Saturday, November 2, 2013

山に誰と一緒に行くか

最近、ずっと山のパートナーシップというのを考えています。

■ アブナイの中身が問題

大体において、登山者ビギナーには「あぶない」の大合唱が浴びせられます。

しかし、この「あぶない」の中身を正確に表現できる人はほとんどいません。

しかるに私が説明して差し上げましょう(笑)

【一人で行くなと言われる理由】

 1)一般的に若い女性 : 犯罪などに巻き込まれる恐れがあるから

 2)登山ビギナー: 判断力がないから

 3)少し慣れた人: 岩場などが危ない(=技術力がない)ので一人で行くなと言われる

 4)低山ハイキングの人 : 登山道に人がおらず、事故の際、人目につかないから
 
 5)登山の人 : ロープワークがあるとビレイヤーが必要なので一人で行けなくなる

※ 登山とは道のない場所を歩いて初めてスタートするもので、夏の一般道を歩くことは
  通常「登山」とは言えません。しかし、世間では夏の一般道を「登山」と称し、本来の意味での登山  は「本格的な登山」と言われています。この場合”本格的な”の意味も誰も説明してくれません
  ので(笑)初心者にはチンプンカンプンです。
  道なき道を歩かない限り、登山ではなく、もともとハイキングなのです。しかし、ハイキングの
  ことを「登山」と称するようになってしまったため、やむなく、”本格的な”をつけているわけで
  それが分かりにくさの由来です。


というわけで、誰でも「本格的な登山」をする人は夏の一般道に同行者など必要ないのを知っています。
積極的に集団となる理由に値するのは4)5)だけです。1)や4)の人に必要なのは、用心棒。2)に必要なのは勉強。3)に必要なのはボルジムです(笑)

山では、山小屋の存在が同行者の不在をカバーします。ので、結局、本格的登山になるまで誰もイラナイ。

無論、一人より二人が楽しい、という人もおおいので、それを除外してです。

アブナイ、というのは、登山における判断力や技術力が欠如した人に対して言うべきものですが、残念ながら人は誰にでもアブナイの大連呼をします。

その理由は3つ。 

その1は、困ったことに判断力や技術力というのは外からは見えないから。

その2は、アブナイと言っておけば、とりあえず親切そうに見えるから。

その3は、自分にとって都合がよいから(金儲けになるから。業界はツアーで稼ぎたがっています)

というわけでアブナイの連呼の中身は”不純な動機”と”正当な動機”が混じっています(笑) 

もしあなたが健康で若く体力があり、判断力も人並みにあり、登山について学んでおり、登山計画も立てて登山に出向く登山者なら、危ないと言われたら、相手の動機の成分分析をしないといけません。 当てはまらない可能性が大です。

■ 失敗例

私は元々、普通の生活でも一人でいるのが好きです。

これは子供のころからで、決してツレションなどでつるむことはなく…女性に良くあるグループ行動とはまったく無縁で成長しました。まぁ原因は色々考えられますが、とりあえず私はそういう人なのです。一人が好き。できれば、同行者には色々しゃべってほしくないくらいです(笑)

山に登るという事だけを主眼にした場合、山に登れさえすればいいんであれば誰でもよいのですが…

私の場合、山に登れればいいって感じではなく、山とはしっかり対話したい、と思っているので…誰と行くかは重要です。

というのは、去年博愛精神を発揮してみましたが、色々と失敗をしました。

失敗その1) 初心者。 手がかかりすぎます。その上、それを理解しないので当然視する人が多数。

失敗その2) おじさん。オジサンは単純にデートを望む人が多いようにお見受けしました。

失敗その3) 判断しようとしない人。「歩けますか?」「お任せします」ってありえないです。

失敗その4) 登山の常識がない人。登り4時間の山で里で8時集合していたら登る前から遭難。

失敗その5) 依存心の強い人。送り迎えもしてほしい・・・ツアー向きの人です

失敗その6) 時間にルーズな人。集合当日の朝に「やっぱり辞める」 と言われても・・・。無責任。

失敗その7) 後ろを歩きたがる人。つまり無料のツアーです・・・(汗)

失敗その8) ブランド山に行きたがる人。まだ登山者の価値観を身に着けておらず素人さんです。

失敗その9) 愚痴の多い人。山と向き合えない・・・

失敗その10) 競争心の強い人。山の凄さで競争なんかに巻き込まれると遭難へ一直線。

■ 登山判断が一致する必要があるわけ

私は、一緒に行きたいな~と思っている人が実は一人だけいるのですが、その人の何が一緒に行きたいな、と思わせるかというと…

 判断力に信頼が寄せられる

ということに尽きると思います。 

どのような判断に信頼を寄せるかは、個人によって考えが当然あります。

私にとっては (安全)>(登頂) 

と登ることへのリスクテイキングより、安全を優先した判断に信頼を置きます。私自身が登山ではかなり保守的な判断をする方だからです。

これはガイドさんなら当然そうするかというとそうでもないです。当社は登頂率No1などと喧伝していたり、強いガイドさんには逆の傾向があります。

さらに (集団のメリット)(自分の欲求)

これは、ちゃんと見ていないと基本山ヤさんは登りたがりの人は多いので、用心。全体のことを見失う人は特に男性には多い特性です。自分を押さえて、集団のメリットが優先できるかは、男性にとっては難しい行いです。だから、男性の人間的成熟度を図る物差しによくなります。女性とは真逆ですね。

色々と考えてみると…山に一緒に歩きたいと思う相手というのは、その人の登山判断が私の登山判断と同じだった人ではないかと・・・。

一方で、一緒に行きたくないな~と思うのは、私の登山判断と相手の登山判断が違う場合です。

意見が違うのは、人間だから当然あることですが、その登山判断の意見が違った場合の根拠が問題です。

往々にして本人の都合だったりする。

それはリーダーシップとは言えないのではないか?と思います。

説得力と言うのは一種の権力の発意ですが、権力に従わせるにはよく知られた法則があります。脅しのパワー、専門家のパワー、などなど・・・その中で、もっともパワフルなのは、合理性のパワーだと言われています。

登山の場合、納得できる合理的な根拠を示せなかった場合、それは単純に判断力と言うスキル不足、なのではないか…

つまるところ、判断力に問題があれば、時間の問題で遅かれ早かれ遭難するのが結末です。

遭難と言う結末は、集約すると

・誤った判断
・スキル以上の登山

の結果、という2点に集約されます。もちろん、野生動物でも遭難してしまう雪崩や落雷などの不可避に近いものを除いてですが。

このように突き詰めると、判断タイプが異なる複数の人が集まった集団というのは、それだけで分裂・遭難の含みがあるということです。

パーティ登山は突き詰めると、そのパーティのリーダーの登山判断が自分と同じである必要がある、ということですね。


No comments:

Post a Comment