Friday, December 27, 2013

装備の貸し借りはしてはいけない?

■ 去年も失敗

去年、初心者の雪山である北横岳に山初心者の友人を連れて行って失敗しました。

この時も私の持っている一番良いウエアを着せてあげました。パタゴニアのルビコンジャケットに、オーバーパンツ。自分が着ているものより、相手に貸しているもののほうが高い(汗)

靴はその人は私よりうんとサイズが大きかったので、雪の日用の長靴で行きました。(そう実は極寒用の長靴も売ってるんですよね)

山は気に入ってくれたんだけど、その後私の言動の何かが気にいらなくなったらしく、メールを無視されつづけ、貸しているザックとレインウエアを返してくれるのを待っているのですが、一年たってもいまだに返ってきません…(汗)

まぁ古いザックだし、レインウエアもホームセンターで買ったのですから、いいのですが… 

借りているモノを返さなくても良いというほど、私の何が悪かったのか不明ですが、理不尽にフラれる男子の気分を味わうことで、「相手に納得の機会を与えず一方的に去るのは良くない」という教訓になりました。

人生勉強続きですね(^^;)。

何が失敗だったのか…色々考えてみると、その人場合は「山が好き」「山歩きに興味がある」と言っても、実は山でおしゃべりしたいだけみたいだったです。

■ 人は真の願いを意外に知らない

人は真の願いを意外に知りません。 

この人以外にも、この年は色々な人に会いました。たとえば、「痩せたい」と言いながら、ランチに天ぷら定食&「ビールいただいていいかしら?」なヨガの生徒さん、「ヨガをしたい」と言いながらも実はしゃべっている時間が長い人などなど・・・

行動が表していることを正確に読み取るのが大事ですね。行動こそが真の願いを反映したものです。

多くの人が興味があるのは、山ではなくて、「友達とハイキングしながらのおしゃべり」かもしれません。まぁそれは山の愉しみの一つではありますが、オマケです。

山は単なる快適で心地よい舞台であって、それ自体が観察や興味の対象ではない。

■ アルピニズムは山を対象とするもの

私にとっては山というのは、そのものが興味の対象で、観察の対象です。

一般的な友情の範囲で人生相談は特に苦になるわけではありませんが、度を超すとなんだか時間の無駄に感じます。

なぜなら、ヨガの先生だからと言って、その人がどう判断すればベストの人生になるか?なんて分かりませんし、そんなものは本人しか分からないとヨガ自体が教えているわけですし・・・。

みなさん瞑想してください(笑)

しかし、山に入って山と対話すれば、山に一緒に行く同行者に話をしなくても、瞑想の効果があって答えは出ることが多いです。

■ 山と恋愛

去年は山小屋の人と山を歩くことも多かったのですが、これも失敗でした。

どうもこの人は、山歩きではなくて、山歩きを口実にしたデートがしたいみたいでした。

それは他の女性の登山者に相談してみて分かりました。

男性の登山者の人は、(一緒に山に行きたい)のと(デートしたい)のがごっちゃになるのかもしれませんね…

まぁデートっていう年齢でもなかったので、こちらが油断してしまったってのがあるんで反省です。

私は山では恋愛一切する気がありません(宣言!笑)。

まぁ別に大人の対応をしてくれてかくしてくれていれば、別に問題はありません。私はややこしいことはキライです。

ちなみに、余談ですが、山男代表のガイドさんを好きになってしまう女性のお客はたくさんいるのだそうです。女性のお客さんは気を付けましょう。

「山男、山を下りたらただの人」と山小屋の人が何度も言っているのを聞きました(笑)

まぁ男女は何歳になっても男女ですから、人生を破壊しない程度に恋愛の気分をたしなむ分にはいいのかもしれませんが、麻薬やタバコ、お酒と同じで自分でちゃんと適量がコントロールできることが大切です。

余談ですが、ヨガの先生やバレエの先生も教える内容からよく人の注視を受ける(先生のポーズを見ようと生徒はするのが自然)ので、見てくれる側の人はちょっとした心の動きを恋愛感情だと誤解してしまう、誤解されてしまうリスクがとても高い職業です。ウエアは露出を押さえるように気を付けましょう。ファンになってくれてもうぬぼれぬことです。人は自分の心を意外に知らないものなので、単純なに自分の心を誤解しているのがほとんどのケースです。

■ 善意 「私で良かったら案内しますよ」 の適用

山をよく知っていると、山の危険を避けて楽しむ方法も知っているため、山の実態を知らない人に教えてあげたくなるのはよくあることです。

「私で良かったら案内しますよ」というのは、でも、相手をよく選んで発信しなければならないセリフのようです。

(山の実態を知らない人)=(初心者)というわけで、キレイな景色を見せてあげたいな、という本当に単純な動機で初心者を連れて行く、ということが起こりますが・・・問題多し。

初心者は、山がきれいな場所であるということも知らないが、山のリスクも知らないからです。

そして、そこのところを懇切丁寧に解説するのは常人のレベルを超えた、結構なスキルです。

普通に自分で山に行ける人は自分で行き、初歩的な段階のことは自分で解決してしまいますから、その人の初心者具合がどの程度か?というのは山ではシビアに見極めないといけません。

なぜなら相手の無知のせいで自分も危険にさらされたり、協働の責任を負うことになるのが山だからです。

たとえば、歩くのが遅いとしましょう。その人が山では暗くなったらヘッドライトをつけて歩くのも大変だと言うことを知らない場合、早く歩く用に急かすと恨まれるでしょう。

しかし一方でヘッドライトでの夜間歩行になってしまったら?それも文句を言われるでしょう。

さらにヘッドライトを持っていなかったら?初心者の人は往々にして持っていません。するともういきなりビバークです。ピンチです。

そうなってからでも、連れて行ってもらった人は連れて行った人に文句を言うでしょう。

つまりどの方角に転んだところで、絶対に連れて行った側が不利に陥ります。どう転んでも勝ち目はありません(笑)

山にタダで連れて行ってくれるなら、行きたい!という人はたくさんいます。

実際一人ではどう考えても山に行けないけれど、山に行きたい!という人もいます。

その場合どうするか?連れて行ってもらうか?山岳会に入るか?どうするか?ということになります。

私が思うにはこの解決はやっぱり商業的解決しかない。昨今、山岳会を無料のガイドだと思って利用する人が多いそうで、山岳会も困っていると聞きます。初心者から山岳会の人は依存心が強い人の可能性もかなりあります。

タイプA) いつの時期にどの山に登るのが快適で安全か自分で計画を立てられない人 

       ⇒ ツアー登山で、何月にどの山に登るか?という知識を身に着ける。そうでないと、無雪         期の装備で積雪期の山に行って遭難してしまいます。

タイプB) まだ基本装備(登山靴、ザック、レインウェア、ヘッドライト、シェル)を持っていない人
 
      ⇒ その装備で行ける山しか行かない。それ以上の山には行かなくっていいっていう意味です。       日本の自然はきれいですから、大変でない場所でも美しい場所はいっぱいあります。
       たとえば美ヶ原や霧ヶ峰は誰でいけるハイキングの場所ですが、
       雪をかぶるととても美しいです。

タイプC) 安全管理の面からボディガードがいないだけの理由で行けない人
     
     ⇒ 一緒に行ってあげましょう。自然の中は危険がいっぱい基本的に単独行は危ない。
      安全対策を身につければ、その人は一人でも行くようになるでしょう。

最低でも、基本装備は自分で持っていることで、山が好きなのかどうか?は試されていることになります。

クラミングだってジムに行ったりなんだりで自分で出来る努力をしている人のほうが、そうでない人より、その活動をしたがっている、と言うことが言えます。

試練にさらされていない願望は、願望でさえなく、感情の勘違いのこともあります。

■ 装備を貸してはいけない?

この去年の、北横岳の経験で、諸先輩からは、「装備を人に貸していけない」と口うるさく言われていました。

ということは、山では貸して失敗することが多いらしいですね。

そういわれていても、私は貸してしまう…のは、私の甘さであり、弱さですね。やっぱり私も行きたいという気持ちは分かるし、実際自分は装備を借りることがあるからです。

それに、ロープなどはそもそも借りるのが当然の装備だったりもしますし・・・。道具は高いので、山の文化の中ではある程度の貸し借りは伝統という一面もあります。

しかし、自らを振り返って、私自身が借りる側で問題を起こしたことは一回もないです…うーん。何が違いを分けるんだろう?

初めてのアイスクライミングでは、サミテックとクォークを借りて行きました。山行の帰りによって、いかにその山が面白かったかを報告して返してきました。

また必要がある山に行くときは借りる気がありますし、一切それで問題は起こっていません。道具なんて使ってナンボだし。

私が借りていてトラブルになったことは今までありません。

なぜか?

≪考えられる理由1≫

 1)貸したくないという気配が出ている人から借りることがない。
 
 2)貸してほしいというオーラを私が出すこともない。
 
 3)借りるときは、「貸していただけますか?」と直接聞きます。
   少しでも貸したくなさそうだったら聞きさえしません。
 
 4)ギブ&テイクが成立している 

ギブ&テイクといえば、大体贈り物も分相応です。

先日は山であった友人に広島からオイスターを送ってもらってとっても嬉しかったです。お礼にはころ柿を送ったのですが、こういう方とはぜひお山もご一緒したいな~といつも思います。行くとしたら、お互いが自分の好みの山を案内し合う、ということになるな~とあらかじめ予想が付きます。

一方、分相応が成立していないケースでは、八ヶ岳の交通費と言う名目で、一万円送ってきた人がいましたが、閉口しました。根拠のないお金をもらうことはできないので、返すのにまた手間がかかって一体何を考えているんだと腹が立ちました。この人には、登山靴もアウターシェルも貸し、山に連れて行ってあげたのに、親切をあだで返すとはこのことではないでしょうか?

どうしてこうなるのかは分かりませんが、私の側にも原因があると思うので、今後は用心したいと思っています。

■ 考えられる失敗要因

しかし、私は以前の趣味のバレエでも実は色々失敗していて、貸していて帰ってこないバレエのDVDやCD多数…今買ったばかりの本を貸し出しにとられたことさえあります…(汗)

大体 (借りる人は気軽なモノ)で、(貸す方にとっては大事なモノ)というのは失敗の大前提です。

考えてみると、私が貸している人は「借りたそうにしている」人であり、こちらが「借りたそうだな」と気配を察して貸してしまうというケースですから、「借りたそうにしている」という様子は”貸さないほうがよい”という傍証になるのかもしれません。

なにしろ、私自身は借りたそうにして借りたことがないですから。

私にとっては (借りたい)=(欲しい)=(自分で購入する) であり、借りるのは、基本的に、一時的な使用だとわかっている場合です。つまり、その場のつなぎですね。

今まで何を借りたかな…信頼関係が出来上がっている人からしか、借りていないか…

・ヨガのイントラの資格を取る時先に資格を持っている友人が大量に資料を貸してくれました。
・山を始めたとき、レストランのご主人が「北八つ彷徨」を貸してくれました。
・クオークとサミテック、スノーシュー

うーん、やはり、借りないと山に行けない=依存状態を作る、ということは良くないのかもしれません。

山というのは、やはり、お金がかかっても行きたい!と思う、強い思い、それがアルピニズムの根源であるのですし、多少の金銭で行きたい思いが試される必要があるのかもしれません。

それでも100年前の登山者に比べたら、山の敷居は限りなく低くなり、猫も杓子も山に行け、山に行く資格も何も問われなくなった時代です。

金銭で解決できる程度のことは解決する情熱が試されている、とすれば、〇〇がないから行けない、というような程度のハードルを乗り越えられないようでは、山に行かなくていいのかも???

とはいえ、私も装備の都合で行きたいところに行けないのは残念ですが・・・

しかしなぁ・・・山道具は高いですねぇ・・・(汗) 今回は結論が出なくなってしまいました(汗)

とにかく、宣言!! 山道具はごく限られた私が信頼できると判定した人、面識があり、何度か山に行ったことがある人にしか貸しません!



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