Friday, December 5, 2014

墜落についての見知を広める

■ 山で起きている価値観の逆転

今日は、価値観の逆転ということを考えています…

1)岩です。じゃんけんで勝ちました。

 A → リードする
 B → セカンド

 山ヤ的発想の答え A
 登山客的発想の答え B

2)雪山ラッセル

 A → 先頭でラッセルしたい!
 B → 後についていきたい!

 山ヤ的発想の答え A
 登山客的発想の答え B

3)地図読み。誰が先頭を歩く?

 A → 自分が先頭で
 B → 自分はついて歩くだけで

 山ヤ的発想の答え A
 登山客的発想の答え B

4)安全管理。誰がする?

 A → 自分
 B → 先輩

 山ヤ的発想の答え A
 登山客的発想の答え B


5)歩荷。誰が担ぐ?

 A → 自分
 B → 子分

 山ヤ的発想の答え A
 登山客的発想の答え B

最後の歩荷だけは微妙かもしれません(笑)。みんなできれば担ぎたくないので(笑)。クライミングではリードクライマーは歩荷負担なしですし。

昨今の山の問題点は、山ヤ的回答Aを選ぶ人より、回答Bを選ぶ価値観が優勢なことです。山岳会でも、Bの人が増えると困ったことになります。

私の中で一番信頼でき、安全で確実な人材は、自分、です。ですから、自分の山は、自分で安全管理したい。というか、誰かと一緒に行ったとしても、しています。最初から安全だと思った人としか山行に出かけません。

■ オンサイト能力は重要

岩の場合、肉体能力が安全といえるレベルまで達していません(^^;)

・・・が、これは時間の経過、つまり経験の蓄積が必要で、より時間を掛けて、ゆっくり学んだほうがより安全といえると思います。精読、多読、乱読、積読?(笑)、の世界です。

なので、リードはしたいのですが、私は今の時点で、まだ岩を見る目が出来ていないので、登れないところに行くかもしれません。

リードの困るのは、登れないところに行った後、クライムダウンが容易でないことです。ランナウトしていて落ちたら、グランドします。

なので、わたしみたいにまだ岩を読む能力が完成していない人は、まずは岩を読めるようにならないとダメです。

それには一杯岩に触らないといけないので、11だろうが12だろうが、一杯岩に触らせてくれる先輩は、今の私に何が必要か、良く分かってくれている先輩です。 岩、歓迎。

今は岩に一杯触りまくって、どういうのに登れて、どういうのに登れないのか?理解しないといけません。

■ クライミングの常識は世間の非常識?!

去年の今頃は、自分の支点力が疑問でした。つまりクライミングやロープシステム自体をよく分かっていないかもしれないと不安でした。

だからリードしたくなかったのです。私が間違った支点を作れば、後続もリスクになるからです。でも、師匠はしきりにリードさせたがっていたので、支点を作ることへの信頼は、私には比較的早くにあったということで、意外に信頼されていたんですね。

御坂の先輩はまだ私の支点力は信頼していないと思うので、どっちが用心深いかというと、師匠ではなくて、会の先輩の方です(笑)。逆言えば、責任を感じている、とも言えますが。

去年の今頃は、ベテランたちの会話を傍で聞いていると たまに”?”と思うことがあった。

たとえば、私にとって”被った壁”は危険でした。クライマーにとって被った壁は”安全”です。

い)被った壁
 A 安全
 B 危険

あるいはボルダリングとリードクライミングでは? ロープをつけている分、リードの方が安全です。

ろ)どっちが安全?
 A ボルダリング
 B リードクライミング

あるいはランニングの知識もです。1本目のランニングで落ちてはいけない。初心者は上より下が安全だと思っています。

は)どっちが安全?

 A 登り出し
 B 上の高いところ

トップロープとリードでは、トップロープが安全と思っていますが、そうとも言えないときもあります。
被っていたり、ルートがトラバースしていたりすると、トップロープだと落ちたときに振られて、壁に激突することがある。

に)どっちが危険?

 A 上下にまっすぐなルート
 B トラバース 

つまり、確保が確保になりようがないところは危険です。

これらが分かると、例えば、登山道で片側が切れ落ちているトラバースがあった場合に、鎖場の鎖やロープは、腰の位置ではなく、胸のあたりにあるほうが安全であると分かります。墜落係数1のほうが墜落係数2より、安全だからです。

裏返すと、ある鎖場を見たときに、簡易ハーネスをつけるなら、チェストハーネスが良いのか、腰のハーネスが良いのか、状況から判断できるようになります。

そうした判断力がつくことが、山力がつくこと。状況依存で正解はあります。

■ 墜落リスクについて知るためのクライミング?

登山における第一義的な危険である、墜落について、どう対策したらいいか?

これについては、逆説的ですが、クライミングをするのが一番なのです。

クライミングをすれば、墜落に際し、何が危険で何が安全なのか?を切り分けられるようになります。

そのことが分かったのが、この1年の一番の成果かも?

それが切り分けられないのが、クライミング初心者です。支点がプアな人が一番危ないです。

クライミング力は自分が登れれば、自分は安全なのですし、怖いと思ったら行かなければ良いだけですが、支点については、危険な支点でも、危険だと思っていないで信頼してしまいます。

逆に危険だ危険だと思っていること…例えばハーケンとか、ダブルのロープでのローワーダウンは、実際は噂で流布しているよりも、強度があるようで、ベテランはリスクを受け入れつつ、保険を掛けて使っています。リスクがあるところには必ず保険を掛ける。のが大事です。

クライミング力については鼻に掛ける人はいなくなります。5.9で躓いていても、5.12で躓いていても同じことだからです。5.15で躓いている人も、同じ心境でおなじ苦境です。握力、腕力、体重で、スタート地点が違うだけで、もうこれは能力差、というより単純に個性です。クライミング初心者はそれはあまり分からない。登れる=エライ、で終わりです。

■ 信頼出来る人の特徴

信頼できる人はこういうタイプの発言をします。たとえば、

「私の知っているクライミング技術が最新かというと怪しいです」

これは会のベテランの先輩の言葉です。もう学生時代から何十年も登っている人です。でも、自分の技術に胡坐をかいていませんので、信頼しています。

師匠クラスのベテランだって、「俺の言うとおりにしろ」と盲目的追従は求めてきません。言うなら、「私は〇〇する派です、理由は△△です」です。

そうすると私とは違うケースが出てきても、どっちが正しいかの小競り合いにはなりません。

例えば、違いの一例で行くと、私は懸垂下降はトップの時は、バックアップをつけて降りています。が、師匠はこれには反対の意見です。

私が懸垂をバックアップつきで降りるのは、両手を離すような状況(落石に当たるとか?)に対応したり、ロープがジャムった時に、流れを作りやすいようにです。もう何度もそのやり方で降りているので、慣れっこです。

たぶん、師匠は自分が連れて行く立場ですから、連れて行く相手の安全は自分の力量込みで考えていると思います。つまり自分がトップで降りれば、セカンドは大抵はおりやすい状況がすでにつくられています。セカンドが安全かそうでないかは師匠が判断できます。

が、経験知の無い私がトップで降りるような状況は、セカンドだって経験がない人のはずで(笑)。
私が行き詰まっても、セカンドに私の分のリスク管理まで期待できません。

ので、経験がなく、しかも、自分と対等レベルの人と、クライミングに行こう!というような人(つまり、まっとうな登山者)は、せめて、自分で途中停止ができ、宙吊りになった場合の自己脱出ができるようになっているべきと思います。ベテランと行くだけの人とは心得が違う。ベテランの安心代は高い(笑)。

実は宙吊りからの登り返しは、実は意外に上手です(笑) おと年もやったし、今年の夏も、一緒に行くことになる先輩と初めて一緒に練習した時に、人工壁で練習しているからかな?

(余談ですが初めて一緒に岩に行く人との初対面顔合わせは、ゲレンデか危急時対策が良いと思います。笑)

一個の技術だけ教えて、「この通りしろ」という人はちょっと怪しい…。

山のリスクはケースバイケースなので、一個の技術だけで、全部に対応することができないのは普通です。

「とりあえずこうしたら、とりあえずは回避できる」ということは多いです。でも”とりあえず”は、言葉を変えると、急場しのぎなので、それがベストプラクティスかどうかは、また別の問題。

なので、講師として教える、ということに躊躇する人は多いです。

つまり、最近は、教えられる側の人が、考えるのをサボっていて、「これさえ知っておけばOK」と考えてしまうからですね。

■ ケーススタディ

私は大阪にいるころはGMSというビジネススクールに通っていたのですが、登山のケースバイケースは、ビジネスのケースバイケースに似ています。

ビジネスの分野ではケーススタディと言って、ある状況下でどう判断すべきか?ということを、皆でディスカッションすることで、回答を作って行きます

オープンなディスカッションが、正解を導き出せないまでも、より正解に近いところに議論を着地させます。それは100人いたら100人が正解、と認めるようなものではないですが、90人はこのほうがベストではないにしてもベターだろう、というところがあるのです。

そうした落としどころの発見に、必要なのは、「こういう状況も考えられるのでは?」「それにはこうしておいた方が良いのでは?」とシナリオを想定する力

シナリオ想定力は大きいほうがより優れたビジネスマンです。それはより優れた山ヤがリスクや危険の想定力に優れているのと似ています。

違うのは、ビジネスはお金が絡み人が死ぬことはない遊びですが、山は人の命が絡み、リスク想定を間違うと死んでしまうということです。

そういう意味では、ビジネスより山の方が真剣勝負です。

■ 山の面白さ

山の面白さというのは、危険、と言われたことが、安全に変わっていくプロセス、といえると思います。

それは、攻撃力である能力面を取ってもそうだし、防御力である知識面を取ってもそうです。

例えば、防御力である地図読みができるようになる前は、一人で一般道の茅ヶ岳に登るのでさえ、周囲の人から「危険だ、危険だ」と言われていました。

今はその近くの兎藪と言うところに行こうかな~と思っているのですが、先輩に聞いたら、「行ってもいいよ」でした。私もここ、簡単な地図読みなので平気で行けると思います。

が、熊とかが怖いので寒くなるのを待っていました(笑)。こういう山が好きな同行者がいれば、欲しいですが、ベテラン好みの場所は人気がなく、あまり同行者を期待できません。

一人だと、熊や不審者のリスクには対処できません。が、能力の問題ではないので、別に私の登山ライフにおいて、兎藪に一人で行けないことは挫折にはなりません。不便なだけです。

攻撃力である体力も同じで、体力が上がれば、今まで危険だったところは、まったく危険でなくなります。厳冬期の鳳凰三山は、私にとってチャレンジ山行でしたが、去年は前年ほどのチャレンジではなく、ごく普通の山行でした。

■ リスクについて見地が広がった年

クライミングも同じで、今年の成果は言い換えると、墜落のリスクについての見地を広めた、ということなのかな・・・。

墜落の危険がある場所についてのリスク管理については、だいぶ見地が広がりました。それはクライミングをしたおかげで、見えなかった危険がよりよく見えるようになったのです。

トラバースはあぶないとか。

水平方向の移動がメインである縦走での確保が、垂直方向の移動がメインであるクライミングでの確保より、高度だと言うことも今ではわかります。

■ 素人受けより、玄人受け

一般の人は、縦走だったら大きい山に登れる体力やクライミングだったらクライミング力だけで登山者の実力を計りがちです。

そのような価値観からは一歩距離を置きましょう。

というのは、長い期間登山をしていて、生き延びている先輩たちは、皆そうしているからです。

自分の能力を誇示したい!と思ってしまうと、登山が情熱の発露ではなく、煩悩になってしまいます。百名山行脚はそのような性格のものが少なくありません。超絶登山もそうです。

登山はそんなことをしなくても命がけですので、ただでさえ命がけのところを、さらに命がけにする必要はないかも?

■ 山についてよく知る

私にとってこの1年間はクライミング元年でした。つまり墜落のリスクについて見地を広めた年でした。

来年というか、これから先のシーズンは、どうしようか?というのが、今の悩みです。

今週末、ベテランの女性先輩に会って相談してこようかな~と思っています。

私は山について良く知り、山が身近なライフスタイルと言うような生活がしたいな~と思っているので。

肉体能力を高めることは、最低ラインで必要ですが、それしかしないのは違うかな~と思いました。

つまり日ごろはスポーツクライミングしかしないで体力アップ、本番はごくたまに・・・と言うのは、私にはないな~と。

うまく山ライフスタイルを構築するのは、課題です。私は人の山ではなく、自分の山を登りたいので。


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