Sunday, December 18, 2016

Tateshina Mountain


 This blog is supposed to be about free climbing...

I started mountain in snow.

Then, moved onto hiking in green season.

I was not much into it.

I then started ice climbing.

Then, rock climbing.

Then, free climbing.

Now I mostly do free climbing and it is the source of my joy.

I felt climbing move is same as walking in the snow. You push your hip forward.

In ice season, I like to do Ice.

As long as I do Ice, I feel OK.

It was a big disappointment that I could not climb the last Thursday and was sad.

So this mountain in a bright sunny day, was make-up for the disappointment.

This mountain was soooo beautiful and it was great to have a new friend with me.



 My husband was a bit out of practice so I choose the mountain that is not too hard...

3 hours of climb and 2 hours of down hill.

It was so beautifull in the mountain.

I feel like I want to keep looking at the snow mountain and keep walking like forever.

 The fairy tale world came in real.

I was glad I could show the mountain to anybody for the first time climb.

Especially somebody from outside of Japan, since I can show the beauty of my country.

 On our way back, we of course had a good soak in Onsen(spa).

We also had Soba noodle, which was made from 100% domestic soba flour grown organic.

Soba 1600 yen,
Onsen(Kosai no Yu) 700 yen


I enjoy free climbing but in free climbing I usually don't walk long distance so my feet are getting weaker and I needed to walk for the winter mountain project.

This is my friends's Blog

http://blog.livedoor.jp/akadakekousen/archives/51220959.html

Wednesday, November 9, 2016

想定される未来像

■キャリアマネジメント講座

キャリアマネジメント講座に、興味があり、出てきました。

さて、クライミングに適用してみます。成長するための方法論は同じ。

私は、ここ6年間、登山にキャリアマネジメントしてしまい・・・6年でここまで来て自分でもびっくり仰天ですが、正式なマネジメント法を教わったわけではないので、セミナーはとても役に立ちました。大筋でやっていることはあっていました。

 1)かなえたい理想像(夢)を描く  例:5.9マスター

 2)現状を分析する 例:登攀力足りない、一般登山・雪・沢は単独でもできる・・・みたいな? 

 3)自分の価値観(=幸福と考えれること)をきちんと把握する 

               例: 小さくても自分で登る山がいい、みたいな?

 4)これまでの歴史を振り返り、良いと感じたことを強化し、悪いと感じたことを今後は捨てる

               例:山岳会退会、みたいな?

 5)仲間からフィードバックをもらう   

           例:メンターからアドバイスをもらう 「今は楽しく登る時期ですよ」みたいな?

 6)スキルの棚卸をする  例: 登攀力、体力、知識・・・各種を評価

 7)”求められること”から、ミッションを把握する  例:ビジョンメイキング?

 8)”やりたいこと”から、ビジョンを把握する 例:レスキュー技術のHP化・・・みたいな?

 9)タイムマネジメント  例: 平日はジム、土日は岩、みたいな?

 10)アクションプラン 例: 山梨にいる間は山を優先、みたいな?

■ PDCA が基本

簡単に言うと、PDCAなんですが、プランが間違っていると、すっとんきょうな方向に行ってしまいます。

でも、まぁ行ってしまっても、軌道修正すればよろしい、ですが・・・。

私の場合は、軌道修正は、地域山岳会の退会ですかねぇ・・・地域山岳会とでは、目指す山の内容が違った感じでした。

フリーに注力するようになったのも、環境要因が大きいです。フリーをするには、別に山岳会は必要ないので。

やはり本チャンをする場合は、山行管理の面から、会のニーズは感じますが、今のところ、本チャンへ行く実力が足りていないので、切羽詰まったニーズがないです。

■ 自分を知るのが一番難しいタスク

ほとんどの場合、幸せは個人個人で違うのに、自分にとっての固有の幸せの形が何か?がワカラナイ・・・

私にとって幸せとは? という回答が一番重要なのですが、それを知るのが、最初の難関です。

端的に言うと、クライミングでは、(烏帽子岩左岩稜)より(乾徳山中央岩稜)ということも、やってみて分かったことで、やってみるまでは、よく分からなかったのでした・・・

どちらもベテランが助っ人に来てくれたんですけどね~(笑) ホントに幸せ者で、すみません。

いやこれは、本当の自分を知るのが一番難しいという事例ですが・・・

だって、同じように連れて行ってもらった山ですが、例えば広河原沢アイスとか楽しかったですから。

■ 本当の自分を知るワーク

自分を知るには、過去を振り返ります。能力、興味、関心、価値観、位置づけ・・・

・これまでの歴史を整理して、幸福感を関連付ける
・現状の棚卸
・自問自答のインタビュー
・スキルマトリックス

などで、価値観を明らかにし、強みと弱みを把握します。

例えば、私は・・・

(組織)<(個)
(ゼネラリスト)<(スペシャリスト)
(虫瞰図)<(鳥瞰図)
(帰納) <(演繹)
(安定) <(変化)

というような感じです。

■ リスクに備える

さて、ここでも、リスク中心の考え方は役に立つようです。リスクに備えるには未来予測がポイント。

これは、「ワーク・シフト」からの抜粋による未来予想です。赤字は、クライミングに関係がありそうなところ。

テクノロジーの変化

  1. テクノロジーが飛躍的に発展する
  2. 世界の50億人がインターネットで結ばれる
  3. 地球上のいたるところで、クラウドが利用できるようになる
  4. 生産性が向上し続ける
  5. ソーシャルな参加が活発になる
  6. 知識のデジタル化が進む
  7. メガ企業とミニ企業家が対等する
  8. バーチャル空間で働き、「アバター」を利用することが当たり前になる
  9. 人工知能アシスタント が普及する
  10. テクノロジーが人間の労働にとって代わる


グローバル化

  1. 24時間 週7日休まないグローバルな世界が出現する
  2. 新興国が台頭した
  3. 中国とインドの経済が目覚ましく発展した
  4. 倹約型イノベーションの道が開けた
  5. 新たな人材輩出大国が登場する
  6. バブル形成期と崩壊が繰り返される
  7. 世界の様々な地域に貧困層が出現する


人口動態

  1. Y世代(1980年~1995年)の影響力が拡大する
  2. 寿命が長くなる
  3. ベビーブーム世代の一部が貧しい老後を迎える
  4. 国境を越えた移住が盛んになる


社会の変化

  1. 家族の在り方が変わる
  2. 自分を見つめなおす人が増える
  3. 女性の力が強くなる
  4. バランス重視の生き方を選ぶ男性が増える
  5. 大企業や政府に対する不信感が強まる
  6. 幸福感が弱まる
  7. 余暇が増える


エネルギー・環境問題

  1. エネルギー価格が上昇する
  2. 環境上の惨事が原因で住居を追われる人が現れる
  3. 持続可能性を重んじる文化が形成され始める
■ 検討 

インターネットは私は学生の時から使っていますが、今では誰もが使う道具。山岳会には行った時一番驚いたのは、インターネット技術への乗り遅れでした。これは、山岳会衰退のかなり大きな原因と思います。なにしろ、まだ郵送とかが普通です・・・(汗) 切手を貼って郵送する手間と、ネットでPDFで送信する手間では、労働量が10倍くらい違います。

今後の世界の流れを考えると、ソーシャルメディアへの参加は避けて通れない道のようです。知識のデジタル化も同様ですね。

グローバル化では、もしかしたら、韓国やラオスにクライミングに行く人は、小川山より安くつくから、なんて理由かもしれません。

スキーではありますが、ニセコがオーストラリア人に人気になったのは、記憶に新しいところ。日本の経済的地位は落ちてきていますが、受け入れ国としては良いことで、他国の人は日本を訪問しやすくなるので、クライミングで日本に来てもらうということも可能なのかもしれません。

現在の登山ブームは、中高年の長寿化を受けていることは確実ですね。登山は安上がりな趣味なのです。ただ、一般登山と”本格的”がつく登山のすみわけが徹底していないところが、副作用としての、高齢者の山での病死や墜落死などの遭難の増加をまねています。あぶないのは、昔バリバリ本チャンをやっていて、退職して山を再開した人です(笑)。

若い人の登山は、ある意味、来る貧困に備える意味があるかもしれません。山の生活は貧困そのものなので・・・。 貧困でも意外に楽しめますし。

家族の在り方が変わると、コミューン的な暮らしがより可能になるかも?山岳会の仲間であれば、より親しく、頼りがいがある絆であると、私自身は感じます。

男女のパワーバランスが近づくようですが、どうも、すでにクライミング界は男女差あまりない世界。山ってあまり男女差が出ません。

大企業から、個人への流れは、極地法からアルパインスタイルへの流れを感じさせます。

エネルギー価格が上昇すると、もしかして、昔ながらの、裾野から歩く山スタイルが復活するのかもしれません。今は林道でギリギリまで、車で入ってしまいますケド。

災害で住居を追われるどころか、噴火で山を追われる事件がすでにありました(御嶽山)。今後も、火山噴火、地震、あるいは、ゲリラ豪富など、グローバルウォーミングの影響は、山では顕著かもしれません。

持続可能性、サステイナビリティですが、環境だけでなく、山岳会の運営自体がサステイナブルではない、というのが現在の課題としてあるかもしれません。

私はいつも思うのですが、安全登山には

 ・山には順番がある

が大事だと思うのですが、そうしたかつては口承で伝達された知識がすでに失われている山の世界・・・

そういうのを書き残していくれているベテランはいないのでしょうか・・・?



Wednesday, October 19, 2016

岩に幸せを見出すようになってしまいました

■ クラック 初オンサイト

先週末、瑞牆で、初のクラックをオンサイトして、現在しみじみ中・・・

正直言って、クライミングは、一般登山と違って、難しさの質がけた違いに高い。また、リスクも桁違いです。緊急性があるリスクがあります。

一般縦走は、雪から始めたことももあり、あまり困難を感じることもなく、指導者の必要も、ピンポイントでしか感じることがありませんでした。

ピッケルの使い方とか、アイゼン歩行とかはプロから習いたいと思ったけれど・・・ウエアを着た方が良いとか、工程管理にプロの必要を感じたことはありませんでした。

何しろ、山岳会に入会した時、私のための新人歓迎山行は、私の企画でツルネ東稜だったくらいです。(これは、参加者にスキルと体力が低い人が参加したため、川俣尾根ピストンに計画縮小になりました。)

一般的な体力と知力がある、若い人なら、ガイドブックにある山は、そう困難もなく、ごく基本的な山の常識を守っていれば、さしたる大きな危険に晒されることもなく、どれも歩けるようになるだろうと思います。

・・・が、これが通用しないのが、クライミング。とくに単なる岩トレではなく、フリーになると・・・もう困難度が違います。まぁ、もともと、フリーは困難度を高めていく活動ではありますが。今では、アルパインの基礎は、フリークライミングと言われています。

なので、この全く異質の困難度のフリークライミングで、オンサイトができると言うことはとっても嬉しいです。

クラックに関しては、初のオンサイト☆ 「クラックのオンサイトは、格別ですから」と昨日は、ジムのお兄さんに言ってもらえ、とてもうれしかったのでした。

そう、プロテクションも自分で設置するから、必要なゆとりがたくさん・・・今は10Aのクラックをトップロープで登れるくらいですが、それで5.8がオンサイトです。2グレード下ですね。

■ 登頂照明

先日参加した奥秩父の縦走の登頂証明が来ました。

手厚いサービスにビックリ。

こんなことをしてくれるのか~と驚きました。

■ うれしいのはオンサイトのほうだった・・・

しかし、私の登山の喜びは、もはやロングな縦走の達成感にはなく、クライミングで、息を殺して、オンサイトを増やすことにある・・・ということを理解。

焼岳はとても素敵な山で、景色を楽しむと言う意味で、とても癒されました。

しかし、奥秩父縦走は、チャレンジとして価値が高いかと言うと、これはもう別次元と言うか、チャレンジの質が違いすぎて比較の対象にはならないかもしれません。

明日はまた岩です☆ たくさん岩登りが出来て幸せです☆


Thursday, October 13, 2016

焼岳

■ 敦子さんと悪性リンパ腫

今日は島根から、山の友人が来ると言うので、焼岳へ。 

山で出会った人と一緒に山に登るようになる・・・ これは、登山の醍醐味であると思う。一つの出会いが、次の出会いに結びつく。

敦子さんとは、まだ登山の初心者の頃、南アルプスで出会った。白鳳峠というマイナーな道を双方が使って降りた経験・・・あの道はひどかった・・・が、共通点だった。

数年来の知り合いとなり、去年は編笠山をご一緒し、今年は焼岳をご一緒した。

敦子さんは悪性リンパ腫のサバイバーである。若いころに放射線治療を受け、その治療の影響で、今回も脳に腫瘍が発見され、腫瘍摘出手術を受けたのち、4か月後での復帰戦である。

開頭手術で4箇所も腫瘍を摘出したのだそうだ。闘病生活は、吐き気などとの戦いで、腫瘍の影響によって視力や視野が影響を受け、それが正常に戻るのも大変だったらしい。

私の怪我のようにただ切ったところが塞がれば良いというのとは違う。

そもそも悪性リンパ腫は24歳の時の発症だそうなので、生涯が悪性リンパ腫の克服とその影響の克服というわけで、山は彼女が生きることのモチベーションとなっている。

■ 山に行くことを日々目標として生きる

私も山をライフスタイルとして、6年・・・色々あったなぁ。正直な所、山を取り巻く業界・・・観光業としての登山や金勘定、安易な遭難、安易な本チャン、高所遠足と言われる高所登山の事情・・・に対して理解が深まれば深まるほど、あまり登山を魅力と感じなくなった。

しかし、今日の焼岳は、小さな白い球のような花をつけた高山植物が咲き、青いスッキリとした空に浮かぶ、山頂の岩場がとても美しく、

 ただ自然っていいな♪ 自然はきれいだな♪

と、自然に触れることの、大切さの原点に触れることができた。

大事なことは、自然の中で、ただ、その美しさに触れて、心を打たれること・・・

自然はこんなにも美しく、永遠であり、人の人生などほんの一部でしかないこと・・・、

偉大な自然の前には、人間の存在など小さなものでしかないということを実感すること・・・

・・・だからこそ、今ある命を大切に生きて行かなくてはならないこと・・・

が確認できた。 そんなことが考えられた久しぶりの山だった。






Tuesday, October 11, 2016

山行計画書の良否を見極める方法

■ 杜撰な計画書
 
計画書が送られてきた段階で、あまりにカンタンで驚いた。

概念図も行程表もメンバー一覧もなく、おかしいな~と思ったのだった。

≪教訓≫

計画書が送られてきた段階で違和感がある時は、きちんと質問しておく

■ 杜撰な計画書 

計画書についての疑問が湧きおこるのは、今回が初めてではなかった。

ある岳連の冬山講習会も同じだった。あまりに簡素な計画で、計画書と言えるようなものがなく、わずか数行であり、当時の師匠は”杜撰”という言葉を使った。

ただ登山計画書には、様式に規定された基準がない。

(きちんとした計画書)と(そうでない計画書)の差が分かりにくい、というのは事実だ。

通常の山行計画書の項目リスト
・山行目的 
・連絡先
・名簿 (年齢、緊急連絡先、血液型は最低必要)
・行程表
・概念図
・エスケープ
・装備リスト

≪今回のダメダメ登山の計画書の項目リスト≫
・集合時間
・時間記載のない日程
・装備
・共同装備
・費用
・キャンセル規定

というわけで、普通の計画書の記載内容がそのままチェックポイントである

≪山行計画書良否のチェックポイント≫
・名簿
・詳細な行程表 何時にどこへいる予定か?
・概念図 
・エスケープ

■ 教訓

数行で済ませる山行計画の登山には行ってはいけない。 お金の無駄になる公算が大きい。

登山価値の喪失プロセス

■ 貶める

最近出かけたガイド山行で、常連のお客さんたちが、「北岳バットレス四尾根に行った」と言う。「この人、セルフ外しちゃうんですよ~」 どうも初心者の人だからのよう。

基本的にセルフを外すことが危険行為だと理解できないような段階の人を、そのような危険がある山に連れて行ってはいけない、というのが大方の、”責任ある大人”のものの考え方である。が、そこでは、位置づけは笑い話というもの・・・。笑い話なら、まだ良いが、武勇伝と化す寸前だった。

なぜなら、その人はヒマ○ヤでシュルンドに落ちて、行方不明になり、「置いて帰ろう~ 最初からいなかったことにしよー」と思われちゃったらしいのである。もちろん、これは照れ隠し交じりだと思う。
だが・・・、真意は 

”これくらいの(低い)スキルの人(きっと、あなたもそうでしょう)でも、ヒ○ラヤへ連れて行けちゃうよ~(私と一緒なら)”というのが真意

であろうことくらいは、分かってしまう。

■ 偉大さを喪失

ヒマ○ヤに憧れはなかった。ただ敬意はあった。

登山史におけるヒ○ラヤの地位は不動だ。名だたる名登山家たちの名が連綿と連なる、ヒマ○ヤの歴史・・・。

ヒ○ラヤに行きたいとは思わなくても、敬意を示さない登山者というのはいまい・・・

しかし、その話を聞いて、その敬意の気持ちが、急速にしぼんで行った・・・。

もう、すでに”腐っても鯛”ですら、なくなっているのだ。そのことが、この事例から分かった。

山に地形図を持ってくるのが当然だと知らない先輩が、厳冬期の北岳に登ったと聞いた。厳冬期の北岳の価値が急速になくなった。その人が行ける程度の山なら、行かなくていいや・・・という気持ち。

山は歩けなくちゃ話にならない。が、歩けるだけでも話にならない。

歩けるだけじゃ話にならないところを、歩けるだけで済む話になってしまっている、現代の登山の
事情・・・

一体どうしてこうなってしまったのだろうか?と思っていた・・・こういうタイプのリーダー・・・が、良かれと思って、そうしてきたのだ、ということだった。

■ ブルータス、お前もか

「ブルータス、お前もか?」という気持ちだった。その人のことは著作などから、大変尊敬していたからだった。

四尾根にしても、連れて行ってもらうだけなら、誰だって行ける。

自ら、ルートガイド集を買って、何ピッチのルートで何時間かかりそうなのか計算する必要はない。

岩トレに出る必要もない。

今のスキルで、何ピッチに何時間かかるのか、計算する必要もない。

ルートファインディングする必要もない。

ロープワークの練習をする必要もない。

支点の研究をする必要もない。

万が一、間違った時のために、装備を研究しておく必要もない。

落ちた場合に備えて、救急救命法の訓練を受ける必要もない。

レスキュー訓練を一緒に行く仲間としておく必要もない・・・

”ついていく”以外なんの資格も・・・もっと言うなら、”努力”も必要ない・・・。

したがって、そのような四尾根なら行く価値がない。そのような山なら、どんな山も行く価値がない。

人生は短く、時間は貴重だ。

限りある資産なのだ、時間もカネも。だから、本当に価値がある、と感じられることに使わなくてはならない。

■ 素人扱いを喜ぶ人はいない

どんな世界においても、”あなたはド素人”と想定されている・・・ということに、喜ぶ人間はいまい。

そして、価値を失った山・・・体力さえあればいいだけの山・・・に喜ぶのは、山の世界では、ド素人だけなのである。

つまり、私は、ド素人扱いを受けたことになるのだ(^^;)。もちろん、これは、論理的帰結としてそうなると言うだけのことだ。

「○○へ連れて行ってあげる♪」 と発言する人は、本当に、相手が喜ぶ山に連れて行ってあげたい!と親切心から、あるいは職業的事情から、あるいは商売上の理由で、思うのだろう・・・ 

でも・・・、残念ながら、すでに、努力なしで手に入る山・・・が価値がないものである・・・ということは、分かるようになってしまった。

■ 素人並みの実力しかない

もう一つの論理的帰結は、ド素人並みの実力しか、実際のところ今の私にはないのだろう・・・ということだ。

ないものは、ないもの。今の姿を素直に見つめ、不足しているスキルは獲得する、だけだ。

それが、自己肯定感を高める唯一の道である。今までもそうして来たし、今からもそうするだけなのだ。

素人でも行ける山だからと言って、素人で行く必要はないのだ。

あらゆることの価値は、自らが作り上げるもの、なのだから。



Sunday, October 9, 2016

カモシカならず

■ カモシカ

今日は、ちょっと残念な山行だった。昼夜兼行で歩くカモシカ山行と思って出かけたら、4時半出発&16時幕営で、普通のテント泊の山だった・・・(汗)。

私は、(時間で区切って適当な幕営地を見つける山)ではなく、(できるだけ距離を稼ぐ)&(できるだけ長時間歩きづづける山)だと思って、出かけたからだ。

そのために軽量化し、行動食を充実させたら、行って見たら普通のテント泊で、朝夕のご飯が充実していた・・・あれ?

ので、同行者たちのザックは重く、ザックの軽い私は白い目で見られた・・・えっ?でも・・・重いと早く遠くまで歩けない・・・

そんな軽いザックなのだが・・・それでも、ツエルトもコッヘルも入れていて、単独になっても、幕営も食事も完結するスタイル・・・食事も朝昼晩、3日間、自己完結できる量持って行き、水を4、5リットル担いだとしても、15kgくらい。

ヤル気満々で臨んだのに・・・。

私はカモシカ山行を期待していたのに、違った。なんだかコンセプトが誤解がある山だったようだ。

■ 一応成長

とはいえ、金峰山ー甲武信の約26km~27kmの山行が、

 2016年 16時間半

 2013年 24時間

で、3年で歩行力は大幅UPしているようだった。3割短縮。前よりザックも2kgほどだが重い。実際今回は、共同装備を入れて、14kgくらいだっただろう・・・。

今回理解したのは、

 ・小柄な女性が、スピードを維持しつつ、歩荷負担をあげて行くのは、かなり得るものが少ない努力であること

 ・歩荷力は日々の積み重ね

 ・ライト&ファーストはありだし、ヘビー&スローもありだが・・・ヘビー&ファースト はないってこと。

だ。私自身は18kgを限界値とすることにした。普段の山でも一日は20kmくらい歩くが、それは日帰り装備でのこと。

年に一度、富士山に登ったり、年に一度歩荷山行したりするのは、

体力の定点観測

という点で意味があると思うが、男性並みに25kg 20km タイム短い、ってのはないと思う。


Wednesday, August 24, 2016

答えの無い問いに答える活動

■ フレームワーク化

登山も、クライミングも、他のスポーツと比べて、フレームワーク化が遅れている。

たとえば、危険認知を教えるべきなのに、そうはなっていない。確保理論もクライミングをするなら、どのような初級者でも最初に知るべきなのにそうはなっていない。

だが、逆説的に言うと、そのため、人を選ぶ。

言われたことをただやる人には適さない。

自分で道を切り開く人にしか適さない。

■ 自学自習

最近、思うのだが、私は常に独学の人だった。塾も行ったことがないし・・・正式な新入社員教育は受けたことがなく、”社会人のイロハはすでに知っています”、という顔をして、即戦力採用で、労働市場に入り込んだ。(実は知らなかったので、こっそり覚えた・・・笑)

独学力、というのは、今の時代の人には、本当に得る機会がないかもしれない。

最初の職場は開発だが、開発言語(プログラミング)も、まず”できます!”と返事してから、できるようになった(笑)。

なにしろ、”できるようになってから仕事します”では、仕事を干されてしまう。

市販の教科書を買ってきて一晩勉強して、何食わぬ顔で前から知っていたような顔をしないと、IT業界では生きていけない・・・

だから、資格試験に受かったから来た、という人は評価されない。たたき上げが評価される。

逆説的だが、私が開発部で評価されつづけたのは、資格が何もないのに実績があったからだ。

ので、新人さんが私のところに来て、「あの・・・すいません、IPアドレスって何ですか?」って質問をしたときには、かなりズッコケた・・・。

IPアドレスって何ですかって質問をすることは、開発者の恥であり、それさえ知らないようでは、今日、今すぐ首にしてくださいと自ら首をさしだすようなもの。

それと同じことが、クライミングで起きる。山岳会でも起きる。

地図出してくださいと言っても、きょとんとしている。あなた、何しに来たの、ということだ。

■ 通訳業と市場調査

通訳と言う仕事はその究極だ。だれでも分かることだが、日本語であっても金融業に通じていない人には、金融用語は説明がないと意味が分からない。

この普通のことが分からなくなるのが、通訳を依頼した依頼者。通訳は神のように何でも知っていると期待している。

通訳の立場に立つと、1のことを通訳するのに、最低でも10以上、怖がりでメンツを失く事を恐れ、良く勉強する人は100くらい勉強する。どの単語が現場で出るのか分からないからだ。

というわけで、1回の通訳で、通訳はその分野のエキスパートになってしまう・・・。通訳の時給は、2万円が相場だが、1時間で仕事は済まない。1時間のために1週間、下手したら一か月勉強している。

市場調査会社にしばらくいた。調査依頼が来ても、依頼自体がちんぷんかんぷん。例えば、東南アジアにおける電子電力系の普及程度を調べて欲しい、と言われても、なぁ。そんなこと、知っている人が、この世にいるんでしょうか?な質問だったりする。

依頼者が販売者なので、おたくの方がプロでしょうという感じなんだが。なので、この仕事も行ってから、やってみてから、こういう結果が出ましたけど、たぶんこんなところなんではないでしょうか?的な回答を見つける。

■ 答えのない問いに対する答え

結局、答えがないような問題、課題に対する答えを、思考錯誤しながら練り上げる、というような活動が、私には合っているのかもしれない。

ということは、現在の課題は、

 腕力なし、クライミング経験なしの女性をクライマー化する大作戦中なのかもしれない???

グロービスに行って気が付いたのは、私が仕事で取り組んできたような、つかみどころのない問いに対する答えを得ると言うような、ケースバイケースの問題解決に必要なのは、知識ではなく、原則思考だということ。

原則のことを、ビジネスでは、フレームワークという言葉が使われている。

登山も、クライミングも、他のスポーツと比べて、フレームワーク化が遅れている。

たとえば、危険認知を教えるべきなのに、そうはなっていないし、確保理論もクライミングをするなら、どのような初級者でも最初に知るべきなのにそうはなっていない。

知識の中から、役立つ原則を抽出するというのは、高度な思考力が必要だ。

クライミングや登山には、市場調査のようにデータ集めに資金がかからない。本もあまりたくさんは読まなくていい。

自分の体や経験がデータだ。経験値、と言われるもの。

そこが魅力となっているんだろうな。

■ 弟子と師匠の関係

しかるに、弟子と師匠の関係は、原則(知恵)の伝達だ。

弟子は師匠の経験値をはしょることができる。師匠は、生の経験を通して、原則を抽出したにも関わらず、弟子は経験なしで原則だけを受け取ることができるのだ。

人間の学問は、みなそのようにして発展している。

電気が発明された後は、電気を発明する苦労は、あとの人はしなくて良い。

弟子のほうの役割は、その原則をさらに洗練させて行くことだろう。

Monday, August 22, 2016

How To Warm Up For Climbing With Louis Parkinson | EpicTV Climbing Daily...

Dead Bodies On Mt Everest

Mount Everest Mallory & Irvine 1924 Discovery Of Mallory's body

ミッションインポッシブル

■ 憧れのクライマー

私の憧れのクライマーは山口輝久さんで、それは初めて読んだ山書が『北八つ彷徨』だから。

昭和山岳会出身の山ヤさんが貸してくれた。高齢の方だ。

彷徨するような、迷路のような北八つは、すでに失われて久しく、残念なことに北八つは山ガールの山になってしまった・・・。

■ 雪

私の心は最初からずっとにあった。八ヶ岳が最初の山だから。北八つで山を始めた。

山岳会に入会勧誘を受けたとき、勧誘してきた先輩に「どういう山がお好きなのですか?」と聞いたら、「雪稜」と答えた。

それで、入会してもいいかな、と思った。実は、さんざん高齢化と聞かされていたので、入会は躊躇していたのだ。

先輩は藪の雪山に連れて行ってくれた。キワモノ山行、と自嘲気味に言っていた。

やりたいのは雪なのに、人工壁を頑張らないといけないと言うことで、山の世界は、ほんとにややこしい。

ちなみに私には冬壁はないなと思っているし、雪稜でも厳冬期北アはないなと思う。厳冬期に悪天候につかまると北アでは一週間の缶詰でそんな体力はありそうにない。正月はせいぜい南アかなと思う。

残雪期のロングルートが憧れの山。

■ 憧れの講師

4年ほど前のまだアルパインも何も知らない頃、豪雪のタカマタギに行った。40分で6人でラッセルしたトレースも消えてしまった。

その山行で講師だった松本講師に雪を学びたいと思った。

転進先の選定を含め、判断が的確で、指導は合理的で納得性が高かった。理不尽さや不合理さ、精神論はなく、観察の的確さ、ち密さと合理的精神、思いやりの心があると思った。

残念ながら、ご縁がなく、この年、入会前に、リーダー講習に行くことになってしまった。

■ 友情

友情に立脚した関係には、損得やギブ&テイクを前提にした関係よりも、信頼を置いている。

友情は、欲という濁りがない感情だ。

私と夫の間には子供がいない。妻も夫も自立していて、おのおの喰うには困らない。

ということは、いつ別れても、互いに生活に不都合は起らないということだ。

それどころか、一緒にいるためには、様々な犠牲を払わなくてはならなかったりして、デメリットさえある・・・が、

仕事を取るか、結婚を取るか?

それで仕事をとったら、結婚って何なんでしょう?

愛ってなんだろう?と考えた場合、一緒にいたい、という以上のことがあるのだろうか?

まぁ、愛は惜しみなく奪うもの、というのも一面では真理ではある。

惜しみなく奪っているかのように見えても、奪われているとは感じないのが、愛なのかもしれない。

子供の要求にはキリがないが、答える親の方は大変だといいつつも、それを喜びとするから、答えていたりするのであるから。

■ 18人

単独か夫と山に行くだけなら、パートナーはいらない。登攀にはパートナーが必要になる。

これまでの同行者を数えてみたら、18人だった。

会で知り合った先輩や紹介された人は入れない。なぜなら、会でつながっている人は、会がなくなれば、関係が終わりになるからだ。

会のつながりは、そのような表面的なつながりでしかない。友情には立脚していない。

だから、友情に立脚してクライミングをしようと思えば、むしろ会に所属しない方が良いかもしれない。

この18人は、完全に、偶然の力、私の人脈形成力によって、知り合った人たちだ。

年平均、6人。2ヶ月に一回入会者がある、と思えば、いわゆる山岳会よりも、成績が良い。(私がいた会では、年に一人か二人しか入会者がなかった。)

これらは、動機はどうあれ、基本的には、友情に立脚した関係の人たちだったので、改めて感謝したいと思った。

■ 前の仕事

どうして、こうした人脈形成が可能になったのか?振り返ってみると、前の仕事の影響が大きいと思う。

山梨に来る前は、福岡で仕事で、新事業開発室という部署にいた。

この仕事、目先が効く人でないと、すぐやることが無くなってしまう。

スケジュールを自分で埋め、自分の仕事は自分で作る。でないと、ルーティンワークは一切ないので、ただぼーっとすることになってしまう。

指示されるのを待っているタイプの人には絶対にできない仕事だ。

私はエンジニアでキャリアをスタートしたし、一人でやる仕事が、元来好きで、営業的なことは苦手だった。人見知りと言う苦手を克服したのは、市場調査を経験した後だった。だから、この仕事は以前の私ではできなかった仕事だ。

もしかすると、この仕事は、山パートナーゲットのための修業か、予行演習みたいな意味があったのかもしれない。

あらゆる経験・・・仕事を含め・・・は、その人が自分自身のミッションをやり遂げるために与えられていると言うから。

まぁ問題はミッションが何であるか?が、非常に分かりにくい、ということなのだが。

■ 安定

こういうスキルも、すでに獲得後であったこともあり、山岳会をスピンオフしても、全く問題なく、むしろ問題が減り、今は念願叶って、安定的で幸せなクライミングライフを確立。

とはいえ、パートナーは療養中だ(笑)。

登攀力だけの問題なら、ジムで頑張れば、済むことだ。ジム通いは、ほとんど現代ではマナーと言えるかもしれないから、あまり特別なことをしているわけではない。

とくに最近はなんだか苦手だったジムも、苦手感が無くなってきた。むしろ、故障に気を付けないと。

一人で登ると、やりすぎの害を起こしやすい。私はそうでなくても自己完結しているタイプのため、集中してしまいやすい。

バランスが何事にも必要だ。というわけで対策は、コンディショニングなどのメニューを作ること。

■ ヨガ

ヨガの仕事を山梨に来てから始めた。 イントラ資格を取る前と取った後では、同じアーサナをするのでも、紀元前・紀元後くらいに意味が違う。

スタジオに入ると、ホームグランドだと感じる。お客様のほうが私に教えの機会を作ってくれているというのは真理だ。

瞑想状態に入ると、人生の意味を教えられる。愛されて生きることがカルマの浄化であること、今のままでよいこと、そうしたことは、自分自身でしか発見できない。

とかく、人は、ハーフエンプティのほうを考えがちだ。実際は多くを与えられ、奇跡の人生を生きている。奇跡にさえ不満を持つようになる。

誰の人生でもそうだが、私自身の人生を振り返っても、奇跡の存在を感じる。

どれほど乏しい環境で、どれほど大きな成果が可能になったのか?ということを考えれば、この先、資源が乏しいことは、あまり不安の種にならないはずだ。

多くの人が何かがないと何かができないという思考に陥ってしまっている。

が、その親自身がどうやってきたのか?と振り返ると、必要だと信じられているものは、別に要らないモノだったりもする。

その人自身の存在が、幸福には学歴不要の証明、あるいは経済的豊かさ不要の証明、にもなっているのに、そのことにあまり気が付いていないことが多い。

”〇〇がないと××ができない”に、まず目が行ってしまうと、できることもできなくなる。

良く考えると、個人的な幸福に、必要な資質は、すでに揃っていることが多いものである。

私の職業上のヨガは、個人的な幸福の延長にある。

今は自分のスタジオを運営しているわけではなく、ティーチャーズトレーニングを受けるにも、遠征となれば不必要な費用がかかるので、時機が悪いと判断して、時間的ゆとりの優位性を生かす戦略を取っているだけである。

教えているスタジオはホットだし、ホットでは体力的に週3日教えるのが限界。5年のキャリアがあるが、5年もホットをしているのは、すでにロングキャリアになる。

■ 課題

私の課題は、習得が早いが、飽きるのも早いことだ。器用貧乏とは私のことである。

過去を振り返る。

私のTOEICの点数は、20年前に取得した925点である。当時の満点は950点。これは受験者の上位1%に属す。受験回数は2回。あっけなく点が取れてしまった。というわけで、2回目でTOEICは卒業。

普通の人にとってTOEIC900代はすごいが、英語を仕事にする人にとってや、海外に住んだことがある人にとっては、まったくスゴクナイ。楽勝の範囲だ。

英語力は、まだ伸ばせるだろうが、第三者に実力を証明するために、数値や結果を追いかける必要はない。

そもそも今の生活では英語はあまり要らない。もっぱら友人のデイビッドとの語らいに使っているだけだ。若いころ、あんなに苦労して獲得した英語力なのだが・・・。

ソフトウェア開発者として、キャリアをスタートした。開発言語は、徹夜で勉強して、すぐにマスターして飽きてしまい、キャリアの後半はほぼマネジメント側に行ったので、今となっては、開発者として働くことはできそうにないし、したいとも思わない。

仕事で必要が起きたので、ビジネススクールに通ってマーケティングを勉強した。まわりは、ずらーとビジネスの大先輩。

卒論でクラスの一番が取れてしまった。昔から戦略立案は得意だった。強みを生かして、この分野で仕事をしたいが、なかなか機会に恵まれていない。

バレエは、もっとも困難な活動だったせいか、20年も続いた。バレエは難しく、バレエは本当に報われない。

仕事などよりも、情熱を傾けたかもしれない。福岡では、伊藤先生に師事できて幸せだった。一流講師。ノイマイヤーの通訳を務める機会ももらった。光栄なことだった。振り返ってみれば、福岡時代は幸せだったなぁ。

残念ながら、山梨には環境がないので一時停止している。が、未練たらしく、まだ10足ほどポアントを持っている。レオタードも、どうせ再開するときは、新しいのが欲しくなるんだし、と、何度も捨てようかな・・・と思ったけれど、まだ持っている。

最近クライミングに傾注するようになり、バレエを思い出すことが多くなった。バレエの虫とクライミングの虫は似ているような気がする。

登山は3年で一般登山は卒業だった。普通の人にとっての”すごい”は、アルパインをする人には、全然スゴクナイ。

現在、課題になっているところの、フリークライミング。5.11までは、誰でも行けると言われているから、行かなくてはならないなと思っているが、今までの他のアクティビティとの比較で考えると、比較的苦戦中かもしれない。強力な助っ人をゲットしたところだ。

しかし、習得の速さがすなわち飽きにつながっているという、過去の傾向を考えると、あまり習得が早くない方が、私にとって価値が高まるのかもしれない。

バレエもだが、大人になって年を取って始めた活動では、今からプロ選手になるではなし、体を壊さないように、のんびり構えてやるに限ると思う。

急がなくてはならない理由はどこにもない。

それどころか、逆で、急いでしまっては、楽しみが無くなる。

それは高齢のクライマーが行きたいところがもうない、と言うので前途が見える。ルートはちょっとずつ行かないと、すぐ行きつくしてしまうかもしれない。

大事なことは、幸せ”でいる”ことであって、幸せ”になる”ことではない。

幸せは、”もっともっと”の世界にはない。”ありがとう”の世界にあるのだ。

■ 誰の評価を求めるか

大阪を離れたとき、仕事を手放さなくてはならなかった。

しかるに、この10年の私の”決断”と、その決断から得た”結果”の因果関係や決断の意味、重みをもっともよく知っているのは、ビジネススクールの仲間たちであろう・・・。

というわけで、過去7年のプライオリティ順に

 ・登山 → 趣味とは言え、ここまで来れたこと、
 ・ヨガ → 仕事として充実
 ・結婚生活 → 充実
 ・クライミング → 最近の新しいチャレンジ課題

に対する、誰の評価が私にっとって意味があるか、と言えば、彼らの評価になるかもしれない。

自分自身が、「よくやったな~、私」と思っている以外は。

登山の成果を山ヤにたいして聞けば、上には上がいる世界のこと、登山史に名を残すようでないと何をやっても意味をなさない。13をオンサイトしたり、K2に登る以外は誰にも評価されない。

多くの優秀な山ヤたちが、そのために、「俺の山ヤ人生には意味がなかったのか」「俺なんか大した山ヤじゃない」と言って、苦しんでいる。

趣味で心の充実のために山をやっている人間が、そんな世界での評価を求めても詮無いことだ。

絶対的に肯定できる活動の一つは、レスキュー技術の普及。

最近、とりかかったところ。

というわけで、この7年間の、自分自身を評価するなら、よくやっているね、と言ってあげたい。

 

■ 戦力外の弟

私には2歳年下の弟がいた。一般に赤ちゃんの時は男の子の方が女の子の赤ちゃんより、病気に弱く、手がかかる。弟も例外ではなく、母は赤ちゃんの弟と幼児の私を抱えて大変そうにしていた。

母はシングルマザーだった。だから、私は”上の子は手がかからなくて助かる”であることが親孝行だった。私の自立は、幼児の時代から始まっていた。

弟は母親にべったりで、幼稚園に行くにも、いわゆる”ぎゃん泣き”して大変だった。母親が勤め先に出るのでも、同じ。妹もつられて泣いてしまう。

それでいつしか、ぎゃん泣き中の弟と妹を私が抱っこして、その隙に母親が家を出る、というチームワークが生まれた。

妹は、母がいなくなると、姉の私にべったりとなった。が、6歳の子が2歳の子のだっこをずっとしているのは、すごく大変だ。妹はまだ赤ちゃんだから、鼻水は垂れるし、ばっちいし、かと言って、2歳児は10kgくらいあって、もう重い。だっこしている私自身も、まだ6歳だったのだから。

一方、弟だってまだ4歳。戦力外だった。ロッキングチェアに登って落ちないでくれるだけで、ありがたかった。弟はいたずらして、怪我で3回、救急車に乗った。

男の子は成長が遅い。弟はおねしょがなかなか治せなかった。私は3つでおねしょは克服したが、弟は小学校3年生までかかった。

■ シゴキ

彼が小学校に上がった時、母が弟を地元のスイミングクラブに入れた。最初の日は鮮烈だった。弟は、ただプールに投げ入れられていた。人形みたいに。

溺れる~という声が聞こえてきそうだった。むちゃくちゃな動きで、何とか水から逃れようとしていた。

やっと上がってきて、ホッとしたのもつかの間、また投げ入れられていた。弟は泣いていたと思う。

それでも、この日から、弟はスイミングスクールに通うことになった。母は他の子が履いているような濃紺のスイミングパンツではなく、真っ赤な競泳用水着を弟に買って与えた。弟にしては、すごく恥ずかしかったのではないかと思う。

でも、その年から、私たちは、フェンス越しに弟がプールで虐待されているのを眺めた。赤パンなので見つけるのはたやすかった。

やがて冬が来ても、真水で泳がされ、唇は紫で歯がガチガチ言っていた。

母は私と妹を弟と同じクラブに入会させようとしたが、私は断固として拒否した。妹はカッコいいスイミングインストラクターのお兄さんにつられて入ったが、子供用プールでおもちゃ遊びする程度のことしかできなかったらしく、すぐ退会。

結局、弟だけがこのシゴキに耐えた。我が家のホープ。文字通り、希望の星。

■ 頼りにはならない

弟は3、4年生で、もう選手だった。我が家の休日は、弟の大会を中心に回った。5,6年生になると、メドレーやバタフライも出来て、家には、ずらーとメダルとトロフィーが並んだ。

6年生の修学旅行は長崎に行く。この長崎の時、弟は私に一番良いお土産を買ってきてくれた。びっくりした。母に買ってきたものより高価なお土産だったからだ。サンゴのネックレスだった。

我が家では、いつも、子供達がみんなでおこずかいを貯めて、ママに何かを買ってあげるのが通例だった。

当時、私は14歳だった。大人びていたので、街の中を歩いていると、大学生や新社会人の男性が声を掛けてくる。怖かった。

弟が中学生になった時、彼は「〇〇の弟」という呼ばれ方をされなくてはならなかった。学校の成績はてんでダメだったが、水泳のおかげで、スポーツは何をやらせても上手にできた。

最初、野球をやり、その後サッカーをしたが、すぐレギュラーになった。私はテニス部でキャプテンだった。

大変だったのは、サッカーで泥で汚れた、弟の衣類の洗濯。それでだいぶ弟とは喧嘩した。

この頃は、もう取っ組み合いの喧嘩はしなかった。しても私の方が負けてしまうのが明らかだったからだ。でも、断固として、弟の衣類を洗うのは拒否したので、弟は自分で洗うようになった。

私が中学生の頃までは、弟と二段ベッドの上と下で寝ていて、ある暑い夏、私がお腹の辺りに変な感触を感じて、起きると、知らない若い男の人がベッドの脇に立っていた。

それで、「ター坊!起きて」と叫んで、上の段で寝ている弟を起こしたが、弟はその男を見て、知っている人だと言った。

しかも、姉が酷い目に遭わされているのを理解していないみたいだった。全然、頼りにならない弟だった。13歳。

この事件のあと、この男の人は下着泥棒でストーカーだった、ということが警察から伝えられた。弟はストーカーをずっと見ていたのに、変だとは全然気が付かなかったのだ。

弟は14歳の頃、バレンタインデーのチョコを14個ももらってきた。中学が一番彼が輝いた時代だったかもしれない。

15歳になった弟は成績が悪すぎて行く高校がなかった。仕方ないので私立へ進んだ。あまりガラも良くない男子校だった。

1年生でさっそく額に剃り込みを入れていた。この頃は、もうすでに超逆三角体型で、弟は180cm近くあり、私は152cmと小柄なので、弟を見上げるようになっていた。

弟が高校生になったころ、姉の私は、すでにバイトしていて、朝5時には家を出て、夜は夜中の2時ごろに家に帰ってくるような生活をしていた。授業料もランチ代も自分で出していたのだった。

弟も高校に入るやいなや、土方のバイトを始めた。弟は、いつも私のマネをしている。2番目の子は、1番目の子がした失敗をしなくていいってことなのだ。

私はもう家事はしなかった。私自身の人生をなんとかする責任は私自身にあった。弟もそうだった。

その次に弟に会った時、弟はすでに冷たく、死後硬直した体になっていた。心臓発作だった。24歳。私は26歳だった。

■ 弟と学んだこと

私は、豪傑気取りでお酒を飲んで暴れている男性や浮気性の男性は嫌いだし、それは弟も同じだっただろうと思う。父親を思い出させられる。

私には、強くてたくましい弟がいたから、腕力があり、強くたくましい筋肉隆々のクライマー連中を見ても、男の子なんだから、そういうもんだ、と思う。筋肉を見て、うっとりなんてしない。強さでどーだ!と見せつけられても、どうもこうもない。

私に同じことを求められても、できないし、したいとも思わないし、する必要があるとも思えない。

私より山で、弱い男性を、パートナーにしたいなんて思わない。そんな女性がいるんだろうか?

男なんだから女性より強くて当たり前。

弟はスポーツは万能だったけれど、それは、スポーツの中のことだけで、頼りにはならなかったし、私のボディガードにさえなったかどうか・・・。確かめる前に死んでしまった。男の子のほうが生命力が弱いのだ。

小さいころはおねしょしていたんだし、母親を求めて、ぎゃん泣きしていたのは、弟のほうで私ではない。

弟と母親の愛を競ったことはない。常に弟が母親の愛情を勝ち取ることは自明だった。母にとって一番大事な子供は弟だった。だから、早死にしたのだ。

周りの大人は私が男の子だったら良かったのに・・・と良く言った。弟と並んでいると、よく兄弟と間違われ、私は男の子と間違われることが多かった。

山に愛されるのは常に強い男性で、女性の私ではない。私が男性と同じやり方で山に挑んだら、山はあっという間に私を飲みこんでしまうだろう。

男と女は違う。でも、弟は14歳の私にサンゴのネックレスをくれた。ちゃんとリスペクトはある。女性には、花を送りましょう。男は強くありましょう。

私のあとをついて、私の履いたスカートを履きたがっていた弟。坊主頭の弟。あやとりが上手。

私は”ねえちゃん”で、弟はいつまでたっても”ター坊”だ。それ以外、考えられない。

女と男は、ただ違う。特質が異なるのだ。











Wednesday, August 17, 2016

子なしハラスメント

■ 子なしハラスメント

このような記事が目についた。

ーーーーーーーーー
夫婦を苦しめる「子なしハラスメント」

東京都に住む男性会社員(35)は、結婚5年目。同じ年の専業主婦の妻との間に子どもはいない。3年ほど前から不妊治療を始めた。

「何で働いていないの? 毎日何しているの?」

妻は自分の両親に、こう聞かれたらしい。仕事もしていないのに子どもがいないのはなぜか、と責められているように感じ、傷ついていた。「子なしハラスメント」の空気は、夫婦の間をぎくしゃくさせることになった。

ーーーーーーーーーーーーーーhttp://news.yahoo.co.jp/feature/99

世界的に見て、日本と言う社会は多様性に乏しい社会だ。

多様性がないというのはどういう意味か?

みんなが同じ生き方しか許されない、という意味だ。

自分に自由な生き方を許していない人は、人にも自由な生き方を許さない。

自由を熱望しつつ、得ることができない境遇に自らを追いこんで、それを他人のせいだと思っている。

人生は、様々な理由で様々な不都合が起り、今は就職しようにも、以前のような、椅子に座っていれば、ボーナスがもらえるような、生温かい仕事はない。

自分の生活自体が成り立たないというのに、結婚することなんてできない人も多い。生活防衛で結婚したとしても、夫婦二人が生活して行くのがやっとなら、子供は持ちたくても持てないかもしれない。

純粋に生物学的事情で持てない人もいる。あるいは生き方の選択として持たなくても、それは個人の自由で、世間が詮索するような種類のものではない。

本来、大人の社会では、個々人の事情は詮索しないのがマナーだ。

日本にはそのようなマナーは成立していない。この面での日本の社会的成熟度は、他の欧米諸国と比べて著しく低い。

そのような個人の事情に、”世間”がいちいち鼻をつっこんで

”あなたはこうするべきだ”

と断罪する。その人が、どのような苦難を経て、現在の地位にいるのか?なんて、知りようがないのに。

あなたが子供を持たないことを非難したその相手は、不妊治療に何年も苦しんだかもしれないのですよ?

それくらいの想像力も働かない、自称子供の大人が多すぎることが、この国を非常に住みにくい世界にしている。



Monday, August 15, 2016

ウォーレン・バフェットの言葉


成功とは、いいと思うものを得ること。幸福とは、得るものをいいと思うこと。

 ウォーレン・バフェット:投資家

バフェットの著作はいつくか読んでいるが、こんなことを言っていたらしい。真実を突いている、と思う。

どんな人も、”自分がいいと思うものを得よう”として、現在の自分に至ったはずだ。

だが、多くの人は、”自分がいいと思ったもの”を得ても、それが”いい”と思えなくなる。幸福だとは感じられなくなる。

一例をあげよう。

どんな男性でも、結婚相手になった人には、”結婚してほしい”と懇願して結婚したはずだ。その女性は、”自分がいいと思ったもの”だったはずだ。その女性を得ることは、成功と考えたから、プロポーズしたハズだ。

ところが、30年、40年とつれ添うちに、妻を疎ましく思うようになる。自分が得たものをいいと思えなくなるのだ。

世の中に、このような結婚は多い。結果として、不忠がはびこり、浮気する男性が後を絶たない。そうした男性は、世の中の誰もが浮気をしているのだから、自分にも許されて当然だと主張する。

女性の側はたまったものではないのだから、このような世の中の考えには同調してはならない。

このような不幸な結婚は、反面教師として、決してそのような経過をたどることのないようにしなくてはならない。

結婚は、幸福とすることができるのである。それは得たものを良きものと考える思考から生まれる。

思考は具現化するものだからだ。

■ 青い鳥を追うのを辞める

子供の頃の私は、考えが浅かったので、私の親はくっついたり離れたり忙しかったこともあり、安定を求める子ども心から、じゃあ、さっさと別れて良いと思う人をまた得たらよいのではないか?程度にしか、考えていなかった。

大人になり、合理的思考も発達すると、それは何の解決にもならないことに気が付いた。

とっかえひっかえ、その時良いと思う人を次々と恋人として得て、次々飽き、次々とまた良いと思う人を得る。繰り返しにすぎない。

言い古された青い鳥のお話と同じことだ。

これは恋人、結婚相手のみならず、仕事や趣味の成功などでも同じだ。

もし、青い鳥のお話と、結末が同じだとすると、探し求めた幸福は、すでに掌中にあるものであるはずだ。

それはなんだろうか?

■ 未来形

バフェットの言葉が、幸福とは”得るもの”をいいと思うこと、と未来形であって、”得たもの”をいいと思うこと、でないのは、素晴らしいことかもしれない。

過去形の”得たもの”をいいもの、としてしまうと人間は成長をしない。

あるもので満足、という進歩の無い世界観となってしまうだからだ。

来るもの、得るものは、かならずしも、願いどおりとは限らない。

美しい花嫁を願い、その通りのものを普通、人は手に入れる。しかし、人は老い、美貌は必ず奪われるものである。それは不可避な変化だ。

それだけではない。

神はいつも、願ったものを与える。だが、願いはいつもすこし違った形で叶う。

例えば、神は、強くありたいと願った人には、試練を与える。試練こそが人を強くする唯一の物だからだ。

その叶った形を良いもの、幸福として受け取れることが大事だ。

現代人の問題は、強くありたいと願ったのは自分なのに、試練を与えられると、それを幸福だとは考えられないと言う点だ。

しかし、試練なくして、どうやって強くなろうと言うのだろう?

裕福になりたいと願えば、寝る間もないほど働くという環境が与えられるだろう。私自身もそうだった。

働かずしてどうやって裕福になろうと言うのだろう?

今、日本の労働環境は劣悪で、人々は長時間労働に晒されている。

誰もがそれを幸福だとは考えられないほどだが、それは労働が美徳だと考えられているためではなく、贅沢が美徳だと考えられているためだ。

誰もが食べるに十分なだけの稼ぎで満足すれば、それほど働かなくて良いはずなのだ。

経済的豊かさが唯一の成功であり、幸福の指標だと考える人が増えれば増えるほど、世界は長時間労働で占められるのが道理だからだ。

ヴィトンのバッグを買うために隷属的な長時間労働を受けいれるか?と尋ねられれば、誰もがNOと答えるだろうが、長時間の労働をした自分にご褒美をあげようとすると、結局は、ヴィトンのバッグになってしまうという結末はよく見受けられる。

それは、贅沢しか、自分を幸福にする他の価値観を自分に許していないからだ。

経済的な贅沢をあきらめることができないならば、同じ価値観の中から出ることができない。

■ 今持てるものに満足を見出すところからスタート

どのような生活にも、喜びの瞬間はあるものである。どのような貧しい人にも太陽も月も同じように光り輝く。

今できる、その生き方で、心を充足させる方法を見つけることが、得たものをいいものとする考え方である。

そこがスタート地点だ。

つまり、幸福は、幸福だと認めるところからスタートするということである。

行ける山が、いつもいい山。

幸せの再定義

■ 山瞑想が不要に

かつて、山に行くことは、私にとっては、非日常や瞑想を意味していた。脳の活性化&レスト。

ところが、今は、なんだかクライミングのほうが、脳のレストになっているような???

■ 再定義

ということで、私は自分の幸福の定義を再定義しなくてはなるまい。

始めのころは、景色、だった。山で良い景色を見て、心洗われる、良い思い出を作ることが目的だった。それは叶い、とても幸せな気分に包まれた。

その次にやってきたのは、山瞑想だった。山で精神の平衡を取り戻す。心のリセット。元気になるために山に行く。

次に、やってきた幸せは冒険だった。夫と知らないところへ行くのが楽しかった。へぇ~の量が幸福の量。

次は、挑戦だった。どんどん難しい山に行けるようになることが楽しかった。夫と二人でどんどん山を難しくしていった。達成感が幸福の目安という訳だ。

ただ、私一人がどんどん難しい山に行きたくなってしまい、夫とは一緒に行けなくなってしまった。この領域はまだ満たされていないままに、ブーム終了。本来、挑戦できると思える最難の山には、挑戦していない。

が、ただ同時に、難しい山と思われている山がラクラクになってしまったので、難しさを追求すること自体に、そもそも魅力を感じなくなった。

次に、どんな山でも、山さえ行けたら幸せ、という時代が続いた。沢や岩は目新しい体験で、好奇心をかきたてられた。沢をどうするのか、岩をどうするのか?とにかく”知る”のみ!

沢でも、岩でも、読図山行でも、何でも楽しかったので、そのまま好きなように山に行っていたら、108日も山に行くことになってしまった・・・。まぁ、かなり幸せ満喫ってことだな。量の時代ということだ。量が幸せの目安。

ただ、量をこなすうち、山なら誰と行っても楽しいわけではないことに、気が付いた。スタンプラリーみたいな、ピークの数だけの登山や、安全をアナタ任せの同行者との山、どんなすごい山に行ったか、その自分がどんなにすごいやつかを自慢したい同行者との山は、全然楽しくない。

リスク満点でくつろげない。なにしろ、危険認知が甘々どころか、命あっての物種、だからだ。この調子で行けばいつか事故で、凍傷や転滑落になることが、予想できる。

・・・ということで、幸福の目安が何であったか?言い換えると、何を目的に山に行っていたか?をまとめると

 景色(ご褒美) → 瞑想 → 冒険 → 達成感 → 量 → 知識 → 質

という変遷をたどっている。

■ 夏山は人ごみ

山行の質を重視する人が、人で充満した夏山なんて行きたくないのは、普通のことだ。

私が山に行きたいのは、そもそも、アイソレーション、人から離れるためなのだからして。

というわけで、幸せの再定義。

■ 幸せの再定義

フィジカルのアップ。精神の充実。


Sunday, August 14, 2016

普通のことがありがたいことだと思えるようになること

私には謎があった。

登山歴40年と豪語する山男が、「俺の人生には、あれがない、これがない」と嘆いてばかりいたことだ・・・

山に登っていれば、かならず、今持てるもの、で感謝するようになるはずだ。

 ただ、今この時、息をしていること

 五体満足であること

 温かい衣類を着ていること

 頭の上に屋根があること

 戦争状態のように、命の危険に脅かされるような状況にないこと

この映画は、そういう基本的なことを思い出させてくれる、良き映画だった。


Thursday, August 11, 2016

命を自分の自尊心を満足させる道具にしてしまってはいけません

■ 仲間

先日、国体で、会の先輩に久しぶりに会った。先輩はなんだか私に会ってうれしそうにしていた。私のほうでも、変わりない姿を見れてうれしかった。

退会はスムーズだった。君の期待に応えることができない、と先輩は言っていた。ごめんね、ということだ。

あきらめ、諦観、そういったものが、今、山の世界を支配しているのは、仕方がない。

No way out というような状況だからだ・・・。 出口がどこにもない迷宮に山の世界は入り込んでしまっている。

進歩はなく、退廃があり、停滞した空気感の中で、できることを精いっぱいやる、という山は、逆流に逆らって進む川の遡行みたいな感じだ。

■ 停滞

大体は、みな宴会山行へ逃げ込む。

本来の山の良さは、体力に見合った山をいつでも楽しむことができる、ということなのだが。

山の世界では、まだまだ競争原理が幅を利かせている。

この競争原理は、誰も幸せにしていないのに、不思議なことに誰も手放せない。

高尾山より、剣が上。

二級の沢より、六級の沢が上。

そんな世界が嫌だな~と思い、アルパインはもういいから、自然ガイドの世界に転進しようかな~と今春思った。

登山者として初めてのころ、よくネイチャー系講習会に行って、愉しかったからだ。苔とか、アニマルトラックとか、色々勉強した。

が、そこでも。

おばちゃん登山者たちは、何座行った、何年やっているの競争をしていた・・・ 上高地なのに、明神も知らないで、上高地のすべてを知っていると言わんばかりなのだ。

■ 結局は自尊心の問題

競争と自己顕示欲の山となると、結局は、自尊心の問題です。

登山を自尊心の問題で登っている人が多いのが、昨今の遭難者増加問題の端的要因であると思います。

私の会では、過去の自分の登山歴から、自分の能力を過信した先輩が率いた阿弥陀北稜(初級のアルパイン)で、3人の凍傷者を出しました。

これは計画時から慢心がうかがえる計画で、計画に意義を唱えたのは、悲しいことに、新人の私だけでした。

つまり、しがらみが理性の窓を曇らせるのです。

計画者が言っても聞かない人だから、ということもありますが、それでもその人が凍傷になったり、死んでしまってよい、と言う訳ではないでしょう。

他の会員は、人間関係の悪化を恐れて言うべきことも言えないのです。

しかし、山では、人の命がかかっています。

人の命を、自分の自尊心を満足させる道具にしてしまってはいけません。

それは、自分の命であっても、です。

■ 今日の言葉

自分らしく振舞い、
思ったままを言葉にしなさい。
    
なぜなら、そのことを気にする人は
あなたにとって大切な人ではないし、
     
あなたにとって大切な人は
そんなことを気にしたりはしないはずだから。
         
私をきらいな人を
憎む時間なんてないの。
     
だって、私を好きな人を
愛するのに忙しいのだから。
     
自分が愛する人たち、
自分を愛してくれる人たちに
大切な時間とエネルギーを注いでいきたい!

■ 関連記事

山岳会を考える

Tuesday, August 9, 2016

コメントをくださった方々に感謝しております

■アドバイザー

最近、コメントを読み返して、読者の方から、多大な応援、支援、ご心配、そして愛情をいただいたことに、しきりに考えが行っています。

大いなる存在の叡智が、私を山での死から守ってくれたのかもしれません。

本当に、大変ありがたいコメントを多数お寄せいただきました。感謝しても感謝しきれるものではありません。

これらのコメントのほうが、アルパインを志向したい読者の方にとって、参考になると思いますので、まとめ。

700以上のコメントがあるので、1Pではまとめきれませんので、また書きます。

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KatiPoroさん July 21, 2016 at 9:20 AM

≪新・これなら安全にいけるんじゃ百名山≫の提案は大変、興味深い内容でした。
団体感の維持と達成指向の活用は、ほんとに肝になりそうなキーワードです。

大変、おもしろい内容の記事をありがとうございます。

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山田岳July 1, 2016 at 2:57 PM

大学山岳部ではこの小刻みのステップが理解されない傾向がありますね。ある山岳部では登山歴のない一年生が最初に登った山がゴールデンウィークの西穂岳というのだから驚きです。ちなみにその山岳部は後に事故を起こしました。
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wko57May 16, 2016 at 4:35 AM

今週末夕もや尾根から黒富士に登る予定です。詳細な情報と写真、大いに参考になりました。ありがとうございます!

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とりおたMay 9, 2016 at 9:00 AM

はじめまして。全部のページがためになります。このページはとくに心に響きました。
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MハゲMarch 30, 2016 at 1:13 AM

ハゲオヤジです。ありがとうございます。
すでに退会されてたんですね、私の勇み足でした。

会員間で当番制順番制で山を決めるってかなり自由すぎますね^^;
自由な反面、山域、ルートを初心者レベルに限定しないと危険でしょう。

その会で前穂北尾根はなかなかです。
川俣尾根も、雪でブッシュが埋まったら歩きやすい等、発見があったと思います。
そんな感じで、夏に3000m級を登って「ここに雪がついたらどうなるんだろう?」などとイメージしてみてください。おもしろいですよ。

Kinnyさんは講習会に出たり自身で開いたりと勉強熱心な上、山行も多く場数を踏んでいるので、ハゲオヤジとしては太鼓判を押しております。
楽しめるレベルに突入されていると思います。
是非、自然と融合してください。
大丈夫だと思いますが一応、難易度を上げる場合は緻密に計画してください。
ヘマやらかしたらカミナリ落としますよ。
それでは。

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ハゲおやじFebruary 13, 2015 at 2:00 AM

こんばんは
少し協力させていただきたいと思います。

•リスクを具体的に落とし込む>予測する・考えることが大事ってことですね。い

ろんなリスクが溢れてくるでしょう。私の経験では、体力がないのが一番のリスクです。
•無理のない計画を立てる>自分の、自分たちの力量を知り、そして山の情報を得てプラニング
•力量に合った山にする>自分の、自分たちの力量を知り、そして山の情報を得てチョイス
•ダメだと思ったら引き返す>引き返せない状況、動いたら危険な状況に深入りしない>動いたら危険な状況とは?いろんな状況があります。それを知るには経験を積むこと、経験者の話・記事や本から知るのもよし。
•オーバーペースで苦しいときは、その旨、リーダーに連絡する>そうですね。体調不良や尿意もね。


行動を自粛すべき寒さ>天候・山域・防寒具・標高・気圧配置(風)にもよりますけど、稜線に出るならマイナス5度から要注意でしょう。夏山の雨で低体温症とか個人差もあるので。

昭和に比べたら今は装備も進化してますし、情報も得やすく、共有しやすいとおもいます。

また山に行けますように。どこかの山で、また会いましょう。

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Keisuke YamaguchiJanuary 13, 2016 at 9:52 AM

初めまして。
いつも楽しく拝見させていただいております。
3,4年前に黒戸尾根の日帰り8時間をやりましたが、ミニマムな装備とそれなりに強いフィジカル&経験&コンディションが整えば35+でも十分に実現可能だと思います。最近よんだ本("Training for the New Alpinism")によると、第一線でビッグマウンテンのアルパインをやってる人たちは空身で1,000m/30minが一つのベンチマークのようなので、黒戸尾根であれば4-5時間くらいでやっつけられる計算になるはず。タイムアタック的な登り方に執着しすぎると山が楽しめなくなる気がしますが、十分な体力とタクティックスで挑めばスピーディーかつ快適&楽しい登山を両立できると思っています。

ちなみに、ブログ主さんとは2,3年前に本沢温泉の大部屋でお会いしているかもしれません。当時オーストラリア移住の調べ物をしていたら偶然出会ったブログに山登りネタが書いてあって、それ以来ブログを拝見しています。

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Climber KDecember 7, 2015 at 6:06 PM

アメリカンエイドという用語は和製英語です。
ヨセミテの岩壁等で行われている、できるだけギアを残置しない、エイドクライミングのことです。日本の残置だらけの人工登攀ルートと区別するために、ヨセミテ帰りの日本人クライマー達が、日本国内で行ったエイドクライミングの呼称です。

私の思想では、
人工登攀=ハーケン、ボルト等の残置をつかうクライミング。
エイドクライミング=自分たちで支点を構築し、回収するクライミング。

私はカムの効かせ方はエイドで覚えました。
いきなりフリーで登りながら、カムセットを学習するのは危険です。
ガメラ菊池さんもそんなことを書いていたような。

トップロープでカムをセットしながら登り、ロワーダウン時にカムに体重をかけて暴れてみると、カムが動いて行く理屈が理解できるでしょう。カムの内刃と外歯をどちらに向けたらより安全とか、軸の岩面からの角度とか。しかし、習ったほうが安全確実です。
小川山レイバックでグランドフォールした重大事故を2件知っています。

写真の棒フレンズは私と同じです。初代は自分でスリングを結びました。
スリング付きは1982年から販売され、1と2と3の中間サイズもこの年からでした。
回収用の細引きは私もつけてます。
カラビナはシモンのベントゲートのスピリッツだし、オーナーは私と同世代でしょう。
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Climber KNovember 30, 2015 at 10:02 PM

ワールド・カップ日本代表のコーチをしている人が、ジムでスクールをやっています。
2年前に私はそのスクールに入りました。やったことは、ジムでの私の限界グレードの少し下のグレードを、2時間くらい、スクール生のパートナーと交互に登り続けることでした。パートナーは70歳でした。

私はコーチのビレーでジュニア選手が、12台を2時間で20本登っていたのを以前目撃していました。
同じ練習をグレードを落としてやらされたのです。2時間でリード12本、その後ボルダー30分でした。

若い人と年寄りの一番の違いは、疲労回復力なのです。今まで登り続けている故障気味の年寄りが、今さら強くなるわけないのです。週一のスクールと土日曜日は岩場。当時トライしていたのは小川山の12aでした。

岩場はマイペースなので問題なしでした。スクールでだんだん疲労が溜まり、このままでは本格的故障を起こすと思いました。

私は岩を登るのが目的なので、インドアで故障するなど、本末転倒はなはだしいと思いました。

腰や膝に爆弾を抱えている私は、柔道の受け身のように足から着地後、背中から後ろにころがらないと不安です。

コーチはボルダーは足からのみ着地しなさいと言います。
彼はスクール生の話は一切聞かず、「自分はプロだから言う通りやれ」というスタンスです。
彼は職人なんでしよう。職人=自己の経験からしか学ばない。他人の話は聞かない。文献等から学習をしない。
スクルーを終えてから、中高年スクール生で故障者が続出しているというのを聞きました(-_-)。

プレーヤーとして実績があっても、コーチとしてはなはだ疑問です。技術的な指導は一切ありませんでした。
唯一学んだことは私の今までのやり方が、適正だったということでした。

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Climber KNovember 30, 2015 at 11:21 PM

グリグリ2とクリックアップは9.6ミリのロープで、ルベルソやATCガイドと比較して繰り出し抵抗があります。
これ以上太いロープの操作性はかなり悪いです。
私は所持していませんが、グリグリ2は使用法を誤ると危険なビレーデバイスらしいです。
私のホームジムPUMPでは、何年か前にグランドフォール事故の多発により、
グリグリとシンチは使用禁止になりました。クリックアップはOKです。
ジム用9.5ミリロープの場合はクリックアップです。クリックアップでの危険な行為は、上下逆さまにロープを通すか、
ビレー側の手を放している以外にありません。単純明快、ロープの繰り出し操作はATCタイプと同じで、初心者もOKです。

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ーーーーーーーーーーーーuconこと清水菖司November 27, 2015 at 11:54 AM
uconこと清水菖司November 27, 2015 at 11:54 AM

どの言葉も同感です。
下戸の私が追加するとすれば「山に酒と睡眠薬は持ち込むな」ですが、これを言うとヒンシュクを買い、離れてゆく人が多いです。
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Climber KNovember 13, 2015 at 10:56 PM

Kinnyさんこんばんは。

私が初めて剱岳に登ったのはGWの早月尾根からでした。
大日岳の立山川側に張り出した巨大雪庇がひと際印象に残っています。
合宿最後の日に剣沢のBCから、大日岳を往復することになりました。
最も重要なことは、あの巨大雪庇の上を歩いてはいけないことでした。
稜線の傾斜が緩い部分は雪庇の上です。絶対安全圏は稜線から50メートルと想定しました。
なので室堂側の急斜面をトラバースしていきました。
早朝は雪が硬く、くるぶしが痛いトラバースが延々と続きました。
休息するときは傾斜が緩い雪面に上がりました。そこは岩や這松が露出している所。ここは山稜の上で安全です。この程度のことは山岳会一年目の私でも考えていました。

(つづきは上記リンクをクリック)
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Climber KNovember 10, 2015 at 6:28 PM

教えている人が間違っているのか、自分で改悪しているのかわかりませんが、一番目の写真のビレーはジムでは多いです。クライミングをする前に、正しいビレーを覚えることが先決です。
 (続きは上記リンクをクリック)
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Climber KNovember 8, 2015 at 1:23 PM

この遭難はGW後半の三連休最後の日でした。
このとき私たちは奥又白に入山していました。
3日目に悪天になると、入山前から予想されていました。

(続きは 上記リンクをクリック)
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登山再考November 4, 2015 at 11:55 AM

返答ありがとうございました。お忙し中すみませんでした。Thrive,Thriver.Climb,Climber.でしたね。

ブログを読んでいつも感心しています。理路整然と「登山」「山岳会・界」の事など本当によく考え、書いておられます。私は34年間、どっぷり山岳会・界につかっています。あなたの文章をすべての登山愛好者に読んでもらいたいです。

ハフツー物、紀行文、小説、雑誌、定期購読、等山に関する本はいろいろ読んでいますが、あなたのように深層心理をきちんと書いた文章は、ありません。さて登山を続けている間はどこかの山岳会に入っている方が良いと思います。遭難・救助・搬出・捜索のバックアップはもちろんですが、日頃の会活動ではクライミングをしない方、する方も会計・会報・事務局・新人教育・他団体の窓口等いろいろお世話しています。

その活動を通して、優秀な方に出会ったり、勉強になる事があります。良い人間関係も期待できます。参考になればと思い、書きました。
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RebayashiOctober 14, 2015 at 11:28 PM

どうも、初めてレスポンスします。
当会への批判記事の掲載、ご苦労様です。
先日、貴女の退会後最初の例会があったのですが、天敵がいなくなった会員のビッグマウスが2倍くらいになってしまった。やれやれ。(匿名)

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DamienOctober 16, 2015 at 3:16 PM

ご無沙汰してます。

ブログ再開したんすね。嬉しいです。

とか一応、前置きを書いて
この報告書の入手方法を教えてもらえないですか?
直接読みたいです。
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登山再考October 8, 2015 at 1:56 PM

はじめまして、二日前から読んでいます。コメントから察すると大変頭が良く、プロフィールも読みました、素晴らしい方だと思います。良い意味で登山界の貴重な方です。上から目線の言い方で、すみません。

31歳から66歳までどっぷり山岳界につっかている身にとっては、胸にささる事ばかりです。

山岳会のありかた。クライミング、その他すべてを考えて、文章にできる能力。今まで会ったことはありません。私も未だ、発展途上?思案中です。山岳界に失望しないで、長いめで見て下さい。
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清算・・・ 山岳会を考えるその1 の 

適切でわかりやすい文章です。Kinnyさんが思ってることは概ね理解できます。 あなたのキャリアで、よくここまで達観したと思います。  山は自分の時間とお金をつかいます。なので自分のやりたいようにやるべきです。

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モウアラJuly 29, 2015 at 5:58 PM

はじめまして、mooalaです。
そしてもう、サヨナラなんですね。

私は岩しかしてないですが、自分で行って帰るがモットーの極小クライマーです。
なので、なんとなく似たような事を考えてる方がいるなぁと、時々お邪魔していました。
短い間でしたが楽しくかったです。
過去の記事はまだ全部読んでないので、ゆっくり読ませていただきます。
これからもいい山/岩との出会いがありますように。(お互いに)

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snowSeptember 11, 2015 at 9:54 PM

はじめまして。
金峰山から辿り辿って、こちらへ伺いました。
そして、最新の更新が最終回…
しかし、とても勇気を頂ける言葉の数々。
ありがとうございます。
最初から、少しずつ読ませて頂こうと思っています

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mitis2012August 10, 2015 at 12:06 PM

大変参考になりました。
しかしながら、今回の件は下山後にでも本人に忠告すれば良いように思えるのですが如何でしょうか。タイミングは遅くても良いと思います。それが教育ってやつかなと思うのですが。

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yosemiteJuly 19, 2015 at 10:46 AM

昔(70年代)も「チョンボ棒」はときどき見かけたことがありました。
使う人はやはり「小兵」クライマーが多い感じだったと記憶します。 
平均して男性より身長が低く筋力も劣る女性クライマーが用いるのなら許されるといった雰囲気と傾向はありました。
しかし男性だと、まさに「チョンボ」の名の通りで、一般には軽蔑の対象ですので、市販された道具ではありませんでした。
「ズル」したい人が、ひそかに自分用に作って、隠し持っているといったところです。

私は「グリッフ・フィフィ」が「チョンボ棒」の原型ではないかと思ってます。
自分のプライドからは許せないものなので、フィフィも買ったことも使ったこともありません。
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DamienJuly 15, 2015 at 5:57 PM

甲州の谷事情は分からないんですが、
「脆いことで有名な場所」でなくても、降雨時や降雨直後は落石が発生し易いです。

横を登山道が走ってるようなところや、歩き易い尾根にスグ出れるようなトコロ以外は
「川幅一杯まで増水したら、どこからエスケープするか」を ある程度 考えておいたほうがいいです。

「集水域の広さ」も事前に行き先選択や、行く行かないの判断の大事な要素です。

普段水量の少ない区間でも、集水域が広いと、降雨時、大変なことになる可能性が高くなります。 
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DamienJune 9, 2015 at 10:00 AM

(プルージック登攀は)アピールポイントってゆうより必須条件、マストアイテム、マストテクっすね♪
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DamienJune 8, 2015 at 4:12 PM

ショルダーが好きです♪
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DamienMay 28, 2015 at 5:13 PM

ごちそうですねぇ。

知っておられるかもしれませんけど
飯盒は焚火の木の上に乗せてしまいます。
乗せる面が水平になるようにして
木は太めのを。
なので、苦労して ぶら下げる必要はないと思います。

ぶら下げと関係ないですけど、黒以外の塗装のヤツでも焚火で加熱すると全部、真っ黒になっちゃいますね。

やっぱり沢登りは日帰りより谷中泊ですよねぇ。一緒に行ったかたが気に入ってくれたようで良かったですね。
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DamienMay 22, 2015 at 3:06 PM

業務中にも関わらず、興味深く読ませていただきました。

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yosemiteMay 20, 2015 at 7:13 PM

肩がらみには、「肩がらみ確保」と「肩がらみ懸垂下降」の2つがあります。
しかし、ボディー・ビレイは、肩よりも腰、立ちよりも座り、というのが基本の教えなので、普通は肩がらみ確保なんてやりません。 

大学山岳会での人生初めての懸垂は、肩がらみでした。 ザイルと服の摩擦で制動する訳ですから ・・・

(つづきは上記リンクをクリック)
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yosemiteMay 20, 2015 at 10:00 PM

昔、80年代前半に、沢登り講習会講師を務めたので、一言。

1)バンガロー泊&葛葉川本谷
は、「バンガロー泊」ではなく「広沢寺」がメインです。 
そこはシングル・ピッチのスラブ系(小川山のような花崗岩の本物フリクション・スラブではない)の有名ゲレンデです。
ここで、沢登りの前に三点支持・懸垂・ロープシステムなどの岩登りの基礎をやるのでしょう。

3) 水根沢
ここは大きくはないものの釜や淵のへつり・泳ぎで有名です。 
沢を全部行くと結構長いので、大方のひとは詰めることはせず、沢の中ほどでで遡行をやめて沢沿いにある登山道に上がって下りてきます。 

4) 小川谷廊下
「廊下」というほど大地形ではないですが、水と楽しめるきれいな沢です。 
バイルが欲しいような難しげなへつりはないと思います。 
5回は行きましたが、いつも水浴びするのが楽しかったです。 
ここも途中の林道から下りて来られるので、楽ちんなところです。

5) 東沢釜ノ沢
ここは沢登りというよりは沢歩きでしょう。 
田部重治の『奥秩父』で有名となり、深田久弥などのクライミングできない人もたくさん登ってます。 
いわゆる「破線ルート」ってやつで、昔は山慣れた岳人はザイルなどは携行せず登ったところです。 
両門の滝までは3回行ったことがあります。 秋の紅葉が青緑の水に生えて最高ですね。
難攻不落・前人未到と言われた「法螺外」は、たしか80年代に突破されたと記憶します。
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yosemiteMay 16, 2015 at 1:31 PM

回答ありがとうございます。
眼から鱗、ようやく分かりました。 普通、「新人」というのは1年生だけに言うコトバですよ。
「入会して3年目」だったら、実力は別としても一応「中堅」とか呼んでもらわないと・・・(汗)。

入会3年目の30歳代男性が冬山合宿のリーダーになって、山行を企画・指揮したけど、藪漕ぎと河原歩きで敗退に終わった、ということですね。 
しかも、仮に宝剣まで行けてたとしても、そのリーダーにはフィックスを張る技量もない。
これでは、遭難予備軍です。 
「・・・そんなのにワタシ、付き合っていたら殺されます・・・。」と言うのも大袈裟じゃないですね。
その人がリーダーを続けるなら、バリエーションや積雪期は絶対いっしょに行っちゃダメです。 
というか、私だったらとっくに退会して別の会に移ってます。
もう「君子危うきに近寄らず」、を通り越して、「命あっての物種」に近い状況です。
人はなまじ近くにいると、「情け」とか「しがらみ」とかで、ものごとに曖昧にしますが、
Kinnyさんはすでに命が懸かるカテゴリーに足を踏み入れてるのですから、
「情けは人の為ならず」を実行しないとマズイと思います。
好きなタイプか嫌いなタイプか、そんなこと言ってる場合じゃないですよ!
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yosemiteMay 8, 2015 at 12:33 AM

積雪期の涸沢岳西尾根は昔から鬼門です。
70年代80年代も毎年のように滑落死亡事故がありました。 
年末の蒲田富士でチビ谷側に落ちて亡くなったのは星野隆男さん(山学同志会)です。
私は大学山岳会の初めての冬山で穂高を経験し、帰京した矢先にその訃報を聞いたと記憶します。
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DamienApril 28, 2015 at 12:14 PM

(学ぶべきことは)ココに書いてあることとジャンピング以外では、アブミかけかえによるエイドクライミングぐらいかなー。

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yosemiteApril 25, 2015 at 1:44 AM

昔も、Ⅴをトップで登れなければ、自立した一人前のクライマーはありません。
おそらくジムとジム同然に作った外岩のラインばかり登っているから感覚が麻痺したと思います。 
それも仲良しクラブでトップロープやハングドッグが常態化してるとさらに感覚麻痺を助長させます。
その使えない状況を、沢登りや雪山登山に当てはめようとするのはバカとしか言えません。

外岩であっても懸垂でボルト・ピトンを設置して作ったスポーツ・ルートはジムのと同等で、そんなムーブにフォーカスしたところを登れるかどうかだけを判断基準にしたらダメです。
残置ピトンがあるにせよ、自力でルートファインデングして確認してランニングビレイを取って登る、フロム・ザ・グラウンドなクライミングのリード力に基準を置いてグレードを俯瞰しないと意味がありません。 
(詳細は上記リンクをクリック)
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yosemiteApril 25, 2015 at 8:54 AM
「外岩5.11aのオンサイトを本番ルートへの条件にしている会が多数ある」
YDGが付けられたルート(=80年代初頭から開拓されたルート)とローマ数字のクラシックルルート(=70年代末までに開拓されたルート)のムーブと「質」が違うことが分からないのかなぁ?
登るスタイル(=考え方と言っていい)も道具も違うのに、同じ線上に並べて判断基準にするのはバカげてると思います。
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DamienApril 23, 2015 at 11:13 AM

本当に お疲れ様でした。
有難うございました。無料で素晴らしい文章が読めて お得でした。
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yosemiteApril 22, 2015 at 11:50 AM

yosemiteです。

『山と渓谷編集部ブログ』で詳述版を先に読んで異和感を感じ、その後に5月号の記事を読みました。
「遭難に至る経緯」という表とパーティーが辿ったラインを赤線で示した地形図が作られ、不明点がいくつも解けたものの、遭難の核心はまだまだ謎だらけです。

(続きは上記リンクをクリック)
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DamienApril 6, 2015 at 10:14 AM

この記事、小冊子にして配布したら どうです? 税金で。
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yosemiteApril 4, 2015 at 10:42 PM

yosemiteです。

◆ 「バットレス四尾根、『チャレンジ!アルパイン』には、2~3時間で出ているんですが…(汗)」

これは「四尾根主稜」だけの標準時間です。 バットレスには下部岩壁があります。 四尾根の場合は普通は5ルートあり、1~2時間とされてます。 『チャレンジ・アルパイン』を持ってないので具体的に指摘できませんが、下部岩壁が説明されてない筈がありません。 ここはどれも3、4ピッチを確保して登る侮れないところで、バットレスの一部です。

いずれにしても、上級者の同行を廃して、初級者同志がバットレスに行くのなら、三ツ峠のようなゲレンデでつるべを50ピッチはやって、登攀・ロープワーク・懸垂などをスムースにできる力をつけてから挑戦すべきと思います。
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yosemiteApril 4, 2015 at 9:09 PM

yosemiteです。

◆ 「初心者は決して一人にしてはいけない、と師匠にくぎを刺されています。」
と言うのを見て、先日伺った2012年の三ツ峠ガイド客の滑落死亡事故を思い出しました。 
ガイド客=何回やっても初心者同然、、と思いますので、指摘通りです。

◆ 「三つ峠は、クライミングで支点にぶら下がらないといけないような、シビアな所はありません。だからランニングはハーケンだったりします」
RCCグレード(UIAAに準拠)で示されたⅢ~Ⅴ+までのルートは70年代初めまでに、ハーケンとリング・ボルトまたはRCCボルトで開拓されたラインで、ご指摘の通りです。 アンカーはペツル・ボルト等に打ち替えられてるところもあるでしょう。
しかし、5.10aとかのYDS(ヨセミテ・デジマル・システム)式グレードのルートが、80年代初頭以降にたくさん開拓され(あるいはフリー化され)ていて、小川山などと同じでムーブ解決を楽しむのがテーマですので、登り方が違います。

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Wednesday, August 3, 2016

責任感のある仲間と登る

■人間として尊敬できるということ

最近、仲間に恵まれ、改めて確信したことがある。

大事なことは、人間として尊敬できるということだ、ということ。

言うまでもないことだが、クライミングは、余暇の楽しみである。大事なことは登れることではなく楽しめることである。

人を人とも思わない態度(例:挨拶をしても挨拶を返さない、言動を無視する、相手を試すような態度を取る)など・・・、そもそも”人としてどうか?”というようなクライミングも過去にあった。一緒にいること自体が苦痛だった。

実力を無視した無理な計画や、自分の実力誇示のために相手に無理なペースを強いる、実力誇示や危険認知の欠如により、相手を命の危険に陥れる・・・たとえばラクがあると分かっている場所にわざと立たせるなど・・・、あるいは、登れるからイラナイでしょなどのロープの不携帯などのずさんな装備は、自分のことしか考えていない。

相手の命を自分が危険に陥れていることには、まったく考えが及んでいない。

自分のプライドのことしか考えないのは、心の習慣だ。権利意識が強く、権利には義務が伴うことには無自覚である。 

自分のプライドのためだったら、相手を危険に陥れても良い、という価値観を持っている、ということになるのに気が付いていない。

それが、心の習慣であるということは、基本的にまったく無自覚であるということから伺える。責任に気が付いていないことが、分かっていないことを表している。

つまり一緒に登りに行く仲間としての相手への責任感のなさ・・・に無自覚である・・・と言うこと自体が、山仲間としては不適格だということを表しているのだ。

二人でクライミングに行き、一人が怪我をしたら、片方は山を下りて伝令として走れなくてはならない。読図ができなかったら、どうやってそれをしようと言うのだろう?

歩荷についても同じだ。基本的に自分が必要とする装備+登攀具を担げなくては、パートナーにおんぶにだっこ状態であり、クライマーとして自立しているとは言えない。協力ではなく依存関係になっている。特定の相手がいないと登れない状態は依存であって協力ではない。

ロープワークでも同じで、懸垂くらいは自分でできないとガイド登山状態だ。

テント泊などでも同じことだし、パートナーの獲得でも同じことだ。誰かが見つけたパートナーを横から取るのは、まったく自立していない。

そういう依存は、心の習慣だから、そういう人は、日常生活でも個として自立していない。だから、失礼なことをしても、まったく自覚がない。自分の権利主張ばかりである。

■ 気の毒な立場

自立していない仲間しか得ることができない人は、とても気の毒だ。

私は、嫌な目にも色々とあったけれども、それらの嫌な目は起こるべくして起きたことだと思う。

なにしろ、今はそういった私を命の危険に陥れる人とは登らなくて良い。

不安なビレイに身を任せる必要もなければ、無理なクライミングを無理強いされることもない。縦走程度で世話を焼いてやらなくてはならない人とは登らなくて済み、相手の荷物を肩代わりして担いでやらなくても良い。道案内もしてやらなくて良い。

自らのことは自ら決めることができ、同行者の命についても積極的に責任を担おうとしてくれる仲間。

そういう仲間と登れることに感謝している。




Friday, July 29, 2016

光と影

■ 光が照らしだす影

最近、素晴らしい仲間に恵まれている。

それで、分かったことがある。光がないと影が分からないからだ。

”無責任”とは、”自分さえ楽しく登れれれば良いという自己中心的な考え”であること。

”無知”とは、クライマーは自己完結でなければいけないということを知らないこと。

■ 自己責任

山は自己責任と言われる。それが曲解されて、”自分だけは楽しくクライミングできたらいい”になってしまっている。ハイキングでもクライミングでも同じだ。

いつでもパートナーがいる状態にしたい、ということは、誰もがもつ思いだ。

それは、自分だけ良ければ良いというスパイスが入ると、自分のパートナーだけを独占したいと思うようになる。

いつでも自分のためにスタンバっていてほしいと思ってしまうのだ。それは相手に対して、敬意を持った態度ではない。

自分のパートナーが心配だからという理由だと、逆に言えば、他のメンバーは危険だとその人が考えているということだ。

ということは、自分のパートナー以外の人なら、危険な人と組ませても平気なのか?

まぁYESなんだろうな。 実際、私は、初心のころ、つるべも知らない人と組んでいるからなぁ(笑)。

私が信頼されていたというよりも、まぁ捨て駒というか、あんまり大事にはされていなかったというべきなのだろう・・・。

■ 光

陰については、最初の3年間で良く分かった。

光について、書こう。

光は、敬意に満たされている。相手へのリスペクトが最初にあるのだ。たとえ後輩であっても。

最初から、山をちゃんと分かっているな、いい子だな、という思いがあるものだ。人間性への敬意だ。

先輩は後輩を山に連れて行ってあげたい!この面白さを見せてあげたい!と思う。その善意が出発点だ。

一方、自分が行きたいから、ただついてきてくれればいい・・・というのは自己中心的な山だ。陰だ。

相手の命への責任感があれば、実力を無視した山行計画や基礎的なセルフレスキューなしの山は存在しなくなる。

■ 恩返し

自分が成長したら、今度は恩返ししたくなるものだ。赤ちゃんと同じで、人は誰でも最初の頃は、いろいろと世話にならなければ、色々なことが見えてくるようにはならない。

でも、いつまでも赤ちゃんではいられない。クライマーは自己完結でなくてはいけない。

自分の相手くらいは自分で見つけてくる力量が要るのだ。読図だって同じだ。たとえ一人でも山を下りれなくてはならない。

いつまでも自分で山に行けない人は淘汰されていく。

こうしたことを教えてくれたのは、良き後輩と良き先輩だった。

■ 考えなくていいこと

最近、陰については考えなくて良いことを理解した。これからは光だけを考えて行けばいいのだろう・・・

感謝と恩返しの連続が、山なのだ。

そうならない場合は、基本的にすべて自己中、影なのだ。





Thursday, July 28, 2016

up dates

2013~2015のフォトダイジェスト追加

2016.5.24 ナビゲーション表追加

Monday, July 25, 2016

山はパートナー次第

■ パートナー

週末は楽しく遊んだ。最近思うこと・・・山と言う活動は、

 パートナー次第

ということである。

パートナーにスキルのあれこれ文句をつけてくる人もいる。が、クライミング力があるか、ないか、そういうことは、基本的に重要ではないと最近思うようになった。

なぜなら、山は山だったら、どんな山でも、愉しいのが山ヤなら普通のことだからである。

以前私はバレエを長いこと習っていたが、上達すればしたで、初級レッスンでも、上級者は上級者なりに深い味わい方ができる。山だっておんなじなのだ。

だから、例えば、自分が慣れている初級の岩場に行っても、それはそれなりに楽しく登れるものである。熟練と言うのは、そうやって、自分にとっては、新しいとは思えない場所に連れて行くことで出来上がっていくものなのだろう。

それよりも大事なことは、

 相手を尊重できるか?

ということである。クライミングは人生道場であり、相手を尊重すること、を学ぶ場だ。

■ 自己都合だけの人

以前、人工壁に行った。一人で行っているから、当然その日は、じっくり一人で壁と向き合って、ボルダリングをしたいと思っていた。

・・・ところが、行くと 「あ~よかった~知ってる人がいた~」という風に、知り合いにつかまってしまった(汗)。 そのため、自分の課題には向き合えなかった・・・。

誰だって、自分で自分の課題を持っているもの。

であるから、ビレイヤーが必要、というのは、自分の都合であって、相手も同じとは限らない。

相手もリード壁をしたいと思っているとは限らないからだ。

そうやって相手の都合を考えることができるかどうか?ということが、クライミングにおいても、山においても、大事なことで、それができないとどうなるか?というと、結局命がかかってしまうのだ。

この時も、不本意なクライミングを強いられ、フォールして、床から50cm。

■ Noと言えない自分を反省

ただ、この時は、Noと言えなかった自分を反省している。

ときどき、驚くほど、相手のことを考えられない、自分中心の発想の人もいる。そういう人は、一事が万事そういう言動だから、こちらも慣れてしまって、「負けるが勝ち」と相手に合わせてしまう・・・のは、大人はみなそうするから、だ。

やってはならないことの定番は

・怖がっている人に、リードさせる

・相手の実力を無視したルートに行こうとする

などである。何しろ、命がかかっているのだから。

そうしたやってはならないことをする人が、いくら「登ろう!」と言ったって、登るのは自分である。登れないところを登る羽目になったら、それは自分にも非があるのだ。

登りたくありません、と言う人間の強さが必要だ。

■ 思いやりと歩み寄り

結局のところ、信頼関係は、互いの歩み寄りである。

相手を理解しようとすること。互いの都合の接点を見つけること。

そうしたことは、想像力と知力を必要とする。

思いやりとは、今の相手に何が必要か?自分が相手に何をしてやれるか?

を想像することである。

自分のニーズを主張して、相手のニーズよりも自分のニーズを満たそうとする・・・そうしたことが起こりがちなのがクライミング。

大事なことは、そうした”自己中”クライミングではなく、”心の山”を続けていくことだ。



Tuesday, July 19, 2016

登山の成功

■ なぜ山に登るのか?

なぜ山に登るのか?

以前、その問いに私が出した答えは、

 素晴らしい思い出を作るため

というものだった。

後年、振り返って、にっこりすることができる、楽しい思い出を蓄積すること。

■ 成功の形

この海の日には、友人の自宅パーティに招かれて出かけてきた。

思い出を共有する仲間がいること。

思い出は一人でも振り返ることができる。しかし、共有することができれば、喜びは行く倍にもなる。

それは、一つの成功した登山の形だ。

そういう仲間を得ることができるような、そんな登山を続けて行かなくてはならない、ということなのだ。

■ 足るを知る

山に登ると、生きていることだけで人間は十分なのだ、と誰でも一瞬で理解できる。

一瞬一瞬を真摯に生きたか?それだけが死の床で問われることなのだろう。

自分の小さなエゴに囚われず、後悔の無い時間を過ごしたかどうか?

悠久の時の中の、一瞬の命、人生。その貴重な時間をどう使うか?それは人間次第なのだ、ということだ。

愚痴を言って一生を過ごすもよし、小さな競争に明け暮れて過ごすもよし、自分の使命に捧げるもよし。

それが人間にだけに与えられた選択肢であり、ファンダメンタルチョイス、と言われるものである。

■ 山での死

そういう風に山で感じる・・・と、山での死については、ただただ、もったいない…という思いしか浮かばない。

山の難易度をどんどん上げて行くような山はしたくない。

そこには、自分を証明したいというエゴしか感じられない。どういう風に山を選ぶのか?グレードなのか?それとも他の要因なのか?

その人の山は、山の選び方に現れる。自分の山をやっていくことは、誰かに「すごいですね」と言われることよりもはるかに重要だ。

≪前穂北尾根の回想≫

Thursday, July 14, 2016

感謝の気持ち

最近、本当に感謝の気持ちがふつふつと湧いてきている・・・

私のクライミング人生は、このブログで色々なアドバイスをもらえなかったら、早期に終わっていたかもしれない・・・というか、早期に終わらざるを得なかったかもしれない。

現在は、私自身が、素晴らしい人たちだと思える仲間を得た。それも、ほとんどが偶然の出会いによるものである・・・。

後は私が登攀力をあげ、経験を積んで行けばいいだけである。

今日は、だいぶ前の四尾根研究の記録を再読した・・・

ヨセミテさんという方が、アドバイスをくださっている・・・振り返って再読していると、心配が見えるようだ。

とても感謝している。

後輩と山に行きたいと思うと、色々と相手の命に対して責任を取るため、自分自身が技術を身につけないといけない、ということになる。

相手の命の尊重は自分の命の尊重と同じだ。互いに互いを大事にし合える間柄の仲間を持てて、本当に幸せなことだなぁ・・・と感じている。


Thursday, July 7, 2016

ビレイヤーを選ぶのはクライマーの責任です

■ ビレイの教わり方は難しい

ビレイについては、たとえ名前が売れている講師についたとしても、きちんと教えてもらうことは難しい・・・。

最近ある有名講師のビレイ講習ビデオでのミスを指摘してもらった。

最大の問題は

 ビレイができることが、岩に行く必要最低条件

だということを教わらない新人が多いということだ。ビレイができなくても、まぁ最初はトップロープだから、と連れて行ってしまう。

そうやって、トップロープが普通のこと、ビレイは誰か他の人のがやってくれるのが普通のこと、として、連れて行ってしまうと、

 ・ビレイは連れて行ってくれる人(主催者)がやってくれるもの

 ・岩はトップロープで登るのが普通のこと

という感覚を育ててしまう・・・。

この誤解は、イベント的に登っている場合には、山岳会、商業的なクライミングイベントを問わず多い。

”登りに行く”のだが、”登るため”には、”ビレイ”ができないといけないのだ。




■ ビレイヤー不足の現実 ・・・「落ちないからいいだろう・・・」

・・・が、実際問題としては、・・・私にも経験があることだが・・・、あてにならないビレイを受け入れ、

「まぁ落ちないから、いいだろう」

と登ることが多い・・・。私自身、落ちれないビレイを受け入れて登った経緯は少なからずある。もちろん、自分が落ちないと思っているところしか登らない。

落ちれないビレイを受け入れて登ることは、ビレイヤーにとっても、クライマーにとっても、Lose:Loseの選択肢だ。 

落ちないから、良いだろうと思っている間に、うっかり落ちてしまい、それをビレイヤーが停めれなかったら、そのビレイヤーにとっては一生の心の傷になる。

落ちる落ちない、の判断は、Ⅳ級であっても、外の岩では、やはり外的要因もあるので、不確定だ。

例えば、ホールドは欠けることがある。

私のパートナーは、彼の登れるグレードでは落ちないハズのところだが、ホールドにした岩が突然欠けて、落ちた。その石は、私をめがけて飛んできた。停めたけれど、もし初心者だったら、ラクにビックリして、制動手を離してしまうかもしれない。

制動手は、何が何でも離してはいけない。

■ グリップビレイの害 ベテランの場合

以上は、初心者のビレイについての話だが、たとえ講師を務めるような、ベテランと言えども、ビレイが確実かどうか?の目安にはならない。

グリップビレイになれてしまったベテランは特に要注意かもしれない。

クライマー側と制動側のロープを同時に握ることは、厳禁なのだが、グリップビレイをしたことがある人にとっては、正しい操作のように感じてしまう。 

これを高難度グリップビレイと呼ぶ人もいるそうだ。かなり危ない!!グリップビレイは、正式なビレイとは今の時代言えない。もちろん、アルパインのルートでは、グリップビレイで十分と言える場所もあるかもしれないが、それはシビアではない場所のことなのだろう。私はまだ見たことがない。

グリップビレイでは、両方のロープをまとめて握る。

このビレイスタイルは、制動側のロープが上にきてしまう。

 ・ロワーダウンでのすっぽ抜け、
 ・懸垂下降でのすっぽ抜け

と同じである。制動手側は、かならず、S字にロープを屈曲させていないといけない。屈曲さえあれば、強い力がなくても、ロープは止まる。

大事なことは、手とロープの摩擦ではなく

 屈曲

だ。

私の知り合いでは、山歴40年のベテランがいる。しかし、外岩では何で確保していたのかというと、ムンター(汗)。そもそも確保器を持っていないのである。

それでクラックも登っているからアッパレであるが・・・現行主流になっているATCガイド型の確保器をもっていない。

そう言う場合は、新人さんと変わらないかもしれない。もちろん立ち位置などは信頼できると思うが。

■ 懸命すぎても

新人さんの場合は、悪いお手本を見てしまったのだろうか・・・前の会では、残念ながら、何度指摘しても、両手が確保器より上になって確保している人がいた・・・(汗)。その方は、悪気がない。というのは、懸命にクライマーを見ていたからだ。

クライマーを見ることは大事だが、両手が確保器より上になっている状態で、いくらクライマーを見てもダメはダメだ。

そして、制動側の手が、確保器から遠かった。

 制動側の手は、ほとんど確保器に添える

くらいで良い。

その方はなぜか、墜落を止めるのは、制動手側ではなく、クライマー側のロープの自分の手のグリップであると勘違いしているようだった。

たぶん、ロープを繰り出す時、左手(クライマー側)を優先させるからだと思う。繰り出しでは、当然だが、制動している手を上に持って行かないと、ロープが出ない。

逆に言えば、繰り出しているときに落ちたら、ロープが流れてしまうので、アブナイ。

■ ローワーダウンのミス ・・・ロープは流れ出したら止まらない

一度、だいぶ長いルートで、先輩がテンションと言ったのに、聞えないことがあった。

しかるに、私はまだテンションしておらず、先輩がローワーダウンでテンションした瞬間に、ロープがするする・・・と流れ始めた。

一瞬で理解し、すぐに握ったため、ロープのスピードが付いておらず、事なきを得たが・・・

この時は、

 流れ出したロープを握るのは難しい

事を理解した。それ以来、

 ローワーダウン時のテンションのコール

には気を使っている。分かっていても、他にも人がいるルートだったりで、コールが聞こえないということはある。

自分がクライマー側で、テンションするときも、

立てるところで、テンションを感じてから

しか、体重を預けない。

■ ATCタイプで確保を覚える vs ブレーキアシストの確保器で覚える

確保は大抵の人は、ATCタイプで覚えると思います。

私は、2穴のバケツタイプを買ったら(シングルロープだと径が太く、ATCガイドタイプは流れが悪く使いにくい)、師匠に、リードする気がないと目され、非難されてしまいました(涙)。

リードするつもりがあるかないか・・・は、山屋教育上重要課題ですが・・・フォローしかするつもりのない人は、おそらく依存的な人なので、自己責任を原則とする山には行かないほうが良いと思う・・・のですが、それとは別の問題があります。

ブレーキアシストのビレイ器より、ATCタイプのほうが、操作が難しい

初心者は、ATCで確実なビレイを覚え、グリグリなどへ進むべき

ということです。

グリグリ2やクリックアップ、あるいはマムートのスマートなどは、確保の保持の仕方は同じですが、手を離しても止まります。

つまり、オートマ。 とすると、ATCは、マニュアルと言うことになります。

どちらから覚えるのが易しいか?というと、オートマのほうかもしれません。

初心者にはブレーキアシストの確保器をもたせるべき

なのかもしれません。

■ ビレイヤーを選ぶ責任 ・・・トップロープとリードは違う

初心者は知らないとういうか、教えられていないことが多いのですが、

 ビレイヤーを選ぶのはクライマーの責任

です。

会にいると、なんとなく、未知の相手と組まされたりもします・・・その場合はトップロープでなら、ほとんどの場合大丈夫です。

リードになると、ビレイはシビアです。

繰り出しが遅いと登りづらいですし、1ピン目から3ピン目までは、余分なたるみがないようにビレイしてくれないと墜落した時にグランドしてしまうかもしれません。

また立ち位置の基本は、1ピン目の真下です。

こちらの記事は私の2年前の物ですが、基本をまとめています。

http://stps2snwmt.blogspot.jp/2014/05/blog-post_16.html

■ タイトな繰り出し

私自身は、タイト目に出してくれているビレイヤー(繰り出しが遅めに感じられることが多い)は、初回であれば、好感をもっています。

特に、1~3ピン目までであれば、クライマーが引いてから、ロープを出すくらいでも、繰り出しが遅い!と怒鳴る気にはなれません。

落ちるときは、低い位置では落ちてはならぬと思っていますから、低い位置で落ちるようなら、そのルートには登らないです。

低い位置で落ちるとどうなるか?ロープには伸びがあるので、その伸びの分でもグランドする可能性があります。

また、低い位置のフォールを止めるのは、ロープを一瞬で手繰らなくてはならず、非常に難しいです。

■ クライマーの責任を取った経験・・・1ピン目でのフォール

初心者の頃、一緒に成長して行きたいと考えていた相手で、1ピン目で落ちる人がいました。人工壁です。大急ぎで手繰って、問題なく止めましたが、その方とは登れないな、とその時、判断しました。

1ピン目で落ちるようならリードで取り付いてはいけないのです。落ちるくらいなら、他のホールドを持ったりしても良いくらいです。

その方は、勉強不足でしょう。ビレイについて知らないから、自分がクライマーになった時も、1ピン目で落ちてしまったのでしょう・・・。というか、普通は自分がクライマーになっときこそ、落ちたらどうなるか?ということを真剣に考えるものです。

私も当時初心者ですから、無条件にビレイを信頼し、落ちてはいけないと、勉強さえしていれば分かるところで落ちる、ということは、これは生き方の問題だと感じ、一緒に組むのは今後難しいと思いました。

無条件の信頼というものは、誰にとっても負担です。たとえ、ベテランでもです。

 安全は、クライマーもビレイヤーも共同責任

で守るという意識が必要です。

安心の内容は、実績に基づいたものでないといけません。

というわけで、その方とは縦走もしていたし、しばらくジムにも一緒に通っていたので、時間の投資もあり、もったいないと思いましたが、泣く泣くあきらめました。

これがクライマーとしてビレイヤーを選ぶ責任を取った最初に事例となりました。

(もちろん、一回の失敗で、判断してしまうのは良くないことです。この時はすでに理解不足だけでなく依存が起きていることが分かる事例が3回目でした。)

■ 推理

ビレイヤーとクライマーの間には、色々な推理があります。

例えば、他の人と登らせないという措置を取っていたら、それはその”他の人”、つまり登る可能性のある人たちのビレイやリスクマネジメントが危ない、という意味です。信頼できない相手に、自分のパートナーを任せる気にはなれないハズです。

ある時は、クライミング歴5年と言われて信頼していたら、リードのビレイで引っ張り落とされそうになったことがありました。

その後、その人のリードを見ていたら、ヌンチャクを引っ張ってリードしていました。つまり、自分でリードして登るフリークライミングではなく、トップロープで登らせてもらうタイプのクライミングを5年していたという意味だったのでしょう・・・。

ある人がクライミング歴3年と言うから、尊敬していたら、流動分散を今習っていました。・・・ということは、今までリードで登っていないという意味です。ということは、その人には、リスクマネジメントはできないだろう、と言う意味です。

こんな風に色々と行動から分かることがあります。

■ 一番安心なのは自分が育てた人

どんな人とも初回はあります。その時、未知数なのはビレイのスキルです。

なので、一番安心なのは、

 自分が育てた人

です。何を知っており、何を知らないか?ということは、

 自分が何を教えたか?

のそのままの反映であるからです。

したがって、登りたいクライマーは、人を育てます。育てられる方は、それに答えて、

 安心して登れるビレイヤーになる、

それが大事なことです。それ以上にクライマーとビレイヤーの信頼関係は必要ないと思います。

互いが互いの命を守り合っている、ということをしっかり理解する、

ということが一番大事です。

■ 当方のビレイ関連記事

正しくリードのビレイをしましょう

まずは信頼できるビレイヤーになりましょう

ビレイができない奴は岩には連れて行かない

墜落係数のこと

OKビレイ・NGビレイ

ビレイデバイス選び中  これは3年前の記録です。これほどの初心者だった時期から今は本チャンんへ自前で行けるようになりました。石の上にも3年。

セルフビレイには体重を預けておく

ビレイすることと伸び













Thursday, June 23, 2016

ジム嫌いの師匠の想い出

■ ジム嫌いの師匠

最初に私を見出してくれたのは、個性的な会の代表を務めているベテランだった。雑誌の岳人などにも書いていた往年の山ヤだった。

私は、と言えば、アルパイン0年生で、事情が分からないことだらけだった。

一般縦走登山は、一通り、縦走も雪も自分で終わり、山へ行くのに地図を持ってこないような状態は抜け出している状態ではあった。でもアルパインへは進まない予定だった。

私は当時、進められて、ジムへ通っており、気の合うパートナーを得た。

一方、師匠の方は、私が人工壁通いを始めたことを苦々しく思っていたようだ・・・。

当時、私は、山の事情や、旧来的な育て方と、新しい育て方があるのも全く知らないので、師匠の抵抗は、ぜんぜん意味不明。(今では事情が少し理解できるようになったつもりだ。)

師匠がなぜ、弟子の私がクライミングジムに行くのに、難色を示すのか分からなかった。

普通はヤル気があるねって喜んでくれるんじゃないの?

■ 初心の頃は、守りの技術を教わるべし

かと言って、師匠は岩には練習になるほどは、連れ出してはくれなかった。

師匠とのクライミングは、三つ峠と十二ヶ岳の岩場の2度のみで、フリーの岩場には行ったことがない。あとはアイスのルート。アイスのゲレンデ。

今思えば、ランニング支点の取り方やビレイポイント(アンカー)構築の方法などを師匠は伝授したかったのだろう。しかも、リアリティのある現場で。

ただ、初心者は、それを教える前段階に、ゲレンデ通いが、3年程度必要なのかもしれない。

教わる側が以下のような段階だったからだ・・・。つまりドがつく初心者から、ドがつかない初心者に
なるのに3年かかるのかもしれない。

■ ドがつく初心者とドが付かない初心者

初めての三つ峠では、私のパートナー候補者として来てくれたNさんは、師匠を引っ張り落としそうなビレイをして、師匠は顔面蒼白。 

彼女は、私がハンギングビレイしていると、「すごいですね!怖くないんですか?」と、かなりトンチンカンな感想を漏らすほどの初心者で、師匠と私が懸垂準備をしていても、右往左往するだけで、次に何が起こるのか、分かっていない様子だった。

アンカーやロープドラッグを起こさないランニングの取り方などを教えるには、まだ単純な確保理論に対する理解が足りていない。

つまり、ドがつく初心者だ。このような段階の人に、アンカー構築を教えても、耳に入らないだろう。

■ ベテランの安全監視が必要な段階

それほどあぶなっかしい初心者の二人であれば、二人で岩に行く、というのはない。

ので、当時私は岩に行きたくて仕方がなかったのだが、私を引っ張り落とすビレイヤーの彼女をさすがに外岩に誘う訳にもいかない・・・。

私としては、できることはジム通いくらいなものなのであった・・・。

こういう状態の時は、いくらパートナーでも、安全管理上、ベテランの同行が必要だ。

■ おメガネ・・・

師匠は大ベテランだったので、ジムで会った新しい相方(男性)と一緒に岩に連れ出して欲しかったが、懸念があった。

 1)師匠が得るものがない

 2)若い男性は、おそらく”師匠のおメガネに叶わない”・・・(汗)。

師匠としては、得るものがない上、連れて行ってもらう方も、「俺、一人でも、これくらいのぼれらぁ」と思っているので・・・双方互いが必要だと思っていない(汗)。

安全管理してもらう側は、管理してもらうと思っていないし、してあげないといけない立場になる側は、感謝されない行為をしなくてはならなくなる・・・

という訳なので、どうしても、しわ寄せは私に来ることになるのは、見えていた。

ので、相方の分まで私が肩代わりして連れて行ってもらう恩を着ないといけないことになり、私としては、荷が重かったのだ。

師匠に引き合わせても、相方もありがたいとは思わないだろうし、師匠の側のおメガネにも叶うとは思えなかった。

■ 目が高い師匠

そもそも、師匠は、目が高そうだった。14サミッターでも師匠の目にはかなっていなかった。

初心者だから実績が必要になるわけではないが、山の好み、山への姿勢、そういうものが真摯でない昨今の若い人は、なかなか師匠に紹介できそうなクライマーがいなかった、ということだ。

師匠の気に入るクライマーの、ストライクゾーンは、とっても狭そうだったのだ・・・。

フリー寄りの人とアルパイン寄りの人は、あまり相性が良くない。

■ ジムの弊害

師匠とは、去年の今頃から、連絡が途絶えて、もうまる一年近くになる。

相方と登っていた頃は、師匠は自分の会の新人君の話をして、私を羨ましがらせるばかりだった。

師匠の会の新人君は、ベテランに連れられて日和田などの初級の岩場に連日何度も何度も通っていた。私は、レベルに合っている易しい岩場へは、相手がおらず、なかなか行けなかった。

師匠がジム通いに否定的だったのは、今思えば、以下の点が懸念されるからだろう・・・

≪懸念事項≫

 1)ボルダリングの価値観を身につけてしまう つまりグレードだけを追求するようになる

 2)外の岩の危険について、無頓着になる

 3)登れるルートをグレードだけで判断するようになる

 4)ルートコレクターと課す

 5)そのような安全管理不在の人たちとルートに行き、危険な目に遭う

実際、私は数々の危険な目に遭ったような気がする。

あるとき、岩に誘われて行ったら、ビレイヤーが経験者ではなく、完全初心者のビレイだった。それで、私は生まれて初めての5.8を初リードする羽目になった・・・(汗)。

このような場合、いつも問題になるのが、

 危険を作り出している人がいい人で、なおかつ、無知であるがゆえに故意でないこと

である。故意でなければ罪は問えないが、そのつもりがなく殺人して、知りませんでしたごめんなさいで通れば、法はイラナイ。

現在クライミングは無法地帯であり、

 クライマーの側がビレイヤーを選ばなくてはならない

が、初心者のクライマーの場合、自分に選択の責任があるとは知らされていない

初リード時も、私はこの人のビレイで登る羽目になった、というのが正直なところであり、ベテランがビレイしてくれるものと思って、同行していたのだった。

ビレイヤーはいい人ではあったが、終了点で「どうしたらいいの?」と何をしていいのか分からなくなり、またセカンドのビレイも、アンカー構築も私のほうが教える側だった。

このようなケースは、多くみられると思うが、非常に危険だ。何が危険なのか、分かっていない状態だからだ。

■ 初心者同志はリスク満点

相方との関係もそうで、私自身がまだ自分自身も初心者で、自分がどこのなんというルートに行って良いのか理解できるようになる前から、自分自身の安全管理をしなくてはいけない立場だった。

私自身のルート選択は、それほど突拍子もない難易度のところは、出さない。例えば、今年は奥穂南稜くらいがレベルかな~と思っていたら、それは合っていそうだった。

しかし、一般的に、クライミングを始めたばかりの男性たちは、行きたいルートが行けるルートとは、かなりかけ離れている。

ただし、「頭を冷やせ!行けるスキルがあるかきちんと見極めろ!」というのは、誰もが通る道だ。

それを知っているから、ベテランの男性クライマーは、私を心配してくれるのだろう。

一方で男性初心者で女性とつるみたい人は、そのような度を超したルート設定の我を押し通したいからだろう。

■ ブレーキこそが先輩の役目

そこで、初期の頃の先輩の役目は、ブレーキ役というものだ。

ところが、このブレーキ役は嫌われ役なため、それを果たしてくれる人は少ない。

そうしてくれるかどうか?は、その後輩にどれだけ責任感を感じてくれているか?による。

どうでもいいクライマーだと思われたら、誰も止めてくれない。勝手に行って、勝手に落ちてください、と言わんばかりだ。

極論したら、死んでもこっちのせいではない、と思っていたら、誰も口を出さないだろう。

■ 弱いほうの立場

そう言う場合の、私(女性初心者)の立場は?というと・・・、かなり危険だ。

一緒にいる相手は、私を死の危険に陥れているとはつゆ知らず、そうしているわけだからだ。

例えば、相手が墜落したとしよう。私はトップをレスキューできるだろう。守りの技術は教わっているからだ。

では、私が登れなくなったら・・・?セカンドなら、プルージック登攀で切り抜けられよう。

しかし、アンカーがしっかりしていなかったら?その可能性はある。アンカーが崩壊して落ちたら、トップのクライマーは、私をレスキューできるか?できない可能性があった。

レスキューを共有はしていなかったからだ。何を知っているべきか?というようなことだ。

一緒に行く相手が十分スキルがあるかどうか?も師匠からはコントロール外となり、コントロール外のリスクには責任が持てない。

■ 守りの技術

私は、クライミングは、守りの技術から教わっていた。

一番目は懸垂下降、カラビナだけでも懸垂できる技術。

それからプルージック登攀。

笑い話だが、初めての小川山のクラックでもフリーで登れない場合はプルージックで上がった。後でユマールも買った。

ビレイヤーの自己脱出。

トップが落ちた場合のリーダーレスキュー。

相方は逆だった。まずクライミング。そしてビレイ。その後に支点。その後の懸垂や、レスキューは今からだった。

師匠は、レスキューを共有していない相手と私がクライミングへ行くのは嫌だったのかもしれない。

■ 間違えながら学ぶ道

彼とだと、二人とも実力以上のルートに取り付き、取り付いた後で実力以上だったと理解する、という流れになりそうだった。

もちろん、こういう流れで理解してもいい。・・・のだが、その場合は、敗退が確実である必要がある。

登れないところを登り、ルートファインディングのミスなどで、行き詰まる・・・というのは良い経験だ。私も沢でしている。

けれども、その場合、ミスを拾ってもらえること・・・たとえば、行き詰まったら、上からロープを投げてもらえるなど・・・、すでに私も2回も投げてもらっているが・・・が必要になる。

二人だと、それは期待できないわけだし、一度のルーファイのミスがあれば・・・そして、そういうことは初心者には必ずあるものだが・・・、支点が見つからなければ、落ちるかクライムダウンしかなく、そうなれば、下のビレイヤーは、トップをレスキューすることになるのかもしれなかった。

ということを理解していたのは、私だけだったのかもしれない。

ルートファインディングが難しくて登れない、ということは、体験していないとなかなか理解がしづらいのだ。

初心者はよく支点があるほうではなく、易しいほうに引きづりこまれて、ランナウトしてしまう。

支点がないのが怖くなり、登れば登るほどリスクが高まる。沢の高巻きでも同じだ。

■ 初期の人工壁のメリットは支点の強固さ

そういうリスクを容認しつつ登っている私を師匠は見ていて、いらだっていたのかもしれない。

私自身も、相方が暴走するリスクは知っていたし、相方とは話が通じると思い、リスクコントロール可能な相手だと思っていたから、一緒に登っていたのだった。

私の考えでは、初心者の時期は、人工壁が必要だ。

 1) 人工壁では支点は強固で、落ちることが日常なのでビレイ経験が積める

 2) ビレイが分かるだけでなく、落ちてはいけないところ(1P目)も学べる

 3) 手繰り落ちしてはいけないことも理解できる

 4) 回収のテクも学べる 

例えば、被った壁での支点回収は、最後のピンを外して、2ピン目に戻る。

そういう細かな点が、いきなり外岩で始めると学ぶことができない。ビレイの習得は最大のもので、ビレイヤーの立ち位置など、人工壁で学べる。

しかし、現代の人工壁のビレイヤーは恐ろしく間違ったビレイをしていることが多い。

そういう人をお手本にしてしまうことを師匠はおそらく懸念したのかもしれない。

■ 師匠の視点

師匠は60代だったので、人工壁はなしで育った時代の人だということだった。これは後で知ったことだ。

今の時代のクライマーは、人工壁から入り、外壁へ進む人が多い。師匠の時代には、外岩や外壁という言葉もなかったそうで、岩は山にあるのが当然なのだそうだった。たしかに。

私の考えでは、今の時代の人は、山から入っても人工壁は必要だと思う。私の結論は、必要、というものだ。

仮に私のあとに来た人に私が教える立場になった場合、人工壁をすっ飛ばすと、私は、その後輩のビレイが、私の墜落を止めてくれるかどうか不安なまま、登り続けなくてはならない。それはできない相談だ。(そのできない相談をやっている会も多く、すごいな~と思う)

実際、師匠のリードクライミングの墜落を私は止めたことがない。

おそらく、師匠の側からすると、落ちるはずの無い楽勝なところしか登っていないから、私のビレイが安心できるかどうかは、あまり問題ではなかったのだろう。

弟子のほうがクライミング力で劣るので、弟子を成長させるために、登る程度のところでは、師匠は落ちない、ということだが、一方の弟子の方は落ちるので、師匠の側のビレイが確実であることは必須である。

どちらのビレイも確実でないなら、どちらの側も、落ちる難易度には取り付けない。

■ 下手くそ組

師匠は、ときどき、私に意味不明のことを言った。

「登れない組なんですよ」 「クライミングは下手くそなんですよ」

私が登れる以上のところを登る人に下手くそだと言われても、「?」となってしまうだけだったのが、あとで、他の人に事情を説明してもらった理解できた。

ようするに、3点支持で何とかなるクライミングと、2点支持のクライミングに決定的差があるのだそうだった。

 3点支持 = 主に歩きの延長、アルパインで使う
 2点支持 = 主にスポーツクライミングでは、この登り方

というわけで、フリークライミングが登山にとりいれられてからは、2点支持のマスターで、登山道の歩き方もスピードアップしたのだそうだ。

それについては、甲斐駒の小屋で、他会のリーダーからレクチャーを受けた。

スピードアップする以前の登り方でも、ルートは登れる。登れるが、スピードが違うと両方経験している現在の師匠が言っている。

■ 上手組

アイスで知り合ったベテランは、以前の師匠と3歳しか年齢も変わらないが、2点支持のスポーツクライミングの登り方を中高年と言われる50代でマスターしたのだそうだ。

師匠と違い、彼は、私には人工壁が手っ取り早いと言っている。

その点だけを見ると、全く違う意見だが、二人が見ている山は似ているのではないかと思う。

先日、旗立岩に行ってくれたベテランも、同年代だが、フリーもこなす。

思うに、今の60代の人たちにとっては、フリーを山に取り入れるか、取り入れないか、は、大きな分岐点だったのだろう。

■ フリーは基礎=必修

ところがそれ以降の人にとってはフリーは選択肢ではない。もちろん、今、アルパインクライミングを始める人には、選択肢ではない。

必修項目だ。

フリークライミングは、基礎力とされており、フリーを回避して、山をする、ということは、誰であっても、何歳で初めても、選択肢にはないだろう。

今アルパインをするなら、60代で山を始めてもフリーは必修項目だ。(60代でアルパインはツラいと思うが)

何としてもフリーの基礎力なしで、山を続けたい場合は、沢のほうへ流れて行ってしまうようだ。

その沢も、あまり難しいところへはいけない。現代の沢も、記録になるようなところは、高難度の登攀を前提にするからだ。

一方初級の登攀力のクライマーにとっては、沢は易しい登攀練習の場になる。丹沢の沢を全部終わってから谷川へ、ということと似ている。

記録だけが登山ではないので、記録を残すような山をしたい、と思わなくてもよいが、そうであっても、フリークライミングをしないというのは、山ヤには逃げにしかならないだろう。

一般的な”山”で求められるフリーの力は、そこまで高度なものが要求されるものではないからだ。 

最低限と言うことで言えば、5.10Aが過不足なく登れれば、大抵の5.9は危なげなく、登れるわけで、日本中のルートが、かつて、Ⅳ級A0と言われたことを考えれば、クラシックルートに行く限りは、ルートファインディングを誤らず、Aゼロする気でいれば、技術的には困難であるはずはない。

この状態のことを私は、5級マスターと呼んでいる。つまり5級ならどこでも登れるという意味だ。

クラシックルートは山の弱点を突いたものなので、どんなに頑張って探しても、5.13Aは出てこないのだ。

■ 若い山ヤ

しかし、一方で、さらなる高みを目指す若い山ヤが、5.13や14へ続くフリークライミングのマルチピッチルートを、取りかかる前からあきらめてもいい、ということにもならないだろう、と思う。

最終的に、高難度マルチはやらない可能性があるにしても、それを鼻から選択肢から外すということも、20代の若い男性には早すぎる。まだ可能性をあきらめる段階にはない。

もちろん、私のように40代で山を始めた女性や、相方のように50代で始めた男性には、高難度マルチピッチは、常識から考えると、成長の伸びしろから見て、射程範囲には最初からあまり入ることはないだろう。

 20代の伸びしろ → 大 → 高難度マルチの可能性もあり
 30代の伸びしろ → 中 → 高難度マルチは、本人の努力と機会次第
 40代の伸びしろ → 小 → 高難度マルチの可能性は限りなく小さい
 50代の伸びしろ → さらに小 → 高難度マルチどころか、ロープワークマスターの可能性も小

それでも、基礎となるフリークライミングの登攀技術・・・2点支持・・・をマスターする方向で努力すべきであるというのは、現代の山ヤとしては、最低限のラインと思える。

何歳であってもだ。

一般的に、5.11を登るのには、才能は関係ないのだそうで、誰でも地道に努力をしていれば、イレブンは、登れるグレードだと言われている。

実際に、クライミング人口を見ても、5.10代を登っている人が人口の半分以上で、11以上を触る人、リードする人は、熟達者となり、5.12以上を登れる人は外の岩場ではガクッと減る。

■ 高難度だけを目指すという弊害

ボルダ―などでは、より困難なグレードを登る若い人はたくさんいる。

が、ボルダ―は、山で必要な技術とかけ離れすぎており、突破力が付くが、長いルートを登らないかぎり、持久力やタクティックスが付くわけではないので、一瞬のグレードでは、同じグレードの長いルートへは対応できなかったりするのである。

例えば、3年かけて難しい一つの課題へ取り組んで登れるようになることはできるが、私がもしそのような道を選んだら、師匠はガッカリして、山ではなく、グレードが欲しいのだろう、と悲しむだろう。

そういうタイプの逸脱というのは、若い時にこそ、避けなくてはならない。

そして、このタイプの逸脱への誘惑が多いのは・・・これがまた、クライミングジムというわけなのだなぁ。

つまり、上半身裸の若い男性が、雄たけびをあげて地ジャンしていたりするのである。

見た目に分かりやすいが、山で上裸だと虫に刺されるし、日焼けは心配だし、なにより小さな傷がいっぱいついてしまうし、ワイドクラックなんて出てきたら登れない(笑)。

それに、上裸を見て褒めてくれるギャラリーも山にはいないのだ。山でかっこいいのは、上裸の肉体より、目ざといセルフビレイ。私なんて、相手の支点が微妙と思ったら、それとなく自分のセルフをもう一個別にとるのだ。

師匠は、もしかすると、有望だった岳人をボルダラーにされてしまうということが過去に事例としてあったのかもしれない。

そこは、私が山を忘れて、クライミングだけにハマってしまうのでは?と懸念していたのかもしれないが・・・

残念なことに(笑)、師匠の弟子は師匠が見込んだだけあり、元々ジム嫌いなのであった(笑)。

あまり好きではないけれど、必要がある、ということは、悩ましいものである。







Wednesday, June 15, 2016

読了 『外道クライマー』

■ 読了 『外道クライマー』

宮城さんの外道クライマーを読み終わった。

面白かった。

■ やんちゃだった弟

このところ、なぜか2歳下だった弟(既に他界)のことをよく思い出す。男の子はやんちゃだ。

弟は小さいころから、生傷が絶えなかった。

まずは、定番で赤ちゃんの頃、縁側から落ちて怪我をした。ロッキングチェアーに攀じ登って、当然だがチェアが倒れて、あごを怪我し3針。蜂の巣に手を突っ込んで蜂にされる。転んで頭を打って三針ぬったこともあった。救急車には弟は3回乗った。私は一回も乗ったことがない。

姉の私は、というと、小さな蜂の巣をつつこうとしている弟を「大丈夫なのかしら」と思いながらも、容認して、やっぱり刺されてダメな様子を見ては「だめなんだ~」と納得。観察結果だけはもらった。

この外道クライマーという本は、そういう感じの本だった。

「ええ~大丈夫なの~?」と思いながらも、やりたいことをやりたいのだから仕方ないねぇ…と容認し、「やっぱり言わんこっちゃない…」、でも、「とりあえず生きて帰れたから良しとしましょう」、という感じだ。

それが、”外道”クライマーなのかどうか??? それって”王道”クライマーなのかもしれないんだが・・・(笑)。

宮城さんは、ちゃんと生きて帰ってきているので、「言わんこっちゃない」ではなく、「もう好きにやっちゃってください」なのだ(笑)。

■ 共犯者

考えてみると、山岳会による山行管理も、そのようなものかもしれない。

無茶だということは、分かっている。46日間のタイ遡行なんて、往年の沢ヤからさえも、「その山行って何が面白いの?」なんて感想を受け取っていた。(私は去年の仙人集会で報告を聞いている。その場でそういう質問があった)。

ただただ不快感との戦いのようにしか感じられない沢山行だ。

この感想は本を読むと変わったが、一般的な沢登りの喜びとは、全く違う内容の山行だということは言える。

でも、行きたいんだからねぇ…仕方ない。

そう言う場合、山岳会の仲間として(山岳会ではなくても)、すべきことは、その気持ちを共有し、プロセスに参加し、帰ってこれる場を確保しておいてやる、という事だけなのだろう。

つまり、理解者でいること。

この外道クライマーを読むことで、理解者は必ず増える。

だから、外道クライマーを出版したことで宮城さんは多少生きやすくなっただろうと思う。

(私に関して言えば、こんな細い腕でクライミングに立ち向かっているのだから、夫にもその心理を理解しておいて欲しいノダが、夫はまったくそのような共感者になってくれそうな見込みはなく、現在のところ、孤独に戦っている。)

■ 那智の滝

那智の滝については、「あらまー」という感想しか持っていなかった。

私は、この事件当時普通の登山しか知らないので、御神体に属している滝などを登攀対象にしたいと思う思考回路そのものが理解の範疇外で、3人が受けた処分もまぁそんなところだろうなぁとしか感じなかった。

顛末がこの本には詳述されているが、”こっそり隠れて登ろう”と思っていたところを、「日本一の滝に登るのだから、白昼どうどうと登らなくては滝に失礼だ」と意識が転換するところなど、山ヤらしくて笑ってしまう。

あー、分かる分かる~ こういう人いるよね~。

気持ちは分かるけど、滝への礼儀を心配するより、自分の身を案じた方が良いシチュエーションだ(笑)。

案の定、つかまっているんだが、警察の方は、あまりお咎めの雰囲気ではなかったらしい。まぁ凶悪事件のような、意図的に悪意を持って成した罪ではないのだから、咎め立てというより、「君たちも大人になりなさい」的な対応であるのは、当然だろう。

子供の頃、母親が大事にしていた石膏像、カッパヴィーナスに、ブラックのペンで目ん玉を書き入れてしまって、怒られたことを思い出す・・・。

子供の頃は、特定のモノ、物体に、特別な意味を与える人間が滑稽に見えていた。

カッパヴィーナスはただの石膏像で、しかも子供の手で撫でるので、もはや陰影がわからないくらい汚れていた。母にとっては、輝かしい青春時代の、自分が輝いていたと思える時代を思い起こさせる大事なものだったのに、3人の子供たちにとっては娘時代の母など、想像もつかないから、母の宝物と分かっていても、どうしてもそのヴィーナス像で遊んでしまうのだった。

那智の滝の、顔を真っ赤にして、かんかんに怒っていた宮司は、きっとカッパヴィーナスを台無しにされた母と同じ心境なのだろう。

そうした機微が理解できるには、成熟が必要だ。

■ フリーと沢ヤ

私は沢登りが好きなのだが、それは基本的に穏やかな川の流れが好きで、この本で紹介されているような、悪絶と形容されるようなゴルジュや、登攀的に難しい悪い滝が好きなわけではない。

薄暗く陰気な沢はあまり好きではなく、明るく、さわやかな清流の沢が好きだ。ほら貝のゴルジュはとっても楽しかった。

そういう場所ではない称名の滝が、沢ヤの男性たちには、挑戦の対象として、とても人気が高いのは、一体なぜなのだろうと思っていたが、とりあえず理解はできた。命がけだからなのだ。

それにしても、大西さんの評価が非常に高いのには驚いた。

去年、仙人集会でお逢いした大西さんは、軽い雰囲気の、どこにでもいる、あんちゃんという風情だった。他の大御所和田さんとか、成瀬さんの迫力はない感じだった。

それに、もともとフリークライミング出身で沢ヤというのが驚いた。

フリークライミングの人は、悪いのを嫌がることが多いからだ…。濡れている岩なんて…という言い方をする人も多い。だから、フリーの人と沢の人は別人種だと割り切って、こちらもフリーの人を沢にさそったりしない。

沢では難しい滝でなくても、濡れて滑ったり、こけていたり、ホールドが欠けたりして悪いので、沢ヤの方には、もっとフリークライミングの力をあげた方がいいよ、と言ってあげたくなるが(私自身、大したクライミング力はないが)、沢やさんは岩では精彩に欠ける人が多い。

沢ヤはフリーの岩場では、まったく魅力に欠けるというか、そんな確保だとだれも一緒に登ってくれませんよというような、いい加減な確保をしていたり、ウエアもダサくて、なんとなく、ギアもクタびれていて、大丈夫なのかなぁ・・・と不安を抱かせるような人が多い。一言で言えば古臭い。

たぶん、沢ヤは沢では落ちられないから、落ちることを想定していない確保しかしていないのだ。しかも、登攀でも、ちょっとしたことですぐAゼロする。

私もAゼロするので、よく叱られるが、握力18kgの私がAゼロするのと、沢歴8年がAゼロするのでは違うでしょう!と自分を棚に上げて、なんでもありで解決している沢ヤにあきれたりする。フリーで登りましょうよ、フリーで・・・などと思ってしまうのだ。一度など、沢ヤをクラックに連れて行ったら、1本目でパンプして腕アウトだそうだった(汗)。

そういう下界の事情を多少解明しつつあった身からすると、大西さんは恐ろしく山のすべてにオープンなクライマーだということになり、その受け入れ幅の大きさに驚いた。

フリーも一流、沢も一流なんて、すごい!しかも、”ドーダ俺”風が出ていなかった(少なくても去年お会いした時は。)

■ 研ぎ澄まされた感覚の向かう、二つの方向

勉強になったのは、安全係数。ギリギリであるほど、研ぎ澄まされた、という表現を使っている。

私は安全マージンを大きく取り、10の山に登るために12の力をつける。ので、私にとってはギリギリは、研ぎ澄まされた感覚というより、感覚がマヒした、と言う方が近い。

以前厳冬期八ヶ岳に行った。その日は午後から寒気が入り、翌日はー35度の寒気。仲間はジャージにゴム手という、その辺の里山にいってんじゃないよという軽装。そういう軽装ではなくても、私からすると、午後に稜線しかも、ワンピッチとはいえロープが出る山にいるということはありえない。一緒にたまたまいた老舗山岳会の人も同じ意見。11時敗退。

ところが仲間はもっと行けると判断していた。この判断はギリギリに近づく判断ではあるが、私なら研ぎ澄まされたとは表現しない。考えの浅い判断と表現する。しかも、素手でピッケルを握っていたりするのを見て、その私の考えは確証を得たと感じられたくらいだ。

私にとって、研ぎ澄まされた感覚とは、自分の身に降りかかりそうな災難を避ける感性を言う。嗅覚と言うもの。

例えば、前にショートローピングで1人に3人が数珠つなぎになった時は決死の覚悟だった。当時はショートローピングなんか知らない頃だから、完全に自分で感知した危険だ。だから、登攀が終わったらホッとしたし、その並び順が弱い順ではなかったので、リーダーには文句を言った。

小指の太さほどの立木を支点として使う・・・つまり、ギリギリへ向かう・・・ことも、研ぎ澄まされたと表現できるんだなぁ・・・。

たしかに、安全係数が少ない山のほうが、多い山より評価できると思う。

でも、ジャージで翌日ー35度の寒気が入る山に、午後になっても森林限界上にいるのは、良い登山と言えないと思う。

■ 山ヤの評価

評価されるべき山行が評価される世の中であってほしいと思う。

大西さんがなしたことが分かる人が少なくなっているのは確かだ。

だが、称名の廊下の悪絶さというのはやっぱり普通の人には絶対に分からないし、アルパインをやっている人でも、そうとう深くまで足を突っ込まないと、分からないのではないだろうか?

行ったことがないから、本人しか様子が分からないのだし、しかも山ヤさんっていうものは、だいたい誇大表現が多いので、客観的な難しさの基準をもつ、というのが難しい。

しかも山は自己満足、という、極めて主観的な価値観が登山の成否を決める活動だ。

だから、当人にとって、すごいことが周りのあらゆる人にとって、すごいかどうかというのは、きわめて判定が難しい。

でも、やっぱりどこかに共通するラインと言うのがあり、大西さんを宮城さんがすごいといい、偉業だというのなら、それは本当にそうだと思う。

大体、宮城さん自体が一般人の考えるスゴイを越えたところの山をしているからだ。すごさの基準がどうであれ。

これだけはいえるということがあるとするなら、エベレストをガイド登山で登っている人よりも、少なくともスゴイ。

エベレストは未知でもないし、ガイド登山では自分でルーフファイするわけでも、進退の判断をするわけでもないからだ。しかも自分の荷さえ担がないかもしれない。

■ 山ヤらしい山行だった

去年は、たまたまご縁があって、仙人集会に参加した。

その時にも、タイの山行が報告されたが、一言でまとめると”不快感との戦い”がもっとも印象に残った山行だった。

素晴らしい景色が見れたとか、すごい冒険だったという事よりも、毎日毎日ジャングルの河を遡行する、不快な気温や虫やヘビ、不衛生な環境や空腹に耐える、ということだったからだ。

ので、冒険と言うよりは、どこか強制収容所から命からがら脱出してきた難民のような雰囲気が漂う山行で、わざわざお金を貯めて、この旅をしたいとか、この山行を再びしたいというような楽しみ…ご褒美がある山ではなさそうだった。脱出行、という感じ。

だが、この本を読んで印象はがらりと変わった。

話に聞いただけでは、理解ができなかった悪条件での山行で、登山者が何を学び、何を経験したのか?が分かり面白かった。文章も良く、読ませる文章だった。

正直言って、宮城さんの山行は、ゲテモノ系だ。ところが、心はまっとうな山ヤではないか(笑)~と思ってしまった。

山の世界では、全くの新参者の私が言うのもなんだが…。山の師匠からは、色々なことを教えてもらったが主に山ヤの価値観と言うものを教えてもらったと思う。

未知・未踏へのリスペクト
ピークへのリスペクト
GPSを使うことへの躊躇
外部の助力を得ることへの躊躇
野生の生命への尊厳

面白いのは、そんなものが丸でない人とパートナーを組んでいることだ。

そのおかげで、より山ヤ的価値観が鮮明になっている。

パートナーに宮城さんがウンザリするたび、私も同行者にウンザリさせられた経験を思い出した。

たとえば、テント泊で朝起きたら、シュラフにくるまったままでお化粧大会が始まってウンザリした。普通は朝起きたら一番にシュラフを畳むものだと思っていた。私はシュラフを畳んですっかり朝食の準備をしようと皆を待っているのに…。

山ヤが山ヤではない同行者を持つと苦労するのだが、苦労は一緒だったのね、というような感じ。

え~このシーンでは、こうするのが山ヤの常識だろ~というような、フラストレーション。

もし一宿一飯の恩を受けていなかったら、もっと良き山になるのに、という小さいが、後を引く”自分に負けちゃった感”とそれを共有してもらえない、空振り感…。

私はウンザリしたら、もうその人とは行かないタイプだが、それでも、まぁドタバタ喜劇のような事をウンザリさせられながらも、繰り返しながら、山に行きつづけるのも大事なことなのかもしれない。

宮城さんほどの人でも、そうしなければ山に行けないんだからなぁ…

統制のとれた行動というのは、どんなレベルの登山者にとっても、絵に描いた餅で、今の時代では一番得難いことなのかもしれない…

外道クライマー