Monday, September 1, 2014

自分らしく生きる。自分らしく登る。

■ 自分らしく登る

この山ブログで、私が皆さんにお伝えしたいことは、シンプルに表現すると、日本の自然は素晴らしい!ってこと、こんな素晴らしい国に住めて日本人はラッキ~!ということです。

与えられているものを数え、与えられていないものは無視しよう(笑)!無いものを数える生き方ではなく、あるものに感謝する生き方。ハーフエンプティではなく、ハーフフルを見る生き方。そっちのほうが楽しいに決まっています。

団体登山ツアーより、自分で登った山の方が誰だって楽しいに決まっています!自立した登山者になれば、登山者は、満たされ、幸福になれます。

■ ナンバーワンよりオンリーワン

隣の家の芝は青い、という発想からは、”皆が行くから行きたい”富士山や槍、そして、その派生形の”山ブームだから行く山”、つまり”ミーハーな山”しか発想できなくなります。

すると、特定の山に人が集中してしまい、山はオーバーユースされ、自然は蹂躙されます。自然を愛していることではなく、略奪していることになってしまいますねぇ。今、山で起きているのはそんな逆転現象。

夏の富士山には、もはや山の良さはない。人が多いと、どんな山でも、山小屋は野戦病院みたいになってしまいますし、例えテント泊でも、テントサイトのトイレ待ち、1時間なんて、誰が楽しいと思うのかなぁ?フェスはやっぱり設備の整った都会がいいのかも。

■ 自分の山を自分で登る 

自分で積み上げていく、手作りの山の醍醐味は格別です。

皆が自分らしいオリジナルの山を発見することは、その人が幸せになるだけではなく、行き先の多様化や山の楽しさへとつながり、山岳観光業界にとっても、プラスになるのではないでしょうか。

■ 自分で自分を認めていたら他の人に認められなくても構わない

たぶん、茅ヶ岳の山頂で、槍だの剣だのの、自慢話を聞かされるのは、認められたいから、です。

でも本当は、自信をつけるには、人に認められるのではなく、自分で自分を認めないといけないのです。

”人に自慢するための山”が、不要になれば、身の丈登山になります。つまり、身の丈なので、登山がより安全になります。

 金魚の糞登山が減る → 山はオーバーユースされなくなる&登山者はハッピーになる
 身の丈登山になる → 安全登山になる

これらは、昔からある山の価値観ですから、昔に回帰することなるのかな?

ともあれ、自分らしく登ることことは、自分らしく生きること。結局幸せになることです。

■ 必要最小限

真の豊かさは、必要なものだけを持つこと、不要なものは持たないこと。現代は、シンプルライフが見直されています。

ブランド物の服やバッグ、大きな家、車、私立学校、塾通い、ジム通い、ステータスを追いかける生活…、忙しすぎて考える時間もないけど、本当に自分が欲しいものだったのだろうか…。際限なく、追い立てられる日常で、ちょっと立ち止まった時に疑問に思いませんか。

多ければ多いほうがいい、消費こそ美徳、という価値観は、どこかで閾値を迎えるはず。とすると、私たちは、それをとっくの昔に超えているのに、まだ気が付いていないのかもしれません。

足るを知る、ということは分かるけれど、どこで足るを知る、どこからどこまでが持てる者で、どこからどこまでが持たざる者、なのか・・・?

そんな時、登山は、言うまでもなく、そのプチ予行練習になります。何もかも持って歩くことはできないからです。

山に行くたび、登山者は、不要なものを持って行かないこと、しかし、必要なものは、しっかり持って行くこと、を問われます。

歩荷力があれば、たくさんを担げるけれど、なければ、担げない。持つものの種類も、量も人ぞれぞれです。ただ一様なのは、皆それぞれの荷を背負って歩いて行くということです。

その考え方が実生活でも生きる、ということが、山の良さの一つ。自分にとってイラナイもの、要るものは何かが、はっきりしてきます。

旅路がロングになればなるほど、軽量化しなくてはならない…というのは、ある種の示唆を含む事柄のようにさえ思えます。軽さは自由と直結している、ということも、同じような示唆を含んだことのように思えます。

ウルトラライトは山だけではなく、人生でも目指したいもの。

■ Nature Loverはエコロジスト

自然を愛する山登り。だから当然、身の回り品や食べるものも、できれば、自然なもので賄いたいものですよね。人工物を最低限に抑える思想は、ナチュラルプロテクション(カム)の開発思想と重なります。

自然の中ではより自然に近く。人間はよりありのままに。

それらは、自然食品だったり、自然素材できたスキンケア用品だったり、リサイクル素材でできた衣類だったり、リサイクル可能な製品だったりします。もはやエコは前提です。

ナチュラルフーズの店にも、今は山で食べることができるものが置いてあります。ナッツやドライフルーツは、その代表。私がパタゴニアが好きな理由の一つは、環境企業だからでもあります。同じ買うならエコブランドで。持続可能な社会でないと、早晩に山に行けなくなってしまうかもしれない。

下山後の温泉では、合成洗剤類は使わない。マジックソープは、ヨセミテで使用が許可されている唯一のソープでした。ミントのエセンシャルオイルは、清涼感があり、虫よけにも使える。薬局でも売っています。

■ 星空を次世代へ

私がちょうど登山を始めたとき、震災が起こりました。日本の古来の自然観は、自然と共生するものだったのに、いつのまにやら、10mの堤防が低いなら、20mを、20mが低いなら、30mを、という、自然を打ち負かそうとすることが当然のようになってしまったようです・・・。でも、人は自然の力には勝てませんね。

テントで寝ていて、夜中に星空を眺めると、ものすごい量の星が瞬いています…。いつもそこにあるのに、街の中からは見えません。

なぜ、人間は星空の無い世界を選んでしまったのかなぁ。もしかして、星空の無い町と原発は、物事の表と裏だ、ということが、単純に分からなかっただけかもしれません。

私たちは子供たちの世代に、この美しい星空を残していけるのだろうか?

失敗から何を学び、何を選んで、何を捨てるのか。山が無言で語りかける問いです。それはそのまま、個人の生活で何を選び、何を捨てるのか?につながります。

本当に大事なものに目を向けることができるようになる。だからこそ、山は良いと思います。

■ 前に進むこと

登山では、登りは苦しく、山頂は一瞬、下りは登りより、もっと難しいのは常識です。それでも、登山者は、山に登ります。憧れを胸に。人生も、もしかするとそのようなものかもしれません。

憧れの山に登れるようになること、努力をすること、無理をしないこと。その憧れを達成するのに、ふさわしい自分になった時、山は懐を開いてくれます。

前進する時は前進し、停滞するときは停滞すること、今できることをすること。なおかつ、プロセスを愉しむこと。

自らの足で歩いた頂きだからこそ、そこから見る景色が格別になる。ということは、人生の終わりで見る景色も、同様に、感動的で素晴らしいのではなかろうか・・・。

それは自らの足で歩いたから、ということです。お仕着せの人生ではなく、飛行機に乗ったわけでもなく、自ら歩いた者だけが見ることができる、そんな幸せなのだろう・・・。

ということは、大事なことはやっぱり今を生きる、ということなのですよね。


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