Friday, January 24, 2014

山は色々な楽しみ方ができる

■ 山は色々な楽しみ方ができるのがメリット

昨日は、ヤマケイの技術書の著者であるような著名なクライマーさんの講習会でした。

  講習会というのは、技術だけを目的にしたものなので、的が絞られています。

アイスクライミングだったら、登り方だけを学ぶ、のが目的。 たとえば、冬の行動食はおにぎりはあかんなーとかそういう周辺技術は入りません(笑)。

昨日は、すごく上手なちょっと高齢のクライマーさんがいました。年齢が高いので、途中のアプローチ(30分もない)で遅れられ、登山は歩くのが遅い=体力がなく、心配、ということなので心配しましたが、この方はおどろくほどクライミングが上手でした。

この方をみて 「そうだよな~体力が無くなり、歩けなくなっても、ゲレンデクライミングなら、楽しめるよな~」と思いました。

私はまだ、行って見たい雪山があり、それは雪山である限り、体力貯金はたくさんあっても困らないので、まだ体力を増進するステージにいますが、人は必ず老います。私だって必ず老います。(というかすでに老いを実感することができる年齢です) 老いに逆らうことは自然の摂理に逆らうこと。

登山の良さは、各人の体力に応じた楽しみ方がそれぞれ用意されているってことだなぁと改めて思いました。

今しかやれないことをやるのが重要ですね。若いときは若いときしかやれないことがいっぱいあります。

■ テクニックの位置づけ

クライミングが好きな人は、たぶん「上を目指す」人です。クライミングの稚拙は、テクニックに大いに依存しているので、テクニックを習得することに魅了される人は、たぶん、岩でも、アイスでも、練習100回したい!って思うでしょう。

たとえば、クライミングジムのホールドをつかむことに面白みを見出す人は、その課題をこなすテクニックが自分に身に付くのが面白い。習得が面白いんですね。

私もバレエで、バーレッスン大好きでしたから、よく分かります。何年たっても初心者用の基礎レッスンにさえ楽しみを見いだせる人でした。

一方、オーソドックスなアルパインスタイルの山登り(ルート)が好きな人は、苦あり楽ありの困難やハプニングを乗り越えて、山頂にたどり着くことが面白い。山行の一連の流れを愉しみます。ストーリーがあるんですね。

だから別にすごいクライミングスキルがなければ、ダメってこともない。たとえば滝を登れなければ高巻けばいいだけのことで、(もちろん、高巻けない!ピンチ!!ってのもありで、それが楽しいのですが)、夕飯のメニューを工夫したり少しでも山行が楽しくなるように色々考える…のが楽しいです・・・(笑) 

登山を山旅として全体のストーリーや成功を考えるのがアルパインの人の考え方ですね。

さらに視野が広くなると、今度は、一つの山行の成功だけでなく、その成功の連なりが何に導くか、を
考えるようになります。 まぁ基本的には次世代の育成と会の存続です。

これは、以前の趣味のバレエにもに似ています。バレエでいうなら、公演での成功のために日々のレッスンがあるんじゃない!って人ですね。基本的にバレエというのは人に踊りをお披露目する舞台がある、その日一日のために 他の365日がある活動ですから…ストレッチするのも、バレエの感性を磨くために音楽を聴くのも、そのため。ただテクニックが好き、というので舞台がないなんて意味が分かりません。

なので、発表会なしのバレエレッスンなんて、普通の先生は意味分かりません。けれど、バレエのエクササイズ効果はすごいので、最近ではエクササイズ効果だけを求めてくる人(ダンサーではない、大人から始めた人たち)が増え、そうなるとバレエ団としては、教える人はいっぱいいるんだけど、踊れるダンサーとなるとだれもいない・・・ってことになるんですが。

それは、まるで健康目的で山岳会に入る人がいっぱいいて会員は一杯いるんだけど、山ヤがいないっていう昨今の山岳会とちょっと似ています。

今や、世間は、健康ブーム、ってことですね。健康ブームは悪いことではありませんが、奥行きがない活動というのは言えますね。健康のためなら、その辺のウォーキングでもよいわけなので。

バレエは総合芸術と言われます。そのたとえで行くと、登山も総合芸術であり、クライミングはそこに含まれる要素としての活動です。


■ なぜか 歩くと登るは反目中

技術中心で登ることを愉しむ人は、アルパインスタイルの長く歩く山旅で技術が必要な部分がルートの、ほんの一瞬っていうのはキライだし、アルパインの人のことも「古い山ヤ」なんて悪口言って、「どうせ登れないヤツら」なんて、裏で舌を”べーっ”と出しています。苦労して長い時間、山を歩く山なんて…ってわけで、クルマで横づけできるゲレンデがいいゲレンデ。

逆にアルパインの人はアルパインの人で、テクニック一辺倒の人たちにはちょっとどうしたものか?な印象です。何のためのテクニック?って考えてしまうんですよね。

テクニックを身に着けるのが面白い人は目的意識なんてなく、ただテクニックを身に着けるのが面白いだけです。テクニック身に着けて何かしよう、なんてのはない。

山に行くことが楽しいのではなく、テクニックを身に着けるフィールドがたまたま山ってだけなので、だから、人工物だって平気なわけです。

私が思うには、フリークライミングが流行した時代は、やっぱりそうやってフリークライミングを身に着けた山やさんが多かったのではないでしょうか?

でも、テクニックは遅かれ早かれ、頭打ちになります。

頭打ちになった場合、どうしようか?ということになり、それから、やっぱり山っていいなぁ…とルートのほうに回帰してきた山やさんが多かったのではないでしょうか?

そうしてルートに回帰すると、ルートではまだまだ身に着けなければいけない周辺技術があります。

山は際限なく、登山者に学ぶべき課題を与えてくれます。そうなるとやっぱり自分はまだまだだ、ということになり、成長の余地がみえる。

・・・とやっぱり人は楽しい気分に戻れるんだと思います。

だから、まだテクニックを追いかけて楽しい人は、テクニックで自分の限界に達していない人ですね。

山ヤの先輩は、若いテクニック重視の人がテクニックを鼻にかけ、ブイブイ言わせていても、若気の至りと許してやってください(笑)。じき、老いが始まり登れなくなったら、理解してくれるでしょう。

もし、運よく、自分がテクニック派で才能があれば、山ヤの先輩を「のぼれないヤツ」とみなすのを辞めましょう。先輩だって同じ道を通ってきたのですから。

クライミングだけで歩けないクライマーは、体力がない以外にも、色々な周辺技術が未熟で、小さなミス一発で死んでしまうかもしれないのが、テクニックだけあって歩けない人です。

登れるヤツがエライという価値観は山では通用しません。山では歩けなければ話にならないんです。そして、見えないリスクを認識できる人がいいのです。山が山であるかぎり、山のスキルアップは必要です。

たとえば、ヘッデン出せって言われて、5秒で出ます?こないだザックの一番下に入れていてザックの中身を全部出したクライマーに会いました(笑) パッキングし直して30分。これが稜線だったら一発で信頼失墜です。「あーもう!俺のん、貸してやるよ!」とチェッという態度で言われるでしょう(笑)

■ 歩けて登れる山ヤ

そうこう考えると、やっぱり一番カッコよくスマートなのは、歩けて登れる山ヤってわけで、歩けるだけでも、登れるだけでもやっぱり微妙です。

山では、体力は基礎だけど、判断力や知識も必要なのと似ている。

というわけで、山ガール、山ボーイ、中高年登山者に代表される、山素人の一般登山者ではなくて、山ヤを目指そう!と言う場合は(最近は”ガチ”と言うらしいです、たとえば、山ガールではなく、ガチ山女子)

 ・標準コースタイムで歩ける体力
 ・Ⅳ級(5.9)が少なくともすいすい登れる登攀力

くらいは、ボトムラインかもしれません。なにしろ、それくらいは登れないと行くところがないです(汗)。

でも、その登攀力は決してジム壁のグレードではない…のが、トリッキーなところです。

ジムの壁ってシールが貼ってあるけど、山では自分で足場も持つところも見つけないといけない。これは普段の山歩きでどこを歩けば滑らないか?探す回路と同じです。でも考えないで歩いていると一生身につかない。

山歩きでもずっと単純に足歩行の重心移動していますが、ジムではそれをムーブと言います。高度になるだけ。3点支持などは一緒です。傾斜がどんどんきつくなっていき…体重移動が楽にできるようになることを目指す。かぶる必要はないです。山を歩く人は。

ジム壁は手中心(ハンドホールド中心)ですけど、山の岩では足中心(フットホールド)です。

余談ですが、私は年を取った中高年の初心者こそ、ジムの壁で5級を登れるくらいにしておくべきと思います。なぜかというと、クライミングって自転車に乗るのを学ぶのと一緒で、コツが問題だからです。
縦走路でもたつくのは、コツを得ていないから。でもみんな穂高とか行きたがりますよね?

イキナリ穂高だと他の面で大変になってしまうので、ジム壁がいいです。若い人でも一日目はみんなとってもへたくそです。だから、若くないから、と遠慮するのではなく、5級くらいが登れればいいだけだから、2~3回でもいいから通うべきですね。かぶった壁はイラナイ。

■プログラミング

私は何が面白いんだろうなぁ???

私は、性格分析でいうと、戦略家 です。戦略を立て、実行し、微調整し、というのに喜びを見出すタイプ。

だから、ルーティンワークは超苦手です。ルーティンワーク化することは得意です。

登山は、まずどこに行くか?で登山者の力量が試されます。山行の企画力。 

この時期はココ、というのを知るのは、不味い時期に行っていないと分からないわけで、経験、です。

私はトータルで大きな目標を、小さい目標にブレークダウンする、マイルストーンを設置する、という視野で、山を見るのが得意です。

たとえば、私の場合、目標は八ヶ岳の全山縦走、と山を初めてすぐの頃、目標として設置しました。何年かかるか分からない遠くの目標ですし、いきなり達成する方法もありますが、そうする気持ちはありません。

何年かかるか楽しみなくらい。全然急いでいません。とりあえずの目標だし。

で、そうなると登山者としての初期の目標は当然天狗岳登頂。次は赤岳登頂でしょう。

そのために残雪期にハイキングで北八つに行き、厳冬期は初級の山で北横岳に行く。とっても辻褄が合っていますよね?体力をつける目的では権現を三ツ頭から登る。登攀力をつけるなら赤岳鉱泉でアイスクライミングをする。

要するに、目的のために、今何をしないといけないか?と考えます。

雪山を歩くには、重いザックを背負える体力が必要だし、長い距離を歩く力も必要だし、生活技術も必要だし、嶮しい箇所で歩ける登攀力も必要だし、天気を読む力もいるし、撤退を判断する力もいるし、雪山でホワイトアウトしたら困るので、地図読み力も必要だな、とそういう風に考えます。

そうやって自分にはどんなスキルが必要か考え、体系的に自分でカリキュラムにしています。

1年目 ⇒ 山とはどんなところか?基本を知るための易しい山 (小屋泊)
2年目 ⇒ 何をしないといけないか?情報収集 初級の山 スキル(テント泊)
3年目 ⇒ 体力をつけるための山 (縦走)
   
  一般ルート卒業

4年目 ⇒ 講習&登攀力をつけるための山 (嶮しい山)

ところどころで、先にある山をイメージできるような、飴と鞭の飴を用意します。たとえば、一年目では雪をかぶった西穂独評に行きました。 感動しないと強力な動機付けにならない。

ちょっと背伸びした山に出会うとか連れて行ってもらうとか、こういうスキルが付いたら行けるよ、というのを先に見ちゃいます。するとそこに行くために必要なことが整理され、今何をしたらよいか分かるようになる。

山はやっぱり「行きたい!」とか「〇〇を見たい!」とか「〇〇が登れるようになりたい!」とか強い動機を持ってこそ、行って感動するものです。

≪アメ≫
1年目 西穂独評
2年目 ツルネ東稜から権現
3年目 アイスクライミング体験
4年目 広河原沢左俣

≪知識・スキル≫
1年目 アニマルトラック講習会など自然観察系
2年目 高山植物保護、地図読み
3年目 スノーロゲイン、アイスクライミング、タカマタギ雪中テント泊
4年目 一年間のリーダー講習、日赤救急救命、雪崩講習会

というような具合です。

常に先の予定が、今やるべきことを決めます。なので先を見ないと今すべきことが分からなくなります。

先と言うのは何十年も先を見る必要はなく、2~3年レベルでいいわけです。

そして、もちろん、犠牲を払う精神が必要です。何かを得るためには犠牲はつきもの。そうなったら、強い動機との兼ね合いですが、やりたいことはやりたいことなので、やりたいことのためにやりたくないことをやるのは仕方ありません。

講習費用を得る為山小屋で働くのも苦痛でしたし、クライミングジムなんてもう私には無駄以外の出費にしか感じられませんでしたが、飲みました。食生活は質素ですし、化粧品なんてここ4年一個も買っていない(笑)! つまり選択したら、集中しないとダメです。普通の人は。天才は違うと思いますが。

よく人生は登山に例えられます。 暗い山道を歩いています。けれども強力なヘッドライトがあり、目の前の道はよく見えています。

そういう意味で私のヘッドライトは数年先くらいまでは照らせるけれど、その先は見えません。その先が見えるのが、要するに先輩ってことです。

私は山岳会に入る価値はそういう先輩が得られることだと思います。

明日明後日は雪崩講習会、これに出たら、とりあえず、雪山の知識武装完了って感じです。

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