Friday, November 14, 2014

『岳人備忘録』

■ルーター故障

ルーターが終に故障して、ネットが全面不通になっていました・・・(汗) 

というわけで、昨日は大快晴に山に行きたい!と思ったのに自宅待機。昨日は風が強かったので、まぁいいけど、今日も自宅待機だったので、ストレスが溜まっています・・・。12時出発でも、行ける展望の良い山はありませんかね(笑)?

■ 山ヤを分類してみた

初心者の頃は、山の常識&非常識を知るための本をたくさん読みました。一番参考になったのは、岩崎元朗さんが書いたもの。

去年は技術書のニーズが高まり、菊池敏之さんの本や東秀樹さんの本がよかった。

最近は、技術ではなく、山の思想的なものに触れることが大事だと考えたので、『岳人備忘録』を購入した。


一流の岳人たちが選抜されている(のだろうと思う。知らないので分からない。)

平山ユージさんと山野井泰史さんの二人については、登山を知らない人でも知っているくらい有名人なので、業績の内容を分からなくても、すごいくらいは分かる。でも、本当にどのようにスゴイ人たちなのか?分かることができる人は稀なのではないだろうか?凄さが分かるだけでも、色々と勉強や体験が必要なのが登山だ。

そういう仕組みになっているとは、誰も教えてくれない・・・。スゴイって色々あるんだなぁ。

■ ”一般登山者の人のすごい”と”本当のすごい”は、だいぶ違う

たとえば、こういうこと。

登山を始めてすぐに上高地に行った時、自然ガイドを頼んだ。北アには初心者でも登れる山があまりなかったので、時間が余り、上高地を案内してもらったのだ。

大正池の埋め立て工事や、湖畔に生える、化粧柳や唐松の植林のこと、徳本峠を”とくごうとうげ”と読むとか、焼岳なら初心者でも歩けること、など、教わった。

その時、明神岳を歩ける人は、すごい人だ、と教わった。その”スゴイ”の中身ことを、当時の私は、超人的な凄さと思っていた。

が、今は、明神岳東稜は、来年歩けそうな射程範囲に見えてきたので、そのガイドさんに教わった”すごい”の内容は、常人の範囲なのが、今は分かる。

というのも、登攀力は、今もその当時とそんなには変わっていないと思う。自分を守る知識や技術は身についたと思うが。要するに山での判断力が上がったのだ。

山の仲間内では、写真を取り合う時に、半ば自嘲気味にこんな会話を交わす。

「え~、でもトップロープだよ~(><)」 「大丈夫!知らない人から見たら、すごい!」

つまり、地図を読む登山やロープが出る登山をしたことが一回もない人から見た「すごい!」は、基本的には、単純に知らないから、だ。

それは、山頂にトップアウトした時に、ハイキングの人がびっくりしてくれる凄さであったり、トップロープで岩を登っているのに凄いと、褒めてくれる凄さであったりで、実は本質的には全然すごくない。

単純に知らないことに基づく凄さ。だから、そこでうぬぼれるのは間違っている。んだが、人は弱いので、まんざら悪い気はしない、というのが本当のところだ(笑)。

■ 本当にすごい人たち

しかし、『岳人備忘録』に載っている人たちは、そのような一般人の無知に基づく凄さではなく、本当に超人的で、本当の意味で、すごいのだろうと推測される。

そのような人たちの思想や生き方に触れるべきだ。

ふと興味がわき、各岳人の経歴を見て、どのような人なのか?を簡単にタイプ分けしてみた。

 1)フリークライマー系  → 肉体能力追求派
 2)アルパインクライマー系 →エクストリーム登山
 3)ヒマラヤニスト系 → 高所登山

 4)ガイド  
 5)大衆登山系 → 100名山編纂など
 6)低山系 → 特殊な山、人の行かない山、藪や岩 
 7)沢系 

 8)山小屋系 
 9)山道具系 
 10)作家・翻訳者・編集者・収集家
 11)遭難救助系

に分けられる。

細かいことを言えば、クライミングはクライミングでも、ボルダリングとフリーは、違う場所へ行くから、平山ユージと小山田大は違う分類にしないといけないだろうし、北岳バットレスに行きたい人と、太刀岡山左岩稜に行きたい人は違う。

つまりは、北岳バットレスは登山靴で開かれたルートだが、太刀岡はクライミングシューズで開かれたルートなので、よりフリークライミング寄りだし、乾徳山のほうは、今は顧みられなくなった岩場で、プロテクションに乏しく、よりアルパイン寄りだ。

でも、ここでは、それは小さな差として目をつぶることにした。大きく分類すると、こういう風になった。

1~3)までが登山者の実績となる部分。4)~7)は、ガイドしたりガイドブックを書いたりする山のタイプ、8)~10)は周辺で必要になるモノの供給者側、11)は後始末なので、これをやる人は本物の山男だと思う。きれいごとでやれる世界ではない。

また、別の視点で、1)~3)までは自分を主体に肉体能力を極限まで引き延ばした人、4)~7)は、他者を主体にした人、8)~10)は、人間志向ではなく、モノ志向、11は医療志向ともいえる。

人には色々と向き不向きがあり、肉体能力に恵まれた人ばかりではない、とすれば、アルピニストやヒマラヤニストを目指したいと心で思っても、不向きな人がいるはずで、そういう人は、山の道具には、めっぽう強かったりするのかもしれない。卑近な例では、お天気にめっぽう強い、猪熊予報士の例があるのではないか?と思う。

以前、猪熊さんの本を読んだが、一人の青年が山を通して才能を開花させた話だと思った。

■ 大衆化の流れ

一方で、商品ライフサイクル的に登山史を概観してみる。

たとえばTVを考えると、購入すること自体が困難だった時代は、TVを持つこと自体がステータスで、TVがある家に皆で見に行っていたそうだ。それが一般化して、一家に一台となる。白黒からカラーになる。今度はブラウン管から薄型になる。一家に一台ではなく一部屋に一台になる。ワンセグで小型化携帯化する。これはコモディティ化、一般化と呼ばれている。
 
登山史を大きく見ると、昔は一部のエリートだけが行うことができるレジャーだったものが、どんどん大衆化して、今は大衆化の究極の形になっているようだ。70歳の初心者でも穂高に来る時代だ。象徴的には、エベレストも大衆化している。

誰でも行けるように、と、山もロープウェーや道路が整備されたし、実際、山岳会に代わって、ツアーが人気となっている。

つまり、ツアーによる登山は、大衆化が咲かせた花だ。結果であって、ツアーが原因ではない。ニーズがあるところに、サービスが生まれたと考えるのが基本だ。

そして、今度は 多様化の時代 と言われている。

基本的な潮流は大衆化、と押さえておく。商品ライフサイクルのもっとも基本的な流れは

    誕生 → 浸透 → 一般化 → 多様化

これを登山に置き換えると、今後の流れが見えてくるかもしれない。

これから先の時代に、どのようなサービスが必要とされるのか?それを考えるには、商品ライフサイクルは便利な枠組みだ。

ニーズが多様化しているのは、大型のツアーではなく、小型のツアーが多発されることでもわかる。

旅館業だって一頃は大型バスで乗り付ける団体客が大広間で宴会するのが稼ぎ頭だったが、今は、熟年夫婦が二人で訪れたり、母子だったり、男性同士だったりと、消費は成熟して、個人客が増え、それに対応できた旅館だけが勝ち組化している。

登山で多様化とは、向かう先の山の志向や活動の内容が多彩化することだ。昔は百名山に1~100に順番に連れて行けば、満足した客は、今ではそれだけでは満足しないということだ。

一般ルートを踏破する百名山登山は、見方によっては、一般化が浸透・昇華した形ともいえる。整備もされ、本当に山は誰でも歩ける所になったのだ。

大きく見れば、世界中の山が、この流れにあり、エベレストでさえも、昔ほど困難な山ではなくなってしまったそうだ。

もちろん、多様化の発端は、ずいぶん昔にあり、それはエクストリーム登山の分野でも初登が済んだ後は、困難さの追及はバリエーションルートに移行したことに始まるらしい。テクニカルな意味でのバリエーション。

時を経て、今では、『チャレンジアルパイン』に載っているようなバリエーションさえ、一般登山道化してしまいつつあるそうだ。技術がなくても行ける、初級のルートが大混雑している、と言われている。

困難さの追及は、今でも先鋭化しつづけ、先鋭クライマーたちが頑張っているそうだが、あまりに遠く、へだったってしまったので、一般的には理解が難しくなりすぎているようだ。真の凄さを理解できる層は、凄く減っているらしい。ある意味、登山者の実力は、二極化しているようだ。

私もこうした登山を取り巻く時代の変化を読書などから、洞察する程度はできるが、真の山野井さんの凄さは、なかなか理解できないし、8000m級の場所の困難さなどは、まったく見当も、何もつかない。 

今では中国などに未踏峰が見出されているそうなのだが、そうした山はどういう技術があると行けるのか?想像もつかない感じだ。そうした経験がある人によると、高所でしかも高難度なマルチピッチに挑める人は、よほどのスキルのある岳人で、本当にめったにいない、逸材なのだそうだ。 

潮流は 一般化→多様化 なので、登山は昔のように、一部のエリートが楽しむ活動ではなく、大衆化した。一般化により、流れ込んできた登山人口は、一部は先鋭化しても、大部分は一定のスキルレベルから上は、多様化する方向に流れるのが一般的だろう。

■ 多様化

その流れにあるのが、トレラン、スポーツクライミング、ゲレンデでのロッククライミング(クラッギング)、沢、アイスクライミング、などではないだろうか?

これらはギアが少しづつ違う。ので、たいていの人は、どれかの入り口をひとつに決める。オールラウンドは今では古典的だ。 

尾根が好きな人は、地を這うような沢が好きなことは少ないし、山に華やかさを求める人は、赤岳が好きでも、地図読みは好きでないかもしれない。

趣味人口のスキルの精鋭度合いとはして、ほぼ多少の技術的ランクの差はあっても、みな初級の日曜クライマー的な技術段階で、50歩100歩であり、岳人備忘録に載っているような精鋭化した超人クライマー達と同列を張れる訳ではないだろう。

もちろん、こうした細分化したエリアから、突出した人が生まれる余地がたくさんあるのだが。

トレランはトライアスロンの土台をつくることができるだろうし、クライミングコンペは優れたフリークライマーを排出する良い仕組みだろう。

■ 二極化

こういう事情は、実際は、一般大衆には、まだあまり知られていない。普通の人は登山といえば、ガイドブックにある山に登って、山小屋に泊まることだし、それは間違ってはいない。

しかし、ガイドさんが、講習会という入口で、せっせと一般大衆を、多様化した流れに取り込んでいるので、人口は増えつつあると思う。以前アイスの講習会に行ったら、中学生もいた。

今の入門者は、名を成したスーパー岳人からじきじきに教えを受けることができるのだ。

たいていの人は、趣味として楽しむため、先鋭化する、ということはないだろうが。 

今は入り口が山岳会ではなく、ガイドさんの講習会になっただけで、かならず一定数の趣味人口はいるし、それぞれで、より長く、より困難を目指す先鋭的な人も、中には生まれるのだろう。

趣味なのだから、基本は楽しむと言うことが一番だ。

将来がある、傑出した人を下支えする層が今では、山岳会ではなく、そうしたガイドさんを顧客として支える層になっている、といえるかもしれない。

つまり、例えば、中学生で見どころのある若いクライマーが成長していくとしたら、以前のように山岳部ではなく、ガイドさんが主催した講習会で、見出されるのかもしれない、ということだ。

■ ニッチの発見

これからの多様化という方向性、そして、上記の山ヤ市場の棲み分け(?)を概観すると、スキマ市場、ニッチがみつかるかもしれない。

たとえば、中高年向けの百名山登山には、百名山のガイドブックがあるし、それを指南する書き手があり、一般登山から本格的な登山へステップアップしたい人にはチャレンジアルパインがあった。

フリークライミングを嗜好する人には、フリークライミングのトポ集があり、トポさえあれば、だいぶ長い間、遊べそうだった。沢もしかりだ。

ところが、たとえば、アイスは、アイスのルートだけをまとめたルート集がないので、出せば売れるのかもしれない。アイスをする人が夏は何をしているのかは良く分からないが、フリークライミングをしていそうではなかったし、ジムに通っていそうな気配でもなかったし、縦走をしていそうでもなかった。

書籍の売れすじから考えると、多くの岳人が嘆いているように、今は

  • ガイドブックか、 
  • 道具をとりあげ、うんちくを語ったもの、
が人気だ。売れている本は、アルプス案内決定版!とか、ギア徹底比較!などの、どこへ行くか?何を買うか?を指南するものが多い。

自分自身を振り返ってみても、都会にいるころは、消費主体の生活しか知らなかった。消費で個性をPRするのが普通のことだった。

だから、人を分類するには、この人は、Zara系の人、この人はユナイテッドアローズ系の人、という感じだった。

このブログでも、ギアの記事は非常に人気が高い。

時代によっては、山への情熱や思想を語る本が若者から人気があった時代があったそうだ。当時はテント内で若者が熱く語り合ったのだそうだ。

むかし、全共闘の時代は、学生はみな熱かったのだそうだ、と聞いたような気がするのと似ていないでもない。

育った時代背景が違うので、同じものを別の時代に求めても仕方ないだろうと思う。

人気があるものを供給するのが、基本的には商売の基本の流れである、と思う。

ま、私は気楽にブログを書いているし、それは長く紙の日記をつけてきていると、ノートが何十冊も溜まってどうしたものか?となると言う事情や、こうしたブログを書くと、山の復習になってよい、と思うからだ・・・ かなり個人的。

だから、「山を語れ」と言われても、なぁ・・・。

でも、まぁそれは光栄なことである、とここまで書いて気が付いた。


6 comments:

  1. え?「山を語って下さい」って言われたんですか?どなたに?

    それにしても面白いブログに辿りつきました。有難うございます。

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  2. そうなんですよ、ブログに不服がある方に(^^;) どうも、古典的山ヤさんにはこのブログは不評です(ーー;)

    面白いと言っていただけて、励みになります・・・暇なんですよね、単に(笑)。

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  3. なんで不服、不評なんでしょうね?

    まだ5記事ぐらいしか読んでないですけど、
    書き方が具体例を示してあって、読み易くて分かり易いし、核心を突いてるし、
    実際的というか実践的だと思います。

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    1. そういっていただけると、ありがたいです。初心者なので、アタフタしているのですが、そのアタフタさ加減というか、そういうものを先輩たちに分かってもらいたいと思いつつ・・・書いているんですよ(^^)

      山のロマンを感じている人には、このブログは情緒性がなくて? 不満なのかなぁ・・・ 

      よくもっと山の良さを語れと言われます・・・が、山について感がると、このブログのような文章しか出てこないんですよね・・・ 

      今日は夕方からクラミングです☆ 

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  4. なるほど。
    ご説明ありがとうございます。
    「古典的山ヤ」の人物像の一端が、空気を読めないワタシにも浮かび上がってきました。

    ロマンだの良さだの情緒は人に任せておいて
    今の路線で行けるとこまで行って欲しいです。

    でも、情緒ってことで言うと、
    川柳とか俳句、が いいかもしれません。

    あまり思いつかないのですが、思いついたらなるべく書き留めるようにしています。

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    1. 川柳とか俳句って、短くて凝縮されているのが、すごいですよね!!

      よく長くて読めないとも言われるので、頑張って短くするのをやってみますね~! 

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