Sunday, January 25, 2015

女山 北北西尾根

■ No Bullshit!

今日はなかなか会心の登山だった。

登山はスタイルが重要だ。

フリークライミングの流儀のように明確だ。ただ今は登山のスタイルについての重要性は、忘れ去られて、すでに長い期間が経っているようだ。

今回はさしづめ英語で言うなら、No bullshit とでも言うところ。

■ 山に登ったら山を見る

山に赴くにあたって、

 どれだけ山に礼を尽くしたか?

が大事だ。

山に行くのに地図を携帯して行かないなんて、山に対して礼を欠いている。

人の足元ばかり見て、分岐を見落とすようなら、山の姿を見ていない。だから山に礼を欠いている。

金魚の糞登山は、山にいて、山を主役にしていない。だから山に対して礼を欠いている。

大勢で押しかける略奪的登山も同じだ。居酒屋まがいの小屋での宴会もだ。そういう登山は、山も夕陽も朝日も見ることがない。だから、山に対して礼を欠いている。

酔っ払い登山も同じ。酔いたければ居酒屋が適している。

自分では荷を担がずに人に担がせて、Vサインも、山に対して礼を欠いている。山が登山者に要求したものを受け入れていないからだ。それは山に登るための協力とは違う。

雨量120mmの雨の稜線を、制止も聞かずに出発して1時間後、滑落して一人死亡、一人重傷者を出した事故を小屋入り4日後に見た。これも、山が来ないでくれと言っているのに出向いて、山に対して礼を欠いたからだと私は思っている。

山を見ない山は、皆山に対して礼を欠いている。

じゃあ、何を見ているんだろうね、って話だ。

■ できてあたりまえ、やってあたりまえ

今回は私のリーダーシップでの月例山行だった。

だから、

 ・山行に参加したいかどうか?は各自が自分で判断すること (自己責任の原則)

 ・地図を持ってこない人がいた時点で集合口敗退とすること (リスク管理の原則)

は、徹底してもらった。難しかった。でも、くじけずにやってよかったと思っている。

≪私の側の努力≫
・地図読みの伝達講習する
・地図読みの本を差し上げる
・参加する人のレベルにあった山行内容にその人のために変更する
・自分ではなく、その人のレベルに合わせた山のサイズ、地図読みの難易度の山を選ぶ
・準備の敷居を下げるため、地図のリンクを差し上げる
・判断の敷居を下げるため、標高差と距離の情報を差し上げる
・協力者に助力をお願いする


■ 山が要求することを受け入れる

自己決定というのは、覚悟と自信につながる。山は覚悟を要求する遊びだ。山に行くには、当然だが、リスクを引き受けなくてはいけない。

山のリスクは、他人に引き受けさせようと思っても、本質的に出来ない。人生と同じだ。環境のせい、世間のせい、人にせいにしても、コストを払うのは常に自分だ。

以前、ガイド登山(デナリ)で凍傷になった人が指を失って、ガイドを訴えていたが、いくら訴えたり大金を要求することができても、失った指は帰ってはこない。代償を支払うのは自分なのだ。それを引き受けることを覚悟という。リスクテイキングは覚悟を要求する。

自ら、覚悟して、リスクを引き受けてこなかった人は、どんなに大きな山を経験しても、それが自信につながらない。自信につながらないから他人を頼る。

何回山行を積み重ねても自信につながらない、という事実が、”自分でリスク管理して山に登っていない”という真実を暴いてしまう。

自信がないから日和見主義になる。自分のことなのに人に決めてもらおうとする。ブランドに頼る。

安易と安直と見た目の豪華主義は、自信の欠如に端を欲する。

第七級でメスナーも言っていたが、自分で登ったⅣ級の方が人に登らせてもらったⅤ級より価値があるのだ。だから、どんなに小さくてもいいから、自分の山を登らなくてはいけない。

小さくても自分の山を登る。それはスタイルの一つだ。

そうして得た自信だけが、真の、自信、自己肯定感、そして幸福を作る。

■ 山を冒とくしない

登山道の無い山に行くと分かっていて(登山道がある山であってもだが)、地図を不携帯で来る人は、山を舐めている。

そのような姿勢では、必ず道迷い遭難につながる。当人も分かっているから、その人は事故を起こさない代わりに、通称”頼りになる人”と一緒でしか、山に行かない。

この場合、”頼りになる人”というのは、”山岳会の先輩”、”パートナー”の名を借りた、実質のところ”ガイド”である。つまりガイド対価を払わないガイド登山だ。そのことに気が付いていない分だけ、質が悪いともいえる。連れて行ってもらうのに、一緒に行ってあげる気分でいるからだ。

■ 過剰な要求とは何か?

山に行くときは地図を持って行く。

これは何も過剰な要求でもなんでもない。誰でもやっていることだ。難しくもなんともない。

地図を持っていないし、持ってくる気もないし、地図を読む気もないけれど、山には行きたい。

これは、過剰な要求だ。

それは、ビレイを勉強する気もないし、支点の作り方を覚える気もないし、宙吊り登り返し練習も、懸垂下降の練習もしたくないが、岩には登りたい、というのと同じくらい、過剰な要求だ。

■ 礼を尽くして山に入る

今回は

 山に対して最低限の礼を尽くしてから、山に入ること

という私のスタイルを貫くことができた。これは協力者あって、実ったことだった。

なので、まずは協力者のお2人と風邪を押して参加してくれた夫に感謝したい。

夫は今回、風邪気味で(それも私が移した風邪・・・^^;)で、参加を見合わせる予定だったのだが、私の願いを聞き入れてくれて、参加してくれた。

予想どおり、山行では夫が一番弱く、下山も遅れがちで、疲れたようで彼には悪かった。

夫は読図は上手で、以前林道で脱輪した車がいたときは、脱出が一番上手にできた人だったし、私が前進に夢中の時、進路を補正してくれることが多い。いつも私が困って振り返ったら、そこにいる人は大体夫だ。

私は夫と二人だけで行く山が、やっぱり一番好きだ。私は女性なので、恋人と行く山が一番楽しいのは当然か。

年末年始は夫と山に行く予定が、機会がなく、今回は夫と二人だけで行く機会としたかったのだが、会山行ではリーダーだったので、抜けるわけにも行かなかった。

それに世話になっている先輩に夫が面識がある、というのが一番大事だと思っている。

私は命がかかるかもしれない山もしている。命がかかる山にしないようにして、しているが、それでも命がかかってしまう可能性があるのが山だ。

そのとき一体誰が何を知っているべきか?というと、夫が私がしていることを理解し、仲間を知っているのは大事だと思っている。

■ 女山

女山は会の先輩が少々のエリア研究をして開拓した山だった。フリークライミングの聖地?小川山がある川上村。

私自身もエリア研究している場所がそのエリアのちょうど表となるところにある(奥昇仙峡)。自分の山と一度バッティングしてしまって行けなかった先輩の山だった。

川上村には男山もある。男山の方が有名で、登った人もいるんではないかと思う。たしかにクライミングの帰りに運転しながらみる男山は、キリッと突出して、いかにも男らしい山だ。

奥昇仙峡には、男和尚、女和尚という岩があって、ちょうど凸凹になっているので、男山と女山もそういう意味かと思っていた。

だが、川上村の女山は違うらしい。女山は、おっぱいの形だそうだ。それで、つまりツインピークスなのかと思ったら、それも違うらしい…・

では何か?というと、おっぱいの上に乳首が付いている形が、おっぱいなのだそうだ(笑)。

今日のトレースはピストンなので、山の形を正確に表しているわけではないが、往復でこういう形になった。

■ 快適な雪山

この山はこの辺ではよく見る快適な唐松、小楢、ブナの疎林だった。手入れがされている山なので、尾根は夏でも歩けそうに見えた。

ただ山梨の冬の快適さは、このような里山の雪の上にあると思う。北面だが明るく、快適な無名雪尾根ハイキングとなった。

この山の素晴らしさは、一体何にあるのか?

それは、第一番目には、パーティ全体の力量にあっていたということがある。登り3時間下り2時間という山のサイズは、高齢者女性2名を含むパーティの体力にあっていた。

次に、まったく記録の無い尾根を、地図読み山行するということで、これは本格的な登山、の範疇に入る山だ。 同じサイズであっても、例えば高尾山などの手あかが付いた山にいくのとは違う。
自分自身で地図を見て、ルートを設定しなくては歩けない。

第三に、その読図の範疇では、初級 だった。これも、読図が必要な山をする、初めての人に向けて、かなり敷居を下げている。 尾根は林道終点から始まり、林道を使うことで、アプローチ核心になりがちなこうした山のアプローチの不安をなくし、なおかつ、尾根に乗ったあとも一本の尾根で分岐で曲がる予定はなく、明瞭。勾配が高いほうに行けば基本的に間違える、ということがない。さらに到達しようというピークが尾根の途中から顕著に見えている。

第四にご褒美があること。展望。

第五に、まったく誰にも踏まれていない雪の上に自分の足跡をつける楽しさが、ラッセルの大変さを補ってあまりあること。

第6に、快晴の天候のチャンスを最大に生かしたこと。

冬の尾根は、樹冠から葉が落ち、冬の一番の脅威である風から樹林帯で守られているにも関わらず、展望がある、という点がお得なのだ。そして、それは人間が手を加えたのではなく、単純に、季節と雪と言う自然物の利点を利用した、という人間の知性が自然のままの自然と組み合わさった結果なのだ。

そして、最後に、会山行は、得るものがある山行であるべきだ、ということ。パーティの中で、弱い人に合わせて歩いても良いのだ、ということ。山はどんな山だって得るものがある。私はそうした山をしたいのだ。

入れるギリギリまで、車で入る。

スタートは8:50 しばらく雪の林道を行く。

本日快晴。

 林道からは、下部が緩やかな尾根で、ルートファインディングしづらいが、しばらくすると、このように明瞭な尾根を行く。

岩の上を歩いた箇所一か所。

この尾根は明瞭で見やすい。

隣の北尾根よりも、展望が良い。

 最後の急な登り。

ワカンを付けた。

山頂12:00

休憩30分。

下山開始12:30.

下山は早い。

時間にもゆとりがあるので

長靴で、雪山のボルダリング・・・

登ってしまえるところがエライ!


下山完了、14:30.

”良い子の山時間”。

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