Sunday, November 17, 2013

貧困なる精神のお山事情

■ 奪い合いの精神

昨日『バーティカルリミット』という映画を見たから、思い出したんだが…野沢温泉のオバちゃん。

k2での遭難劇、バーティカルリミットには、野心的登山家が出てきます。

嵐の予報が入っても突進。で、問題提起は、クレバスに墜ちた後。生き残りは時間との闘いという設定です。

 ・死にかけている仲間に抗生物質と思しき注射を打つか打たないか
 ・その抗生物質は量が限られており、全員には行き渡らない

です。これは、問題が切迫していて限定的になっているだけで、実は世界が抱える食料問題と同じで

 ・飢えで死にかけている国々に食べ物の供給を行うか行わないか
 ・食料は量が限られている (と思われている)

と問題の形としては相似形です。

選択肢は2つあり、
         
         1)分かち合う=今十分にある側には不足が起こる。
         2)分かち合わない=言葉にするにはえげつなさすぎる結果

言うまでもなく、現代世界は、2)の利己的なほうの選択肢を取り、非分かち合いの選択をしているわけなんですが(汗)

で 『バーティカルリミット』の悪役は、もちろん、自分が生き残るために抗生物質を節約するため、
死にかけている仲間を殺します(殺さなくても時間の問題で死ぬのに)。

■ 野沢温泉での出来事

先日野沢温泉であったこと。

13ある共同浴場の一つ。入ったら、すでにおばちゃん3人組、外国人の女性一人が入浴中でした。

私は5人目。

掛け湯をしようとすると…洗い桶がない。 外国人の女性が髪を洗うために二つ使っており、おばちゃん達は既に湯船に入っている。そこでおばちゃんたちに声を掛けました。

私: 「洗い桶、ちょっと借りますね~」

    おばちゃんたちなんて言ったと思います?

おばちゃんたち: 「え~!私たち3人で一人いっこ!」

    と言ったんですよ~? 湯船に入っていて、洗い桶、使っていないのに。

私:「でも掛け湯もできないんですけど…」

おばちゃんたち: 憮然

この世代の人たちの中に流れる精神は、”奪い合い”であり、”早い者勝ち”であり・・・(汗)

なんだか 『バーティカルリミット』の悪役と同じ精神構造なんですよねぇ…(トホホ)

まあ規模が小さいのが小市民的ですみません(笑) たかだか洗い桶・・・でも、この事件ってこの世代の人の精神構造を象徴しているような出来事だと思います。

私はひどい例では、お通夜でお布団の取り合いに遭遇したことがあります(汗)。成人した子供がいる立派なご婦人に「こういう時は早い者勝ちよ!」と言われました。アリエナイ・・・

映画では、この悪役の強欲のために、パーティ全員の命が危険にさらされるんですが、現実社会でも同じ構造にならないでしょうか?

たとえば食品偽装なんかは一人のエゴのために皆の命が危険にさらされる構造としては同じにならないでしょうか?

普通に登山でも起きている現実としては、高山病の症状が出てしまった仲間を平気で見捨てて、山頂に行く中高年グループはホント普通にいます。

■ 人がいない山に行きたい

私が人がいない山に行きたいのは、突き詰めて考えると・・・こういう人々にそもそも出会いたくないから、なんですよね。

山小屋での布団の奪い合い(椅子取りゲーム)とか・・・

まぁ都会でも、私は電車が来ても真っ先に空いている席に向けてダッシュするタイプではなく、吊革につかまってルルベ(爪先立ち)しているタイプでした。

日本の悲しい現状は、こういう”我先に”精神で、政治が動き、物事が決まって行っていないか?ということです。

平たく言うと私利私欲と利権。

■ キリストのパンの話 五つのパンと二匹の魚

ジーザスクライストの行った奇跡の話です。要するに全員に行き渡る十分な食べ物がない。

伝えられるところでは、「キリストの奇跡により全員に行き渡り、満足した」とされていますが、どうしたのか?というタネあかしを聞いたことがあります。

それは、奇跡によって増えたのは食物ではなく、愛と分かち合いの精神の方なんでした…、

つまり、単純に、誰もが譲り合った結果、誰も食べるものがおらず、病人と子供に回ったという話です。そしてその行為にすべての者が心から充足したために満足した、とのちに伝えられることになります。

ダビンチの絵で有名すぎる、最後の晩餐。最後の晩餐で食べられるパンとワインは、分かち合うことの重要さを思い起こすための儀式なんですが、「これは私の肉であり、血である」のほうが有名になりすぎ、肝心かなめの”分かち合い”のところはあんまり強調されることがありません。

私がアメリカでベビーシッターをしていたとき、子供と言うのは誰もが利己的なものですが、おもちゃを友達に貸してあげない子にはかなり熱心に”シェア”することを叩き込まれていました。アメリカでは子供は”シェアシェア”と親に口うるさく言われます。

そんなことを思い出す、現代の日本のお山事情… 

団塊の世代の方々は、アメリカ文化に染まった時代の方々ですが・・・いったい何をアメリカから輸入しちゃったんでしょう・・・(ため息)

同じアメリカ由来でも、”不屈の精神”ではなく、”貧困なる精神”の場になっているような気がしないでもないんですよね。

アメリカからの精神汚染を嘆く前に、間違ったものを輸入したんではないか? と思わずにはいられないお山事情です。




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