Monday, March 30, 2015

探検!棚山&兜山

今日は、愉快に過ごした。

山岳会の先輩と他会の先輩とで、女性3名。とても楽しい山だった☆

先輩のブログ

■ 現場判断の山

今日は、兜山だったが、現場判断主体の山で、とても面白かった。ぶっつけ本番だ。

未知の部分を探検する、という部分がないと、山がつまらなくなる。山ではどの尾根を使うか、色々コースは取れるので相談して決めればよいだろうと思えたこと。

さらに、一緒に行く人が、全員、地図読みバッチリだから、相談すればいいだけなのだ。

地図読みで信頼できる仲間と行くときは、そういう現場判断が愉しい。

コースはぜんぜんオリジナルコース。途中でスマホのバッテリーが切れて、GPSが切れてしまい、すべてのトレースがとれなかったのが残念が、これが歩いたコース。

ブルーの箇所が歩いたがGPSが取れなかったところ。


■ 女性だけの山

今日はすごく楽しかったのは、山の面白さについて、同じように感じている人ばかりが集った山行だったからだ。

私はクライミングもするけれど、だからと言って、クライミングしかしない山はしない、ことにしている。

なぜかクライミングしている人は、クライミングが上で、山が下だと思っている。そういう人が多い。

低山を馬鹿にする人が多い。そういう人は、全然地図読み力がなく、行きたいところを探検することができないので、探検する楽しみを知らない。

今日は、とっても探検チックな山だった。

■詳細

駐車場についたら、とりあえずコースを相談した。兜山は、小さい山なので、山頂を短絡的に目指すとすぐ終わってしまう。

棚山への道 この日は暑かった
相談の結果、沢沿いに太良峠への分岐まで上がり、棚山をめざし、1104のピークから、南の尾根を降りて、夕狩沢へ降り、次にちょっと隣のピークに登って、兜山へ、だ。兜山からどう下りるかは検討せず、現場判断。

峠までは、途中まで林道なので、問題なく上がるだけ。棚山までも登山道。1104のピークまでも明瞭な道が付いていたのだが、その先の道が明瞭すぎて、南東の尾根についており、方角を変えた時点で、降りたい尾根を見落としていたことに気が付き、引き返す。改めてコンパスを当て、南尾根を降りるが、ここで一つ失敗。 縦に長い頭から派生する尾根は同じ方角に二つ出ており、一つ戻りすぎて、しまったのだ。降りる尾根を一つ間違い、降りた。

まぁ辿り着くところは同じなので、問題なし。夕
このあたりの地図読みが一番難しかった
狩沢に降りたところから、今度は兜山の尾根に乗りたいのだが、ここが地図にはある林道が不明瞭で、作業道を利用しつつ、藪の中を行く。少々の藪をかき分けて、尾根に乗ると、尾根通しの縦走路だった。この区間が一番面白かった。

あとは兜山までは一本道。

兜山の先にある展望所でのんびりした後は、岩場の下見もあって、岩場コースを下った。最後はまた、登山道が明瞭でなくなり、明瞭なほうを降りたら、どんどん駐車場の場所から離れてしまうので、ちょっと待てと徒渉して、ガードレールを乗り越え、林道歩き10分で、駐車場。今日の楽しい山が終わった。

急な所や岩場コースには鎖場もある
朝に駐車場で一般登山者の人たちに会っ
た・・・この一団は初めて兜山に来たらしく、道に不案内なことが、不安そうで、「他の人もいた、良かった~」とばかり、黙っていれば、我々についてきそうだった・・・ので、「一般道は歩かないのでついて来ない方がいいですよ」と言ったら、やっと納得したようだった。人の後ろを歩きたがっているのがすごく良く見えたのだ。

山の楽しみ方が全然違う。

というわけで、今日はエライおもしろい山だった。ジョーゴ沢も面白かったが、兜山もエライおもしろいぞ。

基本的に探検好きなのだった。

展望が良かったのでピンクの時に再訪したい

Sunday, March 29, 2015

ビーコン講習&シート搬送

 今日は岳連のレスキュー講習会だった。

御坂の先輩が、岳連の遭難対策委員をやっている関係で、先輩が講師。


雪上講習会という題目だったが、内容は

・ビーコン探索の概要
・シート搬送の概要

だった。

私にとっては、あまり目新しいことがなかった・・・のは、去年御坂で同じ内容の講習に出ていたからだ。
よりそちらのほうが充実していたことと、さらにもっとつっこんだ内容の、本格的な雪崩講習会の方に出ていたので、内容は重複しており、確認になった。

山梨県は人口が少ない。80万人。その割には山岳会が多いのではないだろうか?

今日は、

・新しくできた岳心山岳会
・梨大、学院の大学生
・山梨AC

等の会が来ていた。結構若い人が多い印象だった。

いつもクライミングで会うメンバーの中では、白鳳会がいない・・・のは、老舗だから、自前でやっているから必要ないんだろうなぁ・・・と思った。自前でやれない会がとりあえず集まっている状態だが、代表が一人、正月の日山協の講習会か、労山の講習会に出て、直接それを会に伝授するほうが良いかもしれない・・・

まぁ岳連主催だと、ボランティア講師なので無料だけど・・・。

元に戻るが突っ込んだ内容というのは

・雪崩を避けるにはどうしたらいいかの机上講習
・弱層テスト 各種 
・雪温測定
・各種のスタイルのプロービング
・小パーティで実践に即した形のビーコン探索
・同じく、役割分担してのプロービングからショベルアウト(10分以内にできないと失格)
・安否の確認
・搬送

とフルフレッジの内容の場合、どうやって雪崩を避けるか?により重点が置かれている。

そこらの知識の方はこうした講習会では自学自習することになっていて、実際事故が起こった想定での訓練になってしまう。

それでもヤラナイよりはやった方が良いと思うが・・・

これはシート搬送。

頭と足の2点、膝、腰、肩 の 6点の合計8点にポイントを作り、カラビナを丸めて入れたポイントを、クローブヒッチ(インクノット、マスト結び)で結び、それを今度は補助ロープでさらに接続する。

そうして各スリングはシートベントで連結する。

スリングサイズは、膝60、腰120、肩120cm。

それを今度は補助ロープで連結し補強。最後に肩,頭のスリングとメインロープを3点の流動分散を作って連結する。このとき流動分散になっているのがミソ。 引く方角が変わっても、引きやすいからだ。

これを各チームでやってからは、支点に事例紹介。

 ピッケルの支点、スノーバーの支点、枝をまとめて作った支点、土嚢の支点、の4タイプ。

皆で力いっぱい引いて強度を確認する。斜度がない斜面だったので、上に引いてしまい、枝の支点はすっぽ抜けた。

湿雪だったのでだいぶ強度は出そうだが。

最後は、イワシで灌木から支点を取る方法。

3分の1引き上げを事例紹介したのち、各自作ってみる。で以上終わりだった。

タイブロックでロープを痛めてしまった・・・ ああ~って感じ。

私は三分の一は、センターの講習会で、習った。そんなに難しい技ではなく、フィックスロープをピンと張りたい時にも使える。

山小屋では洗濯物を干すのに使っていた。

1つめの折り返しは、ローワーダウンと同じく、ムンターで、
二つ目は、クレイムハイストで作ったんだが・・・。

一つ目の折り返しにロープマンを使ってみたが、やっぱりロープマンの位置はスリングの代替えが適していると思った。

初めて見せてもらった3分の1も、プルージックの代用にタイプロックを使った。

折り返し点は器具を使うなら、滑車が楽なのではないだろうか?とちょっと疑問に。マイクロトラクションを使うのは妥当のような気がする。

確保器でもまぁ同じこと、要するに一方向にしか動かないということだが・・・折り返しは滑りが良いほうが力がダイレクトにかかって良いような?

雪崩れ講習会のススメ
雪崩事故を防ぐための講習会
机上講習会 この方がより重要と思いました
雪崩れの勉強

参考: シート梱包の方法  シート搬送


帰りになんと交通事故と遭遇・・・

金川の森の前で、車が横転していた・・・
事故直後だったらしく、救急車が走っていった・・・

山の事故より交通事故の確率の方が高い。

ギュリッヒだって、岩で死なずに、スピードの出しすぎでアウトバーンで死んだ・・・

山の危険もだが、道路も危険だ。

Saturday, March 28, 2015

ボランティアからクライミングへ

■名士の会?

今日は甲府は4日連続の好天で、連続好天=霞の法則通りになってかすんでいる。

御坂山岳会の総会のお知らせは、往復はがきで来る。この往復はがきにビックリして、去年は総会は遠慮した。というのは、御坂は地方の名士の会と聞いており、私は名士の会には、福岡時代に商社OLをやって、うんざりするくらい一杯出席して、もういいや、と思ったからだ。お酒と名刺交換。

でも実際は、御坂は家庭的な小さな良い会だ。山岳会は大きいより小さいほうが運営が楽で良いのではないか?と思う。ほとんどの会は大きくなることを目指しているようだが、それは間違いではないか?大きくなればなるほど、こうした事務的な手間が増えて、担当者の負担を増すからだ。

それより目指すべきは、山行が複数人で成立するだけの、ちょうど良いサイズの会なのだろう。

■ 夫との山?

今日は夫と小さな近所の山へと思っていたが、やはり早起きがネックで起きれない。それもそのはずで、夫は連日帰宅が10時近い。これでも大阪にいた頃よりはましで、まだ帰宅が早いほうだ。

当時は私も勤めていたので、私の帰りも10時より早いことは、定時日しかなく、他の日は私も夕方5時の残業食を食べてから、これから仕事が本番、という感じだった。勤怠は一日10時間は普通、14時間でなかなか良くやったな~、海外勤務の時は日本との時差の関係で16時間だった。

というわけで、転職前は、仕事しているか寝ているかしかない生活だったし、出張期間が開発だったので1ヶ月半などと長く、夫とはスカイプでやりとりする仲。あまりにすれ違いが多いので、互いの出張先で、待ち合わせたりした。

そうした生活は女性としては先が見えないので、転職したら、直後に夫の転勤だった。夫にとっては、昇格への階段を踏み出したワケで、ここ最近、その成果は実りつつある。

夫も終に一般社員時代が終わり、終にいくら残業しても残業代が付かない人になってしまう。ああ、気の毒に…。これは少なくとも4度昇格をお断りした結果、どうしても上に行かないと糞づまりでどうしようもないから、というのが理由のようだ(笑)。お給料は、これから先、少し下がる。

・・・というわけで、しぶしぶながらの昇格で、夫はお疲れ。それでも、私も夫も、共働きというより、働きづめで互いに会えない生活より今の生活の方が気に入っている。

夫は満足いくまで仕事に没入でき、私は私で、良く考えたら、バリバリ仕事ができるような女性でありたいと思っていたのは、たぶん母であって、私自身ではないのかもしれない。

というのも、私は新しい服をとっかえひっかえするような生活には、幸福を見出してもいないし、ブランド物も興味がないし、お化粧も出来ればしたくない。それはやる前から分かっていたが、開発部では許されていたノーメイクは営業ではダメなのは当然で、それで会社務め時代は、お化粧の義務が苦痛だった。ストッキングをはきたくないためにずっとパンツスーツで過ごした(笑)。大体性に合っていないのだ。

家ではずっと同じセーターを何年も着ていても平気だ。一つなんて14歳から着ていて、まだ持っている。

というわけで、お化粧もしなくて良い、ヨガの先生は、わたしにピッタリと合っていて助かる。収入は15分の1だが、お勤めしていたら、スーツも靴も化粧品も自前で買わないといけない上、車の中で休憩しているわけにいかないから、スタバ代も馬鹿にならない。ので、そういうので元が取れないあから、高給をとっても一緒なのだ。

■ 互いの長所を引き出す間柄

最近、とみに思うことだが、人と人には、良い刺激を与え合う人と、相手の不幸を望んだり、足を引っ張ったり、という人の二通りがあり、引っ張り合う人とは離れるべきだ。

このブログのコメントをいただくのはありがたいが、登山を愛する登山者たちに利する情報と思われるコメント以外は、スパムとして処理します。大体誰が書いているか、試したら、分かりました。

One thing happy people do is to love oneselfe.

幸せになる唯一の方法は、自分自身を愛することで、物質的なことではない。自分自身との良好な関係を築けるか?どうかが、人の幸せには一番重要だ。

自分を幸せにしてくれるものが何か?をよく知ることがもっとも大事な知識なのではないか?と思う。

≪去年の日記≫
http://stps2snwmt.blogspot.jp/2014/04/blog-post_25.html

良く言われることだが、自分で自分に嘘はつけない。自分の欠点の自覚があるからからこそ、率直に指摘されると腹が立つのだ。それは真実だと自分で知っているからだ。

指摘した相手をやり込めることにエネルギーを使うより、自分の足りないところを補うことに時間を使う方がよい。

相手をやり込めようと躍起になることは、指摘が真実だと自ら表明するようなものだ。それが真実だと分かっているのが自分であれば、当然、自分程度に認識力がある人は誰でも、口に出さなくても、わかっているようなことなのだ。

というわけで、嫉妬とは、自分で自分を痛めつける一人芝居だ、結局は。その矛先を向けられたほうは、単純に、とんだとばっちりだ。

真実はそれだけ破壊力があり、良くも悪くも作用すると言うことを学んだ。受け取るにも度量が必要なのが真実と言うものらしい。

■ 登山の方向

甲府に来て、趣味の山登りが嵩じたが、それは要するに、仕事に向けていたエネルギーを山に向けただけだろう。

本来は、私の職業であるヨガのほうにこのエネルギーを向けるべきなのだろうとは思うのだが、今現在は転勤地にいるので、スタジオを構えたりしても、初期投資は回収できなくて終わりになるだろうし、この地に根を張る予定が立っていないので、雇われ講師くらいで精いっぱいなところだから、いかんせん余った余暇を有意義なことに使いたいと思っている。

それでクライミングをする前は、よく山のボランティア活動をしていた。社会的にやる意義があることをやることは、全く苦にならない。

最初の頃は、シカ柵を張って植物を保護するする活動にやりがいを見出していた。

それは、私はアメリカ生活を若いときに経験しているからだろう。アメリカは草の根の助け合いが盛んな国だ。

基本的には、クリスチャニティの人道主義なのだろう。開拓生活でも教会が、富の再分配を年に一度のクリスマスでやっているし、今も健在の移民向けの夜間学校アダルトスクールは、引退した教師たちが、大体無償に近い形で担当している。

裕福な家の奥さんたちの基本的な社会活動というのは、働きに出ることではなく、無償の労働、チャリティであり、ファンドライジングして送金というのが、決まりきった型だし、そういう家は、短期間であっても、海外からの若者を泊まらせたりして、親アメリカな人々を世界中に作ること、つまり汎アメリカを草の根的に世界に広めるのに一役買っている。

私がいたカリフォフニアの郊外は裕福で、まさにそういう家庭だらけ。野球選手の家や医者、弁護士たちの家が立ち並ぶエリアだった。子供がいる家は、社会貢献がてらで、ベビーシッターを雇うが、あまり使用人と言う感じではない。

そうでない家は、普通にゲストを招いて、夜に家族でディナーをしたり、レイクタホやヨセミテに出かけてアメリカ文化を紹介する。当時の恋人だったデイビッドの実家は、そういう家で、よく海外からゲストが来て、ついでに私も呼ばれて、愉しくすごす週末が多かった。

カリフォルニアは、文化と人種の多様性を重んじるので、自分たちと異なる文化を持った人たちをありがたがる。それがちょっとした自慢なのだ。黒人の友達がいる。東洋人の友達がいる。みな違う人たちだ。それが見識の広さを示す。

20代の最初に、そういう風潮に染まって帰ってきた。だからか、日本の社会の方が馴染めない。均質でないと、はじかれ、はじかれることを極端に恐れる、日本社会の方が、わたしには変に見え、みなと一緒でないと仲間外れにされて怖い、という感情は、ほとんどない。日本では村八分が残酷なる刑として、恐れられており、人の評判を極端に気にするらしい・・・というのは、ホントか?!

人の評判なんて、どんな真実も含まない。あの人は〇〇な人だという評価が、どうやって正当なものになりえるだろう?その人がどのような苦難を経て、今に至るのか?誰も知りようもないのに?

…ということの帰結かどうか分からないが、人は分かりやすい差別化の目安を求めるわけで、外見的なもの。男性なら役職、女性ならブランド品。ステータスを表示するものが必要になるというわけなのだろう。

・・・と推論していた。本当にすごい人は何にも必要としていない。

もし私に何か才能があるとしたら、それは、本当にすごい人を見つける才能ではないか?と、最近、時々思う。

山の世界に入って広がった知り合いの人の中には、本当にすごい人が何人もいる。単に山の世界が狭いことを示すのかもしれないが。

一方、愚痴が多い人や嫉妬には閉口させられる。私は必要以上に責任感を感じる義理堅い性格なので、困っていると、あれやこれやと何とかしてあげられないかな、と考える。解決の責任を感じさせられてしまうのだ。しかし、どうせ聞かないのだ。

それはなぜか?と考えると、結局、愚痴は、ごく普通に世間話として看過されるようなものを別として、自分が幸福でないことを、他人に特別に印象付けるニーズ、つまり、その人こそが本当は羨望の的になるべき人だと言うことを表しているのかもしれない。

愚痴という鎧で羨望という攻撃をあらかじめ防御しておくため、というニーズなのでは?

物質的豊かさのゲージと照らし合わせると、どうもそう見える。

私はというと、甲府では、職業的成功は望んでも望みえないと考えているので、どちらかというと、物質的成果より、プロセスや精神的成果を取りたい。

有意義で豊かな時間を過ごしたいと、山でボランティア活動、高山植物の保護活動、という方向で、そもそもは登山活動をしていた。

その方角が転換したのは、振り返ってみると、ある人の死と別の人との出会いからだ。

登山において防御力は最重要だが、攻撃力であるクライミング力はそうではない。

より重要なことは、質の良い時間の過ごし方をするということだ。

それにしても、ボランティアで鹿柵を作っていたような当時は、クライミングを出来るようになるには100万円単位でお金がかかると聞いていた。その山は、多くのクライマーを迎え入れる山としても、有名で、多くのベテランガイドが立ち寄るから事情通だからだ。

その当時からまだ2年もたっていない。それを思うと、成長と変化に驚くばかりだ。

人生とは面白いものだ。



Friday, March 27, 2015

ガイド登山 見聞伝

■ 見聞の考察

私は夫と二人でハイキングの山から登山を開始しています。しかし、登山は教えてもらわないといけないこともありますので、ガイド登山を要所要所で入れて技術を補完しています。

そこで一般登山以後の、いわゆる”ロープが出る山”に関して、ガイド登山にまつわり、見聞きした経験談をまとめておきます。(地図読み&雪上講習は省く)

1)アイスクライミング

私はアイスクライミングはガイドさんの体験講習会に参加することで始めました。最初はアイスクライミングをしたいのか?もやってみないと分からないし、道具も持っていないからです。

何も知らないでネット検索で行っただけでしたが、この分野ではトップレベルの凄いガイドさんで、その後、登山の勉強をして、相手が超凄い人だと知りました(^^;)。

翌年、この講習会で会った人が、南沢小滝に誘ってくれました。とてもありがたいことで、感謝しています。しかし、作ってくれたトップロープ支点はプアなものでした。この時は他にもガイドさんがいて、監視してくれたので無事クライミングできました。

これらのことから、伺えることは何か?

どのような凄いガイドさんのガイド講習に出ても、支点作りは教わらない。したがって、いくらすごいガイドさんについて教わった人と一緒でも、ゲレンデクライミングも危ない、ということです。

誘ってくれて出かけたものの、登山計画書もなく、相手の住所や電話番号も知らず、誰が来るのか?も知りませんでした。

ということは、登山計画書の提出の重要性は認識していないということです。(でもガイドさんは出していると思います。それは裏方仕事なので、教えていないのでしょう。)

この時は、体重差がある人をビレイするので怖かったので、ビレイヤーの私のアンカーも取ってもらいましたが、位置が反対で、結局使わず、滝にだいぶ吸い寄せられてビレイしました。わたしにとっては、体重がある人のビレイは浮けばいいのだと分かって、結論的にはアンカーはイラナイと分かり、私のビレイについての知見が広まったので、経験値が上がり良かったですが、・・・

・・・誘ってくれた相手がアンカーのあるべき位置について知らない、ということは分かりました。

2)アイスクライミング・マルチ

同年、私はリードのビレイをマスターしなくてはならなくなったので(既にビレイ経験はありましたが)再度、同じガイドさんの、アイスクライミングマルチピッチ講習に出かけました。

すでに3度訪れたゲレンデだったので、クライミングそのものや残置支点位置も知っていて慣れっこでしたが、ガイドさんがどう支点構築するか?見たかったのです。このときは、講習生の華麗なクライミングにビックリしました。

一つビックリしたのは、マルチピッチ講習って言っても、つるべではなく、リード・フォローが固定だったこと。それと、PASのセルフはとるように指示されても、メインロープのセルフは取らないこと、でした。

支点の構築は大いに参考になり、大事にお手本として取ってあります。高いお手本代です(笑)

また、アンザイレンが、エイトノットをビレイループに結ぶのではなく、ラビット+安全環付ビナでした。それがビックリ。

 ・つるべはしない
 ・メインのセルフとらない
 ・アンザイレン方式が違う

3)アイスクライミングルート

アイスクライミングのルートに出ていると、よくガイドパーティと鉢合わせします…で、そのガイドパーティの中に友達がいました。

そのパーティは、滝上で支点に灌木が取れるところなのに、スタンディングアックスビレイをしていました。別にしっかりビレイできれば、どちらでもよいとは思いますが、私がセカンドで登る側だったら、通常の確保器によるビレイのほうがいいです…(--;) 選ぶ立場なら。 しかし、お客として連れて行ってもらっている友人たちにその選択権はありません。

・・・ということはどういうことか?というと、ガイド登山だと、安全確保について、嫌でも任せないといけない、ということです。

4)本チャンルート

本チャンに出かけたとき、一本のロープで三人のパーティが後続でした。ガイドパーティと思しき感じでした。トップは固定のようでした。

4峰のルーファイが間違っているようでした。しかし、連れられて行った後続の人は、そのことについて知ることがあるか?と想像するとないのではないか?と思います。

ということはどういうことか?というと、お客は、ミスから学ぶことができない、ということです。

5) リスク受容の差

例えば前穂北尾根の場合、山岳会だとアンザイレンは3峰からです。2級の場所は滑落リスクがあっても、アンザイレンしません。3級4級で、歩けるような所は、コンテ派の会もあるし、外す人もいます。どちらが安全と考えるかは、会の方針次第です。

しかし、ガイド登山だと、5・6のコルからずっとアンザイレンだそうです。これは別のガイドさんに聞きました。リスク受容の差です。

ですから、平坦なところで躓いて転ぶのも嫌な人は、ガイド登山か、そもそも山に行かないか、しかありません。

前穂の重太郎新道でもアンザイレンされて登っている人を見ました。安全な代わりに、4~5万円はかかると思われます。どちらがいいかは価値観の差です。

6)登山学校卒業の人

ちょうど登山学校で3か月の岩講習を終わったところ人と、いっしょに成長して行けるかな~と期待して、岩に行きました。

初めて一緒に行った三つ峠マルチで、リードのビレイで、リードクライマーを引っ張り落としそうになっていました…。ビックリ。怖くてビレイしてもらえません(汗)。著名なガイドさんの講習の卒業生です。

人は過ちを繰り返しながら成長するものなので、知らなかっただけ、と思いますが、指摘しても、ことの重要さが分からない様子でした。

・・・ということはどういうことか?というと、ガイドさんの岩講習に出たと言っても、安心できないと言うことです。それも3か月もの講習です。さらに大学山岳部出身です。

6)登山学校卒業の人

同じく有名なガイドさんのマルチピッチ講習を修了したばかり、ロープワーク覚えたて、という方と、易しい岩場で、マルチの練習をご一緒しました。 

1回リードフォローして懸垂で降りただけですが、基本的な手順が分かっていません。でも、もしかして、初対面の人に対しては、気分が高揚して上がり症で、度忘れしちゃっただけかもしれません。そんな感じもしました。でも、山では冷静な人でないと困る…。

この時は、先輩たちが頼んでもないのに来てくれた・・・(汗)

・・・というのは、どういうことか? というと、初心者に教える目的で岩に行くときは、1対1では、命の危険があるくらい、危ない、マズイということです。例え知り合いのガイドさんの講習会受講済みの人でも・・・。

この方より、私の方が本当に勉強になりました。

・・・と、すぐさま理解したので、不安なマルチは辞めて、ずっと、完全に安全な、ショートのトップロープで、この日は遊びました。安全第一!

7)登山学校講習会の人

友人が都心の方の登山学校に行きました。岩講習が三つ峠。古タイヤを落としてビレイするなどしたそうです。

そこで、ジムへ一緒に行き、ボルダリングでウォームアップした後、リード壁で、5.7のリードをしてもらったら、1ピン目で落ちました。そこは落ちてはいけないところ。それも予告なし。もちろん止めました。

・・・ということはどういうことか?

と考えると・・・将来的に私のビレイも任せられないし、かといって、彼女がリードするのも、ありえない、ということです。

私はもちろん、一回の失敗だけで人を判断するような、狭量な人でありたくないので、別の機会にも、ご一緒しています。

・・・が、中間支点を安環付のビナでとるし、ビレイヤーのアンカーはとらないし・・・ビレイヤーのアンカーはパーティ全体の最後の砦です・・・。もしかして、教わっていないのかなぁ・・・。

・・・ということは、どういうことか?

というと、それらは私が教えることになりそうということです。が、ガイド登山歴が長い人だったのです。

・・・ということはどういうことか?

というと、私が言っても聞かないだろうということです。かといって、クライミングの本を読んで学ぶこともしなそう、とも聞かなくても分かります・・・。自ら学ぶではなく、教えてもらわないと教わらない、のが当然になっているだろう・・・と予測できるからです。

ということは、どういうことか?

・・・というと、この方に教える努力をしても、労多くして益無し、ということです。体力もあり、歩けて、年齢も近く、家も近いのになぁ・・・。テント泊縦走は一緒にしました。

■ まとめ

           ガイド講習会等           山岳会
TR支点       ガイド任せ            自分たちで
アンカーなど     ガイド任せ            自分たちで
スタイル       リード固定             つるべ
メインのセルフ    とらない              取る
アンザイレン     ラビット+安環ビナ      エイトノット直付け
ビレイポイント    ガイド主導            自分たちで解決
ロープ構成      ガイド任せ            自分たちで解決
ルーファイ      ガイド任せ            自分たちで解決
ビレイ力       期待されない        相手のビレイを確実にできないとどこへもいけない
常識         知らなくても死なない      知らないと命取り

常識と言うのは、1ピン目では落ちてはいけないとか、かぶっている壁で降りてくるときは下のピンから外して、2ピン目に登り返さないとグランドするとか、ビレイの立ち位置とか、ランナウトとは何か?とか、流して止めるべき時とは?などです。

これまで2年間に見聞きしたことで、総合して思うのは、ガイドさん主宰の岩講習会で教わることは、いわゆる山屋さんが新人に教えたいこととは、だいぶ、かい離しているのではないか?ということです。

登るのは当然ですが、みんなすごく上手です。山岳会の人は、よその会を見ていても、なんか下手くそが多いな~と思ったりします(笑)

ガイド登山では、お客さんが自立するとお客を失うことになります。

山岳会では新人が早く自立してくれないと、先輩も行きたいところに行けません。

ガイド講習の人は、エイトノットは知らないのに、ラビットは知っていたり、それがすごく上等のクライミングスキルのように鼻高々だったりします。ギアの知識もすごくて、最新ギアですし、丁寧に手入れしています。私もとても勉強になって感謝しています。

もちろんガイドさんは、最新のクライミング技術を教えてくれていると思います。が、ビレイや支点は教えないようです。守りの技術は含まれていないのでは?

一方、ガイドさんは結びの種類などは最新かつ細心です。

端的な例は、懸垂時のロープ連結です。オーバーハンドノット2個の連結、エイトノットの連結、ダブルフィッシャーマンの連結の順に古いです。

ガイド登山の人は、この辺を見て、「古い山やだな~ケッ!」と思っている節があります。

が、逆に、本人はとんでもないビレイ位置に立っていたりします。ガイドさんは落ちないから、墜落を止める経験は積めないからです。他のゲストのビレイをすることも、トップロープ程度です。

技術の古い新しいは、本質的な議論ではないです。古いのが不安な技術ではなく、新しいから良い技術ともいえない。 

ですが、ビレイの位置は重要です。

新しいほうがより優れているのはロープでしょう。ガイドさんの講習会ではロープがいつも新品で感心します。

登山で危ない人は、攻撃力(登る力)はあって、防御力(安全を守る力)はない人です。車輪の両輪の片方だけがいびつに成長すると危ないです。

■ ガイドを判断する基準で先輩を判断してはいけない

懸念される問題は、山岳会がガイド登山風になってきていることです。

入会してくる新人の期待も、「連れて行ってくれる」ガイド登山的期待を山岳会に持って入ってきています。

山岳会の先輩側も、「どれだけすごいルートに連れて行けるかが、俺の実力さ~」とガイド登山的になってしまっているような気もします。

山岳会の新人に与えるべき、一番重要な心得は、一緒に成長して行くのだ、お客さんではないのだ、ということなのかも?

本来の山岳会のあるべき姿にふさわしいマインドセット、心得、というものを与えるのが、1年目の新人の仕上げ、成否のような気がします。連れて行ってくれない・・・と思っている人は山岳会は欲しくないのかも?

その意味でも、”連れて行く”のは、百害あって一利なし!ですねぇ・・・。ただ、初心者の場合、1対1では岩に行けないので、経験者が、一人監督でついてきてくれるのは、正しいあり方です。次回から二人で行きなさいって意味です。

大抵の先輩は、ついてきたいと言った後輩を自分が連れて行ける最高難度の場所に一度は連れて行ってくれると思います。

連れて行ってもらった場所に、自分の力で行けるようになるにはどうしたらいいか?と考えるのが正しい新人の思考のあり方ではないか?と思います。
  

≪追記≫
元相方から 「行きたい所に連れて行ってくれるから」 などと言った覚えは有りません。 幾つかある会の中から選んだ理由は 「僕が行きたいと思う所に行っているから」 とは答えたかもしれません。 誤解を与えたくないので,即時訂正して頂いて宜しいでしょうか? また、訂正した旨も記載して頂きたいです。 と言う指摘が有ったので一部削除しました。

Thursday, March 26, 2015

読者は誰か?

■自分の備忘録

このブログは、私自身のためのものとしてスタートしました。人間は忘却するからです。

分かったことを忘れないため、備忘メモとして書いています。実際すごく役立ちました。

最初の頃は、ツアーでなくて、個人山行で登山することに非常に批判を多くもらっていました。それが不服で、リスクについてアレコレ考えている記事が多かったと思います。

山の勉強をするついでに、読書のログを取りました。

■ 新人とベテランの懸け橋に

最近は、このブログが役立つと考えてくださる読者の方には、2パターンありそうです。

 1)最近の新人は何を考えているのかワカラン!と思っているベテラン

 2)どうして先輩がバンバン山に連れて行ってくれないのかワカラナイ新人

1)のベテランの方の心境としては、

・どうやって山を新人に教えたらよいだろう?何につまづいているのだろう?
・より良く分かりやすく教えるにはどうしたらよいだろう?
・どのくらいのレベルの山に連れて行けば、いいのかな?
・どうすれば、山に熱中してくれるのかな?
・どうすれば、山の価値観を体得してくれるのかな?
・危険なことは早目に目を摘み取らなくては・・・

といったあたりでしょうか? 基本的に、 ”心配”を購読のモチベーションとしていると思います。

山に対して楽しそうであれば、「良し良し」と思っているでしょう。

反省していても「よしよし」と思っているでしょう。

客観的な指摘があれば、「小生意気な」と言うでしょう。

2)の新人の方は、

・どうして先輩はバンバン山に連れて行ってくれないのかなぁ…
・分からなかったことが書いてあった
・同じ不満が書いてあって共感する
・知りたかったことが書いてあった

などがが購読同期でしょう。 つまり、”共感”が購読のモチベーションです。

新人同士は助け合わなくてはいけません。私の動機はその助け合いです。どうやって成長して行ったらいいか?そういう点の参考にしてもらえたらいいと思います。

ひとりの仲間を育てるには2名がかりですので、共同戦線を張らないといけません(笑)

■ 続けること自体が凄い!

新人として、会に参加して1年。色々とありました。山岳会の先輩たちは、

 新人はどんな人なのか?

と知るために時々のぞいてくれていたのではないか?と思います。

正直、私も登山は好きですが、登山に掛けるエネルギーがこれほど必要とは思ってもみませんでした。

もっと気楽に、山に行けると思っていたのです・・・

山ってホントに大変ですね~! それを何十年もコンスタントにやっているなんてすごい!と素直に思います。


バリエーションに一緒に行くためのABC

■登山は危険

登山は危険な活動なので、ネットでちょっとした知り合いと「では一緒にいきましょう!」と言って出かけることができるのは、衆人監視の山まで、です。 で、

Vルートに一緒に行くには、どうすればいいか?

ですが…

結論を先に言えば、

  トップロープ ⇒ 山 ⇒ 確保・自己脱出 ⇒ 易しいマルチピッチ ⇒ 本気の山

という具合に段階を踏んで互いの安全確保について摺合せをして行きます。

■ 1)まずは安全確実なトップロープで互いの相性を確認

まずは、トップロープです。トップロープであれば、ゲレンデでも、人工壁でも、岩でもアイスでも何でもいいです。

トップロープのビレイができない人は、そもそもクライミングには、お呼びではありませんからね。

そもそも論ですが、いっしょにいて楽しくない人とは山には行けません

山で相手が「足イテ―よ!」と言って、歩く気がなくなったときにも、「どうぞ勝手に~」と一人で帰るわけにはいきません。「しょーがねーなー」とでも言いながらであっても、つきあってやる、寛大な気持ちになれる相手かどうか、が肝心かなめです(笑)。

人は何かしら失敗します。わたしなんてアイスクライミングに行ったのに、登山靴、忘れました(--;)。

失敗を許せる相手かどうか?は、個々人の色々な事情に寄ります。

相手が未来永劫、自分のパートナーになってくれるなら、貸し借りが清算される可能性が高いので、たいていは許せるものですが、そうでもないなら、腹も立ちます。

余談ですが、ずっと一緒にいる予定(山岳会など)では、「恥はかき捨て」や「裏切り」はできません。ですから良好な関係が築ける可能性は、一見さんより大きいです。

例えば、フェイスブックなどでは相手の住所は伏せられています。都合が悪くなると、ドロンすることができる。そのような、退路があれば、都合が悪くなれば、しーらないと逃げ切れるのです。

もしかすると、現代版完全犯罪だって可能かもしれません。信頼する前に相手がどれくらい自己開示しているか、確認すべきです。

会に黙って、内緒で山行するような人は、最初から攪乱因子です。

秘密と言うものは、どんな時も、後ろめたい気持ちから生まれるものです。奥さんに秘密の山行では、浮気相手を求めている、と思われても仕方ありません(笑)。

そうは言っても、昨今は気軽な時代で、フェイスブックのオトモダチに、住所氏名、年齢、血液型と山岳保険の有無を聞くのは、多少の勇気がいるものです。それに用心ばかりではどこへもたどり着けません。

そのような場合、一回目はそのような情報がなくても済む、衆人環視のゲレンデや人工壁はおススメです。これなら、たまたま現地でばったり会ったということにしてしまえばいいからです。

■ 2)普通の山行に行く

めでたくパーティ成立?!となった場合、ちゃんとした山には、一回行かなくてはなりません。

これは経験上、100%成功ではない山行が良いようです。ちょっとガッカリとか、ちょっと不足した要素がある山。雨だったり、転進だったり、重荷だったり、何かネガティブな要素があるのが良い。

山は良いときばかりではありません。

People are like tea bags, you know their quality when you put them into hot water.

人の真価は熱い湯に浸して分かる

つまり、その人の考え方というものは、山がピーカンで、何もかもが成功している時には、誰もが同じように、良い反応しか示さないので、わかりません。

「あーあ~」とか、「はぁ~」とか、「…(--;)」とか、「どうしましょう・・・?」・・・という状況の時に、人間性の真価が見えます。

ですから、ちょっとうまく行かない要素がある山行を一緒にいくのが良いです。

■ 3)心配対策にはプロセスを見せる

先輩は、後輩のことを色々と心配しています。 それは会社で上司が部下を監督するときと同じです。

先輩は後輩の意思決定プロセスのゆがみや間違いを正してやりたい、と思っていると思いますから、それを見せることが大事です。

良く言う、報・連・相 です。報告、連絡、相談、です。

信頼は勝ち得るもの。最初は、信頼のメモリゲージはゼロだと思うべきです。

先輩が「いってらっしゃーい」と言うのなら、それは実力の範囲内にある、安全な山ってことです。心配なら、「辞めろ」と言うか、頼んでもいないのに必ずついてきます。

この意思決定のプロセスを見せるのは、2)の普通の山に行くのと同じ時でいいでしょう。

■ 4)リード・フォローと懸垂下降

いよいよ、本気の山に一緒にいけそう、となったならば、確保と退路の確保です。

まずは相手の確保が確実にできることを確認しないといけません。安全に墜落経験を積むには、かぶった壁と確実な支点が必要です。

これは人工壁で調達できます。そして、現実の山にはトップロープはありませんから、リードしている相手を確実に確保する経験が必要です。

リードクライミングの確保は、普通に毎週クライミング練習していれば、特に難しいことではありません。

弛まず出す、引っ張らない、クライマーを良く見て、出してほしいときに出す。引かれる位置に立たない。クライマーに下から指示や注意を出す。

基礎の基礎ですが、トップロープしかしないと経験が積めません。ここがあやしかったら、毎週クライミングジムに通って、リードのビレイの練習をするしかありません。

確保ができても、退路が作れたことにはなりません。

懸垂下降は退路を断たないために絶対必要な技です。

ですから、本当を言えば、ロープワークを教わる時に、懸垂下降から練習するべきで、私は実際クライミングできないのに、「敗退の練習です」と言って、懸垂下降だけを先に教わりました。それは良いことだったと思います。

懸垂下降は失敗が許されないので、きっちりマスターしないといけません。人工壁だけでなく、実際の岩場や、山に出かけて行って必要もないのに懸垂下降してみるのも良いと思います。

上記の二つ、すなわち、リードのビレイと懸垂下降を同時に確認する良い手として、1回こっきりのリード・フォローがあります。

つまり人工壁やショートピッチの岩場で、1ピッチのゲレンデであっても、リードフォローで、セカンドも一緒に登り、懸垂で降りてくるのです。小さくてもマルチピッチと同じ手順を踏みます。

ギアのセットは同じです。高所だろうが、ヒマラヤだろうが、パタゴニアだろうが、城山だろうが同じです。

ただし、これは基本的な懸垂下降のセット出来る人のみです。10mくらいでも落ちたら死ぬかもしれませんから。 

基本的なセットが怪しい人は、まず、滑り台くらいの傾斜で、落ちても死なない高さでセットそのものを確認すべきです。初心者だと懸垂下降のセットがおかしい場合があります。当然ですが、初心者に懸垂下降させるときは、上と下に一名ずつ経験者の確認の目が必要です。

つまり、初心者1名教えるのに、先輩2名が必要です。でもセットだけの問題です。セットに自信があれば、ゲレンデからスタートで大丈夫です。

「懸垂下降は大丈夫ですか?」と聞かれたら、それは「誰か他の人がセットを確認してあげなくちゃ降りれませんか?(セットを間違う可能性がありますか?)」という意味です。

■ 5)自己脱出

これが完了したら、自己脱出をやります。ビレイヤーの自己脱出と、クライマーとして宙吊りになった場合の自己脱出。

これは、エイドクライミングと似ているので、単純に空中のプルージック登攀としても、楽しく練習できます。

私は被った壁にアブミを掛けて登るのより、いっそプルージックで登るほうが楽でした…

これは、ギアの使い方に習熟する良い機会になります。ついでに三分の一を作ったり、ホーリング(荷揚げ)をやってみたらどうでしょう?

■ 下地作りだけで5ステップ

ここまでしてやっと、一緒にVルートに行ける下地ができました。 

ココから先は、初級の支点が確実で易しいマルチピッチから、三つ峠通い、テント泊縦走での合宿、と通常のステップアップをして行けばいいわけです。

ここまで来るのに、かかる時間的投資は結構なものです。

ですから、パートナーをコロコロ替えるというのは、時間のロスがとても大きいものだ、ということが分かるでしょう。

逆に言えば、時間のロスを節約しようと思ったら、同じ人と行くのが一番だと言うことです。

まったくの初心者、ハイキングの山も知らない人を、Vルート仕様に育てようと思ったら、それは大変な負担です。

最初はもちろん、エイトノットも結べないから、ガイド登山のように、ラビットを結んで安環2枚で結んでやらないといけません。セカンドとは言ってもビレイも確実でないでしょうから、自分が絶対に落ちないところしかいけませんし、懸垂下降も監視する人がいなければ一人にはさせられませんから、ローワーダウンしかありません。連れて行っているのは自分ですから、完全にお客様仕様です。

徐々にクライミングの常識を学んでもらいつつ、行きたいという意思を固めてもらわないとけません。怖いから行きたくないと相手が言えば、その前の努力は水の泡です。

ですから、最初から、クライミングをしたい!と意思が固まっている新人は、それだけでありがたい存在です。

多少、気に入らないことがあっても、我慢して学んでくれるでしょう・・・お客様待遇ではないのですから。

余談ですが、こうした理由で、ガイド登山で育った人は損です。ガイドがお客様仕様で育てるので、やってもらって当然になり、やってもらっているという認識さえない人が多いです。感謝されない好意はやがては枯渇しますから、そういう入口で入ることは、登山界全体にとって、モンスター登山者を作ることになりこそすれ、自立した登山者をつくることにはつながりません。

あれ?最後は別の話題になってしまいましたが、レスキューを一緒にやらないと、Vルートには絶対に一緒にいけないっていう話でした。

Wednesday, March 25, 2015

No Way Out

■ 雪上訓練は絶対か?

最近、本当にありがたいことに

 雪上訓練した方が良いよ!

アドバイスいただいています。 私も本当にそう思います。

私は山岳会に所属していない去年は二つも雪上訓練出ていたのに、所属している今年は一つも出ていません(汗)。

■ 地方山岳会

御坂山岳会は、オールラウンドな会です。オールラウンドな地方山岳会、ということは、

・ハイキングの人
・フリークライミングの人
・アルパインクライミングの人

が混在しているということです。

地方山岳会は、幅広く地域の登山愛好家を受け入れるのが使命ですから、アルパインの人はむしろ少数派で、特殊な山をやっている、と目されます。(何が本来オーソドックスな登山か?というのは、長い議論になるので割愛。)

そのような会においては、雪山に行く、という人がそもそも少数派です。さらにバリエーションルートを志向する人は、その中でもさらに少数派です。その上、そのために犠牲を払うつもりがある、という人も少ないです。

私は、一般登山では仲間を求めているわけではありませんが、一般登山に行かない、と言うつもりも毛頭ないです。ハイキングはハイキングの良さがあります。

しかし、いわゆる”山岳会”に入ったからには、仲間がいないとできない山をしたいです。ひとりで行けるところに仲間と行かなくても(行ってもいいけど)いい。

アイゼントレーニングや雪上訓練、レスキュー訓練、クライミング岩講習、と、そういった年間行事的なトレーニング山行が生きる山には、ぜひ行きたい!と思っているので、訓練はしてほしいのですが…今いる会での開催は、現実的に無理だろうな~と分かります。

≪理由≫
・教えられる人がいない
・教えられる人がいたとしても忙しくてその時間が取れない
・教えられる人がいたとしても、参加者が少ない
・教えられる人がいたとしても、普通に山に行った方が有意義だ
・そもそもそのような技術が必要な山に行く会員はほとんどいない
・そのため特定の人に少ない資源(先輩と言う人材、時間)が偏ることになる

開催する実力がなく、また開催したとしても頭数が揃わないのは分かります…。

■ 岳連?

山岳会をまとめる組織に岳連というものが各県にあります。上部団体は2団体あるそうです。

日本山岳協会系列の山岳会は、岳連に所属していると思います。その上は体育協会です。

一つの山岳会が、自前で雪上訓練をする実力や体力を持たない場合、次善の策としては、岳連が主催して、たくさんある山岳会の中から、雪山に行きたい人を募り、意欲ある人に技術を伝授する、ということが考えられます。

が、高齢化や会員数の減少は、今に始まったことではなく、現時点でかなり歴史的に長い時間たっており疲弊していて、現状は、過疎化を通り越して、”限界集落”を思わせる事態になっていそうです。

知り合いのある人は役員を引き受けたら10年間誰も変わってくれる人がおらず、なし崩し的にずっとやらなければならなくなり、それは大変な目に遭ったのだそうです。

役員等を引き受けるとそれに忙殺され、自分の山ができなくなるので、ある意味、他のより若い登山者の盾になっている、と言えるかもしれません。

このような目に合うのが、先輩後輩の盾のつながりがまだ生きていて、恩を感じている人であれば、まだ本人も「今ある自分は組織のおかげだから」と考え、我慢ができるかもしれません。

が、そうでない人が長い間そのような奉仕を要求されれば、たぶん、ただ退会するだけでしょう。

ということは逆に言うと、恩を売ることのできる、若い人が山岳会に入会しない時点で、もう前途は見えています。

というわけで、岳連による訓練の開催も難しそうです。

≪理由≫
・岳連としてまとめ役・発起人がいない
・その役目を担うような意欲・時間がある人がいない
・岳連も高齢化している
・そもそも、そのような措置が必要だと幹部が思っていない
・どれくらい人数が集まるか分からないので、外部講師にどれくらい払えるか分からない

まぁ高齢化に伴って、意欲も減退しているというのも原因ではないかと思います。

しかし、それは人間としては普通のことです。誰でも高齢化すれば、激しいアルパインには行けなくなります。それは当然のことです。

■ ガイドによる講習?

一方山を教わる新たな機関として、一つの選択肢に上がっているのが、ガイドによる講習です。

ガイドは厳しい試験を潜り抜けていますから、しっかりとした技術であることは確実です。

しかし、雪上訓練に関しては、ガイド講習も、あまり期待できる内容にならないだろうと予測できる。

実際、私はガイドさん主宰の雪上訓練で富士山5合目まで登山初年度に行きましたが、何もしないで帰ってきました。参加者は2名。それでもお金は払わないといけないので、2回目は参加していません(笑)。

≪理由≫
・お客さんとガイドという間柄では、危険が少しでも及ぶことはさせられない
・お客さんが期待するのが ”登頂”という結果だけであることから、ガイドが行う講習は限定的技術になる(つまり雪上歩行だけ。相手の確保技術は含まない)
・ガイド自身が募集する場合、集客力がないので、頭数が揃わない=採算が取れない
・継続的には開催されない

ネックは、ガイドが教えることは、技術的に限定的だということです。セカンド専門化育成です。

■ 登山学校?

では登山学校はどうか?というと、これも良く良く吟味しないと、登山学校とは名ばかりで、トンデモ、はいっぱいあります。

ですから、まずはまともな山ヤをきっちり見つけてくる、というとこから始めないといけないです。

ところが問題があるのは、どの山ヤさんも自分のことはまともな山ヤだと思っていることで、全くの初心者には、どの人が言っていることが正しく、どの人の言うことを聞けばいいのか分かりません。

そもそも、そこから自己責任で選ばなくてはならないのです。最初は何も分かりませんから、多少の運もあると思います。

≪実力がある?山ヤさん選別のポイント???≫
・長い間山をしていても、死んでいない
・考え方に合理性がある
・自分で考えている
・人道主義的・温情主義的
・誠実
・正直
・人の功績を盗むなどしておらず、尊敬できる
・自分を押さえることができる
・視野が広い
・登山史にも造詣が深い
・安全に対するポリシーを言葉にして表すことができる
・地図が読める
・若い登山者に的確なアドバイスを与えることができる

うーーーん、この辺は研究中ですから、まだまだありそうですが・・・。ホント教えて欲しいです(^^;)。

この問題点は、そもそもそこから?!というくらい、もとに戻って、信頼できるORできない、を判断しなくてはならないことです。

ヨガでもバレエでも最初の一回は無料体験です。ガイドや登山学校ではそれはできません。

お客は、いきなり見知らぬ他人に命を預けなくてはならないのです。

それが嫌なら、自分の側でお金を払って相手が信頼できるガイドかどうか?を見極める時間を作らなくてはなりません。

余談ですが、それが一般に、個人のガイドではなく、会社組織のガイドや受賞歴などの裏付けをお客さんが求める理由なのではないでしょうか?あなたが信頼できるってどうやって分かるの?ってわけです。

■ 公立登山学校?

日本で一番すぐれた登山学校は、文部省の登山研究所です。略して、文登研。

しかし・・・岐阜にあります。日本の各地のリーダークラスが行くところで、一般に門戸を開いているわけではありません。大学山岳部のリーダークラスはまともに育成されていると思います(たぶん)。

文登研に似た組織に、

 長野県山岳総合センター

があります。こちらは文登研と違って、一般に公開されています。

 東京都山岳連盟
 神奈川県勤労者山岳連盟

なども、登山者育成コースを持っています。登山学校で検索すると、大きい岳連は、登山学校を持っているのが分かります。

これらも講師の資質の面で、高齢化により、人材の層が薄くなっているのは否めません。教わることが

 ・間違ってないか?
 ・古くないか?

は、教わる登山者個人個人が一人ひとり判断しないといけません。

■ 私立登山学校?

このような公立の登山学校に対して、私立と言えるのが、石井スポーツや好日山荘などが主催する登山学校です。無名山塾も私立の登山学校と言えると思います。

 ICI登山学校
 好日山荘登山学校
 無名山塾
 オリソンテ登山学校
 マウントファーム登山学校
 マウンテンゴリラ登山学校

このような登山学校は、カリキュラムが場当たり的という問題があり、登山を体系的に理解するのが難しいかもしれません。

それでも、先輩について金魚の糞をしているよりは、主体的な学びの機会である、とは、言えるかもしれません。

■ ・・・結果、八方塞がりです

というわけで、いわゆる趣味として登山を始めた一般登山者、無組織登山者が、組織に属して、いわゆる昔から言われている”本格的登山”を、体系的に学びたいと思った場合の受け皿としては、現代は(もしくは私が居住している山梨県は)

 八方ふさがり

というような状況です。

いかんせん、それが

 ソロ

へつながって行く、後押しになっているのではないか?という懸念は、免れ得ないのかも知れません。

雑誌の特集では、若い人が読むものに、ソロが大変よく目につきます。私も夏山の一般縦走なら、ソロがいいなと思ったりします。危険個所ないし、人とつるむの面倒だからです。

硬派な会から、スピンオフした人に会いました。会って思ったのは、会社組織でも”優秀な人から辞めていく”という現象でした。

会社に残るのはヘッドハンティングされることのない、勤務年数ばかり長くて、能力のない者ばかり…という現実が以前いた会社にはありました。

というわけで、無組織登山者に、安易に山岳会に入った方がいいよ!とは薦められない現実があります。

何がメリットなのか?と聞かれたとき、即答できない(^^;)。

特にガイド登山歴が長い人は、山としては高度な山に、安全管理はお任せ、地図読み・ルートファインディングはお任せ、で登ってきた実績や実感があります。

そういう人が地方山岳会に入った場合、

 ハイキング⇒ え~こんな地味な山?それも団体で?!
 フリークライミング ⇒ ビレイなんかしたくないよ~ 登りたいよ~ トップロープじゃないの~
 アルパインクライミング ⇒ え~こんなところしか行けないの?なんで荷物こんなに重いの~  
                   危ないからロープ出してよ~ え~エイトノット?知らないよ~

となり、どの派に属しても不満に陥る、という事態が予測の範囲にあります。

逆に硬派な会に入れば、やたらそんなことも自分でできないの?と言われて、しょげてしまうでしょう。

相手の安全を確保してあげるつもりがない人を山行に誘うような奇特な人はいません

誘ってもらえないから会に所属していてもいなくても同じということになり、自然消滅というのがお決まりのコースです。そして、こういう会は各自が自立しているから、合宿山行などというものはないのですから。合宿がなければ集まり理由もなくなり、会としては個人と個人のつながりをベースにする、ことになり、ますます孤立が高まります。

つまり、これらを総合すると、個人で山に行っていても、会に属していても、山行そのものには差はあまりないってことです。

どっちにしても、
 
 自分の仲間は自分で見つける、
 技術は自分で身に着ける、
 分からないことは自分の力で調べる
 
のは一緒です。

山岳会は、会費5000円~1万円くらいで、山友達が見つかるチャンスが広がる、と思うのが、一番無難な山岳会への所属の仕方、ではないか?と思います。

間違っても、毎年の雪上訓練、ではないという現実が待っているような気がします・・・。まぁ雪上訓練したからって、歩きが上手になるわけではないです。

Tuesday, March 24, 2015

登山界のピンとキリ

■ 週末の西穂の状況

22日は、大がつく、山日和りで、どの山もこれ以上ないくらい易しくなったようです。

これは今日、FBで回ってきたコメントです。長いですが、現在の大衆登山の状況をよく示し、世の中の登山を愛する人に読まれるべき情報だと思うため、転載します
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人のため自然のため
< 大変心配しています >
21日(土)から22日(日)にかけての週末は西穂高に多くの登山者が訪れ、非常に賑わいました。
運休していた第一ロープウェイが20日から運行を再開し、21日が祭日であったこと、更には天気予報が良い方向に変わったこともあったのでしょう。先週までとはうって変わった混雑ぶりです。
山荘にお客様が大勢来てくださることはありがたいのですが、心配なことが起こっています。
それは西穂の山頂を目指す方が異常に多かったことです。まるで夏山のように我も我もという感じです。
これまで積雪期に西穂を訪れる登山者の多くは丸山、行っても独標までで、山頂に行かれる方はかなりのベテラン、または山岳ガイドさんと一緒に登られる方でした。
しかし、この週末は何十人もの方が山頂へ行っています。
私はフロントで宿泊受付をしていましたが、あまりに多くの方が西穂山頂を目的地としていたため、だんだんと心配になってきました。
しかし、受付もずっと混雑しており、人が並んでいるため、登山経歴等を詳しく聞いている時間など取れません。
食事の際に天気の案内をするときも、個々の方の技量を伺っているわけではないので、登られる方の冬山経験が不足していると決めつけて注意喚起するわけにもいかず、不安をかかえたままでした。
翌日、西穂山頂から戻られたベテラン山岳ガイドさんに稜線の状況を尋ねると、
「 雪面は締まっていて非常に歩きやすかった。しかし、それよりも西穂山頂まで行こうとする人があまりに多くて驚いた。
しかも、危ない人が大変多い形だけザイルを持っていても、使い方が間違っている人もいる。見ていて怖くなってきた。」
とのことでした。
恐れていたことが現実となっていました。
先日BS放送で、冬の西穂高へ登る番組が再放送されました。この番組の話しをされていた方が多かったので、テレビの影響もあったかと思います。
しかし、この番組で登られた方はガイドさんと一緒に登っていますし、冬の西穂高は上級者でなければ行ってはならないことを、番組の中でも訴えています。
この週末は土・日の二日とも好天に恵まれ、訪れた方も十分楽しんでいただけたのではないかと思います。
それ自体はとても嬉しいことなのですが、ただ西穂山頂へのルート状況については誤解のないように認識していただく必要があります。
この週末の西穂山頂へのルートは積雪期としては最も楽なコンディションであり、これは通常の状況ではなかった、という認識です。
何も考えずに登れるトレースが付いており、ステップまでできている
・日中は柔らかくなってきたものの、雪面は適度に締まり、快適に登れる
・よく晴れて気温も高く、風はあるものの、この時期の北アルプスとしては大したことはない
・大勢の人が登っているため心強く、どこをどのように登っているか人の動きを見て真似して登れる
こんなことは通常はありえないので、別の山に登ったくらい難易度は違うと言えるでしょう。
幸い大きな事故は発生しませんでしたが、今最も恐れているのは、
(1)これが普通なのだと思った方が、次に登った時に大変な目に遭うこと
(2)今回積雪期の西穂に登れたからと、更に難易度の高い雪山に足を踏み入れてしまうこと
(3)今回の登山の様子を知り合いの方にSNS等で伝えることにより、見た方が容易に登れそうだと受け取ってしまうこと
(4)この状況が常態化してしまい、将来大きな遭難事故が頻発すること
今回登られた方は、「 とても幸運だった。楽しい登山ができた。」と仲間の方と喜びあっていただき、それと同時に、今後の雪山の登山ということに関しては、気持ちを新たに十分気を引き締めていただきたいと思います。
これまでにこのルートでは非常にたくさんの事故が発生しており、多くの方が亡くなっています。
独標~西穂山頂間どころか、山荘から独標まで登る間にも毎年のように遭難事故は起きています。
段階を踏み、安全に登れるようになってから臨んでこそ、雪山は十分楽しめるのです。
( 撮影 ・ コメント : 粟 澤  )
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー赤字当方
■ TVの影響?!

基本的に、山に人が殺到するのは、TVの影響のようですね(笑)

私はTVを全く見ないので、TVを見て山に行きたくなる人たちのことはよく分かりませんが・・・
基本的に、TVで紹介された店に食べに行きたくなるとか、TVで健康食品が紹介されたら、それが売り切れる現象と同じですね。私はこれまでも関係なかったので、登山でもまったく切り離された流れにいます。マスコミはあまり利用していないのです・・・スイマセン。

ただ

 ・皆が行くから行きたい
 ・TVに出たから行きたい

というのは、自分自身の本当のニーズではないのではないでしょうか?

 ・流行に乗り遅れたくない
 ・他の人と同じでありたい

という、周囲に自分がどうみられるか?という点を充足するためのような?

こういうのが、いわゆる ”ミーハーな山” という気がします。 

私などは、西穂が貶められたような気がして、西穂に人格があるとしたら、とても気の毒な気がします。

ジョウゴ沢から硫黄というルートは、一年、懐で温め、メンバーが奇蹟的に揃うというチャンスを引き寄せ、その上、少なくとも1週間は、毎日天気図を見ていました。

そういう風に行くのと、TV見て行くのでは、行った後の満足感が違うような気がします。気のせいかしら?

去年の西穂
■ ピオレドール賞を評価するということ

横山勝丘さんの寄稿で、文登研に『ピオレドール賞を評価するということ』という論文が上がっています。 


私は大人で趣味として登山を初めているので、

 趣味の成功とは何か? ⇒ 生活が楽しく充実し、明日に前向きになれること

と考えている。それだと、別に登山でなくても良く、実際以前はバレエを趣味として、楽しい毎日を過ごしていた♪

甲府に来て、趣味としては、 バレエ⇒登山と切り替わった。

そのため 

 趣味としての登山の成功は何か? と、今考えている。

■ 登山の成功とは?

そもそも、登山の成功とはどういうものだろうか?

横山勝丘さんの文章から気になるところを抜粋した。

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・そもそも登山に優劣つけると言う事自体に違和感を覚える

・未知の壁を、フェアなスタイルで登り、山頂に立ち、無事下山する

・未踏のラインから登頂、別のラインを下降

・登山はかけっこではない

・初登 未知の領域に足を踏み込む

・(初登にこだわりすぎると)誰も見向きもしなかったチンケな壁か、金にモノを言わせて僻地

・登山に新しい基準を持ちこむ

・賞を取ることが一つのステータス?→ 山を知らない周囲だけが過剰に囃し立てているというだけ

・登山はスポーツではない

・ピオレドール賞とは、物語を共有する場

・新たなモチベーションを得る
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

大いに勇気づけられたのは、登山はスポーツではない、と、あのジャンボが言いきっていることだ。

そうか~、スポーツじゃないんだ♪ なんだかうれしいです。スポーツととらえると私は苦しくなるので・・・。

これらの価値基準を総合して、

 1)未知のルート(壁は無理なので・・・^^;)を、フェアなスタイルで登り、山頂に立ち、無事下山すること

 2)未知の領域が何かしらあること

 3)次の山行につながる山=成功した登山

 4)このブログで、物語を共有すること

としたいと思います。 そうか、登山は、物語なのか! なんか目からウロコな感じです~

未知は、もちろん、自分にとって未知ですね。初登ルートは日本にはありませんので。

深田久弥は、”百の頂に百の喜びあり”と言ったそうですが、100の頂に、100の物語あり、なのかな~?!

山野井通信から引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やはりクライミングはグレードではなく自分自身の限界と思われる山や岩に触れ、そしてそれを成功させるため本人が持っている最大限の知識と能力を引き出した時に最大級の喜びを獲られることあらためて知りました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Monday, March 23, 2015

ゆっくり成長したいこと

■ 差

わたしには2歳年下の弟がいました。

弟は、背が高く、上背があるヘラクレス体型でした。ホントに逆三角、▽です。というのは、小学校前から、水泳をやっていて、県大会に出るくらいで、200mバタフライとか、400mメドレーとかそういうのをやっていたのです。学校の水泳大会では喝采を浴びていました。

スポーツは万能で、筋肉隆々とはこのこと、という感じの青年に育ちました。背も私は小柄で152cmしかないのですが、弟は180cm近い大男でした。牛乳一日1リットルくらい飲んでましたもん。ご飯は私が一膳のところ、3回はお代わりしていたと思います。

で、弟とは2歳しか年が離れていなかったので、子供の頃は、結構取っ組み合いの、掴んだり、蹴ったりの喧嘩も、いっぱいしました。

・・・が、それは中学で、双方から自主的に辞めになりました。

どちらが言ったでもなく、勝敗が分かりすぎて、喧嘩の意味がなくなったのです。

というわけで、男性の体力と女性の体力では、桁違い。 

余談ですが、競争というのは、実力が近いほど激化する、という法則があります。

■ 登攀力差

クライミングは、男性的な活動。男性と登攀力の差があります。それはいかんとも動かしがたい事実です・・・。

例えば、私がクライミングジムに通ったりして、やっとこさ登れるようになった壁、若い男性が、一日目に登ってしまいます・・・(汗)。

そりゃ、もちろん腕力で登っているとかいうのはありますが、腕力も登る力のうちなので、登れれば何でもいい、という結果主義で見ると”登れる”のは、あちら。

現場の山でも、クライミングの突破力で見れば、やっぱり登れるのはあちらでしょう…

ので、私のクライミング力向上は、ゼロをプラスにするためではなく、マイナスをゼロにするため、です。

わたしに突破力を求める人はいない。

しかし、だからと言って、上手に登れないからと言って、クライミングが楽しめないか?というとそうでもなく、ゲレンデなら、初心者も上級者もみな一緒に楽しめます。

なので、ゲレンデは、上手も下手も、みんなで一緒に行けます。

難しい課題の隣に易しい課題があったりしますし、難しい課題も全部難しいわけではなく、核心部まではいけたりします。

大事なのは、皆で一緒に上手になろう!とか、安全管理を人任せにしないとか、それぞれ各人が段階的なステップアップをしよう!という意識を持つことです。

クライミング力で競争しても仕方ありません。もう、やる前から勝敗は明らかですから。

■ 体力差 

体力についても、男性と女性の差が大きいのは動かしがたい事実です。

功名心と野心に燃える若い男性クライマーは、どんどん難しいルートへ進みたいでしょう。それはそれで良いような気がします。例えば、鹿島槍北壁とか登りたい人ですね。

が、一般的な山岳会の合宿が、鹿島槍北壁登攀を目的にするような場か?というと、ちょっと違うような気がします…合宿先を先鋭化するのは、遭難の元のような?そのような場合は私はテントキーパーですね。

雪と戯れるラッセル三昧を楽しみに、重ラッセルの山。その日進めた分=パーティの実力。それぞれのメンバーが頑張れるだけ頑張る。合宿はそれで良いような? いっくら体力があっても、一人の方が楽、安全とは言えないのが豪雪の山ですし。

あるいは、広河原沢の岩小屋にテントを張って、初心者のワタクシレベルの人は広河原沢左股へ出かけて、プチマルチ&アイスクライミング、登攀をしたい先輩は、2ルンゼ、3ルンゼに出かけて登攀…夜はみなで楽しく宴会、というようなものも山岳会ならでは、で良いのでは?

■ 先鋭化したアルパインルート

最近はフリークライミングで、クライマーのクライミング能力が向上し、先鋭的なルートは、フリー並みの高難度で、なおかつ山なのだそうです。

しかし、12登れる先輩によると、そこまで登れたとしても、高難度アルパインなんてやる人は、ホントに稀だよ、とのこと。

そうだよね~と私も思いました。昔はエイドで登ったところをフリーで登るのが現代は主流となり、その分、難しくなっているのだそうです。

逆に昔は登山靴で登ったところを今ではクライミングシューズで登るようになり、クラシックルートというのはクライミング力的にはさらに易しくなった部分もあるそうです。

例えば、以前、北岳バットレス四尾根と太刀岡山左岩稜、どちらが難しいか?聞いたことがありました。

四尾根は登山靴で開かれたルート、太刀岡はクライミングシューズで開かれたルート。なので、純粋に登攀だけを見ると、太刀岡のほうがクライミング力が要ります。

が、四尾根は山の総合力が必要なので、太刀岡山とは気合の入り方が違います。なんと言っても3000mの場所にあるのです。太刀岡は低山でしょう。

でも、クライミング力を使いたい人にとって面白いのは、太刀岡です。アルパインのルートは、岩場の基部に行くだけで、一苦労です。ザックは重いし、歩きは普通の登山だし。天候の判断力も、山を見る目も要ります。

アルパインを志す若い男性が、例えば、鹿島槍北壁などのルートにあこがれるのは普通ですが、私はそのようなルートは、「すごいルートだな~」と分かるのが大事なことで、自分で登れるようになる、というのは絶対、違う…と思っています。

高難度アルパインには一生行かなくていいです… 知り合いの山小屋のおやじさんですが、鹿島槍北壁でクライミングしていたら、両手で持った岩がごっそり欠けて、岩ごと落っこちたそうです…。

■ クライミング力をつけてしまえば、ゆっくり成長する楽しみがなくなる…

私は今の実力では、これ以上のクライミング力が欲しいとは思っていません。

・・・というのは、あんまり登れちゃうと、実力以上のところに連れて行かれそうになって、怖いからです。

それに、もっと重要なのは、ゆっくり成長する楽しみが失われてしまうことです。

私は、コンペで勝ちたいとか、そういうのは思っていないので…。

友達で、クライミングコンペで優勝し、なおかつ高所の富士山でトレーニングしている人がいます。

えらいな~、将来、谷口ケイを越えるアルパインクライマーに育ってくれるのかな~、頑張って欲しいな~、と思っていますが、私とは、行く山も、行きたい山も、行ける山も、違うと思います。

ゲレンデくらいは一緒に行けると思いますケド・・・

そこを勘違いしないことが遭難を防ぐと思っています。趣味の人と、プロの人は、ギアは同じですが、行く場所が全然違う。

違いが分からない一般登山者の人には、十派ひとからげに見えてしまうと思いますが…。

■ ビレイヤーは売り手市場

世の中はビレイヤー貧乏です…。岩に登りたくて仕方がなく、ビレイヤーを欲している人は、たくさんいると思われ…、思わぬチャレンジ山行の助太刀に、知らないうちに駆り出されてしまうかもしれません。

知り合いの知り合いくらいのクライマーですが、登りたいあまり、身重の奥さんにビレイをさせたそうです…それも奥さん、クライミングを知らない人だそうです…。

そこまで行くと、もう煩悩かもしれない・・・。

でも、私くらいしか登れなくても、登りたい病にかかった時期がありますので、気持ちは分かります。

なんだか、ロープが出ない山がつまらない山のように感じてしまうのですよね。

ですので、そういう羽目(ビレイをしてあげることになった奥さん側)に遭わないためにも、クライミングは、ゆっくり、じっくり上達する、で良いと思っています。

■ レスキュー

いつも誘われて思うのは、「私はこの人をレスキューできるだろうか?」です。

ビレイヤーになると言うことは、相手の命を守ってあげると言うことだからです。当然ですが、絶対に落とさないつもりで、ビレイしています。奇特な先輩が予告なしに落ちたことがありましたが、全部止めました。リードです。

相手が私の保険になるなら、私も相手の保険です。

ただ、クライミング力や体力を過信していて、トレーニングしておらず、また体重差が20kg以上ある人だとちょっと不安です。事故を起こす確率が高そうでかつ、体重があるために、レスキューしてあげられるだろうか?と自信がないからです。

また、まだじっくりは分かっていない人も不安です。悪気がなく、何か失敗をしてしまうかもしれません。

遭難の記事を読むと、自分が遭難者側のシナリオを考えます。例えば、今冬の学習院大学の男女二名の遭難では、最初に遅れた女性の立場に私がなりそうです。

一般的に考えて、小柄な女性のほうが、大柄な男性より、物体として早く冷却化されそうですし、基礎代謝も低そうですし、体力そのものも貯金が低そうです。

イレギュラーな事件が起こった時、経験あるリーダーのもとでないと、あるいはすぐに救助要請するような、弱気の判断をしてくれるメンバーの元でないと、楽しい山が、死の山行になってしまうかもしれません。

そういう意味で、山岳会に自衛隊の仲間がいるって百人力?!ある意味レスキュー専門家です。

■ 老後の愉しみ

私が思うには、近場のゲレンデのクライミングは、体力がなくなった老後にも、十分楽しく登れるので、今クライミングするのは、あとあと老後の楽しみを持つためです。

なんか、クライミングしているおじいちゃん、おばあちゃんってかっこよくないですか?

アイスですが、ゲレンデまでのアプローチで、ぜいぜい言っている人が、氷瀑につくと、
スイスイとラクラクに登っていて、びっくりしたことがあります。

登山は体力が必要なので、長い山行は年齢を重ねるとつらくなると思います。それでも、楽しむには、クライミングは絶好の趣味と言えるかも。ゲレンデであって、山の危険は少なくても、山は山で、清々しいものです。

今目指しているのは、とりあえずは、5級マスター、つまり5.9なら落ちない人です。

が、それから上は、今以上に、ゆっくり成長したいと思っています。

ということで、落としどころ、は、初級のルート、マイナールート、そんなところです。

≪参考記事≫
クライミングを始めるのに遅すぎることはない

フリークライマーのアルパインでの事故原因について






ジョウゴ沢は漏斗形

ジョーゴ沢周辺概念図
■ ジョウゴ沢かジョーゴ沢か・・・

昨日は、ジョウゴ沢に行っていました。 ずっとジョーゴ沢か、ジョウゴ沢か、で、悩んでいたのですが、謎、解決。

ジョウゴ、つまり漏斗の形をしているから、ジョウゴ沢。

■ メンバーに感謝

昨日は、すごく楽しく過ごしました♪

しかし、そうなることは予想通りという気がしていました(笑)

一緒に行ったメンバーのサクちゃんとは、正月に金石沢遡行から八幡尾根を上がって、地図読みについての意識すり合わせをしていました。この山行の前の週にアイスに行って、足慣らし運転OK。

もう一人の追加メンバーとは、まだゲレンデ2回しか行ったことがなかったので、相手の考え方や様子が分からず、ちょっと時期尚早かな・・・とは思っていましたが、ルート自体がそれほど難しくないのを知っていたし、クライミング力には問題がなく、ルーファイは一緒に行く人でやればいいので、大丈夫だろうと踏んでいました。
大同心への憧れを温めよう


■ 山は時期によって性格が違う

このルートは、基本的には、あまり高度なクライミング力が要らないように、時期をわざわざ選んでいました。

〇〇という同じルートでも、時期によって性格が違います。自分の興味あるルートは時期を変えて記録を色々と読むと分かります。ネットで最近は色々出ています。

 ヒント: 興味があるルートがあれば、時期を変えて色々と記録を読む

今回のジョウゴ沢は、困難を求めたのではなく、弱点を求めて時期を設定しました。

例えば、私は初心者向けのアルパインアイスのルートとして、峰の松目沢に興味がありました。他の記録では、2月には、ラッセル山行として峰の松目は組まれていました。ラッセルの山も好きですが、性格は違います。

 例:峰の松目沢 
    新雪期 初級アルパインアイスルート
    厳冬期 ラッセルルート
    無雪期 枯れた沢? あまり聞かないなぁ・・・きっと沢登りとしては面白くないのでしょう

ルートの性格が違えば、必要な装備も違います。

■ 困難をとるか弱点をとるか?

初登というのは、基本的には、一番易しい時期の一番易しいルートで成されています。一方、バリエーションルートは、初登が一通り終わり、地理的空白がなくなり、次のステップなので、初登ルートより、より困難なのは当然です。

その流れで行くと、難しければ難しいほどスゴイ、ということになります。5.8で登れるピークに、5.13で登るのは、そのほうがより難しく、より難しいほうがエライ、というわけですね。

困難化は登山の一つの価値観ですが、先鋭化は一般市民が趣味で登山を楽しむ山ではなく、プロが登山の世界の限界を広げる山になります。それはプロに任せたいところ。

滑落停止訓練的な斜面・・・
わたしはクライミング力を誇示する山をしたいとは思っていない。そこが最大の価値観です。先鋭化は求めていません。

ジョウゴ沢は5級は一切出てこなかったと思います(笑) とはいっても命の危険がないかというと、あったと思います。なんか雪上講習にピッタリな急斜面でした(笑) 滑落停止訓練とか。でもためしに落ちてみる、のは無しです。

ところで、山を自己顕示欲の発露の手段にすると、山での死が近くなりそうです。

だから、”ドーダ理論”で登っている人を見ると心配になります。

山は楽しく。プライドを掛けた戦いなどにしないのが大事です。何しろ、趣味なのですから。


右股・・・あらら・・・
■ アイス適期

アイスの適期は短い。

一般に八ヶ岳は、新雪期がアイスルート適期です。

この時期、八ヶ岳は雪が少ない山なので、雪稜は、まだ雪が足りない。

アイゼンも効かせられないし、岩が出ていて夏と同じことなのでツマンナイです。

ので、正月前後アイスをするのはおススメ。

同じアイスでもゲレンデだとつまんないので、ルートがおススメです。

でも、考えることはみな同じなので、適期はルート、とても混んでいます・・・(--;)


■ 全体像を知る

山の全体像を知れば、必要もない装備を持っていくことを避けることができるようになります。

八ヶ岳という山をよく知ることが、装備の軽量化につながる。軽量化できれば、スピードが出て、スピードが出れば、より安全になります。

知る ⇒ 最適化 ⇒ 安全性向上

”知る行為”には、

・実際に行く
・『八ヶ岳研究』や『登山大系』などを読む

の2つの手段があります。これらは車の両輪のような感じなので、両方できるだけたくさんやった方が良いです。

最適化ですが、装備を適したものにする、のは大事です。アイスの時はアックス、ラッセルの時は、ワカンが必要です。 

ただ装備不足でも、行って見て、敗退すればいい。敗退は成功した山行以上に勉強になります。

ので、敗退を受け入れることができる人は、偵察という意味で出かけても、大丈夫です。一緒に行った人たちの考え方なども見たり感じたりすることができるし、そのために私はよくプランBを持って出かけます。今回プランBは、南沢大滝アイスクライミングでした。

でも、ジョウゴ沢のほうが今後の夢につながる良い山だと思います。このエリアの他のルートを眺めたり、阿弥陀岳の展望で、阿弥陀に登りたい!という登高意欲が湧くからです。

■ 山にあった遊び方をする

山には個性があり、その個性にあった遊び方をするのが好きです。

危険がなく遊ぶには、山の性質をよく知らないといけません。

昨日は、

 氷って一瞬の気温上昇であっという間になくなること
 
を観察できました。そうした観察ができたことが一番の収穫かな?!

冬がほんの少し前までいたことは、エビのしっぽの破片が岩陰に一杯落ちていたことで、分かりました。

きっとほんの数日前までは、立派なアイスアルパインルートだったのです・・・(^^;)

この日は、完全に、雪に埋もれた沢登りというか、そんな感じになっていたのですが・・・

でも、沢でもまだ山頂を詰めて、雄大な景色を見たのは、初めてです。

あ、東沢釜の沢がありましたが・・・あれは講習会で自分たちで作った山ではありませんでした・・・ 甲武信岳山頂の眺めは素晴らしかったですが、硫黄岳の方がいいですね♪

■まとめ

  • 山をよく知れば知るほど安全が増す
  • 山の弱点をついた山行
  • 次回山行につながる山 
  • ピークへ抜ける登路としての山
■ 参考

ジョーゴ沢情報 http://www.hoshinamasanori.com/ice/jogosawa.htm


Saturday, March 21, 2015

180cmのスリング

 ■ 明日の準備中

今日は、明日の山のために、ギアのお手入れなどしています♪

この青いビナはあまり使い勝手がよくない。

安環が固いので、ミシン油を差しました。

アックスとアイゼンは研いで・・・。

ダブルフィッシャーマンの末端がテンションかかって短くなっていたのを直し・・・

ハーネスの両サイドにキャリツールを付けた。

新しい勝負手袋を買ってきた(笑)
180cmのダイニーマスリングを、八ヶ岳用に買い足しました・・・

以前、講師が

「八ヶ岳では、ブッシュで、取ることが多い」

って、言ってたっけ・・・

それに、アイスでは流動分散ではなくて、固定分散です。

見えますかね?

オーバーハンドノットの固定分散になっています。

かたっぽはバックアップなので、緩んでいます。

この支点は、オーバーハンドノットなので、120cmより、180cmのススリングがあると、長さを気にず作れてよいと思い、180cmスリングをアンカー用に買ってきました。

師匠はカモシカで、1600円でGETしたそうですが、私はエルクで、2300円くらいで買いました・・・。


 いわしの作り方覚えているかな~と思ってやってみた。

あまり難しい技ではないので覚えていた・・・
 クローブヒッチの固定分散、復習。 ねじりが一つ少ないとムンターになります。
ピンぼけですみません。

この技を使うかどうか・・・・

でも、スリングの長さは節約になるな~

以前、沢に行った時、ベテランガイドが4mのスリングを使っていて、そんなに長いスリングがあるんだ~とびっくりした。

沢ではダイニーマは水分を吸収しなくて軽くて使いやすいらしい・・・

それにダイニーマは結び目を作るとそこが弱点になるらしい。強度が半分以下になると先輩が行っていた。

ナイロンスリングは連結しても、コブが緩衝剤になり、強度低下はあまりないらしい。









■ 阿弥陀の遭難

阿弥陀岳でまた遭難があり、今回はかすり傷なく助かっています。

ガイド登山で、登山中の女性が滑落した・・・ということのようです。

――――――――――――引用------------------
 女子高生ら5人は、8日夕に阿弥陀岳から中岳に向かって急斜面を下り始めた。
 途中でより長いロープで互いをつなぐため、付け替えようとして外したロープが左足に引っ掛かった。
外そうとして右足に体重がかかり、頭から斜面を落ちた。

 落下はかなりのスピードで、「死ぬ」と思った。
ピッケルを差しても止まらず、アイゼンを踏み込んで約200m滑ってようやく止まった。

 尾根の仲間に「助けて」と叫んだが応答がなく、携帯電話もじきに電池が切れた。
(既報のとおり、彼女は二度リーダーの携帯電話に発信している。)

 8日は、日没まで沢筋を下った。
 夜は雪上に掘った小さなくぼみにマットを敷き、寝袋をかぶったが、寒くて一睡もできなかった。

 手の指先が濡れて冷え、凍傷になりかけたので、持っていた絆創膏でぐるぐる巻いて、ゴム手袋をした。

 夜明けに歩き始め、午前10時過ぎに飛来したヘリコプターに手を振り、30分ほどして再び飛んできたヘリに救助された。

 下って行った沢筋の数メートル先は滝だった、本当に運が良かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://rindow33kai.grupo.jp/blog/838153 より引用

しかし・・・ ”より長いロープでつなぐための架け替えで滑落”って、架け替えすべき場所と時を間違っていたのではないかと思います。 ガイド登山なのに・・・セルフはとっていなかったのでしょうか。

携帯電話で2度も連絡したのに、取ってもらえず・・・。救助要請も滑落した時間から、かなり遅れてしてもらったと想定されます。

行者小屋泊で阿弥陀に登ったら、滑落したのは早い時間のハズです・・・なのに、16:20に救助要請???うーん・・・・。 

さらに彼女は立場川を下っている最中に発見されています。立場川には滝があります。見つけてもらわなかったら、どうやって降りるつもりだったんでしょう?

沢を降りてはいけない、というのは、遭難時の鉄則です。ロープがないと降りれないです。滝は二次災害の典型です。 基本は動かないことでは??

このように生還した遭難は、生還した事実のほうに目が奪われ、ちょっとした問題点には大目にみたくなってしまいます・・・

が・・・・

私が滑落したら、間髪入れず、すぐ救助要請、お願いします。


八ヶ岳の沢の覚書

私は八ヶ岳で山をスタートしていますが、山を歩くと、隣の尾根が見えます。

 あっちの尾根から歩いてみたらどうかな?

と思ったら、尾根と尾根の間には、当然沢がありますので、

 沢も歩けるのかな?

と思ったりします。 

こちらが八ヶ岳全体の尾根と沢

八ヶ岳概念図

こういう概念図を見ていると、すべての尾根と沢を歩いてみたい誘惑が。以前は、私の中には沢というのは登路として可能性はゼロでした。沢技術がないからです。

今は沢は初級のなら一人でも歩けるので、なんかうっとりしてしまいます。

■ 八ヶ岳の沢リスト

      西          東

唐沢 中山峠  / みどり池 大月川

鳴岩川 天狗・根石岳 /本沢 湯川

柳川北沢 硫黄岳・横岳 /硫黄岳・横岳 杣添川

広河原沢 阿弥陀岳 / 赤岳 大門沢

立場川 赤岳・権現 / 権現赤岳 川俣川東沢

古杣川 権現 

高川 三ツ頭 /三ツ頭 川俣川西沢


一般道で、天狗岳に行くと、みどり池を通りますが、当然ですが、大月川の傍を通ります。すると、登山道でなくても、大月川で、みどり池まで行けるんじゃないか?と思ってしまうんですよね。

もし登山道がなかったら? 尾根を使ってピークに行くか、沢を遡行するか、人間の道はどっちかしかありません。鹿はやたらめったらトラバースしていますケド・・・
  
■八ヶ岳の沢の覚書

立場川 沢は深く、すべての支流が遡行の対象になる 広河原沢奥壁を持つ。
      八ヶ岳で屈指の岩場
柳川 赤岳北壁を源流とする 細かい沢が多い 源頭部に行者小屋がある 
    遡行の対象にはならない   南沢と北沢を分けるのが美濃戸中山
鳴岩川 一見の価値がある、河原木場沢醤油樽の滝を持つ
地獄谷 川俣川の源流 興味深いバリエーションルートを多く持つ
大門沢 赤岳東壁へのアプローチとなる沢 水流は少なく、伏流している
杣添川 横岳に付きあげる沢 

基本的に、南部のほうが沢としては遡行価値が高いみたいですね~

私は去年無雪期に醤油樽の滝に興味を持って、師匠に却下されました・・・(--;)

登れそうに見えますよねぇ
醤油樽の滝は無雪期は登れません。巻かないといけない。

けれど、アイスならトップアウトできそうな滝です。

つまり弱点になっています。

上部はあまり見るべきものがなく、沢の遡行として興味深い対象とは言えないかもしれませんが、ただ登るのではなく、何のために登るのか?

もちろん、そこが山の弱点であり、

前進のため

そこを登路として使うため、

であって、ムーブの習得のためではない・・・ということを改めて、実感するために良い場所だと思うのですが・・・。

■ 研究

私は、山を研究中です。

八ヶ岳
金峰山(奥秩父)
三つ峠(御坂)
小金沢連嶺(甲州アルプス)

が今のところ研究対象です。

南アの甲斐駒・北岳も研究対象に入れたいですが、難しい・・・

■ 沢の遡行

今度一緒に行く仲間とは、近所の小さな山で、一緒に沢の遡行をしています。

金峰山の前座、八幡山の沢・・・金石沢。

金石沢の記録

この沢は無雪期に行って、ラクラク下山に使った沢でロープは出さないで済んでしまった沢でしたが、登山道があるわけではない。

積雪期に沢から尾根に楽に上がる登路として使ってみようと、と一緒に行った仲間と、地図を見ながら、テキトーにルートを決めて上がりました。結局、尾根の方が快適でよかったのですが。

結局、積雪期は沢はどちらかというと弱点ではないと言うことが分かった・・・無雪期は藪を避ける意味で弱点です。

そんな調子だったので、下山時間を保守的にしすぎて、午前中の早い時間に降りてしまったのですが・・・

沢は登るのには結構時間がかかるけれど、下りはすごく早い・・・

ルートファインディングは、地形を追っている限り、誰がやっても同じようなもので、あんまり個人差はありません。

どうする~?といいながら登る山が楽しいです☆


Friday, March 20, 2015

山岳会に一年所属して

■ 歩荷散歩

今日は、しばらくやっていなかった歩荷散歩を再開した。

甲府盆地は、ずっしりと重い、湿度の高い、生温かい空気に覆われ、東西南北では、西側の甲斐駒・鳳凰三山だけが、朝の陽の光を浴びて光り輝き、後の方角はすべて、重く厚い空気に、まとわりつかれるように沈んでいた。灰色の中に沈む町。

今日は、三方が灰色だったので、ひときわ甲斐駒が輝いて見えた。ラファエロの絵のようだった。

白峰三山の稜線の白さが、鳳凰三山の後ろにひときわ際立っていた。あそこを厳冬期に、たった一人で歩いた女の人がいるなんて、信じられない。昨日立ち寄ってくれた人だ。

羨ましいと思う。

■ 孤高

単独行のリスクを取って、山に行くなら、充実した気持ちになれると思う。

単独行を選ぶ人の理由は、単独のほうが安全だから、だ。

残念ながら、それは言える。

単独で行くより、大変になって、安全性が高まるとは言えない、問題児も中にはいる、というより、そういう人の方が多い。

でも、そうするわけにはいかない。

周囲に与える心配の量が大きすぎて、とても申し訳なさ過ぎて、そんなことはできない。

それは孤高へ向かう道で、私は以前はそういう生き方をしていた。学生時代は、近寄りがたい空気を出していたそうで、当時の友人に会うと、別人かと思われる。

人の力を頼るようになったのだ。頼ることを知ること、相手に頼っても良いと自分に許すこと、が、私にとっては、人間的成長で、私はなかなか人を頼ることができなかった。

だから、今、孤高への道を選ぶことは敗北になる。

結婚したことで、困ったときは夫を頼ってよいと言うことをやっと学んだところなのに。

■ 最悪を知る強み

だから、白峰三山の稜線を見ると、単独行の誘惑に勝たねばならないと思う。知り合いの知り合いくらいの人が単独で正月富士山に入り滑落死した。単独の誘惑に勝てなかったんだと思った。

夫と厳冬期に鳳凰三山へ行き、一人で地蔵岳まで足を延ばした。その後、下界から眺める稜線は、何かしみじみした感動があった。

一級品の風と寒さを味わったのだ。

それはもちろん、ちょっと味見、という程度で、それ以上ではない。でも、あそこにどんな烈風があるのか?どんな寒さがあるのか?どんな景色があるのか?どんな雪があって、どんなふうに、あそこからは、町が見えるのか?知っている。

知っている、ということが強みだ。それは本当だ。

日常の買い物で運転しながら、鳳凰三山の白く輝く稜線を見るとき、あれがいかに厳しいかということを知っている、ということがもたらす強みが、人生の困難を乗り越えさせてくれる、と思った。

逆境は人を強くするのだ。人は最悪を知っていれば、知っているほど、強くなれる。

だから、都会の人工物で守られて、軟弱になってしまった自覚がある都会人たちは、荒野を求めて山にゆき、最悪を経験したくなるのだ。そこで自分が生きられる強さがあることを知るため。

■ やり残した課題

今日、丘に登ったのは、週末の様子をうかがうためだった。標高500mそこらの山からでも、空気感は感じられる。

今年はまだ大菩薩に行けていない…小金沢連嶺の縦走ができていない。3月は雪稜で金峰山の黒平から、というのをやりたいと思っていたが、今年は無理だろう。黒富士周辺は、もうこの時期、スプリング・エフェメラルの時期だが、今年も逃しそうだ…

里山ではこぶしの白い花が咲き、梅はもう終わりかけだ。下界では、桜がぼちぼちシーズンだ。イノシシが穿り返した跡が大きく、黒々と地面に空いていて、もうそろそろ、起き出してくる熊もいる頃かもしれない。

ということは、アイスのゲレンデ偵察はもう危ないかもしれない。低山地図読みシーズンが終わりつつあり、やり残したことがある気がする。兎藪は行き損ねた。茅ヶ岳は地図読みで行こうと思っていたが、厳冬期には踏んでいない。西岳のロングラッセル山行のやらずじまいで、今年はどこもラッセルしていない。

これだけ山に努力を傾けても、すべきだと感じた、すべての山に行けるわけではない。

■ ヨーダ

歩荷散歩を辞めてしまったのは、今いる環境では、歩荷散歩が必要となるようなルートには行けないからだ。

山岳会に入ったとしても、私ができる、最高の山は、その前と変わらない。

クライミングには体力はいらない。山は、今あるスキルと体力で行けるところにしか行かない。

厳冬期の黒戸尾根をコースタイム以下で歩けて、特に山行後に健康問題が起らない人は、これ以上の体力はいらない。

それよりも、私が今学ぶべきことは、長く山の世界に生き続けてきた人たちがもつ、姿勢、というようなものだ。

山で死なないための姿勢。だから、私はベテランと過ごすことを大事にしている。

ヨーダから学ぶためだ(笑)。登山はジュダイになる修行と似ている(笑)。

■ 廃れ行くものの美

昔読んだ本に、山は社会だ、という主張があった。

その頃は、私は、人というものは、世間のしがらみから逃れたくて、山に行くものだ、と思っていたので、「はぁ?」と思った。

今では、登山活動の良さの一つは人の温かさが感じられるということだ、と思う。

ある先輩は、クライミングに打ち込み、すごく登れるが、それを鼻にかけているところを見たことがない。

きっと地道でコツコツした、たくさんの努力が必要だったのだろうと思うが、それを見せない。生来、そうした努力の仕方が好きな人がいる。きっと生き方もコツコツと努力をして積み上げた人なのだろう。

あるとき、私が初心者にマルチピッチを教えようとしたら、心配して来てくれた。それで初心者に、一体一でマルチを教えるのは、特に命の危険がある、危険行為なのだと分かった。

ある先輩は、毒がない。ただ山が楽しそうにしている。蓮は泥より出でて泥に染まらず。そうか、そういう風にしていればいいんだ、と思った。私が楽しみにしていた山が流れたとき、助っ人を買って出てくれた。その先輩がいなかったら、グレていたかもしれない(笑)。

別の先輩は私が30年後にこうありたいと思える人だ。たぶん、ほっといてもなると思う。

反面教師ばかりが目立つ中で、手本となる人をただひとりでも得れるなら、その山岳会は所属している意味がある、といえるだろう。

それだけでも、その会は素晴らしい会であると言えるのではないだろうか?

負の影響を与えるのは易しいが、正の影響を与えるのは難しい。

■ ビジョンへ渇望

廃れ行くもの…いと麗し…か、どうかは分からないが(笑)、廃れ行くものには、終焉の美があり、山岳会という組織が、社会的に見て、終焉期にいるのは間違いないだろう。

幕末みたいなものだ。

時代は移り変わりつつあり、新しいワインは新しい革袋に入れないといけない。今のところ、新しいワインは次々と出来上がってきているが、新しい革袋は用意されていない。

求められているのは、新しい革袋だが、誰もそれがどんな革袋であるか?までは見通せていない。

ガイド登山が失敗の試みだったのは明らかだ。ガイドも勝っていないし、お客も勝っていない。登山の在り方が後退することを後押しする仕組みだ。

では講習会は? これは帯に短し、たすきに長し。一時的な成功しかもたらさない。が、現在では、一抹の望みはまだある。継続性がネックだ。

山岳会は、どこも末期症状なので、その場しのぎと行き当たりばったりで、次の行動が作られる。ビジョンがないから、その場しのぎと行き当たりばったりになる。もう、ほんとに御臨終間近になると、遭難が増える。

”行き当たりばったり”は、まずいリーダーのもとでの山行と同じで、思った目的地に着くはずがないのだが、そんなことは、みなが分かっていても、ビジョンを提供する人はいないから、困ってしまうのだ。

だから、いかんせん、人はスターを求める。

スター、つまり強烈な個性は、ビジョンの一つの具現化であると言えるからだ。

こういうのは、混乱の世に独裁者が出たり、退廃の世に救世主と祭り上げられる殉教者が出たりするようなものだ。

その期待は無責任なものだ。

白峰三山の女性は、硬派な会の人だったが、会の拘束が煩わしくて会を脱退したそうだった。

会そのものが人材難で、一緒に行く人がいないのに、他会の人と出かけることに否定的だと、軟禁状態に等しくなる。ラプンツェルは危なくても塔の外に出たいのだ。

■ 分かち合いたいから一緒に行く

夫と山に行くと、小屋がある厳冬期鳳凰三山以上の山には行けない。雪上訓練が必要な赤岳は行けない。それでも、私は夫と山に行き続けたいのだ。

年に一回くらいは、夫と厳冬期の冷たい、厳しい世界を味わいに雪の中に行きたい。困難を分かち合って、美しい景色を見る体験が、夫婦のきずなを強める気がする。一つの体験を分かち合うことは大事だ。うちは子供がいないのだからして。

もし、その体験を私が別の人と分かち合うようになったら、それは夫が恋人ではなくなってしまうということなのではないか?と思う。

それでも私は山には行くことになっているから(笑)、誰かとは一緒に行かなくてはならず、そういう場合に、山世界の人口比率から、どうしても男性と行くことが多くなるのだが、わたしにとっての夫の地位を奪おうとしない人が私にとっては助かる。

だから、心の山には女性の親友と行きたい。だから女性パートナーには、気の合う人がいい。

クライミングはできても、できなくても良い。好きでもない相手とクライミングのために組む必要はないだろう。

■ 僕のバラを作る

仲間との山には、何であっても行くべきだ。たとえ途中で敗退して帰ってきても、だ。その体験から教わることは多いからだ。

ただ”知る”ということは、いつでも私にとって、とても重要なことだ。

すべてについて”知る”ということはできない。それで”予想する”ようになった。

私は仮説志向をするようになった。プランは、いつも2つ。

”What's plan B?”は、「代案はないの?」という意味の英語の常套句だが、ビジネス常套句だ。それで企画に強みができ、マーケティングをビジネスでは学んでいた。

そうした思考回路を共有することが、その人を私にとって特別な仲間にする。

世の中にバラは、いっぱいある。 でも、大事なのは、”僕のバラ”だ。

これだけで何の話が分かる人は、文学通だ。これは、サン・テグジュペリの星の王子様の話だ。

仲間というのは、”その他大勢”のうちの一人、ではなく、”この人なら知ってる”になることだ。

そうなる前に全幅の信頼を求められても困るが、信頼関係を作っていく中に、失敗と許しあいは、必要だ。

最初から、完璧な人はいない。そんな人は仲間のフォローを必要としていない。

どんなフォローをしてあげたらいいのか?分かっていること、それが仲間を作る。

逆に言えば、自分の役目を負おうとせず、人に押し付けてばかりの人は仲間としての最初の試験にパスしなかったのだ。

≪去年3月19日の記事≫ 地獄谷の準備中
http://stps2snwmt.blogspot.jp/2014/03/blog-post_19.html

考える登山

Thursday, March 19, 2015

山書 『氷壁に生きる』 安川茂雄

■うれしい再会 

今日はうれしいことがありました☆ 以前、八ヶ岳にご一緒しようとした、関西の方が来てくださったのです☆

会いたいと思っていたのでうれしかったです!来てくれてありがとう。

白峰三山を厳冬期に単独縦走したという、つわものの女性です。すごい!私は、この話を聞いてだいぶ勇気づけられました。

ホントにね、一人でも行きたいですよね、山。こういう方こそ、次世代を担うアルパインクライマーになるのかもしれない…・と思っていました。ちょっと遭難していないか、心配しつつ…。


■ 誤解なきよう…

私は一般の方から見ると、なんだかよく分からないけどスゴイ山をしていそう…に見えると思いますが、それは一般登山者の方の登山に対する無知に基づいた判断であって、山の内容自体は、本格的登山としては入門以前の位置づけの山ばかりしていて、そんなにすごい山はしていません。

標高差や距離を見てくだされば、な~んだ~と思うと思います。特にクライミング寄りになると、クライミングでは歩きませんから、一般の人からみると、なんだかすごいように思えても、実際はそれほどすごいことをしているわけではありません。

手元にある本に『登山家が愛したルート50』って本があります。

一般の人はこうした本に出てくる登山家と山岳会のやっている山の違いが判別できないと思いますが、ぜんぜん違いますから!

”アレアレア”とか一生行かなくていいですから… ”赤蜘蛛の巣”とか”穂高のパチンコ”もです。”滝谷”も私の手に余ります…。

■ ヒヨドリ君たち喧嘩

ヒヨドリたちが相変わらずベランダにおねだりに来ます。どうもヒヨドリ以外のお方の立ち寄りスポットにもなって
しまったみたいで、どれどれと思って、みかんをおいてあげたら、2羽のヒヨドリが来るのはいいのですが、そのうちの一羽が食い意地が張っていて、外に干していた大根の皮まで食べようとする… みかんもあらかた食べ終わったので皮をしまうと、何か誤解が起ったのか、2羽が空中戦で喧嘩してしまいました… それも人間様の至近距離で!

ああ~喧嘩するならもうあげない!

こういう光景をみると、人間の行いは、神の目には、野鳥たちの浅はかな行いと同じように見えているのではないか…とおもったりします…イブが食べたという知恵の実の、”知恵”とは、”自分を客観視できる”ということであるのかも…人は主観だけで生きている時のほうが絶対幸福度は高いと思います。動物を見ると単純でそう思います。時の観念もないほうが死を恐れず、今という瞬間に生きることができると思います。

客観性が人間の幸不幸のキーファクター? 自分を改めて見ると…しょげる…。

■ 勝手知ったる感

今日は甲府はウットオシイ雨・・・このところ気温が高く、お山の雪がどんどんと溶けてなくなっていくのではないかと不安です…。

私は毎年この時期は、八ヶ岳ですが、今行きたいルートは西面で、良く知っている東面より雪がなくなるのが早そうです…(汗)積雪量の違いですね。

山の満足感を語るにあたって、私たち夫婦は、厳冬期、毎週三ツ頭に通って、天気がどうだ、寒さがどうだとやっていたあの頃…あの頃はとっても幸せでした。山について意識が集中していました。関心の先が絞られていたのです。

今は、パートナー問題や山岳会問題、遭難についての考察、良きリーダーシップとは何か?という、山以外のことについて意識を広げなくてはならず、意識が100%山だけに傾けられない…山そのものについて観察眼を十分向けれていないような気がします…そこがプチ危機感。毎週山に接したいと言う感じです。

ちょっと一人で歩きに行かないといけないのかな。

山に対する強さ…というものを色々と考え合わせていると、一番の強さというのは、やはり頻繁に山に通って、その山の様子をつぶさによく知っている、ということが一番かなぁと思います。

そういう意味で、”勝手知ったる感”とでもいうのでしょうか?そういう感じが大事だと思いました。

山ヤは、クライミンググレードや山歴の長さだけでなく、どれだけの年間日数、山に接しているか?で、比較されるべきものなのかもしれません。

山ってやっぱり受け取るものがあるような気がします。

■ 『氷壁に生きる』

安川茂雄さんの『氷壁に生きる』を読んでいます。

これはすごい本です

山初心者の頃、丸山までなら初心者コースと聞いて、西穂丸山(実際は独評手前まで)に行った時、松本深志高校の落雷事故について、学びました。

その時もなかなか資料がなくて、もどかしい思いがしました。この本にバッチリあります!

この本は遭難について扱った本です。

しかし、何でタイトルが『氷壁に生きる』なんだ??

昔は、山岳会は体育会系で、シゴキ事件などがあったそうです。時代を感じます。

今はシゴキの反対、つまり山を街化しすぎていることが逆に問題化している時代です。

富士山のベテランの遭難事件の話は、非常に怖い。突風に飛ばされた純然たる不可抗力の話のようですが、私も5月の富士山には行っていて、入道雲を見て、雹が降ってきたので大急ぎで、かけ降りたことがあります。

今年も同じ時期に富士山に行く予定ですし…富士山は毎年一回登って体力測定の山にする予定。

突風だけは予想できないし、富士山測候所では風速30mはそよ風らしい…。やはり登山はリスクに近づいて行く活動なので、怖いです。

昭和山岳会の南アの大量遭難の話も出ています。山の人の間では非常に有名な遭難なのだそうです。

ベルグのオーナーは昭和山岳会のご出身でしたっけ…

この本はとても良い本なのに、アマゾンにも県立図書館にも、市立図書館にもありません。

こういう本はぜひインターネットで無料でその内容を手に入れることができるようになってもらいたいものです。

アルパイン0.5年生ですべきこと

■ バリエーションルートの入門ルート

バリエーションルートは、一般ルートよりも、”より困難なルート”とされている。

八ヶ岳は、代表的なエリアに、大きく分けて

 西面のバリエーションルート 
 東面のバリエーションルート 

がある。西面は、人気で大都会の様相、東面はそれに対し静かな登攀が楽しめる通なエリア。

■ 安易さの表れ

これは余談だが、赤岳周辺の人気は、率直に言ってしまえば、

 小屋があり、アプローチが近いから

だ。つまり、肉体的に楽を求める人向け。スピーディにスマートに登って降りる、という昨今のフリークライミング感覚の延長にある。”楽・短”ルートだ。

それは、実は”より困難”つまり、”苦・長”を求める、オーソドックスなアルパインの精神とは、矛盾している。

そのことを理解していないと、自分のことを実際以上に凄くてカッコいいと勘違いしてしまう。

赤岳周辺の人気は実際は登山者の軟弱化を示している。バリエーションルートをするような、本格的登山を志向している人たちの間でも、軟弱化が進行している、ということを示しているのだ。残念ながら。

体力不足が目立つ初心者(アプローチが楽だから)や、安全管理があいまいな人(小屋がすぐ近くだから)でも、取り付きやすいからだ。逆に言えば、初心者は行きましょう。

これまた余談の入れ子になって恐縮だが、八ヶ岳という山そのものを愛さないで、百名山行脚と同じルートコレクター的な登り方をすると、「八ヶ岳のバリエーションは全部制覇した。次はどこに登ったらいいですか?」という質問をするようになってしまうだろう。

■ 山域の全体像を把握するのが入門ルートの目的です

さて、一つの山域にほれ込み、一般ルートの山をステップアップして、さて、バリエーションルートに足を踏み入れようか、と言う時、

 先輩は何をするか?

その山域の全体像が把握できるような、歩き主体で困難度が高くないルートに連れて行く。

いきなり岩壁で目の前の登攀でアップアップでは、

 その山域全体の特徴や、
 その山域固有のリスク

などに意識が及ぶはずもないではないか。

ということは、つまり、こうしたルートへ連れて行ってもらった時に、

きちんとその意図を汲める後輩であることが大事

だ。

こうした長いだけで特段困難がないルートは、意図が理解されず、毛嫌いされる傾向にあるが、こうしたルートの目的は、そのエリアの概念を掴むことにある。

例: 阿弥陀中央稜(広河原沢中央稜)、阿弥陀岳御小屋尾根
   ツルネ東稜ー権現
   ジョーゴ沢ー硫黄

というわけで、各エリアの概念図をあげておく。




■八ヶ岳東面バリエーション概念図(地獄谷周辺)

























■ テクニカルルート+地図読み

そのエリアの概念を掴んで山の全体像を知りながら、山に登る。

これをなかなかしてこないのが昨今の登山者だ。それは登山者自身の非になるのかどうか?というと、それがまた難しい…

一般ルートの山が今では地図を書かない、地図を読まないで登れる山ばかりだからだ。ガイドブックがルートコレクター的編纂をしてあるから、仕方ないのだ。

だから、一般ルートで自信をつけてきた新人に期待できるのは、体力だけ、だ。良くて状況の判断力(山を見る力)。地図読みもこれから、ロープワークもこれから、登攀力もこれから、だ。進退の判断力はそのうち最も難しい。

≪登山者に必要なスキルセット≫
 ・体力
 ・山を見る目
 ・地図読み力
 ・ロープワーク力(守りの力)
 ・登攀力(攻撃力)
 ・進退の判断力

一般ルートとバリエーションルートの難易度は連続的でない。一般ルートには、体力的困難があるだけで、スキル的困難は排除され、地図読み的困難はさらに排除されている。

したがって、新人が身に着けるべき最初の一歩は

 山を見る目
 地図読み

であるが、昔から

 ロープワーク
 登攀

を教えつつ、山を見る目&地図読みは、山を歩きながら伝授する。

ところが、昨今は、フリークライミングの台頭で、

 登攀

だけ先にできてしまう人を育てている。今の人の育て方と昔の育て方は違うのだ。

というわけで、一番大事な、山を見る目、地図読み、は、ロープワークよりさらに貶められている。

テクニカルルートに出向くには、それぞれの、段階的なステップアップが必要だ。どれか一つだけ優れても、ルートはこなせない。

そこが、新人には非常に理解が難しいのである。 

かれらは、赤岳の一般ルートの次は、赤岳西壁主稜だと思っているのであるから。それはガイド登山がそのような体系で連れて行くからだ。北岳を大樺雪渓で登ったら、次は四尾根だと思っているのが新人だ。その間に横たわる大きなギャップを理解させるのは非常に難しい。

つまり、自分で行こう、という意識を持つまで、山を見る目や地図読み力や状況の判断力が自分に不足している、と気が付くこと自体が、非常に困難だ。

昔は無かった大きなギャップが存在するようになっているのである。

■ どうやってギャップを埋めるか?

そのギャップを埋める山が、登山道がないという意味の、バリエーションルート、地図読みの山、だ。

だから、テクニカルルートに行きたい人は、地図読みを先にマスターしないといけない。

ちょっと話は前後するが、バリエーションルートには、テクニカルな意味のバリエーションルートと登山道がないと言う意味のバリエーションルートがある。

≪バリエーションルート≫
 テクニカルルート
 登山道がないルート(マイナールート)

大抵のルートは、そのミックスになっている。テクニカルルートは、そこへたどり着く前に、登山道がないルートであることが多い。

例えば、前穂北尾根は、5、6のコルに到達するまで、どうやって行くのか?マイナールートと同じことで、地図読み力が必要なのである。

とは言っても、昨今は薄い踏み跡程度はついてしまっている。原始のままの自然のままの姿はもうない。

それでも、地図読みでどこに行くのが分かっていないと、5,6のコルに行ったつもりで、別のコルに行ってしまうのだ。

実際、アプローチ核心というのは良く聞く話で、そういう場合は、結局、テクニカルルートを地図読みやルーファイ力で敗退しているのだ。 例:ツルネ東稜敗退された方の事例

つまり、踏み跡依存=他人依存の山をしていると、そうなる。

■ 依存性を排除するにはどうしたらいいか?

その依存性というのは、目の前に道があるから歩く、みんなが歩いているから道なんだろう、という一般ルートの登山で培われる。

だから、一般ルート歴が長いほうが依存的な登山をするリスクが大きい。

これは精神論の話だから、初心者の登山者は、まずその依存精神を取り除くところから、始めないといけない。

先輩に連れて行ってもらおうっていうのは無しだ。

それにはどうしたらよいのか?

自分と同じくらいスキル的に頼りない相手と山行を共にして、失敗を共有しながら、互いに成長するしかない。

頼れる相手がいれば頼ってしまう。それが人間だからだ。






Wednesday, March 18, 2015

和気あいあいが一番大事

■ ベテランに感謝

ある人が何気なく発した言葉が、ひどく胸に響くことがある。

最近の一言は

 「フレンドリーが一番です」

この言葉は奥深い。

その奥深さが分かるようになることが、成熟の証かもしれない。

クライミング力をプライドの源泉にしてはいけない。

登れることを鼻に掛けても仕方ない。

登れれば、楽しいし、登れなくてもそれなりに楽しい。それがクライミングの良さだ。

登れない人を馬鹿にする人は、例えて言うなら、がん細胞みたいなものだ。

結局、愉しくクライミングしないことで、自分が損をするのだ。そして、変なプライドをもつと、墜落リスクも高まる。

■ 美濃戸口の滝

先日行った唐沢の滝がプチアルパインチックで、強烈に面白く、ツボに嵌って、翌日も美濃戸口の滝に出かけた。すごく面白かったので、どこかにカチッとギアが入り替わったのだった。

結論で言うと、美濃戸口の滝は、まったく同じことをしたのに、唐沢の滝ほど面白くはなく、まぁ、こんなもんか、だった。

師匠と二人で色々なラインで、滝の形状を味わってみたら、どれも困難がなかったので、二人とも早々に飽き始めていた。

その時、誰もいなかったゲレンデに、3人の男性グループがやってきた。下の方でザックをまとめている。

案の定、同じ滝に来た。それで わたしから、「こんにちは~☆」と声を掛けた。

しかし、返事なし。

余談だが、挨拶は人と人との基本だ。あまりに基本的な社会マナーなので、挨拶できない人は、単純に、子供っぽく見える。

人見知りだから、という言い訳も良く聞く。が、それで許されるのは、子供だけ。仲間は許してくれるだろうけど、大目に見ているだけ。社会では通用しない。

だから、大人で人見知りをやっていると、どうしても子供っぽく見えるし、実際に子供であることは否めない。もちろん、悪い人ではない。

ただ精神年齢が幼く感じられる、と言うだけでなく、実際に人見知りを乗り越えられないのだから、本当に幼いのだ。ちなみに夫は人見知り派なので、私がいつもフォローしている。

子供っぽさというのは、クライミングでは、ちょっとリスクに感じられる。大事なこと…、例えば、ビレイでは、ブレーキハンドを離さないとか、そういうことを忘れるんではないだろうか?と不安にさせられる。

子供は責任能力を十分持たない。うっかりした、とか、自分が至らなかったから、ということで失敗を大目に見てやらなければならない。責任能力が問えない=子供。

だから、クライミングで子供っぽく見えることは損だ。リスクと認識される。

その3人を見ると、ひとりの男性が残り二人を連れてきた風だった。流行の明るい色のブランド物、ファッション山ウエア。

山でかっこいいことは悪いことではないと思うが、この時の印象は、”初心者だな”だった。全部新品だとそう見える。ベテランと初心者では、同じようにウエアが新しくても、印象が全然違う。

中の小柄な男性は、日焼けサロン的な日焼けの仕方をしていて、金のイヤリング。歌舞伎町にいる黒服みたいな感じだった。山よりスキーに、スキーよりサーフィンにいそうな感じ。

ひとりは太目さんで、他の二人をカッコいいと思って追従してワルを気取っているような感じ。残り一人は全然印象にない。きっと”黒服”の取り巻きだろう。

私の中にはワルの文化がない。ワルってかっこいいのだろうか?

これは違う人だが、右の人があまりよくないので参考に
高校生の頃、仲良しだった中学のクラスメートに久しぶりにばったり会ったら、坊主頭の額の生え際に剃り込みを入れていた。私の印象は、「ショウちゃん、苦労しているんだな…」だった。

同じような印象をこの人たちに持った。

で、リードの準備をし始めたので、「右にも支点がありますよ」と教えたら、返事なし。まぁいいけど…。

で、登っている姿を見たら、可愛かった。全然下手くそだったのだ。

それでも一生懸命リードしているからエライ。怖いのだろう、そんなに氷をたたかなくても、もうすでに段々だらけなのに、これ以上叩けないくらい氷をたたいて、えらい大きな塊を落としていた。叩き壊して石橋を渡れなくしちゃうよ。

短いので、スクリューも一本、2本で一瞬で終わるはずだが、結構長い時間、かかっていた。私はその間に一本登って降りてきた。

ムーブは、全然ダメで、スマートさがなく、カエルのようになってしまっていた。

でも、教えたら、プライドがガタガタになって、メンツ丸つぶれと言うことになってしまい、立場が悪くなるだろうなぁ・・・。

・・・と思ったので、黙っておいた。

■ 教えてもらったとき

先月、講習会仲間だった飯田山岳会の友達と小滝へに出かけた。お見合い。彼と会うのは、すごく久しぶり。

私たちは、小滝で20本ノックくらいしたかったのだが、実際は、私は6本で腕がダメになってしまった。

その時は、となりにブナの会の4人、相模アルパインクラブの2人がいて、女性はわたしを入れて2人。ブナの会の女性は上手だった。きっとフリーもうまそうだ。フリーのムーブがバッチリだった。

その中では、私が一番下手くそな人と言うことになった。

だんだん腕がダメになり、ムーブもいい加減になってくる。

私が「えいっ!」とアックスを刺すと、「効いてない!」とか、「うん、今のはいいよ」とか、皆から声がかかった。

「足をもっと開いて」とか「三角バランスを作って」と、下からどんどん声がかかり始め…

「アックスを振る時は剣道の竹刀を振る時みたいに・・・」

「剣道って言っても女の人に分かるかよ」 (・・・私のために争わないで?(笑))

「男性の例えは、分からないよね、最後に引くといいのよ」

と、ブナの会の女性も横に来て振り方を教えてくれた。

最後は、終に「このアックス、効かないんじゃない?」それで、「僕のん、貸してあげるよ」という話になった。

振ってみたら、「あ!ホントだ~」

一家総出で、末っ子のスキルアップ対策に出た感じだ(笑)

それでありがたいな~と思った。和気あいあいってこういうことだ。みんなで上手になるってこういうことだ。

・・・と身を持って体験した。

この”場”の形成には、ベテランの存在感が一役買っていた。父親の安全な監視の下で、楽しく遊ぶ子供たち、な感じだった。

相方は、ムーブはきれいで無理があまりなく、力んでいない。ちょっと鼻が高い気がした。誰も彼にはアドバイスしない(笑)。

私は、この時はすごく力んでいたのだろう… 

■ 本当のところの分かり方

翻って、美濃戸口の滝だが、

黒服組のとなりで、私がリード練習を始めた。皆、注視。

降りてきて、「こっちのラインは、もうそろそろ片付けますから、使っていいですよ」と言うと、初めて黒服グループが口を聞いてくれた。

それで、私の方が上手だったんだナーと分かった(笑)。

単純な人たちだ。悪い人たちじゃないんだろう。損してるよ~と教えてやりたいが無理だろう。

この事件で、私はカエル登りよりは実力があり、フリーが上手な人よりは実力がないことが分かった。

でも、カエル登りでもリードを頑張るくらいなんだから、頑張らないといけない。

■ 初心者は愛される

2度目の小滝へは、会のサクちゃんとアイス初めてのキリちゃんと、前に一緒だった飯田の友達と4人で出かけた。

となりは6人の各会の寄せ集め部隊。さらに二人後でクライマーが来た。

さくちゃんは今年のアイスは初だったので、たぶん、ガチガチに緊張して登れないのではないかと思ったら、ゆとりのクライミングで、なんか問題どこにもなさそうだった。なんだ~。足慣らしOKって感じ。

キリちゃんはアイス初めて。だから、クランポンの調節から。

女の子は女の子が教えた方が良いから、振り方から教えた。それで、周囲の人も、「あ、初めてなんだな~」と分かってくれたみたいだった。

キリちゃんが登り始めると、小滝にいる全員がフリーズ状態になって、自分が登る手を止め、キリちゃんにアドバイス。

「次、右足」 「次は右手」「足は蹴らないとダメだよ~」「サッカーで蹴るみたいに」

初めてアイス
「もう降りる~」と半分も行かないで根を上げると、皆の空気が、ちょっと残念そうに下がる…が、一回目だから仕方ない。

いきなりバーチカルだからなぁ…

そして、二人目、三人目が登り始めると、もう誰も注目しない。それぞれのパーティで好きに登る。

またキリちゃんの番になる。このラインが短くて簡単だよ~と一番楽なライン。

すると、また全員注目。下から「頑張れ!」「腕を閉じろ!」「ちょうど真下にスタンスがある!」と声がかかる。

登っているほうは、色々声がかかりすぎて、どうしていいか分からなくなっている。

それでも、粘っていると、さらに皆の士気が上がる。「そうだ!いいぞ!」「そこでちょっと休んで」「三角形を作って」

やっと登り終え、降りてきて、「癖になりそう…」と言った時には、全員がにっこりした。

めでたく一本完登だ。

プレッシャーではなく、励ましを与えること、これが大事なことだ。

■ 登れるようになりたいのは普通

思うに、クライミングにおいて、登れるようになりたいのは、人間が生きることにおいて、成長したいのと同じだ。

進化するという一方向しか方向性はない。

だから、誰がクライミングしても、回を重ねれば重ねるほど上手になるし、回が重ねられるか、重ねられないかは、ただ都合によるだけだ。

都合がついて登れるようになった方がリードすればよく、リードできるほうがより楽しいのであるから、別にリードしたくない人がリードしなくても構わない。

子供の成長に、色々なスピードがあるように、クライミングだって、個々人にふさわしい成長ペースがあり、個人の中でも成長は線形的ではなく、ある日突然プラトーを脱し、上手になったりする。

毎日毎日、クライミングすれば、誰もが上手になる。

だからと言ってなんだろう?クライミングはしょせん遊びだ。

絵がうまくても実生活に特に役立たないように、クライミングが上手くても、実生活に特に役立たない。

遊びに人生を掛けてしまってはいけない。自分を賭けてしまってもいけない。

クライミングが上手い人と妬むようになったら、それは少しヤバいかもしれない。

ただの遊びがただの遊びでなくなってきている傍証だ。

何事も下手を羨ましがる人はいない。だから、と言って、上手だからって、それが人格のすべてではない。

つまり、登れるほうがエライのでもなんでもない。カッコは良い。でもカッコ悪くても別にかまわない。

遊びだから、本人が楽しく登れれば、正解なのだ。
超特急クライム