Wednesday, February 10, 2016

ケーススタディ 山のリクスマネジメント

■ ケーススタディ vs 講義式

私は、大阪にいるころはお勤めがあり、その関係でビジネススクールに通っていた。そのスクールは、ハーバード流の教え方を基盤にしていた。

のちにオーストラリアで大学院に進学しようとして、その教え方が西洋の標準スタイルというわけではなく、アメリカ式であることがすごく良く分かった。同じことでも、オーストラリアはイギリス式で、講義形式。

ハーバード流のアメリカ式だと、ディスカッション形式だ。

この教え方は、正解はひとつとは限らない場合に、非常に効力を発する気がする。また正解を暗記するのではなく、考えさせることが主眼となっている。

ただ、ディスカッション形式の授業というものは、どう進むのか?というのは、一般には、いまひとつ分かりづらいと思う。日本の学校教育が、一方的な講義式しか教えていないからだ。

私は、このディスカッション方式、ケーススタディ方式というのは、登山に必要な判断を教えるには役立つ方法なのではないか?という思いを登山を始めたころから持っている。

■山はひとつひとつ違う

山は、ひとつひとつ違う。

同じ雪山でも、標高1500mで樹林帯主体の山と、森林限界を超える八ヶ岳では、寒さも違うし、風雪の影響も違う。となれば、必要な装備も違う。

無雪期の山でも、近所の低山と、中部山岳地帯では違う。近所の山の方が道迷いという意味では迷いやすいし、高い山のほうが天候の変化の影響はもろに受けるだろう。

そういう細かな違いが、ひとまとめに”山”という言葉にまとめられていることが、リスクの見えにくさにつながっているのではないだろうか?

例えば、”山ではヘッドライトを持つのが常識”と言われるが、山ではなくて、”アウトドアへ行くときは”、かもしれない。

ここでは”山”という言葉は、”人工の電灯がある、街の中以外の場所”を、無意識下に総称している。

逆に不思議現象も起こる。 例えば”軍手”。

先日軍手で山に登っていたら、その辺のおじさんに、「山では軍手はダメだ」と諭された。 が、焚火するから軍手が必要なのである。焚火しない(というかできない)ような山にしか行かない人には、山で軍手は必要ないけれど、焚火するような山に行くようになると、軍手は必需品だ。

日が照っていて、濡れを気にしなくていい、普通の山道でも、軍手は快適装備で、軍手がダメなのは、濡れてしまってから後の稜線歩き。

その使われる状況を想定しなくては、最適な装備も選べない。

それぞれどのような状況があり、その状況を的確に想像し、判断して行く、という判断力が、山を知っている、ということ。想像力に限界があるので、経験が非常に役立つ。

■ ケース例

以下は、出題されたケーススタディのケース例。

基本的には、ケース(状況)を共有し、みなでどうするべきか(判断)を相談する。その中で発見や気づきといわれるものが、学ぶ内容だ。

ケース: 皆で共有する状況
ディスカッション:: どうするか?(判断)を相談して決める
発見: 具体的な学びの内容

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
≪登山中の体調不良者≫

一人の引率で10人の高校生を連れて登山中、午後からA君が体調を崩し、疲労が目立ち、皆から遅れだした。引率者はA君につきそっていたが、前方を行くみんなとの差は開くばかりである。

今夜の宿泊予定の山小屋までは、まだ2時間かかるが、もどれば1時間のところにも山小屋がある。

引率者としてあなたはどうしますか?

 1) A君を残して皆を呼びに行き、最も近い山小屋(1時間)に戻って宿泊する。

 2) A君を残して皆を呼びに行き、A君のことを話して、みんなでA君を励ましながら、A君のペースに合わせて、目的の山小屋に行くよう指示する

 3) A君と離れることは危険なので、引率者はA君から離れず、他の者は先に宿泊予定の山小屋へ行かせておく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上記は設問で、これを

 A)個人の判断
 B)5~6名のグループでの判断

とディスカッションをして、2通り作る。

 A)個人の判断で決まるケース → 強いリーダーのいる登山での判断(意思決定)

 B)グループでの判断で決まるケース → 実力拮抗型パーティでの判断(意思決定)

を模すことになる。

選択肢は中間的な選択肢は選ぶことはできないが、選ぶときは、状況は各自で設定して良い。先を行っている高校生の中には、任せられる人がいる、A君は死に瀕していそうではない、山小屋では宿泊できる見込みがある、などだ。

この回答に正解はない。

ただし、多くの人が選びがちな選択というものはある。皆が選ぶだろう選択を選ぼうという意思が働くと、多数決で多いものは、1)になりがちかもしれない。

1)の選択肢は、もっとも弱気だ

A君を一人で残すことに一抹の不安はあるが、A君は高校生で(つまり持病がある高齢者ではなく)、バテているだけ、という理解だ。

班から出た、この判断をサポートする意見は

 ・A君はばてているのに、2時間歩かせるのはかわいそう

 ・先の山小屋に行ってしまうと、帰りはさらに倍歩かなくてはいけなくなる

など、主に A君の利益 をもっとも重視した意見だった。

反対意見は

 ・戻った山小屋では、10人も受け入れてもらえないかもしれない

 ・A君を一人で置いておくのは良くない

などだった。

■ 本音?

ただ私が今まで経験した中で、誰かがバテて歩けなくなった、という事例は3件しか知らないが、その2件中、1)の選択肢は取られていない。

2)もしくは、3)だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

≪事例1≫
一人のガイド引率で、5人の顧客を連れて、中部山岳地帯の初級雪山の登山中、登山口からAさんの疲労が目立ち、皆から遅れだした。前夜は飲み会で寝ていないという。

ガイドはAさんにつきそっていたが、前方を行くみんなとの差は開くばかりである。

今夜の宿泊予定の山小屋までは、まだ2時間かかるが、もどれば15分の登山口にも山小屋がある。

引率者としてあなたはどうしますか?

≪起ったこと≫

Aさんにガイドが付き、他の客はガイドレスのまま、山小屋まで先行。顧客の中に、すでにこの山を経験している人がいた。

到着した山小屋でAさんを待機させ、他の顧客4名とガイド1名は山頂に登頂し、帰りは全員で揃って帰った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

≪事例2≫
一人のリーダーで、7名の山岳会のメンバーを連れて、2泊3日の登山。登山道はない地図読みの必要な山の中、初日から、予定コースタイムで歩けない。翌日からAさんの疲労が目立ち始め、ザックを軽くしてやる、仲間が行動食を与える、などの支援を行うが、疲労は軽減する様子がなく、翌日の行動は縮小になる。

リーダーはAさんを中心に負担の無い計画を立て、Aさんのペースで歩いたが、Aさんのバテは山行中、酷くなるばかりである。Aさんは以前の複数の山行でも同じようにバテた過去がある。今度こそ、ぜひ自分の力で歩きとおしたいという希望を持っている。

2日目の幕営地までは3時間遅れで到着したが、前の幕営地は8時間も前であり水場も乏しい。

引率者としてあなたはどうしますか?

≪起ったこと≫
Aさんのことを話して、みんなでA君を励ましながら、A君のペースに合わせて行く。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

事例1では、山小屋までガイドレスで歩いたが、特に不服は出なかった。しかし、ガイドさんはランチを食べる時間が無くなり、腹ペコで登頂者を引率する羽目に陥っていた。

前夜飲み会で徹夜開けで参加した人に合わせて、1)の選択肢である、全員で登山口の山小屋に戻る案を行うと、たぶん、ものすごい不満の声が上がっただろうと思う。

遅れたAさんは登山口の山小屋待機が適当だと思われるが、それをやるとAさんの不満が大きいだろう。

事例2では、登山目的がそもそもAさんに自信をつけてもらうこと、となっているので、Aさんに無理をさせない、という選択肢、1)は最初からありえない。

Aさんがあまりに遅れる場合、幕営地に先にパーティを先行させるという方策もあるが、そもそもの目的を考えると、それも考えづらい上、読図の必要な山ではリスクが大きい。逆に言えば、幕営装備があれば、どこでも幕営可能なので、時間には縛られる必要がない、とも言える。


■登山の成功 そもそも登山目的が何か?

このように考えていくと、そもそも登山目的が何か?が登山の成否には強くかかわってくることが、(まぁ当然だが・・・)分かる。

ガイド登山に出かけた登山者が、仲間の、それも自己管理が不在というような人の・・・体調不良で、そもそも登山口で敗退したら、おそらく、その登山は失敗となるだろう。

一方、そもそもAさんが自力で歩きとおすこと、を目的とした登山では、Aさんのペースありき、なので、他のメンバーはAさんの登山に付き合ってやることで、その登山は成功となるだろう。もし、Aさんが途中でリタイヤしたら、登山は失敗となるだろう。

この話は、そもそもコースタイムで歩けない山に行くべきでない、という意見が多く、Aさんはザックを肩代わりしてあげましょうという申し出を固辞してまで、自分のペースで歩いてはいけない、という意見もあった。

しかし、登山目的を見る限りでは、レースでの完走と同じで、Aさんが歩きとおすことこそが、最優先されるべき事項だろう。

・・・となると、山岳会の登山目的は、仲間意識の醸造、がまず第一に挙げられるのかもしれない。

となれば、登山目的をそもそも、ピークハントにおくべきではないのかもしれない。

■ 顕在的でない登山目的

しかし、こうしてみてくると、登山目的が、そもそも明瞭でないことが透けて見える。

登山目的の不明瞭さ、は遭難という事故においては、脆さが露呈しうる一点かもしれない。

事例1では、登山目的は、比較的明瞭で、ガイドという安全の傘の下の、ピークハントである。しかし、たとえピークハントが至上の目的だとしても、たとえば、視界不良での撤退であれば、誰からも文句は出ないであろう。

一方、同じ敗退でも、徹夜開けで山行に参加するようなメンバーに合わせて登山口に全員が戻ることにみな合意するだろうか?

しないのではないだろうか?もしそのような判断を引率者がしたら、返金してほしいという人が出るのではないだろうか?

これが山岳部なら、おそらく、文句はでないのではないだろうか?

事例2では、Aさんが今回の山を歩きとおすことが真の目的の山行だということは、当初共有されていない。

だが、Aさんが歩きとおすことを目的とした山行、として山行企画することは、普通は不可能だろう。しゃーないな付き合ってやるか、という山になるわけだからだ。その場合、真の山行目的は、山行の成立の経緯を聞かない限り、見いだせない。

ある意味、真の山行目的がディスガイズ(隠されて)されているのだが、これは、この山行に限らず、山岳会が行う山行では、すべからくその傾向がある。

真の目的が共有されない限り、不協和音の可能性はある。

例えば、夜間山行は、予想外の下山遅れに登山者を備えさせるための山行だし、里山の雪山山行は、読図を学習してもらう機会、ということになっている。

■ もう行った

今の時代は、「〇〇山?もう行ったから行かない」という人が多い。結局、山のネームバリューだけで行く行かないを判断している、ということなのだろう。〇〇山にも多くのルートがある。

そういう風に山の名前だけで行く行かないを判断していると、真の山行目的が達せられないまま、つまり登山の技術は置き去りになったまま、経験年数だけが積み重なってしまうだろう。

これを防ぐには?ということだが、結局は、登山者自身が、

 「比較的雪崩の危険なく、豪雪の山(ラッセル)を経験するには、どの山に行くのが良いか」

などと、企画者の目線に立って思考する以外ないのではないだろうか?