べて、少ないだろうことは言えた。ロープは出さない前提のルートだからだ。つまり普通に歩けて登れる人には、滑落を心配する必要はないルート。

それに阿弥陀中央稜にしてしまうと、広河原沢の偵察はできるが、南沢小滝の偵察はできない。大同心稜は、小同心クラックや裏同心のアプローチなので、偵察にちょうど良い。

赤岳西面にしたのは、簡易宿泊所がある点も便利だった。前夜泊のためにテントを張ると面倒が増えるからだ。

計画は、前夜泊、6時美濃戸口 8時鉱泉 10時トップアウト 14時行者小屋(または鉱泉)、16時美濃戸口、とした。

進行具合を見て、硫黄へ抜けるか、赤岳方面に縦走するか、選べばよい。

■ 八ヶ岳山荘

夫の帰りが9時ごろだったので、甲府を9時過ぎに出て、10:30頃、美濃戸口の八ヶ岳山荘に着いたら、ガラーンとしていた。

新しいカフェが建設されていてびっくりした。簡易宿泊所は、簡易とはとても思えない立派なベッドが備え付けてあり、布団まであった。中には誰もおらず、我々だけだった。

早速、各自一杯やって就寝。朝は5時起き、6時出発。朝ごはんを食べていたら、出発は少し遅れ、美濃戸へ車を回し、6:37だった。美濃戸口から美濃戸までの林道は、まったく無雪期と同じで、スタッドレスを履いていなかったので、セーフ。

美濃戸で駐車料金を払う時、おばちゃんを大声で呼ぶと、寝ぼけ眼のおばちゃんが出てきた。おばちゃんはいつもあまり愛想がよくないが、呼ばれても怒らないのが意外だった。駐車料金1000円を払う。駐車場はガラガラだったし、まだ冬山には早いのだった。それに今日は平日だ。

■ 北沢コースを1時間半で

鉱泉へは北沢コースを行く。ずっと林道。同行者には、私の別の仲間の話をしたせいか、歩きがとても早い。相手のトレーニングもあるし、適当に先に行ってもらう。

歩き出しはいつもゆっくり暖機運転をしている。同行者のペースが速いと言っても、びっくりするような速さでもないと思ったが、トレーニング目的なので、それぞれ各自のペースの方が良いので、自分のペースを守りつつ、同行者には先に鉱泉に行ってもらう。

私自身の足で、6:37スタート8:00鉱泉着だった。別に早くもないが遅くもない、と言うところだろう。標準コースタイムは2時間。

■ 大同心稜

そこから普通に登山道を行くと一つ目の沢に出る。大同心沢だ。ここはジョウゴ沢への入り口と同じなので、前にも来ている。同行者は大同心稜は2度目なので、先へ行ってもらう。

硫黄岳方面 ジョウゴ沢は見えない

大同心稜は半分は普通の尾根だ。樹林帯を出るくらいから、一歩がとても大きくなる。

硫黄岳方面を見ると、間にはもう一本尾根があり、ジョウゴ沢からは大同心稜は見えないことが分かる。稜線を詰める距離もジョウゴ沢の方がだいぶ長い。つまりそれだけ大同心稜の方が急だということになる。

樹林帯を出る前にハーネス、ヘルメット、アイゼン装着。1本取る。



そこからは、岩稜に入るが、おおむね三級で、急だが、難しくはない。めまいでも起こさない限り、落ちることはないだろう、という斜面だが、明らかに一般ルートにはない斜度だ。沢には良く出てくる程度の傾斜。

傾斜のきつさ・・・これが一般ルートとバリエーションルートのひとつの大きな違いだと思う。

もちろん、バリエーションルートは、地図読みが必要なルートでもあるが、名前が付いているようなルートには踏み跡があるので、地図読みと言うのは実は有名ルートではほとんどいらない。

大同心稜もしっかりした踏み跡が付いていた。

残る違いは傾斜のきつさだ。

傾斜きつければきついほど、剥がされやすくなるわけで、剥がされる傾斜になると、ロープを出すことになる。

三つ峠は段々が出来ているがロープを出さないと登れない。

大同心稜はロープをギリギリ出さないで登るレベルだったが、しりもちをつくような人だと出さないと行けなくなる。

核心部は、稜線に抜ける手前のほんの一瞬だったが、凹角をステミングで上がる。

アイゼンを履いていると、しっかり効いているか怪しいところだ。

私は超えるとき、ザックの重さが不安になり、ザックを外して先に上げてもらった。

すでに取り付いていたから、片手でザックを外す。ちょっとの馬力で行けそうだったが、万が一落ちたら下まで落ちれてしまう。万が一を取らない方針でいるに越したことはない。


ここは、クライミングの慣れや体幹の強さなど、人によっては、お助けを出しておいた方が保険があると思った。

出した方が良いだろうなという人の顔が浮かんだ。

その上はまた普通に歩け、稜線に抜けて、10時だった。2時間でトップアウト。

ジョウゴ沢の時は、稜線に抜けるのに、鉱泉出発9:50で、11:30トップアウトと少しジョウゴ沢の方が早かったようだ。

距離はジョウゴ沢の方があるのだが。

相方は大同心南壁などの野心ももっているようだった。

私は、まずは自分で前穂北尾根が確実に登れるようになることを目指そうと思う。







大同心の頭へ向かう
























■ 縦走路

まだ時間が早かったので、大同心の頭に立ち寄る。

大同心の頭で、相方がロープを持ちましょうと言ってくれる。素直にロープを出す。

重さのせいでバテているのではない気がするが、ゆとりのある方がゆとりを歩荷に回すのが理にかなっている。


今回は空気が薄く感じた。

帰ったら生理が始まったのでヘモグロビンが少なくなっていたのだろうか?

単純にオーバーペースだっただけだろうか?

その辺は個人課題として確かめておかなくてはならない。人にはそれぞれ快適ペースというペースがあるのだ。

横岳方面への縦走路は快適だった。小さいアップダウンが続くほうが呼吸が楽になる。三叉峰で、杣添尾根を見る。今年無雪期に花を見にこようと思っていて来なかったところだ。

杣添え尾根
奥ノ院、石尊峰、鉾岳、日ノ岳、二十三夜峰、この縦走路は梯子が多かった。

石尊峰、鉾岳で、諏訪側へ行くとトレースが消えていた。少し戻って、野辺山側を見ると梯子が隠れていた。

ここは遭難があったことで知られているので、なるほどと思った。同行者は先を行っていて、わたしから見えないので、ちょうど単独のような気分で稜線を歩け気分が良かった。

足の速さはそれぞれだが、10分20分なら、先に行ってもらって、ポイントポイントで待っていてもらうようなのも良いかもしれないな~と思ったりした。地蔵の頭で、11時30分。赤岳の急な登りを眺める。

登りはコースタイムで40分だが、文三郎道の下りは、1時間30分。あと2時間10分だと13:40で、14時行者小屋は可能だ。

16時美濃戸も可能で、17~18時には甲府に着けそうだったが、稜線トップアウトの時決めた通り、同行者は地蔵尾根を下り始めた。安全を見ているので安心感がある。


地蔵尾根はまた階段が増えていた。鉄パイプの手すりは滑りやすく、あまり補助にならないので慎重に降りたが、30分ほどで行者小屋についてしまう。下りはあまり体力はイラナイ。

これだと、文三郎道で降りても大丈夫だったかな・・・と少しよぎるが、まだ小滝の偵察があるので、ゆとりはありがたいもの。


行者小屋で30分ほどランチ休憩し、1時前に、出発する。小滝は、全然凍結していなかった。南沢も少し、ルートが変更になっていたようだった。最初は飛ばしたが、あとの方は、時間も余っているのでのんびり行く。


■ 冬壁

全体にかなりペースを速めて歩いたが、同行者にベテランの話をしたからかもしれない(笑)。

知り合いに冬壁をしたがっている人がいるが、私は冬壁はたぶん実力に満たないと思う。

冬壁は、ザ・山男の世界だ。でも急いでザ・山男になると、何でもないところで落ちて死んでしまう。

私の講習会仲間だった人は、西穂奥穂の稜線では落ちなかったのに、涸沢岳西尾根で落ちて死んでしまった。36歳、身重の奥さんがいた人だ。

野田勝さんという山野井さんのパートナーさえ務めたホープがいたが、鹿島槍の東尾根のなんでもないところで落ちて亡くなってしまった。

その後に山野井さんが書いた『アルピニズムと死』を読んだ。

というわけで、長期熟成が良いと思っている。山では急いではならないのだ。

それに、私は雪稜は好きだが、壁にはあまり適性がないみたいなんだなぁ・・・。

「クライミングは今からだね」と皆に言われている。確かに・・・。

今、リードできるの、せいぜい5.10Aだもんなぁ・・・。それもすべての5.10Aが登れるわけではなく、全然ムーブが浮かびさえしない課題もある。むしろ、登れる5.10Aはラッキー、お得~という感じだ。


まぁ登攀については同行者の方が少し登れる5.10Aが多いが、リーチの差を考えると、実力の差ではなく、体格の差かもしれない。

同じことで、体力の面でも、同行者の方が少し早いが、男性と女性で、小柄な方が同じ速さで歩けるのであれば、小さいほうが能力的には上と言うことになるだろう。

かと言って、自分より登れず、自分より歩けない男性と組みたい女性がいるか?というと、いないかもしれない。

そんなことを考えつつ、同行者には計画を縮小させて悪かったが、相手の方が上でホッとした。これが逆だと、かなり気まずいことになるのは違いない・・・。

それにしても、今回は空気が薄かった・・・普通に横岳赤岳を歩いて、自分のペースを確認しておかなくては。




横岳はまだ縦走路の中で歩いていない場所だった。2年前は赤岳が足慣らしの山になった。今年は横岳だ。まだ一般縦走路。

このペースで行くと来年は中央稜へステップアップできるだろうか?

この山域では、1月の初めに峰の松目沢のアイス、2月の雪が深いときに、御小屋尾根でラッセル山行をしておきたいなと思っている。

山は、山煩悩化せず、きた山に登るのが大事だと思うようになった。

向こうから山はやってくる。

その時、十分準備が出来ている登山者でいることが大事なことだと思うようになった。

≪関連記録≫
南沢小滝の偵察
ジョウゴ沢
広河原沢左俣
阿弥陀中央稜
赤岳
無雪期赤岳
1回目の赤岳

≪今回の費用のまとめ≫
八ヶ岳山荘 簡易宿泊所 2000円
朝の缶コーヒー 150円
駐車料金 1000円
コンビニ 1200円
高速 片道 960円
交通費 およそ2000円

立山 真砂尾根

■剣を展望する尾根

御坂山岳会の2度目の春山合宿は、立山の真砂尾根。先輩はさすがだな~と思える選択だ。ある岳人の心はどこに連れて行ってくれるか?に単純に表れる。Kさんのルート選択はいつも玄人らしさが表れている。1回目は鹿島槍鎌尾根。2回目は前穂北尾根。

真砂尾根からは剣岳が目の前に見える。

私は岩稜にはあまり興味がない登山者だった。興味があるのは雪稜。無雪期は基本的に空中散歩のような長い稜線歩きだ。それで剣や槍穂には、ほとんど興味なしで過ごしたが、残雪期に今のスキルで歩けそうなルートの候補に源次郎尾根は当然の選択として入ってはいた。GW直後限定でだ。

源次郎尾根は海外登山へのパスポートとなるベンチマークとなるルートだ。機会があれば行っておいても損はない。ただ剣は条例で5月20日までは冬山扱いで、経験者の同行がない計画は却下されるうえ、20日以上前に計画を提出しないといけない。私は高所登山はあまり興味がないので、色気をあまり出しているわけではない。ただ海外志向のある人には魅力なのだろう、という思いはあった。

真砂尾根に行けば源次郎尾根の偵察になるなとは思っていたが、行って見ると今年は雪が少なく源次郎尾根はあまり快適そうではなかった。登っている人もいなかった。

■ 調べすぎないでいく

今回の合宿のルートは、黒部ダム湖から内蔵助平を経て真砂尾根、立山三山から、雄山東尾根。この計画で、もっとも困難なのは、初日の黒部川遡行から内蔵助沢に入るまでだと思っていたので、初日のルートに関しては結構調べてから行ったが、真砂尾根そのものはあまり心配しておらず、調べなかった。調べすぎると面白くないからだ。尾根の登りだから明瞭だし。

最終日の立山三山は一般道だから調べていない。雄山東尾根は不安は終了点だった。危険個所がないかくらいは調べたが、出てきたのは、雪洞泊の記録だった。もう少し早い時期。私は雪洞泊をしたいと思って、今回は装備の中にツエルト代わりにグランドシートを入れているが、見たところ無用の長物に終わりそうだった。

■黒部川

初日は黒部ダム湖を出た瞬間から、急な下りだった。黒部川沿いには夏道があるが、当然、出ていない。そもそも夏でも使う人は少ないルートのようだ。ただ渓流沿いの道というものは、川の流れ通りに進めばよいだけのことなので、大きな意味でのルートファインディングが難しいことはない。

ここは、谷をただ下れば、下にもう川が見えている。後ろから来た単独の登山者が追い越して行った。我々はなんとなしに気乗りしない感じで、だらだらとしていた。内蔵助平まで3時間なので焦らなくても良い。先行者の様子をうかがいがてら、ゆっくり支度する。

急な斜面を踵を出してキックステップで降り、谷底に出ると、水量はすくなかった。壊れた橋があったが、水深10cmくらいだったので、私は普通に徒渉。皆は壊れた橋を利用。靴の中までは浸水はしないので問題はなかった。今年は徒渉が多い。その川底の橋を渡ったところで、引き返してきた男性登山者2名に会う。内蔵助沢との合流点で黒部川が水量が多くて渡れなかったと言っていた。ちょっと不安な情報だが、そのまま進む。女性が混じっているから、心配して忠告してくれたのかもしれない。

しばらく行くと、川が屈曲し、左手側には滝が見えてきた。空は快晴で、大タテガビン方面は切り立っている。おおむね左岸の雪の上を歩く。踏み抜いても、地面だろうと思えるところを選ぶ。雪渓の中心など薄いところや、融雪してしまったところの際など弱い部分を避ける。基本的には先行者のトレースがあった。休憩を2回。

内蔵助沢の出会いは、難所だった。左岸のままだと、かなり片方が切れたトラバースになる。ちょっとロープ無しに行く気がしない。先行者がピッケルなしで行こうとしていたがもどってきていた。ちょっとずるいが、その様子を見てから、ルートを決める。

一部右岸へ雪渓の上を渡って、解け残った雪の間を通って再度左岸へ。あの雪が解けたら、徒渉になるだろうが、うまい具合にずっと日陰のようで、渡れる状態だった。

内蔵助沢に入ると、雪渓が盛大に壊れ、巨岩の隙間に水を勢いよくしぶきをあげて流れていた。水量はむしろ黒部川より多く見えた。川幅が狭くなったこともあるだろう。出会いのところは迫力だった。ここまで来たら、遡上するだけ。読図はそう気にする必要はない。

しかし、なぜか雪渓の割れ目をビビりすぎて、だいぶ右岸を上がりすぎてしまう。川の真ん中にある雪渓の割れ目を避けたいのは分かるのだが、どんどん標高をあげて上がってしまい、墜落リスクを感じた。

去年GWに西穂高沢で、冷えたルンゼを駆けあがり、日が高くなり雪が溶けた頃合いに滑り降りるという山をやったが、その時は同じような傾斜でも上り詰めるのだったが、今回は同じくらい傾斜があるのに、トラバースで落ちれば、悲惨な結末が見えていた。休憩時に不安を訴える。沢のへつりでつい上がりすぎてしまうのと似ていた。

上がりすぎを解消しつつ下り気味に右岸を行く。滑落が怖い。滑落の危険がなくなったころに、向こうから男性登山者が降りてきた。うれしくなり手を振ったら、先輩に「手を振らなくていい」と言われる。救助要請かと思われるのだそうだ(笑)へぇ~。

私は一般道では、仏頂面を作ることにしているが、こういうVルートで出会う人には、みなニコニコすることにしている。もしかして救助してもらうことになるかもしれないんだし。おじさんは予想通り良い人だった。日焼け止めで変な具合に顔が真っ白になっていた。おじさんによるとずっとトレースがあるという。一度、左岸の支流に乗ったらそのまま戻らないで歩いて行けば内蔵助平に着くのだそうだ。私はよく分からなかったが、別に心配せずトレースをたどった。Kさんは後でその支流についてから意味が分かったと言っていた。

その支流の登りは私が先頭だった。上り詰めると内蔵助平の素晴らしい景色が待っていた。一本入れたいところだ。ところが先輩たちは一本入れたいと言っているのに行ってしまう。さっきまでは必要がないほど頻繁に休憩が入っていた。ところどころに針葉樹の生える雪の平原は真っ白でまぶしかった。日焼けを避けるネックゲイターを出す。

しばらく行って一本取ろうと言うことになったが、私は日陰があるところまで歩きたいと思った。こんな強い日差しに囲まれていたら、すぐに紫外線で疲れてしまう。少し先に疎林が見えていたのだが「日陰なんてないよ」とそっけない。この反応にもガッカリ。

あとはハシゴ段乗越へ上がるだけだが、先行者の小さな黒い姿が見えており、特段ルートファインディングに悩むことはない。ただ上がるだけ。途中、嫌味な感じにラッセル交代を言われる。この登りはだらだらしているだけで、特段すごいラッセルが必要なわけではない。午後になって雪が緩いだけだ。それでも、嫌味を言われたので、先頭を交代する。川俣尾根を思い出す。「もう交代してもいいよ」と言われたが、別に疲れてもいないので「いいですよ」と返事をする。

ハシゴ段乗越で休憩。その後少し標高をあげて、展望が良いところで幕営。まだだいぶ明るかった。翌日の行程が長かったので、もう少し先まで行ってから幕営した方が良かったかもしれない。初日はゆとりがあった。

■ ロープ

今回のルートのハイライトは、何と言っても予想以上の雪の無さでハイ松と岩稜を行った二日目。くたびれたが面白かった。

単純な雪稜だと歩くだけなので、考える必要がない。どういう場合にロープを出すべきなのか?という判断を学べた。

雪割れが多く、左右の傾斜がきつかったが、登りの勾配はそうなかった。雪は安定していて滑落のリスクは感じられなかった。あるとすればブロックの崩壊だ。なのでロープは前進のためではなく、そうした偶発的な事故から身を守るためのロープだった。ロープがなければ前進できない箇所は一か所もなかったが、そのためにロープを出した。岩とハイ松のミックス帯は遠目にみると、難しそうに見えたが、近づくと不安な個所はほとんどなかった。

真砂岳と言えば、去年の初冬の雪崩事故を皆が思い浮かべるだろうし、全層雪崩の時期でもあり、大きな雪割れがある。が、誰もビーコンを持って行こう!とは言わない。当会の3月のビーコン講習って超意味がないよな~。誰もビーコンもっていないのだもの。それより、12月に富士山で雪上歩行をした方が、会の実情に合っている。雪崩が起るようなところには最初から行かない会なのだから。

先輩のKさんとの会話で、いつも面白いことがある。去年の鹿島槍鎌尾根では、「え~、これスタンディングアックスビレイの練習ですか?」「いや本番!!」。前穂北尾根、「(セカンドのK村さんに)K村さんセカンド少し張ってみて~」。Kさん、「これ本番だから!!」。今回の真砂尾根では、ハイ松と岩のミックス帯に嫌気が差し、「え~これってアイゼントレ?」と愚痴ると「いや本番!!」いつもKさんは、「これが本番だ~!」と叫んでいる(笑)。

つまり私にとっては、”練習”に感じられるような場所で、いつも本番ナノダ。つまり、それくらい安全のマージンを一杯取ってもらって、連れて行ってもらっているということで、大感謝している。おかげで死の危険を感じたことはない。

■ 出会い

今回面白かったのは、内蔵助山荘での出会い。

真砂尾根終了点は小屋がある。9時間歩いて、みんなヘロヘロ。みると小屋の人が見えた。マズイ!隠れろ!!とは思ったのだが、疲れて伸びている我々。誰かが「小屋にビールないかな~」とつぶやく。小屋が開いていないのは知っていた。

でも、このままコソコソして、小屋の人に「ちっ!」と舌打ちされるのも面白くない。それで「ちょっと挨拶してきてもいいですか?」と偵察隊に志願した。

小屋の人は、二人いて、いい人だった。「山岳会?幕営?真砂尾根上がってきたの?そうか~、しかたないな~。小屋のトイレ使ってよ。山を汚さないようにね!」とのこと。恐る恐るビールのことを聞くと「あるよ」。この情報を持って帰ると、場の空気が「でかした!」と言っていた。

しかし、そのビールは小屋の人が担ぎ上げたものを分けてくれるらしい…。それではビールを取り上げてしまって悪い、ということで、担ぎ上げたお酒の肴を持って、”分け前にあずかりに”全員で小屋前に行った。押しかけ宴会だ(笑)。小屋の方は「天候が悪いときに助けを求めてきた山岳会はいたけど、こんな晴れの日に来た会は初めてだよ~」ホントに!

それにしても暑い春山で、ビールの誘惑が抗しがたかった。歩いた距離はそうない。ただロープを出していたら、時間がかかったので、それで疲れてしまったのだ。山って、長い間、戸外にいるだけで結構疲れるものだ。

今回は、先輩たちは軽量化で、お酒もおつまみも省略したみたいだった。若手のM野さんも緊張が続くリードでお疲れの様子。今日は雄山まで行く予定だったが、ビール、と聞いたとたんに、誰も異議なく、内蔵助山荘で幕営決定だった。それで、今夜のサバ缶、キャベツの塩漬け、新玉ねぎとわかめのサラダ、N澤さんが持ってきてくれたコケモモのお酒を持っていった。ビールは一人2缶!KさんもN澤さんも楽しそう。みんなすっかり赤ら顔だった。

私はちょっと遭難救助の経験がある先輩たちに連れられていることが鼻が高い気がした。1シーズンいた小屋では一番話が合ったのは遭対協の人だった。滑落事故が多い小屋だったので、夏の間は彼らが詰めていた。

稜線の小屋には、ホントに無謀と言えるような登山者が大勢来る。一例として、私が小屋入りした4日後に、37人パーティのツアーが支配人の制止を押して大雨の中、4時に出発、5時に滑落事故を起こし、女性一人死亡、男性一名重症。ヘリは当然飛ばないので、救助隊が麓から一般コースタイム6時間の道を3時間で駆け上がってきて、男性を担ぎ降ろした。

ひと夏そんなのばかり。私のことはオジサン登山者は居酒屋のねえちゃんと間違えていたと思う。

小屋の方の一人、T谷さんは山梨でブドウ畑をやっている友人がいらっしゃり、ご自身がフリーのクライマーでもあるようだった。剣八ッ峰経験者で、11時下山になった話などしてくださった。小屋の支配人の佐伯さんは、佐伯姓ということで、山と生きることを運命づけられた方。改築したてのこぎれいで快適な小屋はリピーターが多い小屋だそうだ。次回は夫と再訪したいと思った。

初めての立山でそんな面白い思い出が出来て良かった。立山は観光地化された山岳地帯だ。私は観光地が好きではない。それで警戒していた。これが普通の一観光登山者として立山に行っていたら、わたしのことだもの、立山が嫌いになったかもしれない。

■ 下山日

3日目は早朝の良い時間帯に立山三山の稜線でうっとり逍遥した。びっくりするような雪庇が出来ていた。下山は、雪がないと言う理由で雄山東尾根を辞め、山崎カールを下った。

山崎カールについては知らなかったが、うまいルート取りができたと思う。こういう雪渓を降りるときは一番のリスクは、上から何かが降ってくることだ。それを知ってか、先輩たちは後ろ(笑)。

そのまま、室堂に下ると、まだ午前中の早い時間帯だった。1万円近くと少々高い乗り物代を払って、観光客気分を満喫し、11時半には扇沢着。

雪が緩んで、滑りやすい時間帯に、疲れが溜まった二日後の下山で、急なことが多い尾根の末端にいるような、素人っぽい登山でないのが御坂山岳会の売りだと思う。

山岳会に入るとき、私は山梨県下すべての会を検討し、6つの会を打診し、2つに入会した。一つはザイルパートナーが所属していたから入っただけの会だった。現在は退会している。

とんでもない危なっかしい技術で、北岳バットレス四尾根に行かないといけない羽目に陥りそうだった。御坂山岳会の良い所は、そのような青臭いところがないところだ。大人は予想できるフォーストビバークはしません。

■ ペース

課題としてはペース。男性の登りペースは速く、しかも休憩が長い。背の高い人の歩幅は、小柄なわたしには大きく、登りは、オーバーペースに陥っていた。休憩が長いと、体がリセットされ、悪循環。ペース合わせは課題だ。

逆に下りは、若さの勝利かもしれない。山崎カールの下りでは、つらい人もいたのかもしれない。私には自己申告されるまで分からないが、足の不調があったようだ。私は登山を初めて間がないので、”新中古車”と呼ばれている(笑)。酷使される関節類が、ガクガクした経験はまだない。

登りはコースタイムと同じか、早くても8割くらいだが、下りはコースタイムの半分くらいまで短縮しようと思えば出来る。登りは体力、下りは技術というわけで、体力の衰えつつある、中高年登山者らしいプロフィールといったところ。

体力は40代平均で別に強くも弱くもない。が、40代が当会では若手の部類に入るという、相対的な理由で、40代平均が”強い”に入ってしまったらどうしよう…と不安になる。

今回の春山合宿には土産話ができた。後日、都岳連の岩場のレスキュー講座に申し込んだら、なんと小屋で会ったT谷さんと再会。来月にも一緒にレスキュー講座に参加する予定だ。

■ データ

2015年4月30日(木)~5月2日(土)
参加者:4名 (内女性1)
山行タイプ:春山合宿 テント泊縦走 雪稜
行程: 
4/30 黒部ダム(8:10)→黒部川(8:25)→内蔵助沢出合(9:33-9:46)→丸山東壁下(10:35-10:45)→内蔵助平ハシゴ谷寄り(12:38-13:08)→ハシゴ谷乗越(14:22-14:48)→2080m地点(15:00)
5/1 2080m地点(5:15)→2220m地点(5:55-6:05)→2310m地点(6:40)→2390m地点(7:15-7:38)→2500m地点(10:20-10:36)→2584ピーク(11:35-11:55)→内蔵助山荘(14:27)
5/2 内蔵助山荘(5:15)→真砂岳(5:29)→大汝山(6:31-7:00)→雄山(7:20-7:44)→室堂(9:28)

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よくあるけれど、危険な沢山行

■ ヒル

丹沢早戸川本間沢は先輩がヒルにひるんでいたそうだ。私には丹沢は全般になじみがないが、以前1月に本間の頭までバリエーションルートを雪稜を地図読みで歩いたことがある。その時は霧氷がとてもきれいだった。

本間沢は南進するから北面の沢。地図で見るとゴルジュ。屈曲は3つだった。滝は大体沢の屈曲部にあることが多い。地形図にトポを手書きで写しながら、沢をイメージする…。南進する沢ということは、日当たりは弱いだろう。ゴルジュということは、暗い沢だろう。明日は雨のち曇り。…ということは、寒いだろう、と予測し、寒い日用の沢ウエアにして行った。ファイントラックのアクティブスキンメッシュに、ラッシュガードの上下。その上に登山ズボンと山シャツ。足ごしらえは、沢靴にすね当て。

ヒル対策は、手首はテーピングで覆い、襟元は手ぬぐいでガード。さらに虫除けネットを被った。さらに、登山口で山ビルファイターを噴射してもらった。20%食塩水を持参した。寒さ対策にサーモスにコーヒーを入れて行った。

失敗は、救急セット(医薬品以外にも針金や火の道具)を忘れたこと。それでリーダーに登山口で忘れたことを申告。沢では怪我が多いし、怪我になった場合、ビバークになってしまうことも多い。まさかの時の備えがないのは、不安要素を増やす。装備表に書いていなくても、いつもツエルトは持参している(普段の山でも)。

行って見ると、駐車場から降り立つ前に、すでにヒルがいた…。先輩はすでにワーワー言っている。すごくヒルが嫌いらしい。まぁ好きな人はいないけど。ヒルは麓のほうで多く、枯葉の上などがヤバいらしい。先頭ではなく、3番目が喰われやすいのだそうだ。痛くなくて、出血が止まらないのだそうだ。

■ 遡行

遡行してみると、直登が多い沢で初心者も大満足、というガイドブックのふれこみは、なるほど、と言う感じだった。易しい滝の直登が続く。シャワークライミングで、ずぶぬれで楽しい。暗く寒い日だったので、寒がっている人もいた。

核心部のゴルジュF9で、15mほどのトイ状滝が出てきた。ここは樋なので、段々になってはいるが高さがある。ロープが欲しい。そうでないと15mの人工壁は、5.7を登るならロープはイラナイことになってしまう。落ちて死ねる場所は、やっぱりロープが要る。

当会は初心者揃いなので、出す練習は登攀が易しいところでやらないと、いざ本当にロープに頼らなくては登れなくなったときには、本物のピンチになってしまう。易しい箇所で出せないロープが、より難しい箇所で出せるはずない。

トップはひょいひょいと登ってしまったが、上からザイルを投げても届かず。傾斜が寝た滝では、投げる方式はダメなのだった。セカンドもフリーソロで登り、フィックス工作をしてくれた。3番4番はタイブロックで登ったが、ラストがアンザイレンしていなかったので、ロープが弛んで、中間者は登りづらかった。

登攀方式は、沢では大体3つある。

 1)普通の確保をしてはロープを投げるを繰り返す。
 2)ピストン方式。
 3)アセンダー方式。

どの方式で登るか、あらかじめ、相談してから登り始める。

大体、1)は傾斜が寝ていると、引っかかるのでダメ。垂直にのみ有効。基本はリードで引いていく。2)はロープが2本必要。3)は落ちて振られたときに、水流に停滞すると、窒息死の危険がある。

今回は、登攀は易しく、テンションの必要はないので、3)で良かった。

次のF10は私は一目で巻くことに決定。落ち口に男性陣のためにスリングを垂らしてフィックスにしておいた。ところが、男性陣はしばらく滝つぼで相談の末、巻いて来た。後で調べたら、ここで遭難が起きていた。

次のF11は立っていたが、別に段々で登れそうだった。私は、右のガレで巻いた。

これも後で調べたら、本間沢はヒルを避けて、夏以外に登る攻略法もあるらしく、そうなると、濡れるのは、歓迎できないので、濡れそうな滝は巻くのだそうだ。直登しても難しくはなかったが、さらに易しくなるそうだ。そういう使い方もいいのかもしれない。

下山したら、一人は4匹、一人は3匹喰われていたが、あとの3人は無傷だった。ヒルとの戦いは勝ったのか、負けたのか…。

帰りは、楽しく温泉に入って終了。今後の成長を期待させる良い山行でした。

地図を持ってこない人

■会心の山 女山 北北西尾根 月例山行 

スタート8:30 山頂12:00 (3時間半)下山開始12:30 下山14:30 (2時間)
メンバー:5名

女山は川上村にある。その稜線の反対側、奥昇仙峡には、男和尚、女和尚という岩があって、ちょうど凸凹になっているので、川上村の男山と女山もそういう意味かと思っていた。だが、違うらしい。女山の由来はおっぱいの形だそうだ。そうか、ツインピークスなのか、と思ったら、それも違うらしい…では何か?というと、ふくらみの上に突起が付いている形が、おっぱいなのだそうだ(笑)。

女山は、快適な唐松、小楢、ブナの疎林だった。手入れがされている山なので、無名の雪尾根は夏でも歩けそうに見えた。山梨の冬の快適さは、このような名もなき里山の雪の上にあると思う。北面だが明るく、快適な雪尾根だった。

この山の素晴らしさは、一体何にあるのか?

それは、第一番目には、パーティ全体の力量にあった大きさだ。会山行はパーティの力量に合わせる。大きな山だけが山ではない。最初から力量に合った山を計画するのが人間の知性の使いようだ。小さい山でルートファインディングができない人が、大きい山でできるだろうか?山行の内容が易しすぎる、と思えば、水を担げば良い。

第二に、まったく記録の無い尾根で初登だ(笑)。高尾山などの手あかが付いた山にいくのとは違う。自分自身でルートを設定しなくては歩けない。その点でこの山行は探検だ。

第三に、その読図の範疇では、初級だった。間違える個所の無い尾根。先輩が口頭で伝えてきたラインを、後輩の私が地図を見てラインを引いた。先輩が頭脳で、後輩の私が手。頭脳と手の連携がうまく行った。

第四に、ご褒美があること。八ヶ岳の展望が素晴らしい尾根だった。

第五に、踏まれていない雪の上に、自分の足跡をつける楽しさが、ラッセルの大変さを補って余りあること。

第六に、降雪後の快晴のチャンスを最大に生かしたこと。冬の尾根は、樹冠から葉が落ち、冬の一番の脅威である風から守られている。そして、それは人間が手を加えたせいではない。この季節と雪という自然物を利用したものだ。私は力で山をこじ開けるような行為は好きでない。季節構わず、藪を歩いたり、地形を読まずにただ直進するような山…は、大雨でも行くツアーと同じで人間本位だ。自然へ寄りそう姿勢も、理解しようとする知性も感じられない。

アプローチに使った林道は、地図にあるより延長されていた。だましだ。地図だけを信頼しても、現場だけを判断しても、尾根を外す可能性があった。そこで、尾根の形状が確認できた時点で、早めに尾根に乗るという安全策を判断としてした。この判断は私がした。後で航空写真を見ると、延長された林道は沢に沿って進み、ずんずん尾根から離れていた。正解だ。小さな成功。

無名尾根の山を探してくるには、ベテランの経験の蓄積が必要だ。地図から歩くべき尾根を見つけ、実際歩けると確認するのは、豊富な経験が必要だ。私も頑張っているが、経験が浅いと地図を見て歩ける
尾根を見つけても、ハズレも多い。ベテランの出番はこうした点だ。ただ私はハズレの山もキライではない。

女山は登山道がない山だ。だから、地図を持ってこない人がいた時点で、集合口敗退とすることにした。単なるハイキングではなく、”登山”をしようとしているからだ。参加メンバー全員の休日が無駄になってしまうリスクがあった。

しかし、そのリスクをとっても、やはり”山岳会”であるからには、地図携帯は当然だ。”山岳会であるというプライド”を守れたのは、よかった。

山に行くときは地図を持って行く。これは何も過剰な要求でもなんでもない。地図を持っていないし、持ってくる気もないし、地図を読む気もないけれど、山には行きたい。これは、過剰な要求だ。

自分が企画した八ヶ岳河原木場沢を、一度不催行にした。私がリーダーとしてできることで、もっとも有意義な時間の使い方ではなかったからだ。何回、山行に行っても、積み上げることのない山にしないためには、地図読みの机上講習が必要だった。

しかし、先輩が助力してくれたおかげで、机上講習ではなく、会の力量に合った、充実した内容の山行を催行することができた。

11月には読図の伝達講習をした。地図準備の敷居を下げるため、リンクをクリックするだけで、国土地理院の二万五千の地図が表示されるようにもした。その後、標高差と距離のデータを伝え、自己判断できる材料を提供した。しかし、今回もっとも時間を投下したのは、前日に地図とルートの説明をするために、メンバーの自宅に出向いてくれた先輩だ。

自然は懐が深い。それぞれの人の力量にあった愉しい山が必ずある。山はどんな山だって、自然が教えるものがある。皆が同じ山を目指さなくていい。『第七級』でメスナーも言っていたが、自分で登ったⅣ級の方が人に登らせてもらったⅤ級より価値があるのだ。だから、どんなに小さくてもいいから、自分の山を登らなくてはいけない。どんなに小さくてもいいから、自分の力で山を登る。”自分の山”を少しずつ大きくしていく。そうして得た自信だけが、真の自信そして幸福を作る。

今回は、そういう意味で、身の丈に合った会心の登山だった。協力者のお2人と風邪を押して参加してくれた夫に感謝したい。

≪関連記事≫
快楽の雪稜

小さな勝利

■伝丈沢・金石沢継続
日時: 2014年10月16日木曜日


前穂北尾根から帰って2日後、若き山やのH本さんから山に誘われていた。場所は私の希望で、伝丈沢にしてもらった。沢の同行者を見つけるのは、かなり困難だから。積雪期に金峰山を御岳新道で登り、八幡尾根で下るプランは過去に体力不足で挫折した。今回はその偵察もある。

Kさんが貸してくれた御坂ニュースをまとめた分厚いキングファイルの中に、たまたま伝丈沢の記述を見つけたときは、ときめいた。見ると、K丸さんが家族登山している。家族登山に使うくらいの沢なら、初心者向けだろうと判断した。


行ってみると、伝丈沢は濡れない沢だった。まさに秋が深まりつつある十月中旬にピッタリ。紅葉が美しい。ところどころに滑と淵のセットがあり、濡れたい夏は安全にずぶぬれになって遊べそうだ。堰堤が多いが、あまり景観をそこなっていないようだ。クライミング力不要、地図読み力必要、の歩く沢だ。私にピッタリ!

事前のネット調査によると、伝丈沢左俣は、”水晶ゴロゴロ”。H本さんは伝丈沢の右俣を詰め、御岳新道(昔の金峰山の表参道)で降りて帰ってくる、ルートを紹介しているガイドブックを拾ってきており、それで行く気だったみたいだが、そうは問屋がおろしません(笑)。今のスキルなら、どこだって登れる脂の乗った青年を連れているのだから、少しは冒険しなくては!

それで、二俣で「よし!A菜ちゃん(子供)に水晶を拾って帰ろう!」と半分だまくらかして、左俣へ入る。しばらくはおとなしい沢だったが、今回初めてでは?という滝が出てきた。が、たいした滝ではないので、問題なくクリア。

でも、全然水晶が落ちていない。期待した透明感のある結晶ではないが、六角柱が切り立っている白い石をおみやげにする。左俣をつめると、金石沢の右俣源頭部に近づく。八幡尾根の支尾根の稜線に50mほど乗り上げるには、鹿道を利用。少々のシャクナゲのブッシュをかき分け、尾根に乗ると、もう金石沢の水流が見えていた。なんだ~楽勝だ。後はラクラク沢を下った。途中の堰堤で、陽だまりランチタイムとした。濡れてもいないし、紅葉はキレイで快適。まだ日も高い。沢は明るい。

金石沢は大きな滝が下部にある。これは見もの。傾斜は緩く、見どころは伝丈沢と比べて少ないので、下山ルートに使って、大滝でフィナーレを飾るのが正しいと思われる。


ただ、一か所悪くて懸垂。支点がなく、ひやりとした。なので、ロープワークは必要だ。8時遡行開始で14時下山。標高差は500mほどで、距離は8km弱。GPSは会の先輩が「カンニングだ~」というので置いて出た。が、会心の地図読み。北穂池の効果かしら?!

ここは本当に秘密の穴場です。今度一泊二日くらいで焚火ナイトに行きましょう!標高は1800くらいはあるので、きっと夏でも涼しいはず。魚影はちらほら。お魚のサイズはメザシサイズで釣りは期待薄。

後でヤマレコユーザーが教えてくれたところによると、伝丈沢右俣を詰めると、30mの大滝があるそうです。この辺では、深田久弥が金峰山に登った古道もおススメで泊まりにちょうど良い廃屋があります。快適な沢の遡行でした。来年はどなたか同行お願いします。一人で行っちゃうかもしれません。

≪関連記事≫
当時の記録
八幡尾根の研究
アイス
雪稜
御岳新道



初の自前沢

■ズミ沢

日時: 2014年8月24日 大菩薩 大鹿川ズミ沢 


山岳会に入会した目的は岩ではない。増してフリークライミングでもない。私は何がしたいか?というと、地元の雪と沢を一緒に”探検”してくれる、楽しい山仲間が欲しい!と思って、山岳会に来たのだ。

雪は、初心者からスタートした。ロープウェイで上がれる八ヶ岳の北横岳からスタート。4年かかって1月の甲斐駒黒戸尾根まで登れるようになった。しかし、沢は…。沢というのは、初級のただ歩けるような沢であっても、単独のリスクは高すぎて、一人で行くことはできない。誰かとパーティを組まないと、沢に入渓することそのものができないのだ。夫は沢は嫌だ、と言うし、それに、沢は年に一度か二度の、”山ヤのたしなみ”程度ではなく、夏の間は毎週末沢通い、というのが私の理想なのだった。貧乏なので、近・短・安を目指しているのが、私の山なのだ。

今年は、山岳会に入った!と、張り切って、沢に行きたがっていたのに、8月の暑い盛りというのに、沢山行が一個もなかった。どうしてこうなっちゃったんだろう?もちろん、仕方のない面もある。今年はアルパインクライミング元年だったため、初級のロープワークを身につける意味で、雪が終われば、岩をする必要があったからだ。だが、岩もつるべでやらないと、ロープワークという意味では、まったく意味がない。

相模川水系笹子川大鹿川平ツ沢(ズミ沢)は、沢ルート集で見ていて、目をつけていた。この日は、不思議なことに、一人でも絶対に行く気だった。誰も来てくれなくても、単独ででも行く気だった。自分が本当に行きたい山行の時は、そういう気持ちになることが多い。夏山1年目の初心者で単独、北岳・間ノ岳に登った時もそうだったし、翌年初めてソロテント泊を八ヶ岳で決行した時もそうだった。初めての厳冬期の単独北八つ縦走も同じだった。苦手の岩稜帯、後立連峰を4泊5日で単独テント泊縦走した時もそうだった。そうした、小さな階段をそっと上がる、ささやかだけれども、重要な転機の一つ…が、このズミ沢だった。そうした転機の訪れについては、”自分の山”をやっている人にしか、決して分からないと思う。累積したスキルが、ある日突然つながって、そのルートに行けるという静かな確信をもたらすのだ。

一人でも行くつもりだったが、会の先輩にして最高齢者、古希のI川さんが予定が空いているということで、急遽同行してくれることになった。先輩が心配してついてきてくれた格好だ。先輩とは、ありがたいものだなと思う。一人でも大丈夫、という確信があった沢だから、連れて行ってもらう必要はない。でも、I川さんは、いつもいてくれてよかったなと思わせてくれる。初めてお誘いした、登山道のない山、燕岩岩脈に連れて行ったときもそうだった。

他の先輩たちは、こんな初級の沢は興味がないのかもしれない。まぁ、スキルが揃っている人とだけ、山に行くのではなく、上も下も必要だと、最近は達観し始めている。それに、沢をしたいのは、私であって他の人ではない。私は同行者を見つけるという点でも、自立しなくてはならない。ただ正直なところ、女性の沢ヤを見つけるのは大変だ。それも地元で、となると、さらに難しい。

実は、この前日、岩のルートで、すごいのをやった翌日だった。太刀岡山左岩稜だ。このルートには、もちろんいつかは行く気だったが、ここはクライミングシューズで切り開かれたルートなので、私が求めるアルパインのルートとは、少し性格が違い、登攀の難易度が高い。最初の出だし1ピッチ目が、クラック5.9で、キャメロットのカム、NO3が、複数個必要だ。フィンガージャム、ハンドジャムがよく効く。つまりジャミング必須だ。しかし、クラック経験、合計2回の私の登攀力では、セカンドでしか登れないし、それでも、結局Aゼロしなくてはならないから、そんなに楽しいとは思えないのだ。いつか自分で登れるようになれば、きっと楽しいのだろう。それは一体いつなのだろうか?正直、あまりに遠くて、全く見えない。私の登攀力は、ハッキリ言って低い。安定したリードは5.8で精一杯。5.9は怪しい。

ズミ沢には単独でも行くつもりだった。それは、敗退が容易だからだ。それは何と言っても、登山道と並走している、ということによる。滝子山への道証(みちあかし)地蔵登山口からの道だ。単独であるというリスクが低い。転んで怪我をしても、失神でもしない限り、登山道へ出ればいいだけのことなのだった。

こういう確実に安全圏に近いルートの持ち駒を、一つでも持っているのは良いことだと思う。というのは、連れて行ってもらう山行が常態化すると、常に同行者がいるため、安全圏に近い、こうしたルートはおざなりになるからだ。自分がリーダーで連れて行く、という視点や単独という視点がないと、安全圏近接のありがたみは、理解できないだろう。自分に取り切れる責任に限界がある、という認識が、こうした安全圏が近いルートの価値を上げるからだ。連れて行く相手の安全を保証しないといけないことまで考えるとそうなる。しかし、連れて行ってもらう山行が当たり前になってしまうと、自分も相手の安全を担保している一員なのだ、とは発想できず、なんだ、こんな易しいところにしか連れていけないのか、という発想になってしまう。つまり、主客が反転してしまうのだ。つまり、連れて行ってもらっている側がふんぞり返る。それは、昨今の山の世界で著しい。

私は暑い日は、岩より、やっぱり沢が快適だと思う。かんかん照りの夏の暑い日に、涼しい木陰に入って、清らかな小川のせせらぎに耳を傾けるのは、心が休まる。水の流れというのは、焚火の炎と同じで、いつまで見ていても見飽きることがない。そういうものこそ、たくさん見るべきで、現代人はテレビを見すぎだと思う。

私がしたいのは、涼を求めるための沢であり、不快な日差しと、夏の暑さと、人混みを避ける沢だ。オイルサーディンの缶詰のごとく、寝床に詰め込まれる夏山の小屋には、一抹の未練もない。それは、ひと夏、小屋で働いて思い知った。せっかく日本には、日本にしかないオリジナリティあふれた登山スタイルがあるのだもの、それを愉しみたい。夏は沢!冬は雪!というのが、私がしたい山なのだった。自然と戯れる山。

入渓してみると、沢にはちょうど良い日だった。水は冷たく、気温は蒸し暑く、木漏れ日はキラキラしており、水の冷たさは心地よい。そういえば、私の初めての沢は、7月だったというのに、寒くて凍える沢で、雨の中、ガタガタ震え、唇が紫になった。2度目の沢は、なんといきなり2級の沢に行ってしまい、沢というより、外岩デビューで、スタンス極小で、腕がプルプルするような、際どいトラバースを経験させられた。要するに、このズミ沢以前は、沢ではまったくいい思いをしていないってわけで、それなのに、しつこく沢にしがみついている私は、やっぱり”物好き”なのだろう。

というわけで、このズミ沢、私の数少ない沢体験の中では、かなり貴重な楽しい沢になった。これまでの岩登りの努力の結実を実感する沢になった。

ズミ沢はガイドブックによると、難所がないと書いてある。ただ行ってみると、難所がないというのは、沢登りベテランが遡行図を書くからだろうと思われた。いくら初級の沢とは言っても、4級のクライミング力くらいは必要な感じだった。完全なウォーター・ウォーキングレベルではない。2~3mの小滝が連続し、核心は2段12mの大滝だ。その他、6mの滝、最後の3mの滑滝も、巻くか、ロープか、すごい用心か、のどれかが必要だ。つまり、完全にロープワークゼロ、という訳にも行くまい、という感じ。小滝は3級。スメアリングの楽しい練習場になる。5級の場所はないが、作ればあるのだろう。3m滑滝は、登りたければ、登れるらしいと、後でネット検索して、ガイド山行の記録で知った。ほとんどフットフォールドがないような滑滝だったが、あんなの登れるんだろうか?まぁ、3mなので上手な人はボルダ―感覚なのかもしれない。

登山道と並走しているという利点により、入渓点も好きに取れる。嫌になったら、登山道を歩けばいい。なんという気楽な沢だろう!ただ一部では、登山道は、はるか頭上で、沢との高さが離れ、その間は険しく急で、とても登れそうには見えない泥壁だ。それでも、少し戻れば、ちゃんと登山道へ上がれる箇所が必ずある。その心理的安心感は大きい。

ただ残念なことに、今年はどの沢も大雪の影響で、倒木が多く荒れているようだ。植林された杉桧などは、根が浅いので、すぐに倒れてしまう。ズミ沢も荒れていた。「荒れてるね~!」とI川さんが声を上げる。ちょっとこれは通過困難だな、という箇所があり、そこには、富士山の形をした、特徴的な大きな岩があった。そこは、もう倒木が幾重にも折り重なって、突破は不可能と見てとれたので、さっさとあきらめ、登山道へ逃げる。適当な場所を探して、また入渓するが、歩けないわけではないが、こう荒れていて、さらに登山道も並走しているとなると、人間は弱い生き物なので、つい楽な方へと傾き、ずっと登山道を歩いてしまいそうになる。易しい沢は、克己心の必要な沢でもあるわけだ。

I川さんは、着実に後ろをついてきてくれる。「ケツを歩いてくれる先輩はいい先輩だ」と山の先輩に教わった。教えてくれた人もケツを歩いてくれたが、その時は、ラッセルが嫌なんだろう…くらいに思っていた。ちょっとした小滝で、一応、I川さんを振り返っても、お助け紐など、まったく不要そうに見える。逆に、そんな申し出が失礼になってしまうのではないか?というくらいだ。「I川さん、強いな」と思う。だって、私の母ほどの年齢だもの。私はI川さんの年齢になった時に、これができるのだろうか?と考えてみると、まったく自信がない。こういうのが、実力なるものの理解の仕方で、実力を見ることが、その岳人への敬意や尊敬ということにつながっていくのだろう。

ただ、実は、正直なところ、「お助け紐を出して」と言われても、私も出してもらって登った経験がほとんどないので、はて、どうやって出しましょうか…となってしまうかもしれない。というわけで、ちょっとしたところを難なく超えてもらって、助かった。良いセカンドは手がかからないセカンドのことだ。つまり、トップは手を抜くことができる。

反面、トップの私に技術がないために出せないロープ、ということもできる。どうしたら、こういう技術がつくのだろうか?そういう風に考えると、多少背伸びであっても、連れて行ってもらう山行も大事だと分かる。連れて行ってもらう山行では、サポートの出し方を学ぶのだ。前日の太刀岡山左岩稜では、ここで欲しい!と言うところに、良い具合でスリングが出してあって、連れて行ってくれた先輩の実力を感じさせられた。それをできるまでには、何度かセカンドとしての苦労を重ねないと、登れない人の気持ちが分からないだろうし、分からなければ、サポートも的確に出せず、サッと超えれば済むところで、不必要に難所を作ってしまう。不必要に時間がかかって、コースタイムが押せば、それはそのままリスクになるのだ。

途中、たくさんのトチの実が落ちていた。私はトチの実を見るのは初めてだった。I川さんに「これ何でしょう?」と聞いたら、すぐに「トチの実よ」という返事が来て、やっぱり山の先輩と来るといいな~と思う。山の花もそうだし、山の小技もそうだ。

2段12mの大滝は、遡行図では真ん中の乾いたところを登るようになっていたが、真ん中は悪かった。丸く膨らんで、外傾している岩が、水流を二つに分けているが、水流の少ない方は、茶色く、見るからにヌメヌメで、とても登れない。真ん中にスリングが残置してあったが、これは敗退用のようだ。結局、惑わされて登ったものの、降りて、右端から登りなおした。ロープを束ねている間に、I川さんが先行してくれた。このことで、ルートファインディングをもっと学びたい!と強く思った。この滝は「モチヶ滝」という名前がついているが、遡行図には、名前の記載はなかった。

その2段12mの「モチヶ滝」を抜けると、今度は6m滝が出てくる。この滝は登山道から丸見えなので、かっこよく登りたい。一般登山者から見れば高い滝だが、見た目ほど難しくない。どんくさい人でなければ、初心者でもノーザイルだと思う。

すぐに最後の3m滑滝が見えると、もうご褒美のフィナーレだ。上は見事な滑になっていて、ウォータースライダーなどして、遊べる。童心に戻って、二人で小一時間遊ぶ。ランチを食べ、登山道を下山して15時。近所の温泉に入って16時という具合だ。ただ下山の登山道は、道迷いはない明瞭さだが、一般登山道としては、難路の”危険個所あり”のルートとされている。沢が初級だからといって、並走する登山道も初級とは限らないということだ。道証地蔵登山口が登山口の正式名称。途中、沢の方へ、深く切れているトラバースが長く続く。

ズミ沢は、地図上は”スミ沢”となっている。この周辺の沢の中では、水量が多い沢だそうだ。沢ヤの間では、濁った発音の”ズミ沢”で通じているらしいが、スミ沢が地図名なのは、水が清く、澄んでいるからではないか?JRの笹子駅から歩いて1時間くらいで、入渓できるため、車がない首都圏の人にも使いやすいことで知られているようだ。記録は、易しすぎると文句を言っているものが多い。そういう人はフリーのルートで遊ぶべきだ。前述したが、ズミ沢はガイド登山でも使われている。

遡行時間は、マックスに楽しんで3時間、下山小1時間と、ちょうど気楽な日帰りの沢にいい。地図読みも不要だ。誰でも遡行できるので、親睦を目的とした山行にも良さそう。この沢がつきあげるのは、滝子山ではなく、となりの大谷ヶ丸だ。

ズミ沢では、私の欲しい”登山技術”とやらは、どうやら自然界の山の中を自由に闊歩するための知恵であり、どういう箇所で、どういう風にロープを出したら、より安全に通過できるのか?そういう経験則的なことだ…と、確認する山行になった。冒険的な山行をしたかったら必須の技術だ。

この易しい沢を自立した登山者として歩くには、最低限のクライミング力が必要だし、地図読み、初歩のロープワーク程度のことには、不安を持っていないことが、前提条件、精神的な安全の担保になる。そうしたものを意識し始めて1年。1年で初級の沢歩きをマスターした、ということになる。この達成は、私だけの力で成り立ったわけではない。岩場で偶然出合い、師匠となってくれたベテラン山ヤの師匠、人工壁でビレイしてくれた仲間や先輩、どれどれと先輩が連れ立って行ってくれた岩場でのクライミング…、料金を支払った講習会の受講だけでなく、たくさんの人の助力があった。そうした支えがあっての一年間の努力。総決算は、このズミ沢で黒字化だ。

If achievement had no price, it would be of no value...と言う。ズミ沢は小さな易しい沢だが、その沢をして、達成感ある、味わい深い思い出の沢にしたのは、一年の間に費やした努力だ。ズミ沢を価値ある沢にしたのは、そそがれた心の量なのだ。今回同行し、個人的な達成とその感動を分かち合ってくれた先輩だけでなく、ここへ至るまでの、長いようで短い1年間…東沢釜の沢の講習や、アイスクライミングでのルートデビュー、マルチピッチの岩デビューやゲレンデでの練習…そうした山行の積み重ねで、様々なアドバイスと貴重な時間をくれた、師匠や山の先輩たちあっての達成なのだとしみじみ思う。

想いがないと誰も手助けはしないが、手助けがなくても、想いは達成できない。二つは常にメロディとリズムのように、音楽を奏でるには絶対に必要な二つの要素なのだ。この二つが揃った奇跡が山を作る。想いと出会い。だから、山は面白い。

≪山小屋のこと≫
http://stps2snwmt.blogspot.jp/2014/11/blog-post_7.html

4月の小山行

4月12日 兜山 地図読み


桃の花満開の甲府盆地を上から眺めよう!と、久しぶりの夫と運動不足解消の山。適当に地図読みしたら、一つ乗る尾根を間違う。夕狩沢へ降りる尾根では紫ピンクのミツバツツジじがきれいだった。夕狩沢は廃道だが気持ち良い場所だ。降りるまでは良かったが、そこから棚山南尾根に乗る取付で作戦ミス。適当に上がり、隣の尾根との間には廃道になった林道があり、それを利用した。
結果オーライだが、沢から地形を読むのは難しいことを理解。地形にはパターンがあり、それが似ているのだ。後は快適に棚山から神峰へ縦走し兜山までの尾根を地図読みして下り、13時半下山、と運動不足解消にちょうど良い。前の山行で棚山南尾根はP1104前コブから一つ降りる尾根を間違って降りたが、結果論でいうと、その間違った尾根のほうが快適だった。駐車場には入りきれないくらい車がいたのに、ほとんど人に会わず、山力が上がったことで静かな山が楽しめた。

4月16日 分水嶺を歩く夢 飯盛山

時間:8:00 野辺山集合、8:22しし岩駐車場 9:30山頂 10:30 下山12:38

飯盛山は、奥秩父分水嶺の終着駅だ。金峰・甲武信の長い縦走をしたとき気がついた。単体で行くには小さすぎるので、行かず終いになっていた。晴れた日をつかんで、友達の初心者と。初心者とは言え、聞くと冬にも来たと言う。小海町生まれの人だ。やっぱり小1時間で山頂についてしまう。そこで、ちょっといたずらっ気を出して、彼女を稜線伝いの”境界線ルート”に連れ出す。藪山の触り、とでも言ったところ。鉈目の見方、ピークとコルでの現在地の確認の方法を教える。市や町の境界線になっているところは、境界線の杭があり、赤布代わりにできる。大抵は歩かれていて、地図にある破線ルートよりは、確実に登山道化していることが多い。初心者の地図読みにおススメだ。
今回はほんのちょっとそうした冒険を味わってもらった。展望が良い山は、そうしたことを教えるには楽で、教える側にとっても初級。「あの山なあに?あそこまで行けるの?」と乗ってきてくれ、うれしい。互いの中間点である川上村付近の山を歩いてみようかな。Kさんもこのエリア研究中のことだし。金峰山や甲武信まで縦走できるようになるかなぁ?途中の上級藪山区間はどうするかなぁ。

4月18日 親睦の三つ峠

時間:河口湖駐車場7:00 木無山9:17 御巣鷹山10:00 林道出会い12:42 下山13:35

展望が良く春の気持ちの良い山行。三ッ峠は山梨百名山ではないが、アイスも出来るし、屏風岩は日本を代表する本チャン用ゲレンデだし、高山植物ではアツモリソウの自生地。他にスミレとレンゲショウマでも有名だ。岩をしていると美しい花は見過ごしてしまう。クライマーでもあり、スミレの専門家でもある人と以前歩いた道。今度はKZ子さんと歩いた。まだフキノトウが獲れ、霜柱だった。LKZ子さんが御巣鷹山に行っていないというので、時間もあるし、3つを縦走する。途中で白いメスカモシカが四季楽園から餌をもらっていた。三つ峠山荘へ挨拶によると、ご主人が個展を茅野で開催するそうだ。下りは府戸尾根で下山。ちょうど寄り道分1時間くらいオーバー。スミレは今からシーズンインで群落は数か所。まだ桜が見ごろ。のんびり足慣らしの山だった。三つ峠は四十八滝沢に沢登に行けたらいいなと思っている。雪稜では三つ峠東尾根に期待。

4月19日 某所ロッククライミング


平塚の岩愛好者の集まりに便乗クライミング。私は11月から5か月ぶりの岩で、翌日の今日は腕が筋肉痛でタイプミスが多い。”日本のクラシックルート”と言われるルートで滑落しない程度の力が欲しいと思っており、今の課題は5.9。この日は、追手門エリアFの”二度あることは三度ある”5.8でアップ。隣の”げん直し”10aをI川さんはオンサイトしてしまった!私は2トライ。さすがI川さん。さらに、隣の岩のカンテにも行ったが、課題名不明。このあたりからどこを登っているのか不明に(笑)。
下の岩場で何かが起っているようだ。勘助と言うルートで、なかなか登れないでいるのをみんなが下で見ているようだ。どうも難しいルートらしい。見ていると、難しいのを登れても登れなくても、各自のレベルで、まったく同じように苦労しているものなんだなと分かる。ムーブが分かればフェイスは楽なんだろうなぁ。でもムーブ…どうしたものか、頭が痛い。フリーはムーブ解決力でつまづき中。フリーも頑張らなきゃ!なんだがなぁ。