Thursday, October 31, 2013

山を下りても偉大な人

今日は長谷川恒夫さんの「生き抜くことは冒険だよ」をぼちぼち読んでいました。

長谷川恒夫さんと言えば、私のように山初心者でも、ん?という感じにどこかで聞き覚えが…な感じの人で、元祖山男!というイメージを作り上げた張本人なのでは?な方です。

一般登山者からしたら、なんだか絵空事のようなナンガパルバットやら、ほにゃららやらの高所登山で、まさにいわゆる”アルパインクライミング!” ベースキャンプと無線で交信して「こちらBC1、どうぞ」な感じとでも言ったらいいでしょうか?

で、読んでいて思ったのですが、こういう有名になった偉大な岳人と普通の岳人の差と言うものは、肉体的にはほとんどないのではないかと…。

私はもちろん自分を蚊帳の外に置いて、の話ですが(^^;)。

山小屋で屈強で体力がある若い男性などと話をするとそう思います。

昨今の山の地図のコースタイムは、(たぶん)長らく続いている中高年ブームを反映して、ゆとりがある時間が設定しあるらしく、もう立派な中高年の私でもコースタイム余りまくりで、8割くらいで登ってしまいますが、それでもやっぱり”健脚”と”一般登山者”の差は大きい。(私は一般登山者の側です。40代の標準的な体力です)

ところが若い男性に関して言えば(もしかすると壮年期くらいまで男性は体力維持に努めれば、そうなのかも?)”健脚者”はそんなに珍しい存在ではないです。

私は山で一人の時は結構オジサンが歩いてくれたりするのですが、50~60代でもみんな健脚。私より当然強い。(けど、私に合わせてくれるんで悪いです…いつもスミマセン(笑))

ので、肉体的能力だけを取り出してみると、8000m級に行く能力がある人は、もしかしてそんなに稀有なことはないのではないかと・・・。もちろん、定年になって山を再開しました、というタイプの人を除くです・・・つまり昔からちゃんと山をやっていて、基礎的な体力が向上した人。まかり間違っても日ごろ運動習慣がないメタボのパパが30年分の体力を撤回して、ではありませんよ・・・。そういう人が体力を撤回するのはホントに至難の業です。私のレッスンにも男性の常連の方がいますが、普通のところで息が上がります。メンテナンスの差はとても大きいのです。

だって・・・イモトだって行ってますしね(笑)。 

とすると、偉大な人と凡人の差は肉体能力ではない訳ですよね? 私は運が良い、とするのも少し違うのではないかと最近は考えています。

「生き抜くことは冒険だよ」というタイトルが示す如く、それはひとつのマインドセット(心の在り方)なのではないかと…。

・周囲の環境のせいにしない
・変化を待つのではなく、自らが変化そのものとなる
・チャンスを恐れずに掴む
・出来ない言い訳ではなく、出来るためには何をすべきかを問う

これは登山をしていたら学べるものではありますが、でも、もしかしたら、登山をして学ぶのではなく、元々こうした資質がある人が、登山に巡り合ってしまったら、うーんと遠くに行ってしまえる、という事なのかもしれません。

そんなことを考えた今日でした。

登山だけができてもそこから人生を変えていける人と行けない人とでは、何が違うのだろうか・・・

山を下りたらただの人と山を下りても偉大な人の差は・・・


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