Friday, March 14, 2014

厚みと深みを与える山 ・・・ 山の世界を考える その4

■ 『俺たちの頂』

最初は嫌々だったFBは、基本的に山関係に絞っており、今もあまり活発にFBを活用はしていませんが、最近、なぜか花谷康弘さんの投稿があがるようになり(!)、ちゃっかりお友達申請したら(山梨に住むメリットかと!)、この『俺たちの頂』の投稿が回ってきました。

ほう!ピオレドール賞を受賞した登山家が「やっぱり泣いちゃう」のはどんなマンガ?と思ったので、アマゾンでさっそく取り寄せて読んでみました☆

 

二人の10代の少年が、岩登りから山に目覚め、エベレストサミッターになる話でした。一人は情熱家で、テクニックを前面に出したイケイケの強気クライマー。一人は冷静沈着ながらも、情熱を内に秘めた、粘り強いタイプ。その二人の友情が、困難な登山を成功に導くまでの話。

ローツェの山頂で、セカンドのシッティングビレイをしながら、息絶えているシーンでは、私も泣きそうになりました(笑)。

■ 心の山

登山をしていると、山頂への執着が成否にかかわるということは、それほど大きな山でなくても、良くあります。

いわゆる頑張りですね。どうしても登りたい!と思わないと、頑張れない。踏ん張れない。

この漫画でも、もう辞めちゃおうか、と苦しいとき、「そうだ、俺はこの一本のザイルのために登るんだ!」とザイルの先につながれたザイルパートナーに対する責任感が、ここぞと言う時に背中を後押しします。

山に登りたいから登っていたのに、いつのまにか、パートナーのために登ることになる。

それは一つの山の良さですね。

一般登山とザイルが必要で命を預け合っている山では、当然、深刻度は違うけれど、やっていることは同じ。 

■ 山が先か?友達が先か? 

山が先か?一緒に登りたい友達が先か?それは鶏と卵みたいな関係かもしれません。

最近、山岳会に入ったのですが、この人に教えてもらいたいなと思える人が、いるかいないか?やっぱり、そこが分かれ目かも…。 

もし、登りたい山に登ることだけが目的なら、それは自己都合の山。ガイド登山の山になってしまいます。お金を出して、パートナーを買うのが、ガイド登山と言えなくもない。

でも金の切れ目が縁の切れ目のガイドを雇わない、というのなら、

”この人に山を教えてもらいたい!”

っていう人を見つけるのが課題になります。あるいは同じくらいのスキルだったら

”一緒に成長していきたい!”

という相手。結局、それは山の志向が似ている人の中に、埋もれていることが多い。友達だったら、山の好みが似ているわけなので。

そうなると、今度は、その人と行くことが重要なポイントとなるので、どの山に登るのか?の重要度は下がります。

最近、思うのですが、そういう風に回っていくと、ルートガイドに載っているルートを、グレード順にただつぶしていくような登り方は、たんだんしなくなっていくような気がするのですが…

山に行きたい!というのと、相棒と山に行きたい!というのは、車輪の両輪のようなものかもしれない。

両方がうまくかみ合って、行きたい山がどんどん広がっていくのかもしれない。

でもキッカケは、やっぱり〇〇山に登りたい!そして、そこへ連れて行ってあげたい!なんですよね。そこはやっぱりそうなのです。 

■ ”そろそろ受けたら受かる試験”

でも、そういう風になってくると、結局、アルパインのレベル指標になっているような山、前穂北尾根とか、阿弥陀南陵とかを目指す必要が無くなります。行くんだけど最短距離で目指しはしない。後回しになります。

どんどん困難度を上げていって、難しいルートにチャレンジするのは、若い間、体力がある間にやるべきことではありますが。でもそれっていわゆる登山家になりたい人、成長期の山です。

成人した大人が趣味で登山をやる時に同じことをしなくていい。グレードを追いかけてステップアップするというのは、分かりやすく、ガイドブック主体に行き先を選んでいると自然とそうなります(易から難の流れを無視はできませんから)が、それだけだと、ステップアップが目的なので、誰と行ってもいい山。

ところが、この人と一緒でないと行けない(行かない)山というのが価値、だったりすると、そういう分かりやすい技術的ステップアップは、優先度として、後回しになります。

私は”そろそろ受けたら受かる資格試験”みたいな感じかな~と思います。

たとえば、ずっと情報処理の仕事をしている人が、そろそろ第一種(例えが古くてスイマセン…)を受けたら、受かるんじゃないかな~と思って受ける試験。

それは、今から情報処理技術者になろうと思って、目指して受ける試験とは違って、すでに技術者である人が、技術の確認のために受ける試験です。

振り返ると、甲斐駒とか赤岳は、そういう山みたいでした…感覚としては、受けてみたら受かった試験のような感じ。

■ 地理的特徴

私は結局、山梨の山岳会を選んだのですが、山梨の山岳会であれば、やっぱり山梨らしさみたいなものも生きてきます。

たとえば笹山(黒河内岳)は、山梨百名山で白峰南嶺の端の山ですが、ただ長い樹林帯が続くだけの山で、県外からわざわざ足を延ばしてまで登るべき、魅力的な山か?というと違う。けれど、取り立てて困難な部分がないので、会の月例山行に使うには手頃と言えます。地理的に南アルプスの山で、山梨らしさを醸し出していますし…。これが2月に予定されていればラッセルの山。仲間と苦労してラッセルして山頂を目指すことが楽しい山ですね。

でも、東京方面の山岳会であれば、同様の内容の山は普通は上越の山です。

山梨からラッセル山行にわざわざ上越まで行く必然性はかなり低い。特に所帯が大きくなったら、そうです。

そうやって、やはり地元の山岳会にいれば、地域的な特徴も山行に反映されてくるでしょう。それは強みであり、個性。

とはいえ、山岳会であるからには、基本のアルパインも押さえておいて欲しいですよね。

何しろ、ハイキングの会であれば、寄り集まる必要自体が希薄なので(笑)。

という、諸々のことを考えると、

 1)入門的ハイキング山行 (登山の素地を作る山)

 2)教育的山行(アルパインの目安になるような山)

 3)会の存在を特徴づけるような個性的な山 (地域研究的な山)

の3つの柱は、平素の山行で維持しつつ、特別な時期、つまり

・お盆の夏山
・お正月の冬山
・GWの春山

は、それなりのアルパインな山へ遠征というのが、スタンダードな枠組みへと、自然に帰結するのではないかと思います。

これに新人を担当する役が必要ですね。昨今は入会してくる人のスキルもバラバラ、行ったことがあるルートもバラバラなので、漏れや抜けが出てくるので。

ただ昨今は

・指導者が不足している、
・会の先輩が後輩の都合よく、そう相手をできるわけでもない、
・かといって、山が逃げるというのはホント、

という諸々の事情により、その隙間を埋めるのが、ガイド山行でのアルパインルートかもしれないなぁいう気がします。

私は今年は、すでに峰の松目と阿弥陀北陵を逃しています。2つとも、入門のマルチピッチのルートで今の私の段階にピッタリですが、峰の松目がアイスクライミングできる時期は短く、12月を逃すとラッセルの山。そして、阿弥陀北陵は2月に里雪で缶詰になり逃しました。3月は、すでに別の山行計画で忙しすぎて土日が埋まり、山行を入れるゆとりがない。

そして、今逃げそうなのは、ジョーゴ沢、天狗尾根、大同心南陵 です。

ですが、こういう山は、無理してステップアップを狙わなくても、甲斐駒と同じことで、”そろそろ受けたら受かる試験”系の山なんじゃないかな、と思う今日この頃です。

それより、山には”一緒に出掛けることが大切な山”があるかなって思います。

■ 貴重な先達

おそらく、貴重なのは、こうしたことを理解でき、この人にはそろそろ〇〇山のような山を…とカリキュラムを組むことができる先達ですね。

登山者がどのような段階にいるか?というのは、そこを通ったことがある人しか理解しがたいものですし、登山には季節があり、また登山者には年齢があります。

10代以外は、みな下り列車(笑) なので、上だけを見ていればいい10代への指導と、大人の趣味の登山ではカリキュラムも違って当然。

特に大人は山が逃げますし。大人には大人の別のストラテジーが必要、それが成長期でない大人から始めた趣味の愉しみかなと思います。

いい大人になって上がるしか知らない山しかしないなら、厚みや深みは出てきませんね(笑)。

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