Friday, July 24, 2015

主体性をはぐくむ活動をしたい

■パートナー問題

ロープが出る山は、パートナーが必要、という問題があります。

私は煩わしい問題がないので、女性と組みたいと、いつも思うのですが、女性比率は9:1ですので、やっぱり男性が多いですし、初心者のうちはよく落ちるので、”落ちれるパートナー”、つまり墜落を止めてくれると信頼できる、安心できるパートナーが必要になります。それは、必然的にベテランということになってしまいます。そうなると、さらに女性は少なくなります。

私は夫を信頼していますが、長年連れ添っているけれどクライミングは全く白紙の夫のビレイより、見知らぬベテランのビレイの方が、数万倍、信頼できます。それは仕方ない。

私としては、同レベルの人と、互いに落ちれないビレイで、切磋琢磨する、というのも、大事なことだと思うのですが、ビレイの重要性を理解してくれていない人が多いので、現実を見ると、ベテランしか頼る相手がいなくなります。

■ 問題点 

で、男性のパートナーの場合、私がもっとも問題点と感じているのは、ずばり

 ・浮気願望
 ・結婚生活の愚痴
 ・子供がいて大変だという愚痴
 ・子供がいない女性に対する蔑視

です。

私は、都市部の大阪で、主たる大人時代を過ごしてから、地方都市である山梨に来たのですが、山梨って、みなさんお盛んというか・・・都会より、大人の恋愛に寛容な土地柄のようです。

なんだか、

 ・女性のお尻を叩いて、よぉ!元気か?というおじさんや、
 ・浮気したいと言ってくるおじさんや、
 ・酔ってもいないのに、絡んでくるおじさん

が多い・・・なんだ?なんだ?ここは50年前の日本か?!・・・という感じで、ビックリ仰天。

これは女性の友達に確認したら、やっぱり同じことを思うそうです。

というわけで、パートナーに求める資質は、まず第一に

 結婚生活に不満を感じていて、それをだれか他の人で補おうと思っていない人

です(笑)。 別に未婚でも、既婚でもいいのですが、浮気したい人は勘弁です。女性は誰でもそうだと思います。

■ 子供

私は、大変忙しい子供時代を過ごしました。家事と役員などの外での役割に追われる生活でした。

子供時代に、

 ワクワクすること

 自分が心から楽しいと思えること

の経験を積む時間がほとんどありませんでした。ですから、私が同情するのは、大人ではなく、むしろ子供です。

子供たちには私が過ごしたような子供時代を過ごしては欲しくないと思います。

そのため、子供に、ワクワクすることや冒険を教える活動は、社会的に意義のある、重要な活動だなと思っています。

■ 女性にも冒険を

そして、もう一つ大事だと思うのは

 女性にも冒険が必要だ

ということです。 私は、20代の若い女性である間、一人暮らしを長くしていたのですが、女性には冒険しようにも、性犯罪のリスクが大きい社会です。

父親でもある男性たちは、若い女性がどのような現実に晒されるのか、その実態を知らないのだろうと思いますが、若い女性に対する、軽微な性犯罪(痴漢や露出狂、ストーキング、酒に酔って絡む、上司からのセクハラ)は、はっきり言って、10人並みの容姿の人でも、10本の手に余るほどの経験が、20歳を過ぎるまでに経験できてしまうのではないでしょうか・・・。大人の男の性の対象として目に入れられてしまうのは、大体14歳ぐらいからです。個人的経験でもそうですし、家庭教師をしたりしてティーンと接してもそうです。子供は無防備に助べえの目にされされています。

それは、いいお尻しているね、程度のことでも、若い女性にとっては、脅威と感じるでしょう。美人だね、も同様です。

美人だと声を掛けられた女性は、メイクアップを控えるようになるでしょう。お尻を叩かれた女性はぴったりしたズボンを履かなくなるでしょう。

なにしろ、女性の側には自分を守る手段が限られていますから。君子危うきに近寄らず、です。

例えば、登山では、富士見平小屋で単独女性が殺害された事件が有名です。

そうした社会の現実が、基本的には、若い女性を冒険から遠ざける要素になっています。

そういうハンデはあっても、人間には、みな冒険が必要なような気がします。

実際、生きるということ自体も冒険続き。冒険とは、シビアは判断をする、という意味です。

 自分で判断する、ということ、

 その判断に責任を持つということ

を覚えることができるのは、冒険において、です。ですから、女性にも、冒険は必要だな~と思います。

嘘偽りのない自分の決断を生きる、ということは一つの冒険ですが、人の幸福には決定的に大事な気がします。

■ 幸不幸の条件

こうしたことを逆に言うと、子供がいて不幸だと嘆く人は、子供を持つことに対して、主体的な判断を放棄していた、ということの裏返しなのかもしれません。

子供の有無を、幸・不幸の条件にしてしまうのは、地位や名声、経済的豊かさを幸・不幸の条件にしてしまうのと、同じ考え方のようです。

 幸不幸の条件は自分で決めるもので、人に決めてもらうものではない

です。ただ、都会では受け入れられている考え方も、一般的でない地域もあります。ちょっと面白いサイトがあったので、子供を持つことの是と否を、そのサイトからまとめてみました。

Pro
・不妊治療してまでほしくない
・「産んでいれば良かった」と後悔する方が「産まなければ良かった」と後悔するよりずっといい
・自分の不良コピーはいらない
・人生は一人が基本
・大人なら一人で泣かずに生きれるようになろう
・夫婦だけの絆を深めていける
・二人だけで結婚生活を維持できているのは、絆がないとできない
・子供がいなきゃ離婚するような関係ならさっさと別れればいい
・産んで後悔している
・表面に出てこないのをいいことに「産んだら変わる」を主張するのは間違い
・「貴重な自分の人生を無駄にした」としか思えない
・毒親を持った
・代々続く旧家の娘で、跡取りや家柄の価値観を押し付けられたため、家柄の重圧が、自分の子供にも加わることを恐れた

Con
・かわいい
・配偶者に先立たれ、自分が病気になったとき天涯孤独二ならずに済む
・死ぬまで『産まなゃ良かった』と思い続ける人は稀なのでは
・子供を産まない人間は当然、育児の楽しみや苦労で経験値を増やすことはできない
・こんな素晴らしい体験が出来ないなんて
・産みの母に虐待されて育って来たので悩みましたが今は子供を持ち幸せ

Facts
・子供ができると夫との関係は大きく変わった
・「産まなくて後悔している」「産んでよかったと思う」とは声高に主張できるが、「産んで後悔している」「産まなきゃよかった」とはまず言えない
・「悩むなら産んでから言え」という無責任な意見に押し切られて産んだ
・「産まなくて後悔」と言う人は元々悩みや後悔が多い中の1つとしてあげる方が多数。留学しとけばよかったとか、親孝行しておけばよかったとかと同列

・子供を抱えて苦労している方ほど、子供のいない人間は楽をしてると嫌味を言う場合が多い

・そもそも結婚もできない
・自分の生活だけで精一杯 月15万の収入でこの先賃金が上がる見込みもない
・何十年も収入を維持していける自信がない

・人は自分と違う生き方をする者を自分と同じ境遇に引きずり込みたがる

・子供を愛せたほうがいいにきまってるけど、それは 産んでみなきゃ分からない

・子供がいるけど、子供が将来、自分の世話をすることは期待できない
・母子関係は人生の一部に過ぎない
・子供を持たない選択をして、そのリスクを被るのは女性側
・どっちを選択しても後悔しない
・借金・不倫・嫁姑が原因で別れた夫婦は何組もいるが、子供がいないのを理由に別れた人はいない
・子どもには親を選ぶ機会など与えられることなく、生まれてくる
・老後は子供や家族がいる場合の方が辛い状況になる場合が多い
・愛=家庭ではない

うーん、これを見る限りでは、子供を持つ理由は

 老後の不安?

でも、周囲を見ている限り、老後は子供がいてもいなくても同じみたいですが・・・。

子供の有無より、本人が愛されるキャラでない、ということのほうが孤独に関しては問題なのかも?

どちらにしても、

 決断に対する主体性

が幸不幸の分かれ目だと分かります。

 主体性のない選択をすると、愚痴と他者への嫉妬に彩られることになるのでは?

となると、

 主体性をはぐくむ活動が、やはり重要だ

と分かります。

■ 毒親

こんな言葉があるとは知りませんでしたが、あるのですね!

毒親の特徴

  「苦労して育ててやったから感謝しろ」

  「子育てに要した費用全額返せ」

ひえ~。子育てが大変だ、大変だとぼやいている父親というものは、この定義によると、つまり毒親なのでは?!

でも、子供に限らず、誰だって、もらっていない恩は返したくないのでは?

■ 結局は嫉妬が問題なのでは?

主体性の無い判断をしてきた人は、そのために自分自身が満たされず、そのため、満たされている人を嫉妬する

ということなのでは・・・?と思えます。

では、根本的解決は??? 主体的決断です。

つまり、きちんと冒険と言える活動をする中で、決断に対する責任を取る経験を積む、ということです。 

幸せな人への嫉妬でいっぱいの人も納得できるのではないか?と思える言葉は

 人は誰でも幸せの容量は同じだ

かもしれません。トータル一緒だと思えば、嫉妬もわかないかも?

しかし、現実的になると、

 誰かが幸せになったところで、自分が不幸になることはない

のですから、他者の幸せを嫉妬する必要は、こんな言葉がなくても、そもそも必要ありません。

でも、ま、人間は感情の動物ですから、溜飲を下げる必要はありますよね。

■ パートナー

・・・ということで、パートナー問題に戻りますと・・・やはり、ザイルパートナーが満たすことができる、相手への精神的ニーズは、

 山ヤとしての尊敬

つまり、友情であって、愛情=妻の代わり、ではないでしょう。ということで

結論:

  山ヤとして尊敬できない人と組むのは、たぶん、ちっと無理

です。






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