Saturday, March 28, 2015

ボランティアからクライミングへ

■名士の会?

今日は甲府は4日連続の好天で、連続好天=霞の法則通りになってかすんでいる。

御坂山岳会の総会のお知らせは、往復はがきで来る。この往復はがきにビックリして、去年は総会は遠慮した。というのは、御坂は地方の名士の会と聞いており、私は名士の会には、福岡時代に商社OLをやって、うんざりするくらい一杯出席して、もういいや、と思ったからだ。お酒と名刺交換。

でも実際は、御坂は家庭的な小さな良い会だ。山岳会は大きいより小さいほうが運営が楽で良いのではないか?と思う。ほとんどの会は大きくなることを目指しているようだが、それは間違いではないか?大きくなればなるほど、こうした事務的な手間が増えて、担当者の負担を増すからだ。

それより目指すべきは、山行が複数人で成立するだけの、ちょうど良いサイズの会なのだろう。

■ 夫との山?

今日は夫と小さな近所の山へと思っていたが、やはり早起きがネックで起きれない。それもそのはずで、夫は連日帰宅が10時近い。これでも大阪にいた頃よりはましで、まだ帰宅が早いほうだ。

当時は私も勤めていたので、私の帰りも10時より早いことは、定時日しかなく、他の日は私も夕方5時の残業食を食べてから、これから仕事が本番、という感じだった。勤怠は一日10時間は普通、14時間でなかなか良くやったな~、海外勤務の時は日本との時差の関係で16時間だった。

というわけで、転職前は、仕事しているか寝ているかしかない生活だったし、出張期間が開発だったので1ヶ月半などと長く、夫とはスカイプでやりとりする仲。あまりにすれ違いが多いので、互いの出張先で、待ち合わせたりした。

そうした生活は女性としては先が見えないので、転職したら、直後に夫の転勤だった。夫にとっては、昇格への階段を踏み出したワケで、ここ最近、その成果は実りつつある。

夫も終に一般社員時代が終わり、終にいくら残業しても残業代が付かない人になってしまう。ああ、気の毒に…。これは少なくとも4度昇格をお断りした結果、どうしても上に行かないと糞づまりでどうしようもないから、というのが理由のようだ(笑)。お給料は、これから先、少し下がる。

・・・というわけで、しぶしぶながらの昇格で、夫はお疲れ。それでも、私も夫も、共働きというより、働きづめで互いに会えない生活より今の生活の方が気に入っている。

夫は満足いくまで仕事に没入でき、私は私で、良く考えたら、バリバリ仕事ができるような女性でありたいと思っていたのは、たぶん母であって、私自身ではないのかもしれない。

というのも、私は新しい服をとっかえひっかえするような生活には、幸福を見出してもいないし、ブランド物も興味がないし、お化粧も出来ればしたくない。それはやる前から分かっていたが、開発部では許されていたノーメイクは営業ではダメなのは当然で、それで会社務め時代は、お化粧の義務が苦痛だった。ストッキングをはきたくないためにずっとパンツスーツで過ごした(笑)。大体性に合っていないのだ。

家ではずっと同じセーターを何年も着ていても平気だ。一つなんて14歳から着ていて、まだ持っている。

というわけで、お化粧もしなくて良い、ヨガの先生は、わたしにピッタリと合っていて助かる。収入は15分の1だが、お勤めしていたら、スーツも靴も化粧品も自前で買わないといけない上、車の中で休憩しているわけにいかないから、スタバ代も馬鹿にならない。ので、そういうので元が取れないあから、高給をとっても一緒なのだ。

■ 互いの長所を引き出す間柄

最近、とみに思うことだが、人と人には、良い刺激を与え合う人と、相手の不幸を望んだり、足を引っ張ったり、という人の二通りがあり、引っ張り合う人とは離れるべきだ。

このブログのコメントをいただくのはありがたいが、登山を愛する登山者たちに利する情報と思われるコメント以外は、スパムとして処理します。大体誰が書いているか、試したら、分かりました。

One thing happy people do is to love oneselfe.

幸せになる唯一の方法は、自分自身を愛することで、物質的なことではない。自分自身との良好な関係を築けるか?どうかが、人の幸せには一番重要だ。

自分を幸せにしてくれるものが何か?をよく知ることがもっとも大事な知識なのではないか?と思う。

≪去年の日記≫
http://stps2snwmt.blogspot.jp/2014/04/blog-post_25.html

良く言われることだが、自分で自分に嘘はつけない。自分の欠点の自覚があるからからこそ、率直に指摘されると腹が立つのだ。それは真実だと自分で知っているからだ。

指摘した相手をやり込めることにエネルギーを使うより、自分の足りないところを補うことに時間を使う方がよい。

相手をやり込めようと躍起になることは、指摘が真実だと自ら表明するようなものだ。それが真実だと分かっているのが自分であれば、当然、自分程度に認識力がある人は誰でも、口に出さなくても、わかっているようなことなのだ。

というわけで、嫉妬とは、自分で自分を痛めつける一人芝居だ、結局は。その矛先を向けられたほうは、単純に、とんだとばっちりだ。

真実はそれだけ破壊力があり、良くも悪くも作用すると言うことを学んだ。受け取るにも度量が必要なのが真実と言うものらしい。

■ 登山の方向

甲府に来て、趣味の山登りが嵩じたが、それは要するに、仕事に向けていたエネルギーを山に向けただけだろう。

本来は、私の職業であるヨガのほうにこのエネルギーを向けるべきなのだろうとは思うのだが、今現在は転勤地にいるので、スタジオを構えたりしても、初期投資は回収できなくて終わりになるだろうし、この地に根を張る予定が立っていないので、雇われ講師くらいで精いっぱいなところだから、いかんせん余った余暇を有意義なことに使いたいと思っている。

それでクライミングをする前は、よく山のボランティア活動をしていた。社会的にやる意義があることをやることは、全く苦にならない。

最初の頃は、シカ柵を張って植物を保護するする活動にやりがいを見出していた。

それは、私はアメリカ生活を若いときに経験しているからだろう。アメリカは草の根の助け合いが盛んな国だ。

基本的には、クリスチャニティの人道主義なのだろう。開拓生活でも教会が、富の再分配を年に一度のクリスマスでやっているし、今も健在の移民向けの夜間学校アダルトスクールは、引退した教師たちが、大体無償に近い形で担当している。

裕福な家の奥さんたちの基本的な社会活動というのは、働きに出ることではなく、無償の労働、チャリティであり、ファンドライジングして送金というのが、決まりきった型だし、そういう家は、短期間であっても、海外からの若者を泊まらせたりして、親アメリカな人々を世界中に作ること、つまり汎アメリカを草の根的に世界に広めるのに一役買っている。

私がいたカリフォフニアの郊外は裕福で、まさにそういう家庭だらけ。野球選手の家や医者、弁護士たちの家が立ち並ぶエリアだった。子供がいる家は、社会貢献がてらで、ベビーシッターを雇うが、あまり使用人と言う感じではない。

そうでない家は、普通にゲストを招いて、夜に家族でディナーをしたり、レイクタホやヨセミテに出かけてアメリカ文化を紹介する。当時の恋人だったデイビッドの実家は、そういう家で、よく海外からゲストが来て、ついでに私も呼ばれて、愉しくすごす週末が多かった。

カリフォルニアは、文化と人種の多様性を重んじるので、自分たちと異なる文化を持った人たちをありがたがる。それがちょっとした自慢なのだ。黒人の友達がいる。東洋人の友達がいる。みな違う人たちだ。それが見識の広さを示す。

20代の最初に、そういう風潮に染まって帰ってきた。だからか、日本の社会の方が馴染めない。均質でないと、はじかれ、はじかれることを極端に恐れる、日本社会の方が、わたしには変に見え、みなと一緒でないと仲間外れにされて怖い、という感情は、ほとんどない。日本では村八分が残酷なる刑として、恐れられており、人の評判を極端に気にするらしい・・・というのは、ホントか?!

人の評判なんて、どんな真実も含まない。あの人は〇〇な人だという評価が、どうやって正当なものになりえるだろう?その人がどのような苦難を経て、今に至るのか?誰も知りようもないのに?

…ということの帰結かどうか分からないが、人は分かりやすい差別化の目安を求めるわけで、外見的なもの。男性なら役職、女性ならブランド品。ステータスを表示するものが必要になるというわけなのだろう。

・・・と推論していた。本当にすごい人は何にも必要としていない。

もし私に何か才能があるとしたら、それは、本当にすごい人を見つける才能ではないか?と、最近、時々思う。

山の世界に入って広がった知り合いの人の中には、本当にすごい人が何人もいる。単に山の世界が狭いことを示すのかもしれないが。

一方、愚痴が多い人や嫉妬には閉口させられる。私は必要以上に責任感を感じる義理堅い性格なので、困っていると、あれやこれやと何とかしてあげられないかな、と考える。解決の責任を感じさせられてしまうのだ。しかし、どうせ聞かないのだ。

それはなぜか?と考えると、結局、愚痴は、ごく普通に世間話として看過されるようなものを別として、自分が幸福でないことを、他人に特別に印象付けるニーズ、つまり、その人こそが本当は羨望の的になるべき人だと言うことを表しているのかもしれない。

愚痴という鎧で羨望という攻撃をあらかじめ防御しておくため、というニーズなのでは?

物質的豊かさのゲージと照らし合わせると、どうもそう見える。

私はというと、甲府では、職業的成功は望んでも望みえないと考えているので、どちらかというと、物質的成果より、プロセスや精神的成果を取りたい。

有意義で豊かな時間を過ごしたいと、山でボランティア活動、高山植物の保護活動、という方向で、そもそもは登山活動をしていた。

その方角が転換したのは、振り返ってみると、ある人の死と別の人との出会いからだ。

登山において防御力は最重要だが、攻撃力であるクライミング力はそうではない。

より重要なことは、質の良い時間の過ごし方をするということだ。

それにしても、ボランティアで鹿柵を作っていたような当時は、クライミングを出来るようになるには100万円単位でお金がかかると聞いていた。その山は、多くのクライマーを迎え入れる山としても、有名で、多くのベテランガイドが立ち寄るから事情通だからだ。

その当時からまだ2年もたっていない。それを思うと、成長と変化に驚くばかりだ。

人生とは面白いものだ。



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