Wednesday, January 22, 2014

初・丹沢

今日は初の丹沢に行ってきました☆ 今回のヤマレコ。

昨日、甲府はぱらつくくらいの雨でした。 ので、一瞬 「冬の雨は…」と山行中止の提案がよぎったものの、「待てよ、場所は丹沢。これは樹氷の大チャンスでは?」と思い返し、悪天候のことはちょっと棚上げしておくことに。

今朝起きてみると甲府は良く冷えた朝でしたが、フロントガラスに着く氷はさほどでもなく、特に寒い朝とは感じられず、中央道を東京方面に向かって走らせると、大月上野原あたりから、期待通りの樹氷でした。朝日が昇ってくる光に、山々がホントに美しいこと!

私は初めて行く場所だったので、ゆとりを見て2時間前に家を出ました。到着したふれあいの館から見た景色はまさに幻想的!でした。

 私が雪の山が好きなのは、下界のすべての、下世話なもの・・・ケバケバしい看板、和とも洋風ともつかない、ちぐはぐな現代の建物、それに空を脈絡なく切るみっともない電線・・・

そんな”見目に麗しくないモノ”を白い雪が覆い隠すからですね。



丹沢は湖があるのが、とても良い、と思いました。 右のは鬼ヶ岩の頭から出ている尾根に出る白馬の雪形。

ジョージア・オキーフは人の住まない僻地に住んで絵を搔き続けた女流画家ですが、以前はそうした生活にあこがれていました。

自給自足生活に関して憧れ、ホーソーンにあこがれ、時々は山のふもとの土地の地価を調べたり・・・


しかし、自然に対して知識が増え、経験が増えるにつれ、そうした願いは抱かなくなりました。その、願いの非現実味がよく分かるようになったから。

しかし、都会人がそうした気持ちを抱く理由はよく分かります。そして自然による癒しが必要な訳も、私も通ってきた道です。

■ 丹沢は普段着の山

しかし、今日はやっぱり丹沢という人の息吹が濃い山域に行って、この日本の大地にとって、人という種は増えすぎてしまったんだなぁ・・・としみじみ思いました。

丹沢は、甲府郊外より商店が多く、道路わきに見える家々はびっしり寄せて建ててあり、こんなに人が密集しているんだなぁ・・・と思います。

甲府だって、土地の人は「廃れている」と言いますが、たとえば、メルボルン郊外から見たら驚くほど、商店が凝縮しており、開発の余地がもうない、と、アングロサクソンなら考えるだろうと、いうほどの都会度です。

200年前のローラ・インガルスの時代のアメリカでさえも、メインの森は、狩猟圧が高くて、もはや父さんは一家を養うだけの獲物が得られず、大きな森を跡にし、西部を目指します。

日本では目指す西部はないので、押し出された人口は、山間部へ向かうわけですが・・・それが八ヶ岳などよりもすっかり定着した場所が丹沢と言う感じでした。人の生活が感じられるアプローチ。

そしてそうした場所にあって、山は、やはり自然ではあっても、里山というよりは人の息吹が濃く、悪く言えば手あかにまみれた感じ、よく言えば、温かみのある感じがしました。

山として見たとき、丹沢は、人里に近い、ご近所の普段着の山です。

このあたりに住む人のような人たちは現代版山の民、なのかもしれません。

現代人はどうしてこうも自然と切り離されてしまったのかぁ・・・そんなことを考えました。人が技術を進化させるのは、アリがアリ塚を作ったり、蜂がハチの巣を作ったりするのと同じことで、人にとっての自然であると思うのですが・・・そこに込められた精神が、自然と対立する思想を持ったのは一体どうしてなのだろうか?

そして、さらに悲しいことに現代版の山の民は、自分の住むフィールドをすっかり忘れてしまい、まるで自宅の使い勝手を忘れてしまった家人みたいな状況です。それはもともとは自然の平野であった土地に立つ都会に住む人だって同じことです。自然とはどのようなモノだったのかをすっかり忘れてしまった。

そうした状況が支配的な中で、自然に遊ぶのは、自宅の間取りを、確認するようなことだなぁ・・・と思ったのでした。

尾根の歩き方、大きな木や特徴的な樹木を目印にすること、空を見上げること、遠くのピークを現在地の同定に使うこと、沢を確認すること、雪の道を転ばず歩くこと・・・

そんなことは本当は自分の家をよく知っているかの如くの事柄のはずだったのに・・・

今となっては、防備して出かけ、学んで知識を得、という事柄になってしまいました。 人間の進化する性というものは、ほんとうに悲しい性ですね。

本質的に自然から、乖離してくようにできているのです…だから、人は意識的に自然に寄り添わなければ、自然とはどのようなものだったのか忘れてしまう・・・そんなことを考えた山でした。
 


 快適なる尾根を降ります。







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