Sunday, May 24, 2015

知名の成功者、無名の成功者

昨日と今日は二日連続で人の集まる場所に出かけた。

■ 成功とは何だろうか?

登山はいつだって人生の縮図であることが登山の魅力だ。

しかし、登山の成功は置かれた状況により異なる

登山を知らない人が感じるように、単純なる”登頂”は、登山の成功ではない。

一般に、登山が昂ずれば昂ずるほど、”下山”がむしろ登りより難しいことを皆知るようになるし、難しい登山にステップアップすればするほど、成否の7割が計画そのものにかかることになる。計画の優劣はそのまま成否となる。

一般登山は、コンディションが良ければ、登頂して、下山で、コケずに帰れたら成功だ。それでも、しかし、嵐に見舞われたら、天候からさっさと逃げ帰ってくることが成功になる。

■ 雷

2年ほど前のこと、不本意な入山時間で登らなくてはいけなかった。6時間の標準コースタイム、私は4時間半で登れる尾根だ。午後は悪天候の予報が出ている日で、お昼過ぎには到着しているつもりだった。8時には用意ができたいたが一緒に連れて行って欲しいと言われて、9時になった。

連れて行くのは大学生の初心者の女の子他、2名。揃ってみると、あまり山に登った経験がないことは一目瞭然。一緒に歩くと、歩き方も、たどたどしく、高度感があるところは怖いようだったので、一部スリングを出して確保。第一、歩くのは、初心者向けとは到底言えないルートだった。結局、6時間のコースタイム通りかかったが、早く歩け、とは、あぶないし言えない。

当然、最後のほうは雷雲につかまった。その時点で、この登山の成功は、雷に打たれさえしなかったら、成功となった(^^;)。

稲妻も見えるし、夏の雷だけは運次第。頭の中には、松本深志高校の落雷遭難のことが駆け巡り、河になって流れる登山道の水を避けて歩くよう、指示したほどだ。ずぶぬれで、なんとか安全地帯に着いたときは、気分は命からがら”生還した”という気分だった…(笑)。向かえてくれた人もホッとした顔だったから、かなりヤバかったのだろう。登山のひとつの”成功”の形だ。

■ 状況

人生においても、人はあらがえない状況に置かれるのと登山は似ている。自分がコントロールできることとできないことを峻別するのは大事なことだ。

人は親を選べない。たとえどんなに立派そうに見える親でも、どんな人も生い立ちに不服や不満を持たない人はいない。そしてトラウマと言うような心の傷を抱えていない人には、一人として会ったことがない。

・・・だとしたら、家庭内暴力や貧困の被害者ではなくても、大人になった時に、生い立ちのトラウマを断ち切って、暮らすことができていれば、それはひとつの成功のあり方と言えるのではないかと思う。

良きも悪しきも、生い立ちに影響・限定された生き方をしていないこと、は一つの成功の姿、目安と言えると思う。

■ 人のせいにする習慣を直すことができる登山

子供時代を20年と仮定すると、それより長い30年や40年という時間を、理想的でなかった子供時代を恨めしがって過ごすと、さすがに親はもう責めれないため、世の中を責めはじめる。

「出来ない人は言い訳を探し、できる人は方法を探す」と良く言われる。

だから、苦言を言えば、デキない言い訳を羅列している人は、そういう人間になってしまっていること、が一つの失敗の事例だ。子供は「そういう大人にはなりたくないな」と思わさせられるだろう。

だから、子供がこうなりたい、と思える楽しそうに生きている大人が目に見える形で存在することはそれだけで社会貢献だ。

登山でも人の世でも、起きてしまったことは覆しようがない。雨や風を嘆いても、雨や風がやむわけではない。足が痛くても降りるしかない。

ので、とにかく次善の策を探す。

登山に適正がない人は、常に次の行動を見て、次善の策を探すと言うことができない。判断は次から次に訪れ、ほとんどの困難は連続的なので予想ができることだが、予想をしないため、案の定、ピンチに陥る。

一方、安全だけを求める人も、登山に適正がなく、100%の安全が欲しい人は家でじっとしている方が良い。山になんか行かないほうが良い。

かといって、逆に危険を求めすぎたり、目標達成への執着がすぎると、退却するべき時を見誤る。

主役は山であって、人間でない。

そうしたものは、すべてバランスで、バランス感覚が適正であることが、その登山者の成熟度、熟達度と思える。

ほとんどの遭難は、そのバランスを欠いた、ヒューマンエラーで、転滑落さえも本来は防げたはずの事故だ。不注意や実力不足。計画段階でバランス感覚の欠如は大体垣間見える。たぶん、このことを登山のセンスがある、ないとベテランは言っているように思う。

登山は一つの山行だけを見ても、その人の生き方が分かるし、山行履歴を見れば、どういう生き方をしてきたのか?が良く表れる。

(言っていること)と(やっていること)が、同一である人は少ない。

しかし、同一であれば、かならず、それは、その人の内在的な自信になる。だから、言動を一致させることは、自分自身を成功者とするために大事なことだ。

■ 知名の成功者

今日は花谷泰広さんの講演会だった。一つも特殊なことは言っていない。

 1) 下調べをする (天気、山の状況ヤマレコ、危険個所、装備)
 2) 山に元気をもらいに行かない 山には元気な時に行く
 3) 黙って山にいかない
 4) 山の危険を優先する ”せっかく来たから”はNGワード
 5) 山の基本は歩行 上を向いて歩く
 6) 判断に根拠を持つ
 7) ”勇気ある撤退”はない 退路を断たない
 8) 3歩歩いて2歩退く
 9) 技術≒技能
 10) 防御力を持つ

成功の一つの目安は、周囲の人が、その人が行っていることに耳を傾ける、ということだ。彼の言っていることに、もちろん過去も周囲の人は耳を傾けてきただろう。しかし、ピオレドール賞を取ったことでさらに耳を傾ける人は増えただろう。

一方 多くの無名の人々の中にも、多くの成功者は、存在するのだと昨日は確信した。そうした人々は、耳目は集めないが、その必要自体がないのだろうと思った。

ある人に取っては、耳目の注目を必要としなくなったときこそが真の成功と言えるのかもしれないし、ある人に取っては、耳目の注目は、あらたな試練であるのかもしれない。

知名にせよ、無名にせよ、その根拠となる成功は、登山とまったく同じく、当人が自ら知るところにあるものなのだろう、と思った。


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