Monday, December 17, 2012

北横岳・・・山の強さと人の弱さ


■ 同じものを見ても、違う姿が見えるってこと・・・

今日はとても幸せな日でした☆

理解されるというのは本当に安心できるものですね。

前日に強く周囲の人との世界観の違いを感じたので、余計に今日は世界観が同じであることを
感じて、安堵したのかもしれません。

私と同じように都会から移住してきた友人との山を散策して、母なる自然から感じることをお互いに話し合いました。

昨今の山ブーム…私はその山ブームの流れに含まれる一滴の流れなのかどうか分かりませんが、古くからの山ヤさんから見たらきっとそうでしょう・・・。

都会からは遠い”自然”。自然に触れることに大きな価値を見出しています。

なぜなら、自然から人間行動の過ちを学ぶからです。

山に登る。山頂では風が強い。

もしこの大地に山が無ければ、どうなってしまうのだろうと想いを馳せる・・・この風は、山岳地帯が
あればこそ、そこに雪を降らせる。山が無ければ、ただのっぺらぼうの大地の上を猛烈なスピードで駆け抜けるのだろう…。

そこは人が住める大地なのだろうか?そのとき私は立っていられるのだろうか? 

この太平洋の西の端のちょっぴりだけ残された大地に人が立っていられる、それだけのことでさえ
そこに山があるおかげなのではないだろうか? 

多くの人が嫌う険しい大地・・・その険しい大地の隙間に張り付くようにして住んでいる人間たち・・・
厳しい自然とそこに済む野生動物・・・住まわせてもらっているのは一体どっちなんだろう?

もし、山が無ければ雪も降らず、したがって沢も無く、したがって河川もなく、そして人はそんな
場所で生きられるか?生きられないだろう。であるならば、今、私がこの山頂に立てるということは
やっぱり山のおかげではないのだろうか?

今日は3日前の寒気の中の快晴の時とは打って変わって、暖気により一旦解けて固まった雪で、
まるで冷凍庫の霜のようにツルツルでした。

連れて行った友人は雪の山が初めてだったので、雪用長靴。 今日のコチンコチンの雪では
ちょっと歩きづらかったかもしれません。

けれどもたっぷりの雪の中に埋もれて、ウエアに守られながら、2人でパンをかじりました。おいしいね。

自民党圧勝のニュースには、2人とも、とても落胆していました。

なぜまた同じ過ちを犯そうというのか? あれだけの災害から人は何も学ばなかったのか?

人は自然の一部に過ぎない。人には自然が必要だけれども、自然には人は必要ではない。

ありとあらゆる瑣末なことに、一喜一憂するのは人の定め。それが肉体と言う二元性の世界に住む人間としての勤めなのだ・・・すべての人が平等に持つカルマ。人はカルマにおいて平等なのだ。

翻弄され、打ちのめされ、喜び、決して、思い通りに行くことはない。けれどもそれが一体何なのだろう…?思い通りに行かない中を歩くこと、そしてそのことを憂うこと、そのものが人間性なのだ。

山は山。いつも同じ山なんだから…低気圧が来ても高気圧が来ても、同じ場所。

それを快晴と言って喜んだり、曇りだといって残念がっていたりするのは人間側の感受性に過ぎない。

いつも変わらぬ山に強さという本質を学びたいと思った今日でした。













これは帰りに寄ったお蕎麦屋さんで。大変おいしいそばでした。定番化決定です。

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