Monday, April 14, 2014

「山は自己責任」が通用しない 2つの判決例

■ 人間的な、あまりに人間的な

と言ったのは、ニーチェですが、山のリスクを考えたり、遭難事例を考えていると、いつも、この言葉を思い出さずにはいられません・・・。

山って、ホント、人間臭い・・・。

たとえば26夜山に山菜取りで入った登山者が道迷いし、ビバークで低体温症で死亡するというような内容の、初心者らしい遭難ではなく、キチンとした資格を持ったプロのガイドが、季節外れの悪天候につかまり、顧客の低体温症を防げず、遭難などという、プロでさえも起こすのが遭難です。

そうした事例を見ていると、プロと言えども、人間・・・「人間的な、あまりに人間的な・・・」とつぶやきたくなる。

お客も登山のベテランが多く、遭難の内容を見てみると、

・帰りの交通機関の予約に遅れたくなかったとか、
・せっかく遠方から来たのだから、とか、
・天気が悪いと言っても今はいいじゃないかとか(擬似好天)とか、
・ガイドのプライドとか・・・

要するに人間側の事情で、無理をして突っ込んだり・・・「人間的な・・・」をつぶやきたくなります。

すなわち、判断に、人間的な要素、つまり、、もっと分かりやすく言えば、煩悩、が絡んでいることが多いということです。

■ プロガイドが刑事訴訟を受けた例

豊後ピートさんのサイトの考察が印象深いです。

http://blog.goo.ne.jp/bongo-pete/e/a01b1b3c1ae31b1ab5ae499090e2e8f2

http://www.naganogakuren.net/scrap/2013/2013.12.21%83K%83C%83h%8F%91%97%DE%91%97%8C%9F.htm

この遭難は非常に有名ですよね。しかし、刑事訴訟にまで発展する山岳遭難も少ない・・・訴えられたガイドさんも、しっかりとしたプロですし、この遭難は、やはり「人間的な・・・」と言いたくなります。

ガイドとして、仕事のプロであることと、人間的であることは全く別ですし・・・ もし、コンピュータのように、感情を介さず判断するのであれば、この遭難は起きなかったかもしれませんね。

いくら山のエキスパートであっても人間。人間だから間違いを起こす、のではなくて、人間だから、諸々の、心の事情に押し流されてしまう、のです。

たとえば、悪天候だけど、顧客が行く気満々で、今行かないという決断を下すのが感情的に難しいなど。それは単純に言い出しにくかったという、人間的な事情です。

でも、本来、人間とは弱いもの・・・。弱さは許されるべきもの、ですが、このケースでは刑事訴訟にまでなり、

社会は、プロに厳しくアマに優しい、ようです。 

”山は自己責任”なのに、それはガイド登山では通用しない。

・ガイドはプロであった
・一般縦走のガイディングには登攀系ガイドとは別のスキル(ツアー向けの判断基準)が必要なようだ
・一般登山”客”は、どれだけ登山経験が長くても、初心者とほぼ同じ判断能力しか持たない
中高年登山は特殊な登山であり、それに対応したガイドスキルが必要。


■ 山岳総合センターが訴訟を受けた例・・・敗訴

さらに、こちらは昨夜読みふけってしまいました。私が働いていた山での遭難。私が通っていた機関が訴えられている遭難。大日岳雪庇踏み抜き事故。

http://www.jwaf.jp/publication/magazine/backnumber/2003/0311-1.html

https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/Portals/0/tozankensyu%20pdf/tozankensyu%20vol,16.pdf

これは受講生が雪崩に巻き込まれた事件です。

・講習会は100%環境を開催側が保証しないといけない
・講習会は、オウンリスク(自己責任)の法則は成り立たない

ということが分かります。

■ まとめ

講習会の主催者やプロの山岳ガイドには、本当に非常にシビアに参加者の安全を守る責任が問われていますね。

私は山行に参加すると決めたら、その山行に含まれるリスクに備えるのは参加者側の責任だと思いますが、それは個人山行出身だからかもしれません。 

つまり判決では、ツアーに参加した場合、100%主催者側の責任。講習会に参加した場合、100%主催者側の責任と言っていると言うことです。となると、100%安全が山ではありえない以上、いつかは、ババを引くロシアンルーレットを、ガイドも、講習会もやっていることになりますね・・・

そんなババ引きみたいな事業、誰もやりたがる人がいなくなるのが普通ではないでしょうか。


 



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