Thursday, December 19, 2013

登山をいかに学ぶかその②

■ 登山をいかに学ぶか…

今日も甲府は冷たい雨です。 今日は買い物の他、冬用のダウンを洗ったりして過ごしています。

   登山をいかに学ぶか…

これは個人の未組織登山者にとってはとても難しいことです。

山を学ぶには、独学を除いて、3つ方法があります。

 1)優れたガイドにつく 
 2)講習会に出る
 3)山岳会に入る

これについては以前も書きました。メリットデメリットがあるという話です。

独学も入れるとこうなります。選択肢は4つ。

 1)優れたガイドにつく 
 2)講習会に出る
 3)山岳会に入る
 4)独学

最近、私は これはマルチプルチョイスではなくて、ありとあらゆる手段を全部投入しないといけないのではないか?と考えています。

つまり、

 1)優れたガイドがやっている講習会(2)に参加し、  → スキル導入
 3)山岳会で仲間を見つけ、                 → スキル定着
 4)なおかつ、独学で晴耕雨読し、             → 知識を得る
 4)一緒に行く人がいないときは単独であっても山に行く → 判断力をつける

ということです。

それぞれが各々違った役割があるのではないだろうか?

■ 判断力は自分で登らないと身につかない

山岳会に例え所属していても、ただ先輩の後ろを歩いて行くだけでは何のスキルも付きません。それどころか自分で判断することを放棄しているので、全然ダメ登山者になる可能性すらあります。

それはガイド登山ならなおさらで、ガイド登山で冬山に行っても自分で判断していないので、何の判断力も付きません。

なので、ガイド登山や山岳会に所属していても、自主山行を端折ってしまうと、バランスの良い成長はできません。

■ 独学だけでもダメで・・・ 

しかし、独学で、一人でずっと登っていても、何かしら間違ったことや自己流のやり方を続けていて、それがあまり良い方法でなくても、ずっと気が付かずに行ってしまうというリスクがあります。

やはり正しいやり方、たとえば雪上歩行でも、フラットフッティングやキックステップは習った方が良いと思います。

■ 講習会は一時的

というわけで講習会は必要です…ところが、講習会というのは、一時的な集まりなので、一回や二回講習を受けたところで、山のスキルは身に付きません。

むしろ身に付いたと誤解して自信をつけてしまうリスクがある。

結局、継続的な学習が必要なので、そのための集団を形成する必要があります。

そうなると、既存の会に属すか、自分で会を発足するかしかなくなります。

■ 既存の会=山岳会

山岳会に最初から入っている人は、山岳会で合宿があったりして、有料の講習会に出ない場合もあると思います。

私はこれもリスクが大きいと思います。 英語ではThere is no free lunch (ただ飯はない)と言いますし、Trust but check (信頼してなおかつ自分でチェックしろ)とも言います。

最初から人に連れられて山に行ったり、山岳会に入って他の山の学び方を知らない人のリスクは、

教えてもらう技術の価値が分からない。連れて行ってもらうことの価値が分からない、

ことです。

価値というのは金銭的な価値だけではありませんが、分かりやすいので金銭的な価値に置き換えると・・・

たとえば、私は赤岳に登頂しました。 

赤岳はただ行くだけで、一人4万円 +宿泊費+ガイド経費(宿泊費・交通費の頭割り分2~3千円ほど) がかかります。一般に冬山装備は始めるだけで20万円ほどかかると言われています。

最近はアイスクライミングに行きました。南沢小滝を登るだけでも2人で4万円ほどかかります。
一人2万円くらいはかかるんですよね。それに普通は自分で道具を用意しなくてはなりません。(道具を体験講習では貸してくれるところもあります) ためしに試算すると、クランポン2万円、アックス2.5万円×2、ロープ1.5万円、スクリュー0.8万円・・・ あっというまに10万円はかかってしまいます。

というわけで、こうしたところに連れて行ってくれる人はホントにありがたい人たちです。

■ 教わるものではなく、盗むもの

が、ガイドでも講師でもないので、何かを教えてくれるということを期待するのは、それは厚かましすぎ、というものではないでしょうか…?

山と言うのは、そういう意味で、無料で連れて行ってくれる先輩がいる場合は、

 教わるものではなくて、盗むもの

であるのではないか?と思います。

しかし、連れて行ってもらえることに、感謝の気持ちがなければ、ただついていくだけで、何も見ていない…要するに、何も学ばないわけですから… つまるところ 結局、宝の持ち腐れ、ということになってしまいます。

■ 山は人生の学び場

宝の持ち腐れ…これは人生におけるすべてのことに言えるかもしれませんよね?

つまり、今ある条件を生かそう!という発想です。

 今できることは何か? 

それに全部意識を集中するということ…つまり、それが”今を生きる”ということの意味なのかもしれません。

ちなみに私はヨガを教えていますが、ヨガでは、今を生きろ、と、くどいほど指導しますが、その意味について深く掘り下げることはせず、今に集中するというマインドフルネス瞑想の心理的効果だけが取り上げられることが多いです。

が、私は結局のところ、今置かれた環境や条件のもとにおいて成せる、実現できる、ベストを実現することが今を生きることだと思っています。

出来ることを精いっぱいやる。どんな時も。

そういう事が学べるから、山は「哲」なのかもしれません。 





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