Thursday, November 13, 2014

締めきりの無い仕事

友人が仕事で悩んでいると言う。

私も彼女と同じくらいの年の時、仕事で行き詰っていた。と言うのは、まったく違う業界に入ったのだ。富士経済と言う市場調査をする会社だった。

しかし、私はその前の職がソフトウェアのエンジニアで、パソコンを見つめて、プログラミングしているか、そのプログラミングしたソフトの解説書を書くか、バグ出ししているか、ソフトウェア仕様書を英訳しているか、そんなことをしていたので、市場を調査して来いと言われても、一体何をして良いのだか、まったく見当もつかなかった。

さらに開発部では外部の人間に会うことは全くなく、いきなり「あなたの会社の〇〇という製品の出荷量を教えてください」なんて、英語でも日本語でも、誰に対しても、聞けるはずがなかった。

(でも聞かされたけど…、それも電話だけが目の前にある部屋で、海外のアラブの国とかに国際電話で、いきなり突撃インタビューするのです…静まり返ったフロアに私の電話の会話だけが響き渡る…隣室で皆が聞いている)

周囲の人たちは、輝かしい学歴を持っていて、貧弱な学歴の私は委縮し、一体なんでこんな会社に来てしまったのだろう・・・?と本気で思った。面接した時に採用してくれた人は、どこにも見当たらないし、さらに悪いことに、海外事業部は、たくさんの人がいる国内部とは切り離されたばかりで、人数が少なく、フロアには誰も相談相手がいなかった。皆とりつくしまなし。当時は国内事業は赤字で、海外事業は黒字だった。

これは今考えてみると、エース部署に配属という光栄なことで、大チャンスだったのだろう。が、当人は若すぎてそんなことは全く分からなかった。

結局、ことのなりゆきで、海外に何度か行き、当たって砕けろの取材をして、手にした乏しい数字をなんとか”地頭力”(つまり推論する力。たとえば、一本の木に住んでいる昆虫の数を調べれば、100平米の森に何匹くらいの虫が住んでいるか推定できる)で、解決することになる。

結局、市場のサイズなどというものは、そうやって推定でしかできない。もちろん、不動産市場のように業界団体があって、市場規模が正確に計量されているような市場は除く。

なので、字頭力を使うところで、すでに、半分は、ノンフィクションではなくなっていて、フィクションの世界になる。 

それを虚構とみるか、合理的推論とみるかは、論拠の洗い出しをしてみる以外、判定のやりようがなく、そうするまでもなく、論拠を知っている本人には、本当のところは分かっている。私の場合は、常に苦し紛れの数値だった。

というのは、推論しやすい市場の調査依頼が来ることはまずないからだ。依頼が来るのは、それはネット検索などではその辺に数値が転がっていないからだし、根拠のベースとなる数値が出しづらいからだ。

というわけで、私にはその仕事は荷が重すぎ、ほどなくして辞めてしまった。今となっては、もったいない仕事を蹴ったな、と思う。

好奇心の強い私にはピッタリで一生調べものをして過ごすことができそうだったからだ。当時から、ネット検索だったし、企業情報を調べるのも、山情報を調べるのも、私にはあまり変わりはなかった。調べるのが好きな人にはもってこいの仕事で、人と会うというハードルも乗り越えた今なら、楽しんでできそうだ。

この仕事を思い出したのは、登山もこれに似たところがあるからだ。

コースタイムが出ていないような山や記録がない山を調べるときは、特にそうだ。距離と標高差から、大体何時間で歩けるだろうと割り出す。もしくは行きにかかった時間を計っておいて、その7掛けくらいで帰る時間を出す。

私にとっては、アルパインクライミングそのものも、ひとつの謎解きだった。で、分かってみると、分かっていないときと比べると、秘密がなくなった。と同時に、魅力も失ってしまう。

分からないことが魅力なのだ。それは、行きたい山も同じ。読んでいない本も同じ。

逆に、適当に行って、興味を持ちかえることもある。

先日の権現、御神楽尾根は、みかぐらなのかおかぐらなのか?とか、裸地になっている部分が、なぜ色々な色をしているのかなど興味がわいた。青年小屋にも興味が湧いた。

ちょっとでも興味がわくと、その謎が解消するまで、登山は楽しい。でも、謎が解けてしまうと、もう面白くない。

山に行くことは現地で謎解きをすることだ。

仕事での調査では、謎の解消までに時間の制限があったが、趣味の登山にはない。それはストレスがない反面、緊張感もなく、興味の持続には、自分を鼓舞する必要がある。

調べることに対して主体的に取り組めむことはできるが、追いかけられる締切がない分、真剣さに掛け、いいやと思ったとたんに、興味は薄れかける・・・。

好奇心は繊細で、常に栄養を与えていないと、すぐに薄れてしまう。

あの時、あそこに行ってみたい!と思った想いは、今日は曇りだから、という小さな障害ですぐに萎えてしまう。

そういう意味で、私は仕事で挫折した、あの時の日の自信喪失の挽回を、より難しいバージョンで、今やらされているのだな、と思う時がある。




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