Thursday, March 15, 2012

目標をブレークダウンする力

■ 3Kじゃない山の登りかた

山岳部出身ですっていうような本格山屋さんの冬山デビューはすごい。

いきなり、厳冬期 赤岳~天狗岳縦走、それもまじめにバス道から歩いてテント泊とか(^^;)。

2011年に「夏沢から歩いてきました」なんていう学生パーティに黒百合平で会ったのだがみんな疲れて無口。私たちが素晴らしいと思って楽しんでいる山景色も見飽きた風だった。凍傷になってしまったりと、それでは楽しいはずも無いよね…。

同じ場所にいるのに 一方はお気楽登山で、一方は凍傷。

しかしだ。

もしかして、山がいわゆる3K。キツイ、汚い、危険で、つまり よーするに楽しくない、ということになってどんどん人が離れていったのは、そういう登りかたをしていたからなんじゃないか?

若者離れ…といわれて久しかった。若者だって3Kは、実は厭だったのだ。ホントのところは。

ということは、山に人々が帰ってきたのは、そういう登り方じゃない、新しい登り方を発見したからなんだろう。


■ 低い山だっていいじゃないか

それは、中高年が最初に発見したのだろう。

「私が登っておりますのは、丘ですのよ、丘。おほほ」なんておば様方が開拓してくれたのは、山を楽しむ登りかた。 それが発見できたのは、実は発見する必要があったからだ。それは老いに伴うスローダウン。

人は誰しも老いる。体力は下降線を描く。その不可抗力が、高くて難しい山に体力勝負で登り、山頂にタッチしてダッシュで帰ってくるという3Kスタイルを変えさせた。

だから老いは良いことだったのだ。なまじ若くないからこそ楽しむことを発見できたのだから。

価値観の転換。

本質的には、よくよく考えてみると、別に体力低下という後押しが無くても、3K登山においても、実は、少なくとも、キツイ、汚い、の2つの点は自由に選択可能なことだった。

単に、スピードや山頂をあきらめたらよかったのだ。そこにプライドをかけ、競争するからツラくなる。

逆に言えば、標高で端的に表現される山のすごさを競いあわなければ、スピードなんて必要なく、キツイは簡単に削除される。汚いのは装備が充分であれば良い。

残るは危険、だが、山はどうしたって危険で、どうにも回避できないが、そんなことを言ったら、町中だって危険だらけだ。

というわけでココ数十年の登山ブームで起こっていたのは静かな価値観の転換だったのだろう。

というわけで、登山というプロセスそのものを楽しむ山登りは日本人が精神的に健康になってきたことをも、端的に示している。 

俺はすごいんだぞー!と山頂で叫ぶ必要がない人が増えたのは喜ばしい(笑)

■ 入門以前のカリキュラムを組む力




そこで中高年が開拓した新しい山の登りかたで若い人も登るようになった。楽しむ山。 




で、そこには大量の初心者が列を成している。




この人たちは若い。でも、昔の山岳部の大学生の新人に登らせるようなつもりで昨今の山初心者を山へ連れて行くと挫折必至だ。

というのも、成長期にない普通の人にとっては、例えば、赤岳~天狗縦走は、冬山入門ではない。


ほとんどの山雑誌には赤岳は入門とある。が、滑落して死ぬことが出来る場所が入門なわけがないじゃないか?それはロープをもったちゃんとしたパーティにとって入門なのだ。決して一般の個人登山者じゃない。


たぶん、初心者の個人登山者はそこで、問題をリアリスティックにブレークダウンする能力を問われる。


危険を回避するには、まずは危険といわれる対象を知らなくてはならない。となると雪山に入りたければ、雪山を安全に知らねばならない。というわけで、GWあたりの残雪期に雪を踏んで、次は大雪が降った日の低山、それから、整備が行き届いた登山道…となるわけだ。

初心者であればあるほど、危険箇所を通り過ぎるのに、一か八かは許されない。

初心者ほどとロープが必要であれば、ロープが必要な場所はゴールに近い目標であって決して入門ではない。

そこのところはどうも今の山の雑誌では見落とされているようだ。いとも簡単に入門赤岳(汗)。

だから、結局のところ、自分で自分をどう雪山に登らせるか、入門以前をさらにブレークダウンする力を問われるのは、ど素人だ。

でもこのブレークダウンは、たぶんプロにはとても難しい。山雑誌は基本的にプロを読者にしてきたため、この指南を行える人は実質確立されていない。

つまり、一番アドバイスが必要な人には専門家のアドバイスは構造的に届かない仕組みになっている。

だから、結局はツアーにならざるを得ないわけだが、魚釣りの方法を教えてもらいたいのに、魚をもらうことにしかならない。


ガイドさん個人に知識は蓄積していてまったく共有されていない知識なのかもしれない。

この辺りはエアポケットになってしまっているのだ。


■ 成長期のメソッドではダメ 

大人になると、雪山に限らず、そういう風に入門以前を小さな課題に自分でブレークダウンする力が重要だ。


これと似たことは、別の分野でも見られ、例えばバレエも同じだ。


普通バレエを教えることになる人(先生)は、大人の初心者にも子供の初心者と同じ要求をしてしまう。

だから、「なんでこんなこともできないのッ!」といらだつ。

それは自分が辿ってきた道を相手にも辿らせようとするからだ。でも、現実は、本来スタート地点でしかないことが、大人にとってはゴール(汗)。


例えば、バレエではポアントワーク。ポアントはそれを履くことが許されるだけで、大人は数年はかかる。

条件が良くて3年。子供から学んでいるダンサーにとってはポアントは履けなきゃ話にならない。一回で履きつぶす人がいるくらいのただ道具でしかない。ポアントがはけない=ダンサー生命終わり。


ま、そういう価値観である限り、大人の場合は最初から終わっているってわけだ(笑)。この価値観を転換できない限り…、先生になった人が、大人にバレエを教える意義を見いだせなくても仕方ないだろう。


でもそれは「お話にならない」なんてことではない。趣味なんだから、楽しむことが目的なのだから。登ろうとしている山が違う。

なのに、教える側が”栄光”のために、きつくてツライを我慢するという古い山にガイドしているだけだ。

あるいはもっと一般的なところで、運動不足解消の運動なども、多くの人は思い立ったら、成長期にやっていたような、ひらたく言えば無理な運動法をやってしまう。毎日10km走る。クタクタになるまで鍛え、疲れたら、たくさん栄養を取って休む。

これは体が成長する成長期のメソッド。これをそのまま身体的能力が下降線を描いているカラダに無理強いする。すると、成長期のメソッドでは、大人のカラダは、以前より不健康になってしまうのだ。


むしろ、緩やかな運動で日常の疲れを取り、しんどくない程度、例えば心拍数が120~140くらい(個人差あり)

を一定時間続ける運動で体力を維持する、そんな運動法へ転換したほうが実はカラダはよく反応する。


ところが多くの人は昔やったことと同じことをして怪我をしてしまい、歳をとったと落ち込む。

歳なんて誰でも取るんだから、落ち込んだって仕方ない。

勝者が一人しかいない頂点を目指すピラミッド型の価値観から、だれもがそれぞれの目標にマイペースで取り組んでいるバザールな世界への転換がやっぱり遅れているんだな…。伽藍からバザールへの転換が。





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