Wednesday, March 23, 2016

読了 『狼は帰らず』

■ 読了 『狼は帰らず』

しかし・・・この本で、感動してはダメでしょう・・・。

実はこの本、アマゾンで見ると ”べた褒め”です。まぁ死者に鞭打つことはないよなぁ。

今映画の『エベレスト 神々の山嶺』が公開されています。映画の理解を深めるために読んだ本です。

ただ、正直言って、この本の主人公の森田勝さんは、山に純粋だったとは言えないと思うのです。

だって、有名になりたい それだけで山に登っていたんですよ。

その動機不純でしょう(笑)。

■ 人柄

しかも、読後の人はすっかり忘れているようですが、

 森田さんはパートナーに嫌がられている男性

です。もし自分の会にいたら、パートナーに組みたい相手かというと全く違う。なぜなら、すぐ捨て鉢になるからです。山で捨て鉢になるのは、本人は勝手にしねばいいけど、パートナーを組んでいる人に対して失礼です。

実際本の中でも、なかなかパートナー見つからず、その上、すぐ捨てられています。一緒に山に行って楽しいとは言えない人物だったときちんと書かれています。

それでも、純粋と言う言葉は頻発します。要するに、

・・・・色々後で考え合わせると、森田さん本人が山に行けるようにこちらはうまいこと利用されちゃっていたな、ちゃっかりしていたな、でも、山に行きたいということだから、許してあげようか・・・

・・・ということみたいです。そういう人が会にいたら、会では割り勘とか、なくなっちゃうかもしれませんね。


■ 街の山岳会 vs 大学山岳部

私が面白かったのはむしろ、市井の山岳会と、大学山岳部の 特徴の違いでした。

 大学山岳部= エリート、お金持ち → ヒマラヤ

 市井の山岳会= 庶民、お金がない → 谷川岳

いや~、時代は変わりましたね~。 

ヒマラヤって昔はものすごいお金がかかったんですね。私は海外をバッパーで渡り歩いて平気なような人ですが、そういう人の目には、ヒマラヤ=安く行けそうな候補地 です。

もちろん、登頂を目指すのではなく山麓トレッキングですが。

谷川岳は、”近くて安い電車賃で行けるバリエーションルート”という位置づけのために通われていたのだそうです。

■ 死の山 谷川

そして、社会人山岳会が通う谷川岳・・・ 初めて谷川にいったときは、宙吊り遺体事件を知りました。

死者が格段に多い谷川岳・・・私、行きたいのかどうか分かりません・・・が、確実に宙吊りになって銃撃で遺体回収される目にあうのは嫌ですね。

森田勝さんがいた、緑山岳会は、柄が悪い山岳会の代表的な例だったのだそうです(^^;)。

サルベージ屋などと呼ばれていますが、遭難時に遺体の回収などでは活躍してくれたのだそうです。

イマドキやってくれる人がいないで困っている分野ですよね。遭対協の方は本当にすごいなぁといつも思います。

その点は尊敬ですが、動機が・・・タダで山に行けるから・・・。そこはうまいことごまかしておかないといけないですね。

■ 山での死

はやり、ギャンブルの掛け金を吊り上げ続けるような山、というのが森田さんの山の表現として会っているような気がします。

山で死なないためには、目の前にある課題から目をそらさず、連続性のある目標を持つことかなと思います。

唐突な目標・・・今行っているルートは3ピッチで十分楽しく満足できるのに、いきなり13ピッチとか・・・

はやっぱり死に直結するのでは?

こういうすごいクラスの岳人になると、初心者の最初のほうで、出てきたルート名は、グランドジョラスの前にかすんで忘れ去られがちですが、最初のほうのルートでも、常人は死にそうですからね(笑)

大事なことは、山は、基本的に死なないで行くこと、です。死ぬために山に行かない。

有名になりたい、というのは人間には多くの人がもつ欲望のようですが、それは叶います。しかし、叶ったら、ちゃんと、その後は死に直結しない山へつなげていくことです。

何のために有名になりたかったのか?というと山で食べて行くためでしょうから・・・

≪追記≫

この記事には、先輩がコメントをくれた。以下コメント

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時代を考えないといけないと思います。
森田勝に比べて評判のいい長谷川恒男も、Kinnyさんの観点から評価すると同じです。
有名になりたいから初登にこだわり、パートナーをなくし。

また、無酸素登頂や単独登頂などされる前で、海外に行くこと自体が難しい時代だったから、
ヒマラヤに行くためには、登山隊に選抜されなくてはならなかったし、そのためには名を挙げなければならなかった。

山で食べていくというのはないわけではないけど、その前にヒマラヤだったんじゃないかなと思います。
食べていくほうは、RCCIIの湯浅先生などの手でガイド協会が作られました。

日本ではたぶん岩質的な悪さも手伝って、スポーツとしての登山というのが定着したのは、80年代以降くらいだと思います。

昔から登っていて40代以降くらいだと、このあたりの感覚を理解できる人も多いと思います。
今の時代しか見ていないとなかなかわかりにくいかと思います。

私も厳しいクライミングをしようと思うときには、死ぬかもしれないとは考えました。
最近あまりそういう機会ないけど。
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私が思うには、ヒマラヤって言っても事の本質は、やはり初登争いだろうし、記録だろうし、登山の質的に、楽しむというのとは真反対にあるような気がする、ということです。

例えば、横山勝丘さんの本の読後感とは、大きく違っています。

山で死んでしまったら、人生と言う山に登った登頂の喜びが全然ないみたいな感じ。






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