Thursday, December 24, 2015

雪山の計画

■ 非都会的な豊かさ

今日は甲府は朝は濃い霧に包まれていた。だいぶ気温も高いのだろう・・・。

葉つきニンジン 葉がおいしいんだな
年越しは雪が味わえないかもしれない・・・と、悲しい。

普通にいつもの買い物に行ったら、100円ショップは、長蛇の列でビックリだった。結局、何も買わずに出た(笑)。20号も大渋滞。

いつもの直売所に行くと、巨大大根が100円!腕ではなく、私の足の太さくらいあった。大きすぎて、抱えられないほど。

豊かだな~。山梨では、うまいこと時期が当たると、旬、安さ、旨さ、の3拍子が揃う。

直売所なので、規格外のものなのだろうが、ごくたまにではあるが、激安に出合う。今回はそんな激安の日だった。

葉つきのニンジンも、2kg位入って450円。、傷がついたゆずも、おなじくお風呂用で、280円。太すぎて、西洋野菜のリーキのようになってしまった長ネギは2本も入って、100円。

車と家の間を2往復しないと買った物を家に持ち込むこともできなかった。野菜の下ごしらえにも、大きいため、随分と時間がかかり、くたびれた。
今日のランチ 全粒子のパスタと野菜

そんなこんなで、主婦業でぐったり。

しかし、こういう風に主婦業を行えるのは、今ある生活の特権だな~と思う。

大阪で働いていたころは、ジャムを作りたい!

と思ってもそんな暇はなかった。主婦がいないと、必ず食は乏しくなる。主婦がいるというのは、本当に豊かなことだ。

■ 白毛門

白毛門は、家にあった雪山のルート集に記載があった。この本は、雪山を目指していた頃、愛読していたが、山岳会に入ったら、なかなか、そこに出ている山に行けなくなってしまった。

もともと私は、白馬主稜を目指していたんだよな~と思いだし中。

白馬主稜は、長いが悪ばがないので、ちょうどレベルにあったルートだと感じたが、天候が読めず、そのため後立方面の小屋に出稼ぎに行って、その地方の天気について勉強することにしたのだった。

会に入ったら先輩は鎌尾根に連れて行ってくれた。もちろん、わたしには白馬主稜よりも、鹿島槍鎌尾根のほうが”上の”山だと思える。

”上の”というのは、山に甲乙つけるようで、あまり良い表現ではないが、メジャーなルートより、マイナーなルートのほうが、わたしには価値があると思える。

鎌尾根になって良かったので、それはそれで感謝しているのだが、一方で白馬主稜は残った課題のままだ。

そのような、積み残し課題の一つが、白毛門だ。これは性質としては、要するに

 ガンガンラッセルしなさい

という山だ。

雪の山には

・岩稜のアイゼン歩行
・雪稜のラッセル
・雪稜のキックステップ
・雪稜の滑落停止
・雪崩れの知識
・雪崩地形の知識
・一般的な風雪や寒冷から身を守る知識

など様々な要素がある。厳冬期は、基本的には八ヶ岳なら岩稜、他はラッセルの山。

岩稜の山をアイゼンで歩くのは、アイスをやっている人には取り立てて言うことのない技術かもしれないのは、フリーをしている人にとって、岩稜縦走がそう難しくないのと似ているかもしれない。

ラッセル山行は、会の中では実現が難しかった。

のは、みな高齢化して、若くラッセル戦力になりそうな人がいないのと、指導に回る先輩のほうは、50代も過ぎ、主戦力としてラッセルするのは、体力的にあまり自信が持てない、ということのようだった。

アイスの山も実現が難しく、みなアイスクライミングの世代ではなかったりした。アックスがストレートだったから、ちょっとしたところも登る苦労が倍増で、きっとそんなに楽しくもないのではなかったのだろうか。かと言って、新しくギアを買うほど頻繁にルートに行くとは思えないし。

冬壁は論外。冬壁は基本的に昔やったら今はいいや、という感じなのだろうと思えた。寒いし、危険だし、行ったことがなければ行きたいかもしれないが、行ったことがあれば、特に魅力を感じなくなるのかもしれない・・・その辺は謎だ。

結局、春の雪稜あたりが、リスクも少なく、労力も少なく、ただあるくだけで済むので、残るのだった。というわけで、それなら、個人で行けるところとあまり変わらないことになってしまうのだった。

山梨で雪と戯れるラッセルが期待できる山になると、笹山とか、とんでもなく辺鄙な場所になってしまい、それはそれで外界と遮断されすぎているというリスクが加算され、あまり新人を連れて行くのに向かない。何かあったとき(たとえば手袋を無くすとか)、すぐに下界に復帰できる場所が良いからだ。

結局、八ヶ岳は雪が少なく、雪が多い北八つの北部(蓼科山の向こうなど)は辺鄙過ぎ、時期外れの鳳凰三山はアプローチがむしろ課題となり・・・雪の少ない内陸気候の山梨からだと、

・雪があって
・アプローチが可能

となると、北ア北部の後立の山々か、上越の山ということになる。それはまぁ東京方面の人であっても事情は同じだ。

・・・ということになると、代表格は谷川岳なのだが、天神尾根ピストン以外は、気軽な山ではなく、しかも、天神尾根なんてロープウェーで行くスキーのゲレンデ脇なので、ただ雪山という環境があるだけで、”山”ではない。

ので、結局色々考えると、やはり、その隣の白毛門が、入門としては適切、ということになる。

■ 適期?

白毛門へいつ行くか?となると、これはもう、ラッセルを楽しみに行っているので、このような風景が楽しめるときだろう・・・


今年は天候の読みが難しい!

この写真は、以前行ったタカマタギの雪山山行だが、6人でラッセルして、帰りはそのラッセル痕が跡形もなくなっていた。

つまり、自分のトレースをたどって帰ることができない。

つまり、地図読みは必携の技だ。

■ コンディション 

雪というのは、コンディションが、新雪期、厳冬期、残雪期で全然違う。

新雪期の雪は、あってもなくても同じようなもので、例えばピッケルによる滑落停止など、全然意味をなさない。岩も雪で隠れていないし、雪の摩擦の制動なんて、てんでなし。雪や氷で滑って危ないので、無雪期の道が凍っていると思ったらよい。

そこそこ積もっている厳冬期は、標高の高い場所の雪はサラサラだし、低かったり気温が高かったりすれば、表面が氷化(クラスト)している。クラストしていれば、その上にアイゼンで乗れることもあるし、クラスト層が薄すぎて、もなか雪になり、大変なこともあるが、そもそも八ヶ岳は雪が少ないので、ラッセルしても足首とかひざ下。白駒池をラッセルした時は足が雪にひっかかって、足を抜くほうが大変だった。

雪の量が多い山域と八ヶ岳のようにプロービングで地面に着く範囲しか降らない地域では、タイヘン度はだいぶ違うだろう。

大雪の日に新雪のラッセルを楽しみに裏山に行ったら、サラサラ過ぎて、ちっとも進めず、5分のところに30分もかかった。翌日は雪が落ちつき、雪の上に乗ることもできて、楽勝になった。

雪=アイゼンと思いがちだが、雪の8割にアイゼンはいらない。クラストした雪に有効なのがアイゼンなのだから。ピッケルの滑落停止も、雪で斜面がしっかり覆われていれば、雪の支持力が期待できるが、そうでなくて地面が見えているような場合、むしろストックを持ってバランス維持した方がいいくらいだ。

残雪期の雪になると、もうクラストしているか、腐っているか、のどちらかで、標高が低い山だと、腐っていて、靴はびしょ濡れ。ようするに、雪と言っても、それくらいコンディションが色々だということなのだった。

なんとなく思うのは、年齢を重ねると寒さが堪えるんだろうな~ということ(笑)。

雪割れがあり、そこに落ちたとき怪我をするような穴だと、ザイルが必要になるし、斜度もそうでみぞれ状の柔らかい雪は支持力があまりないので滑落が許されない。スタンディングアックスビレーが必要になる。

ところで、私が疑問なのは、厳冬期の、スタンディングアックスビレイを可能にするほど、積雪量がないときに、稜線でどうやってビレイするのか?ということ。

タイトロープはビレイとはとても言えない。岩はガチガチ。スノーバーも入らない。そのような場合、肩がらみ・腰がらみ以外、どうしようというのだろうか?

■ 生活技術

それよりも、冬山でシビアなのは生活技術。濡れを放置しても、沢や夏山では大した問題にならないことが多い。

八ヶ岳では、寒さがー20度を超えるのはザラで、行動食をこまめに食べたり、衣類をこまめに調節したりする、まめまめしさがないと、すぐ凍傷になりそうで、実際、足を凍傷になった学生などを見たし、バリエーションルートを登るのはいいけど、下降する技術がなくて、凍死したりしている。

一方で、濡れがシビアなのが、低山の谷川岳で、タカマタギに行った時は暑くてびっくりした。暑いから、すぐに体に着いた雪が解けるのである。

八ヶ岳では手で振り払ったらいいだけの雪が、振り払う前に解けてしまうのだ。それでは、気温自体がそう低くなくても、濡れのせいで冷えてしまう。

凍死と言うより、低体温症がシビアだと思ったのだった。

一般に、夏山で縦走して、生活技術を身に着ける。のは、判断をすり合わせたり、リスクがない状態で、足並みをそろえるためだ。

■ 楽な人とそうでない人

今年は、ほぼ初見の人と夏山のテント泊に行ったら、快適でびっくりした。Yさんだ。実は、夫と山に行くより快適だったりした(笑)

夫は、あれをして、これをして、と指示をしないと次に何をしたらいいか分からないのだが、Yさんはそれがなかったのだった。

それですっかりアルパイン人種の信頼度アップ。テントを張るのに、テント袋をその辺においたりしないし、ペグかペグなしかなんて聞いてきたりしない。そんなのはその場で判断したらいいことだ。持って行っても入らないような固い台地だったら、持って行き損になるし、石が落ちていなかったら、テントを押さえるものがない。でも行って見なければ分からない。

朝起きて、シュラフを畳んでくれないと湯が沸かせないし、湯が沸かせないと、出発が遅れるし、出発が遅れると、リスクが上がる。そういうことをすべて言語化しないでいいというのは、楽だった。

もう一人、楽な人がいて、最近岩の師匠になってくれているIさん。テント泊というより、キャンプだが。スーパーで夕飯の食材とお酒を買いこんで、宴会泊を重ねているが、ぜんぜんストレスなし。

話題は山の話だったり、クライミングの話で、お腹がくちくなった頃合いで、適当に寝て、朝になれば起きて、普通にコーヒーを沸かし、前夜の鍋の残り汁で、うどんを食べ、鍋を拭き、さらにもう一回コーヒーを飲んでも、まだまだ時間があるな~という時間帯で、山に支障がない。

湯を沸かし、食事を作り、使った食器を拭き、酒を飲む。誰も拭いてくれない共同の鍋が放置されることはない。自分だけ別のを食べるといいだすこともない。

まぁゲレンデであり、山ではないということもあるが、キャンプではなく、テント泊でも一緒だろうな~と思うんだが。

そういうわけで、生活技術的なストレスがないのは、あまり贅沢を求めていない山ヤと一緒の山なんだが・・・私が尊敬していて真似しようとしていたのは、山ヤスタイルなのだから、当然なのかもしれない。











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