Monday, June 2, 2014

市民ハイキング

週末は、久しぶりに2日連続の山でした。

最近、体力勝負の山はあまりしておらず、二日連続も久しぶりなので、ちょっと核心部が来た感がありました。

が、やってみたら思ったより、体力的に大変ではありませんでした。

富士山が思ったより消耗しなかったことと、翌日のハイキングで夕食が外食だったのが勝算ですね~。

■ 市民ハイキング

昨日は、市が主催している市民バスハイクという山行に行っていました。この山行は市の委託で山岳会が代理主催しています。

正直なところ、私は、団体ツアーはキライがどころか大嫌いなので、大型バスで乗り付ける山行にはあまり乗り気ではありませんでした。 でも、行ってみたら、想像より悪くなかった。

あの山小屋で大迷惑な自己中心的で横暴な人々は一体どういう人種の集まりなのでしょう・・・

私は自然環境を破壊するくらいなら、人間は山に行かなくてもいいと思っているのです。

念のため断っておきますが、私には20代でアルツハイマーの老人を介護した経験もあり、一般的にはまだ親元で過ごすような年齢で祖母の仕送りも経験し、決して弱者切り捨ての発想をするタイプではありません。

私が嫌いなのは、弱者のフリをして、本当は弱者でない人が、弱者の権利を振りかざして行う、実は自己中心的な主張に屈することです。たとえば、国の大型プロジェクトがあると、必ず土地成金ができますが、そういう人は地元の復興にプロジェクトが必須だと必ず言います。が、土地を持っている時点で、どこが弱者に入るのでしょう?弱者とは、このままでは先祖の土地を手放さなければならなくなるのではないかと経済環境を心配する人のことではなく、一週間先の食べるものに困るような人のことだと思います。なので、要するに主張は自分が得をしたい、自分さえよければ後のことはどうでもいい、という自己中心的思想ですよね?それを地元の復興などにすり替えています。根本の思想は、棚から牡丹餅、努力せず益を得よう、というものです。

まぁ、話が逸れましたが、私の山に対する基本的な姿勢は

・自然を破壊しないのが大事。

ですので、一度に10人以上の人が山中に入る団体ツアーには反対です。

しかし、一方で、市民のハイキングは行われるべき。こうした催しがないと、一歩も外に出ることがない、高齢者もいます。生活としてはかなり不健康です。

そして、そういうハイキングに募集があれば、100人の老人が集まる。それだけの規模の人口とニーズがあるということなのです。

そして、行うのであれば、営利目的で、山を知らず、山を愛してもいない人たちが行うよりも、山を愛して、ん十年の山のプロが行うほうが良い。

というわけで、これは基本的には行政が行う市民へのサービスですが、行政がそうしたハイキングを行わないよりは、行った方が人間と自然は良い関係を築けるわけだし、同じ行うならば、営利で行わないほうが良い。

さらに言えば、

・場所の選択 100人が歩いても自然へのインパクトが最小で済むような場所
・行動計画 

など、やはり自然を中心とした価値観を持っている山岳会などの主体者が行う方が、本来の趣旨からも反しない。

本来の趣旨は、

・たまには自然と親しもう

ということだと思いますので。まぁそれに100人もの規模の人数が集まってしまい、大型バス2台になるのが、不自然ではありますが、それが日本社会の現状なのだ、ということです。

それに対して、自然との共存という趣旨に反しない内容のツアーを組み立てるのは、結構チャレンジングで知的に高度な課題ではないか?と思います。

何しろ、登山というのは、人間の側が自然の法則を学んだり、体力をつけたりして、自然、というものに、お近づきになるという行為ですが、そういう人間側の努力や意図がゼロの人を連れて行くわけなのですから。

■ 勝利

このハイキング、私にとっては、高齢者主体の団体ツアーの成功事例です。

何が勝利のポイントか?というと、

・あまり人が来ない静かな山を選ぶ  (団体ツアーの迷惑を最小化)
・行程が短く、アップダウンが小さい (3~4時間程度)
・遊歩道的な登山道           (怪我の予防)
・下山の手段が確保されている    (保険としてロープウェーもある)
・地元ではない場所に行く        (新鮮さ、旅としての要素)
・頻繁に休憩                 (体力的困難を避ける)
・ただ歩くだけ に的を絞る        (登山的な価値観を強要しない)

です。 間違っても、勾配のある富士山に100人で登らない。

無理がない、ということが自然の中では一番大事です。それにはどうするべきか?に自然に対する見識が問われますね。 時期と場所の選択は登山のキモ

が、肝心の”無理がない”の範囲が個人によって大きく違うのが、困った点ですね。

3時間の遊歩道なら、100人いれば、98人にとって無理がない。
5時間の登山道なら、50人にとって無理がない。
7時間の登山道なら、30人にとって無理がない。
10時間なら、10人にとって無理がない。
12時間なら、5人
14時間なら、3人

という具合に、無理がない人の数は、どんどん小さくなります。逆に言えば、3時間の遊歩道なら、誰にでも楽しめるわけです。その上、自然が12時間の山と異なるわけではありません。

登山も慣れてくると、3時間くらいでは、一時間の運転なんて、もったいないな~と思うようになりますが、日中、会社でデスクにかじりついて、陽の光を浴びない生活をしていると、何の運動もしなくても、日光の下にいるだけで人間はくたびれてしまうもの…(紫外線は老化の大ストレス源ですし)

そういう誰にでも楽しめる山も一つの山のスタイルとして確立してもよいのかもしれない、と思い直したハイキングでした。

鉄則は、自然へのローインパクトを考慮する、ことです。

決して人間さえよければ自然を蹂躙して良い、という自己中心の価値観ではなく。

おそらく、山で問題なのは、人間には自然が必要だが、自然には人間は必要ないのだということを忘れ、ただ自分の都合の良いように自然を利用するだけの、傲慢の感性なんでしょうね。

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