Saturday, April 4, 2015

2015年のお花見

■ 週末はどんより

今週末はどちらにしても山に行くお天気ではないので、夫と共にのんびり寝坊して、花見に出かけた。青空バックではないが、桜は最盛期できれいだった。

毎年近所の水道局が解放する水道局跡地に出かけている。 これで3度目で、初回は偶然見つけただけだった。

夫は、この1年、昇格研修で忙しかった。なんだか会社側が無理やり昇格させたような格好だが、やっと終わった。彼は、典型的な技術者タイプで実務には強いが、あくまでプレーヤーであり、司令塔タイプではないので、彼を知る人は皆が行く末を心配している。

夫とは去年はあまり山に出かけられていない。ホントに健康目的の登山が必要なのは彼のほうで、月一くらいでの彼との山行は続けたいところだが、いつも他の人との予定がない日に夫との山を入れる感じになってしまい、まずいな~、と思っている。

もっとも、裏山の散策でも健康を目的にしたら、しないよりもした方が良い。甲府に来て、車通勤になったせいで、とんと歩かない生活になってしまった。その害は、夫の方が大きい。

山頂で勝沼方面をチェックすると、だいぶ平野にピンクが見えた。来週の中ごろの計画を立てなくてはピンクの勝沼を眺め降ろす山に行きたいと思って、また地図を睨んだりしている。兜山も手ごろだったし、確認もかねてまた行きたい。

普通の山、里山はちょっと苦手項目だ。というのは、適期が短いからだ。甲府周辺の低山は5月が限界だ。

今日はたまたま信玄公祭りだった。出店がいっぱい出ていた。

近所のお米屋さんで教えてもらった、おいしいと評判の洋食屋さんスコットに行って、夫の好物のオムライス、私は日替わり定食を食べたら、紹介されてきたと言うと、夫のオムライスにはついていないコーヒーを1杯サービスしてくれた。

帰ってから報告がてら、またお米屋さんに行って、畑に使う堆肥用の米ぬかを2kgほどもらってきた。知人のつてで、今年は畑がやれそうで愉しみではあるのだが、夏の厚さを知っているので、死んでしまうかもしれない・・・

■ 夏の取組み課題 模索中

夏は夏山の小屋バイトと思っていたのだが、バイト先がなんとなく決まらないでいる。バイト先もご縁で選びたいものだからだ。私は商業的な小屋はあまり向いていないと分かった。百名山のある小屋はダメ。大きな小屋で自己裁量の余地がないバイト先もあまり向いていないみたいだ。そうなると長期間となり、今度は家庭の主婦としての立場が怪しくなる。

夫は以前2年の海外留学に送り出してくれたような、寛容な人なので、留守は大丈夫だが、やっぱり忙しすぎてコンビニ頼りになってしまうので、主婦がいない時間が長いのは本末転倒だと思える。

と言っても、私がいても大した食事は出していないのだが・・・。どう転んでもコンビニよりはヘルシーではある。

今年は、山もある程度、ひと段落したし、のんびりしたい。

登山の方面では、やりたいと思っているのは、沢歩きだが、近くを無理をしないで歩けばよい。・・・というわけで、今夏は他のテーマにも取り組む余力がありそうなので、テーマを模索中だ。

■ 人との出会い

子作りに励むというテーマも38歳の手前で、かつてはあったが(38を過ぎると卵子の質が落ちると言われている)、あまり、この方面で躍起になるのは、なんだか気が進まない。子供というものも、求めて授かるものではない気がするからだ。

何事にせよ、煩悩的に求めるのは良くない気がする。強く望み、そして望みが本物であれば、自然ともたらされるものだ。

もちろん、我が家は幸せな家庭で、いつ子供が来ても大丈夫なようではあるのだが。

私は子供のころから聖書になじんで育ち、虹をみれば”約束”・・・神が人類としたと言う・・・を思い出す。聖書には産まない女が意外に頻繁に出てくる。夫のある女の子供より、夫のない女の子供の方が、多いという。その点を実体験で知っていることも、子供がないことについて、私があまり堪えない理由かもしれない。

たしかに女の幸せの一つの形は子供だろう。ただそれは男性にしても同じだろう。

祖母には一人娘がいた。しかし、祖母を一番心配したのは娘ではなく、孫の私だった。

アメリカにいるときは、84歳のメイの世話をして生計を立てた。アルツハイマーのおばあちゃんで、白人碧眼の私のBFを、Your Brotherと呼び、私をHonneyと呼んでいた。

メイの世話は、切ない仕事だった。私を雇うために実の娘は今の仕事を手放せないのだ。彼女には居候の恋人がいて、結婚はしていない、アーティストだった。メイは自宅をメイン州と思いこんでおり、騙して散歩させる。少しでも運動させるのが大事だからだ。メイが家に帰らないと言い張り、手を付けられなくなると、そのプータローのような彼に電話をかけて、迎えに来てもらった。定職にない彼のことをメイは良くは思ってはいなかった。それで私がいることがメイの心の支えになったが、それでも彼がいないとメイの世話はおぼつかなかった。結局、良く言うように、遠くの親戚より近くの他人なのだった。

私自身の祖母もそうであり、アメリカにいるとき住んでいたシェアハウスの1階のジムおじいさん(元看守)もそうだった。ジムと私は中でも仲良しだったし、私のBFも特別ジムに良くしていた。私も将来そんな風にそうなるだろうと思う。

生きにくいのはアメリカも日本も同じだった。

結局は、子供がいても、子供にもそれぞれの人生があるものだ。

子供は、その幼く愛らしい日々を親と一緒に過ごしてくれる天使だ、と思ったほうが良い。彼らは羽ばたく権利があり、実際に羽ばたいていくことが望ましい。


子供というのは3歳までで、一生分の親孝行をしているものだ、と聞いたことがあるが、その説に私も賛成だ。これはベビーシッターをした経験からもそう思う。それでも、なぜか幼い人を人々は押し付け合っている。

日本の現状は子育てには向いていない。大学の時の友人が、できちゃった婚をしたら、相手の親は、幸運にも、スープの冷めない距離に住んでいるにも関わらず、一切育児援助しないと最初から宣言されていた。せっかくできた自分の時間を孫に使いたくないのだそうだ。それで、仕方がないので、はるばる大阪から東北の実家まで里帰りして骨休みしなくてはならず、まるで罰ゲームだった。夫婦共働きのダブルインカムから、シングルインカムになると家計はいっき半分になったうえ、子供の負担が増えてつらくなるのに。

私は近年ではメルボルンでしばらく学生生活していたが、勉強しながら、隣の家の子を傍において、遊ばせていた。ハナちゃん。隣の家の人は日本人で、ちょっと買い物に行きたい、と言うから。もちろん、別になんてことはないので無料のベビーシッターだけど、何も問題は起らない。2、3時間預かる程度のことは、勉強しながらでも負担にはならない。けれども、それは幼い子を持つ親にとっては貴重な息抜きの時間だ。

山岳会に所属していると、年配の山の先輩たちとあと何年山に一緒に行けるかな、と思う。貴重な知恵が失われてしまう・・・今のうちに一緒に行っておかなくては、と思う。

私自身がその年齢になった時、そう思ってもらえる人材になっているだろうか・・・そこのところは、すこし自信がない。

自ら積み上げてきた人は、本当に人格的な徳が違う、と思う。

そう思える人との出会いは、登山を初めて加速したように思う。それが登山が私的な財産である理由だ。

しかし、そうした人を見抜く眼力、というものが必要だと去年、ハズレの山行で思った。私は幸いに素晴らしい人ばかりに恵まれている。

そういう意味では、豊かな人生に恵まれていると思う。


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