Wednesday, December 30, 2015

年末の上高地トレッキング

■ 年末の山

毎年恒例の、年末の山・・・毎年、鳳凰三山へ行くことを我が家の年中行事にしようかと思っていたのだが、ふと魔が差して、坂巻温泉へ。

雪の上高地を見てみたい!と思ったのだった・・・

「坂巻温泉?焼岳だね~」と夫が言うので、そうかと思い、焼岳を計画した。が、どうも、しっくりこない。

上高地から、焼岳ピストンだと、冬季で釜トンネルを通過する分が余分にかかり、冬の日帰りピストンには山が大きすぎる。登り4時間、下り3時間にプラスして、釜トンネルからの分が片道2時間。

中の湯ルートは、冬にはイマイチそうだ。新中野湯ルートは、素直な尾根道、片道3時間でサイズは手頃だが、駐車がネック。焼岳に登山する予定なら、中の湯泊がむしろふさわしい。

「なんで焼岳行きたいの?」と聞いてみたら、夫は「?」 彼としては、私たちの二人の山が焼岳でストップしていたために、ただ言ってみただけだったらしい。

ということで、互いに思い込みで決めつけていたことが判明し、急遽、なぜ坂巻温泉にしたのか、を大事にして、上高地散策に切り替えた。

結局、蝶への登山基地である、徳澤園まで行って、帰ってきたのだが、アップダウンのない林道歩きがメインとはいえ、距離にすると、釜トンネルと徳澤園のピストンは25kmもあった・・・(汗)

ので、予想外に、疲れて帰ってきた。

■ 途切れていた歴史

去年の今頃は、中央アルプスのマイナーな山で、藪漕ぎしたり、凍った川を徒渉したりしていたなぁ・・・。

初めての冬山合宿だった。

後輩思いの先輩が、後輩が立てる冬山計画に付き合った格好だが、結局、意思決定が上手くいかず、藪ばかりをウロウロ歩いて、山は時間切れ敗退となった。

知識がないと、ラッセル山行もうまくは行かないという例になった。

雪がまだ少ない新雪期は、ラッセル山行としては、マイナーな登山道が良い。そうでないと、積雪量が少ないため、藪が隠れておらず、雪と藪の両方に苦しめられる。

登山道があれば、そこには藪はないので、歩かれていないならば、ラッセルは多少であってもできる。

個人山行なら、良い経験で済むことも、多人数を巻き込む会山行はそういう確実さをある程度含んでいないと計画が滑った時、困る。

そういうことを去年は学んだ。

私と夫との山の歴史は、山岳会に入会する前、センターのリーダー講習に出ているくらいの時期から、途絶えてしまっていた。

講習に出てくる内容をマスターするのに忙しかったし、山岳会に入ってからは、夫が行ける山行には同行してもらったが、自分たちの山の歴史を作ることは後回しになってしまった。

夫とは、雪山は、アイゼン、ピッケルの雪上訓練が夫に必要な段階で、止まってしまっている。

セックンを受けていない人でも行ける山ということで、行っていたのが鳳凰三山だったからだ。

赤岳は雪訓が必要な山で、だからまだ夫は雪の赤岳には登っていない。

赤岳は体力はそういらないので、技術と体力どちらを先に着けるか?では、体力が先だろうと思っての選択だった。

その他、金峰山や権現もそういうタイプの山だ。長いけれど、技術不要。

その時点から、また夫と雪の山を育てていこうと思っているのだが、次にどうか?と思ったのが、蝶だった。来年への布石ということだ。

■ 坂巻温泉 

坂巻温泉は、こじんまりして、とても良い宿だった。 

焼岳に登らなくて良いとなったら、夫は張り切ってしまい、前日、必要以上に早く出た。

時間が余っているので、レストラン十字路とカモシカスポーツに立ち寄ったが、それでも、お宿には早くつきすぎた。2時前に着いてしまったのに、宿は文句も言わず、入れてくれて助かった。

早々に温泉に浸かり、ゆでだことなったあとは、お食事までお部屋でお昼寝。現代登山全集と雪山ルート集を持って行ったが、夫は古い本には興味を持たず。

雪のルート集の方は読んでみてくれたようで、春の八方尾根くらいなら行けるかもしれない。

私は八方尾根は雪のある時期では、7月の頭に歩いており、稜線にはまだ雪がある時期に五竜まで縦走しているのだが、そう大変には感じられなかった。もちろん、この時期の雪は、スプーンカットが出来ている、カチンコチンの冷凍庫の雪で、アイゼンと言えば、6本という時期で、サラサラふかふかの雪が、搔いても搔いても降ってくる、という積雪期とは違うのだが。

そう、焼岳、夫には、ちょっと緊張を強いていたらしいのだが、わたしにも興味をそそられていない山だったので、没になって良かった。

私がそそられなかった理由の一つは、上高地ピストンだと、はしごがあること。夫は高度感に弱い。

「ハシゴがあるんだけど大丈夫?」 と聞いたら、「たぶんなんとかなる」という返事だった。

その返事も気に入らなかった。なんとかなる、って、本当に怖くなってしまったら、なんともならないのでは???

何とかする、というのは、なんとかできる人の話だ。

これが、「大丈夫。簡易ハーネス用のスリングとビナ持って行く」という返事だったら、きっと行く気になったと思うのだが。

私は根拠のないポジティブ思考は嫌いだ。

考えてみれば、母は、大学進学資金がないのではないか?と心配するわたしに「大丈夫、なんとかなる」とか、「子どもはそういうことを考えない」と言い続けた。

現実はどうにもならず、「なんとかした」のは、誰でもない、当人の”ワタシ”だった。もし、”ワタシ”が中学ころから、何とかする責任者であったとしたら、もっと広い選択肢の中から、ベストだと思う選択肢を選ぶことが可能だったであろう。

私は気が付いたら、選択肢がほとんどない状況に追い込まれていた。大学進学率が100%の高校に進んで、それも首都圏進学が80%なんて世界に行ったら、地元で早期に自立する道を模索するなんて道は当然閉ざされてしまう。

”なんとかなる”なんて言う人に騙されてはいけないと学んだ事件だった。未来は現在が作るのだから、なんともならない現在を生きていたら、未来もなんともならない。未来をなんとかするためには、なんとかなる可能性がある現在を生きなくてはならないのだ。

・・・とまぁ、こういう回顧は別として、焼岳は没で、ある。

■ 釜トンネル

朝、7時前に朝食のコールがかかり、7時半に宿のマイクロバスに乗る。朝食は、並べるだけで食べれるものが主体だったが、添加料満載の安かろう、悪かろうではなく、自然の保存食でおいしかった。

釜トンネル前に、登山届を出すプレハブがある。中で登山届を出すと、赤と黄色の長野県の山岳レスキューと同じようなウエアを着たオジサンたちが、色々聞いて来た。

蝶の偵察だというと、今日登れちゃうかもよ~と言う。なんだか励まされるが、宿泊装備は持ってきていない。徳澤園の冬季小屋はもうやっていないそうで、横尾の避難小屋かテントなのだそうだ。

横尾から入るのもけっこう大変かな。雪は例年の3分の1くらいだという。

今年は歩きやすく、そういう意味ではチャンスだったので、テント泊装備を持って行けばよかったのだが、それだと夫はまだ雪山のテント泊をしたことがないので、経験が不足しているかもしれない。

彼は思い込みが強い。テント泊=大変、と思いこんでいるのだ。もちろん、テント泊すると、それなりに小屋泊撚りは大変だが、今は軽量化しているので、1泊二日程度の山で、30kg担いでいるテント泊者なんて、知性が疑われる。

ある先輩が、60リットル以上のザックは知性が疑われる、と言っていたが、同感だ。

そう言えば、宿であった老登山者が、1週間テント泊で缶詰だったという話をしてくれたが、多少誇張が入っていそうなおじさんだったなぁ・・・ 明日はどこへ?と訪ねると行き先を曖昧にしていた。

温泉宿に泊まるような人だったら、テント泊で1週間も冬山にこもるようなタフな人とは思えない。

山ヤはプライドが高く、温泉宿なんぞには泊まるくらいなら、そのお金でもう一つ別の山へ行っていることだろう。

そうそう、釜トンネルだ。

宿のバスで出たせいか、同じタイミングで歩きだす人間が複数いて、そう寂しくなかったし、凍ってもいなかった。幽霊が出そうな、うら寂しい、長いトンネル歩きを想像していた。

が、そんなことはなく、あれ?もう終わりなの?という調子で終っていた。

釜トンネルを出たら、8時だった。そこから、帝国ホテル前の焼岳・西穂登山道分岐で、9時。

つまり、2時間プラス。焼岳はそこから4時間だから、順調に登ったとしたら、13時山頂。3時間で下るとすると、16時、まっくらになってしまう。日も短いので、いくら一般登山道とはいえ、事故の多い下りで時間がシビアになるのは得策ではない。無事戻っても、プラス2時間、ヘッデンで歩かないといけないとなると、18時釜トンネル、アウトとなり、これではゆとりが無くなってしまう。

やっぱり上高地Inでの焼岳は難しいなと思いながら、通り過ぎる。

河童橋までつくと、穂高の景色が素晴らしかった。少しガスが出ていて、西穂方面は見えないが、明神が素晴らしい。

あれに登ったんだよな~と感慨深い。夫にその話をすると、初めて二人で来た上高地で、自然ガイドのガイドさんから、明神について聞いたことはすっかり忘れているそうで、残念だった。

夫は、登山を理解するにつれ、すっかり、岩稜帯の山への興味を失ったが、基本的に彼が行きたい、と言っていたのは、単純に、聴いたことがある山、という話だったのだなぁと最近理解。

多くの初心者の”行きたい”なんて、そのような程度であろう、穂高穂高と世間が連呼するから、誰でも行ける山ではないのに、皆が行きたがることになってしまっているのだ。

山の素人は、知名度と数と標高で、凄さを計る。と誰かが行っていたのを思い出す。何がすごくて、何がすごくないか分からないから、誰にでも分かる”すごさ”を基準にしかできないのだと思う。

結局、そういう山は、人の目を気にして、誰かにすごいと言われるための山であり、そういう自己顕示欲のために、貴重な人生の時間を使わなくてもいいと思う。

人生の時間には限りがあり、限りある資源は、自分のしたいことのために、有効に使わなくてはならないのだ。

河童橋で山を見ながら、行動食を食べたら、すっかり冷えてしまった。今日は、このところの温かい冬の中では一番の冷え込みで、寒気が強い日だから、気温は低かった。

やっぱりそれなりに冬だ、と思いながら、休憩はそこそこに歩きだす。歩かないと寒い。

明神まではあっという間に付いてしまった。小梨平には、テントが数張り出ていた。

明神から徳澤へは、明神岳の展望が素晴らしい。何枚も写真に収める。

途中、落石注意という看板が出てくる。そのあたりで展望が良い。

夫には、落石注意ね~と声を掛けたのに、案の定、写真を撮り始めて立ち止まってしまう。

私は思うのだが、最近の人に意図を分かってもらうには、「落石注意ね~」と言うだけではだめで、「落石がある場所だから、立ち止まらずに歩いてね」とか「落石がある可能性があるから、写真を撮るなどして立ち止まったりしないでね」とか、噛み砕いて言わねばならないのではないだろうか?

夫は、足元に落石注意と書いてある看板の目の前で、立ち止まって、カメラを取り出したのであるから。

もちろん、落石にぶつかる可能性は、千に1つ、万に一つであろうが、それでも、そこで立ち止まるべきでない、ということは変わりはしない。

こうした警告があっても立ち止まる人の言い訳は確率論、可能性論であろうと思うのだが、可能性論はリスクをマスクしなくても良い、という話にはならない。

逆に、落石がありそうだから、通らないというのも、変な論理で、オールオアナッシング思考だ。

夫はそういう傾向があり、ちょっとでも危ないというと、ゼロを取る。か、リスク100%を取る。選択が極端だ。

そういうところが、山には、彼は向いていないんではないかな~と思うところだ。

徳澤園へは、11時半についてしまった。もしこれが、テント泊なら、早くつきすぎである。早くつきすぎても寒くて、やっていられないのが、テント泊。

7時半釜トンネル入口として、徳澤園までは4時間程度だった。もちろん、これはラッセルゼロの、特別に条件が良いときの話だ。

逆算すると、12時出発でも大丈夫と言うことだ。

徳澤園は、暖かな冬の日差しが注ぎ込んで、のんびり平和な感じだった。空のテントが15張りほど。

トイレ前のベンチが乾いていたので休憩し、コーヒーを淹れて一息つく。

12時過ぎに帰途に就く。帰りは早かった。途中、登ってくる人たちと長めの立ち話をしたりしても、15時15分に釜トンネル入り口に出た。 3時間だ。

ただ、なぜか、夫も私も、ひざの裏がかなり痛くなってしまった。底の固い冬靴で、フラットな、踏まれた雪の林道を歩いたからだろうか?

普段の登山では痛みを感じないのに、二人とも明瞭に痛みを感じて、困惑。

なぜ楽勝の道を歩いたくらいで、こんなひざ裏の痛みを抱えているのだろう???

二人とも足を引きづりながら、宿の迎えを頼み、最後の温泉へ。ゆっくり、のんびりしたいところだったが、子供が3人も入っていて、ゆっくりとは行かず、そそくさと出た。

それでも、すぐに温泉に入らないよりは入った方が、痛みは軽減するだろう。

あとは、途中のそば屋で、おそばを食べて、空腹を癒し、高速道路を飛ばす。行きはあんなにあっという間に付いた場所だが、帰りは早く帰りたい思いが、逆に帰路を長く感じさせる。

のんびりしていたわけではないのに、3時間ほどかかって帰宅。

帰って、GPSを見てみると、歩行距離は25kmほどあった。時速は3.3kmとあった。全然早くはない。

不動産の広告が、1分80mで計算しているのは有名な話だが、それだと、4.4kmになるのだそうだ。

だから、無理はしていないはずだが、それでも、えらいこと疲れた。

別の山の予定もあるので、レストに集中しないといけない。