Tuesday, February 25, 2014

個テント時代

■ 個テント

今、山ではテント泊が問題になっている。四人パーティで来て、4テント張られては、テン場がすぐ埋まってしまうってワケ。

それは夏山だけの、そして、山岳会などに属しない人だけの問題だと思っていた。

でも実はそうでもないらしい・・・。というのは山岳会自体でもテント泊山行は、とても敷居が高くなっているらしい。それはアクティブ会員が不足して、仲間内だけでは山行が成立しないという事情がからんでいるかららしい。

外部からのゲストが参加する時、個人でテント泊したいと言い出す・・・と、結局周囲が遠慮してテント泊が成立しなくなったりするのだ。

それは今の人たちが共同生活の楽しさを知らないから、そして、世代が異なる人との付き合い方を若いときに学んでいないからではないだろうか?

それにしても冬でも個テントなんだろうか? 冬の個テントなんて寒くてやってられないな!って思うけど・・・

■ 学生寮は少数派

学生時代は女子寮住まいだった。もみじ寮。

実は、進学の時、二つの大学が候補に挙がり、片方は6人の相部屋。片方は個室だった。それで個室の方を選んだ。

個室と言っても、キッチン、洗面、トイレなどは共有で、お風呂は大きなものが別棟にあった。

学生寮なので、個室とは言っても、その狭さは横の幅がベッドと同じだけしかなく(^^;)、うなぎの寝床というか、新今宮あたりの木賃宿で寝ているオジサンらとあまり変わりがない空間設計・・・(^^;)。全面コンクリートでまさに独房、だった。実際かなり寒かった。

裏はすぐ箕面の山なので、猿が遊びに来る。カメムシ、当たり前。そういう場所だったので、地方都市から大都会を夢見て進学してきた学生には、非常に評判が悪かった。

学生の創造性は独房をいかに非独房化するか?だった。人が入り浸る独房もあれば、入り浸らないのもあり、私のは手作り独房で、インテリアに凝っていた。

しかし、入寮には世帯収入の決まりがあり、入れる人は定員までだったし、当時でも少数派で、平均的学生は、家賃6万円ほどのワンルームマンションに住んで親から仕送りを10万円ほどもらっているのが平均的だった。

私の世代で下宿は稀でほとんどいなかった。

私より前の世代は下宿もあり、学生ではなくなっても書生さん、というのはいたらしいが、どこの本の話?という時勢で、ワンルームマンション花盛りの時代だった。基本的に田舎の農家の資産活用が学生マンションだった。

こういう世相だったので、若い人には共同生活の経験が乏しい人が多い。さらに若ければ若いほど、少子化が進み、兄弟が少ない。

これはどう考えても社会が豊かになり、親が仕送りを送れる財力があるから個室化が進んだわけだ。

こうした経験を青春時代に経験していない人は若ければ若いほど多いはずだ。

■ 共同生活の経験

私はサンフランシスコに2年ほどいたので、その間は通常の学生のスタイルだった。アメリカでは、各国からきた学生は、9割方シェアハウスに住む。一人暮らしの人なんてほとんどいない。最初の1年は1ヶ所にいたが、翌年は1年に6回も市内を引っ越した。

理由を上げると、カビ臭いと思ったら、マリワナだったり、中国人の家で安心と思ったら、物取りにあったり、払い終わった賃料を再請求されたり、穴が開いていたので何かなと思ったら散弾銃の跡だったり、である。 最後はレズビアンの家に落ち着いた。

帰国したら、再入寮はできない決まりなので、月3万円の風呂なし、トイレ共同の長屋住まいを選んだ。

下町の長屋は人生劇場で、隣はやくざ(候補生)と看護婦(バツ一、子供あり)の同棲者だった。斜め向かいの部屋に、ある時、50を過ぎたくらいのオジサンが引っ越してきて、あいさつに来たので、お茶を出すと、妻との離別の話や娘が相手をしてくれない寂しさを語ってくれた。オジサンの人生再出発という訳だった。オジサンとはうまくやれた。

私の真下の部屋は、人生に腹を立てているとしか思えない、根暗な若い男性で、会ってもニコリともせず、挨拶もしない。あるとき、私が、手作りの瞬間湯沸かし器シャワーで失敗してしまい、階下に水が流れたことがあった。猛烈に怒りまくり、金銭を巻き上げられた。ネクラな人、思いつめた人は怖い。設計図を書く専用のデスクが部屋の真ん中に鎮座していたので、設計士志望かもしれない。なんだか、マンガ『孤高の人』の森君を思わせる人だった。ひょろしとした人だったけど、怖かった。

お向かいは、陽気な(陽気すぎる)関大柔道部生で、毎晩宴会をしてうるさいので、しょっちゅうぶつかっていた。この学生は水道代が無料なのをいいことに、洗濯機の水を1時間も2時間も回しっぱなしにして使うので、私がそれを止め、それで二人の間は、開ける⇔止めるの応酬で成り立っていた。彼の部屋のドアには私がドアを蹴った跡が付いていた。ウルサイと言いに出かけても、ドアを開けない卑怯者だったからだ。どこが柔道部なんだか。それで、あるとき、こちらもAVビデオを借りてきて大音量で流してやった。それで一気に静かになった(笑)。

まぁ、そんなこんな学生生活だったが、今は夫と二人で仲良く普通に暮らせている。

ありがたやありがたや…(ん?なんか違う話になったな?)

そうそう、山でテントが個室になっているという話です。

山岳会で、通常

 ・食事
 ・すみか

は一緒です。3人なら3人用テントにみんなで泊まる。同じ釜の飯を食べる。

たとえば、ピオレドール賞を取った、キャシャールで3人が3テントなんてありえないでしょう。

でも、最近は、これも各山岳会単位で、あるいは山行単位で、バラバラのようで、食事は各自、テントさえ同じではない、というパーティも一杯あるのだとか・・・。

こうした人たちはテン場を利用するのでないので目立たないだけらしい。

背景は、豊かになった、ということだと思う。 山が易しくなった、イージーになったのもあるだろう。 

しかし、豊かになったこと自体は歓迎すべきこと。

しかし、3人パーティ、3テントになったことで、失ったものもあるようだ。

甲府では大雪が降って、日ごろ会話の無いご近所さんと知り合いになれた、という声も多い。

■ 時勢は変化中

今では、人々はワンルームマンションを捨て、シェアハウスに向かっている。

時勢は確実に変わり、人は金で買えない価値に気が付き始めた。

昔は選択はない中でのことだった。今は選べる。 仲間に、背を向けるか、心を開くか。

共同生活のスタイルも昔と同じである必要はなく、新しいスタイルを模索するべき時なのかもしれない。


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