Monday, March 31, 2014

優れたリーダーの条件

■ 登山の価値観を身に着ける

以前、ほとんど登山経験がない人を山に連れて行って、

「〇〇さんがいたから安心でした☆」

と最後に(たぶん気を使って・・・)言ってくれたことがありました。 

せっかく気を使って言ってくれたセリフだけど、「あらら・・・」って私は思ったんです。

「全然、分かっていないなぁ・・・困ったな。」って。

だって、これ、逆に言うと、〇〇さんがいないと安心できない、って意味になる。

”ああ、褒め言葉違い”って感じです。

日本では、相手に依存しています、ということの表明が、全幅の信頼という意味で、相手への賞賛になることがあります。(まぁ発言した人はそこまで深い意味を考えてもいないと思いますが…。)

しかし、それは信頼ではなくて依存です。 山で依存は危険です。

■ 誰をどう信頼するか?も自己責任

私は、若いときにアメリカに2年の生活経験があるのですが、信頼、というのをアメリカ人は自分の目で確認する習慣があり、それを学べたことが収穫でした。

たとえば採用ですね。採用する時点では、仕事ができるのか、できないのか分かりませんよね?やらせてみなければ、分からないのが普通です。 で、採用することは、当然採用側のリスクになりますが、彼らはリスクを果敢に取ります。で、仕事ができないと判明したらすぐ解雇する。

私はベビーシッターをしていたのですが、最初時給が2.5ドルくらいでした。アメリカ人の最低賃金が5ドルです。私は日本の教育をへていて、子供が熱を出したらどうすれば良いか、転んでひざをすりむいたらどうしたらよいか、そういう危急時の対策が分かっている人間だったので(日本人なら常識と思います)、それで評判が良くなり、すぐ7ドルになり、最終的には10ドルもらっていました。

このように実力を判定されること、そして、それが賃金に反映されること、これはとても仕事をする人には自信を付けさせます。(ちなみに一回解雇されたこともあります。6か月の双子です。これは私には体力的に無理でした(^^;))

一方、日本では肩書き志向です。資格などで裏付けがあって初めて仕事をさせてもらえます。その上、一旦採用になると、どんなに仕事ができない人でも首にはなりません(笑) 

肩書きや資格があっても、実力がない人は多いし、さらに一旦、採用すると解雇できないので、採用する側は、さらに厳しい採用基準を求めます…が、仕組み的に上手くは行かないのは明白ですね。

ちょっと話が逸れましたが、日本的なやり方では、誰かを信頼するとき、信頼するかどうか?を、資格や経験などの水物に置き、実際の姿を自分の目で判定することをおざなりにしがちかもしれない。

なぜ、これに触れるのかというと、私は

ガイドさんやリーダーについて自分の目で判断することにしている

からです。 

イキナリすごい山なんか行かず、ハイキングの山で様子を見ます。これはお互い様と認識しています。

判断する、というと、判断すること自体が、日本の文化では失礼なことになります…ので、ごめんなさい。でも、リーダーを判断するのは、メンバーの最初の責任と思います。

≪私のリーダーの判断基準≫

・危険に対する指摘が的確

・山に一か八かがない

・長い経験に裏付けされた深い知恵

・精神的アップダウンが少ない

・基本的に親切

・基本的に公平

・基本的に権利意識が強くない

・基本的にいばりんぼでない

・肉体的にも精神的にもタフ

です。

先日は、狭い権現山頂で場所がなく、佐久側に立っていたのですが、そこはほとんど雪庇で、自分でもヤダな~と思っていたら、リーダーが「そこは危ない」と言ったので、そうだよな~と思いました。でも行く場所がないのですけど・・・。混んでいる狭い山頂に長く滞在するのが嫌いなのは、そのためでもあります。落ち着けない。

■ 合理的な理由が重要ポイント

質問を嫌うリーダーはダメです・・・そういう人は「俺に任せておけば大丈夫なんだよ」と言います。

が、何もかも任せられる神のような人がいるわけがありません・・・。

リーダーだって人間なので、得意もあれば、不得意もあり、うっかりもあれば、というはずなのですから。この時点で、意見が食い違う人とは絶対に山に登れません。

さらに言えば、メンバーは常にリーダーが気が付かないところをフォローしてあげよう、という気持ちがないとダメだと思います。

で、私が、しっかりしたリーダーだな~と思うのは、説明に合理的な理由がある人、です。

個人の意見は色々です。色々であっていい。

でもその意見の裏付けが、「俺が思うから」ではなく、理由が合理的、ということが重要です。

たとえば、先日、赤岳からの林道の帰りはバラバラでした。

一般に登山では、パーティがばらけるのは良くない、と言われています。でも、

・帰りは一本道の林道
・迷う箇所がない
・メンバーもみな若く、ねん挫などの危険のリスクがとても低い

ので、別に好きなようにバラバラに歩いてもOKなわけです。この時会のリーダーは失敗談も話してくれたので、余計安心しました。

でも、同じように林道でも、地獄谷の川俣林道は、私と若手がやや前を先行し、後ろの60代の女性二人には会のリーダーがしっかり寄り添っていました。(今思うと、私が女性陣と一緒に歩けばよかったのかも…ひとり歩きに慣れていて、どっぷり考え事しながら、気楽に歩いていたので、気が付いていませんでした・・・、スイマセン)

リーダーの強い責任感を感じました。一緒に歩かれると歩かれる人は”ウザい”と感じがちだと思います。特にプライドが高い人は。

でも、一緒に歩いてくれるってことは、「一人にしておけない」と思われているってことです。「まぁ大丈夫だろう」と思われていたら、ほっておかれるはずです。特に林道のような危険の無い箇所では。

そうでないということは、リーダーが親切だから、というより、客観的な自分の実力は自分で思っているより下かもしれない・・・、という情報かもしれません。

■ 最初は易しいところから

誰かを連れて行ったことがある人は、みな分かっていると思いますが、初めて誰かと同行するときは、実力が100としたら、60~80のところしか一緒には歩けません。

これ、連れて行かれるばかりの人は、全然分かってくれないことが多いです・・・(><)。

悪気があって易しい場所を誘うのではなく、お互いに親交を深めるには、ゆとりが必要なんです。

安全マージンのためです。よく知りあうためには必要だからです。

実力があるとかないとかよりも、ただただ、よく相手を知っているということが、安全性を高めるわけです。 未知がないから。

お互いに知り合うという余分な作業は結構時間を食いますし、山はその時々で色々違うので、いきなり、すごい山はスゴイ人とでも、行けません。 私なんて最初にピッケルを教わる天狗岳に行くために(もう天狗岳は4回も登っているのに)教えてくれる人の資質を見るため、三つ峠のハイキングの山に自腹を切って行ったくらいです。

私は夫とはよく一緒に歩いているので、夫と私の間には未知のことがなく、疲れたら疲れたと言うし、お互い隠し事がないので、互いの実力が100のところに行けます。

が、初めての人とだと、その人の行動パターンや何が得意で、何がダメかや、依存体質かどうか、を見るために、安全マージンの大きいところしか行けません。

普通の山では、山行前に地図を見てこない人は依存体質なのでダメです。

ほっておくと道迷いの可能性が高いので、どれだけ体力があって歩ける人でも、一人には決してできない、という意味です。連れて行かれる専門に決定です。そうなると、トイレに行っているだけでも待ってあげなくてはいけなくなります。本人はいいのに、と思ってもそうなります。

ただしこれも相手によりけりで、経験者は事前に地図を見なくても現場で地図が読める場合があり、それは道迷い遭難のリスクは少ないです。 沢などで一つ間違った枝沢に入ってしまっても、それは、リスクを知っていてのことなので、遭難とは言えない。 

クライミングなら、最初はゲレンデとかでしょう。私は同期のSクマさんには、ビレイしてもらうのに全幅の信頼です(笑) でも、向こうが私のビレイに全幅の信頼をおかなくても、侮辱されたとは思いません。だって、体格差がありすぎ。経験も違いすぎです。私はまだ未熟なクライマー&ビレイヤーで勉強中です。

それをわかってくれていて、安全な支点があったり、自信があるラインでビレイする分には、いくらでもヤル気がありますが、本人にとってチャレンジであり、墜ちそうなラインとかで他の人に代わるのは嫌でもなんでもありません。そういうのは当然だと分かっている人と行くのがやっぱり安心です。

体重差がありすぎる人をビレイするのはまだ怖い・・・のは、怠惰なのではなくて、ただリードで墜ちたらどうなるかを想像すると、私が止めれない可能性が高いくらいの体重差がある人は躊躇します。

のは、私のビレイ技術はまだ技術と言うようなものでないからです。(細い人なら男性でも大丈夫と思えるようになりました。)

初対面でビレイしてもらうのに、いきなりリードクライミングのビレイは、ちょっと互いに心配でも、普通のことではないでしょうか・・・。(言い訳チックかしら・・・?)

私にとっての初のビレイは、12月の南沢小滝でのビレイが、最初のゲレンデのビレイ体験です。

・・・が、結構体重差のある男性だったので、最初アンカー取ってもらったんです。 結局、じゃまで使いませんでしたが、後でその方をビレイしていたら、墜落で私は浮いて滝に吸い寄せられたので、やっぱりとってもらっていたこと自体は、間違った判断ではなかった・・・と思いました。アンカーの場所には問題ありでしたが。

これは登る側でも、同じで、私は自分の実力をまだトップロープで登ってクライミングそのものに慣れるレベルと認識しているので、今回の南沢大滝でも、同じように認識してもらえてホッとしました。

ただリードはどんなに易しい場所でも、早めに経験しておいた方が良いと師匠は言っているのですが、それは、たぶん、精神的なロープ依存症を予防するためかもしれません。

結局はルートでは、ロープがあっても、セカンドであっても、落ちてはいけないのだし、ロープは基本的にただの保険ですから。

落ち癖とか依存癖は良くないです。それは、クライミングでなくても一般登山でも、ツアー参加ばかりだと、山に一人で行けなくなるのと似ているかもしれません。

■ ヒヤリハットから何を学ぶか?

週末の南沢大滝は、ヒヤリハット事件がありました。 

落氷で同行者のヘルメットが割れました。 

私も落氷を肩に受けました。まだ打ったところ、触ると分かります・・・(^^;) 氷って怖いものなんだなぁ・・・。 痛いほどではないのですが。

こういうのは、

・たまたま運が悪くて当たった、と考えるか、
・避けられる事故だった

と考えるかで、その後の対処が違うものかもしれません。

アイスでは落氷は受け入れられているリスクなので、もしかしたら、その場で落氷に注意を払っていなかったこと自体が、注意義務違反かもしれません。

実際、同じゲレンデで落氷がなんともなかった人もいます。楽しいクライミングで終わった人もいっぱいいそうです。

私は最初の落氷を肩に受けた以外は、とっても楽しく、一本でも完登できたので、”行ってよかったな~”という、クライミングデーになりました。だってイモトだって頑張った場所だし…(笑) 

学んだこと

・落氷は怖い
・アイスではちゃんと落氷に最大限の注意を払うこと、

です。まぁだから、大枚はたいて、バイザー付ヘルメット買ったのですよね。

■ 登山のリスク

ある若い登山者の死亡事故について教えてもらいました…

こちらです。 ピオレドールアジア賞をもらったような、若くて強い将来有望な若者の死だったようでとても残念ですね…。ホントに親御さんがお気の毒です。

気になった語彙は・・・

・破天荒(意味は「今まで人がなし得なかったことを初めて行うこと」、「前人未到の境地を切り開くこと」)
・超絶な登山
・「アイツ死ななきゃいいけどな」

などです…

若い男性の体力ってホントに一般登山者のレベルとは全く違います。

でも、若ければ体力があるか?というと、それも違い、体力は千差万別です…(この方が体力を超えることをしたという意味ではありません、念のため)

60代でも私より強い人もいるし、そういう幅の広ーい体力…「強いねぇ」の一言で片づけられることではない、ので、そういう幅の広さをわかっていることも、リーダーの経験の広さとして重要かもしれません。

私はすーぐ「強い」と言われます。けど、実際は体力も脚力も普通です。年齢並みです。「強い」と言ってくる人はたぶん中高年と比較しています。しかし、弱くもなく、30代の女性と同じです。

でもアスリートとは全然違います。

■ 自信を水物におかない

自信というのは何に根拠を置くべきだろうか? と時々考えます。

体力なんて、その日その日で変わる、生ものみたいなものなので、体力があることを自信の根源にしてはいけないのかもしれません。

この有望な若者は、鹿島槍の天狗尾根で滑落したそうですが、滑落現場はだいぶ標高も下の場所のようで、普通はそんなところで、これほど経験豊富な人が落ちるとは思わないような場所なのではないかと思います。

屈強であること、受賞経験や、クライミング経験、そんじょの登山者並みではないこと、そんなことも山では、自信の根拠にしてしまってはいけないのかもしれない・・・?

よく言われることですが、凄い登山者もなんでもないところで墜ちたりするってことですね。

でも周囲の人が「アイツ死ななきゃいいけどな・・・」と思っていたってところは重要だと思いました。

登山に情熱を傾けるにも、その情熱の火は赤い炎ではなく、青い炎であるべきなのかもしれません。

私はどうしても登山はレクレーションである、と言うことに尽きるように思えます。登山を楽しみにしておくためにも決して山で死なないようにしないといけませんね。

■ しぶとい山ヤ

色々考えると登山のリスクと言うのは、

・ロシアンルーレットのように見えてロシアンルーレットにしない

ことが大事なのかもしれません。

ただ長い時間登山を続けてもなお普通に生きている、と言うこと自体が、その登山者がすごいということをしめしているんだなぁ…と。

つまり、しぶとい山ヤです。 しぶとい=死なない、ってことですね。

改めて、老練なガイドやバリエーションをこなして、なおかつ老境に立ち入ろうという年齢の師匠くらいの人たちに敬意を感じる次第です。










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