Wednesday, January 8, 2014

甲斐駒 2014

■ 一般ルートの最高峰

甲斐駒ケ岳黒戸尾根は、山の素人が一般ルートで培ったピークハントのタクティックス(作戦)で登れる最後の山でした。 今回のヤマレコ。

これから、どんな山に登って行こうかな…と考えを温めています。

そうすると、どうしても優れた登山とはなんだろうか?

そもそも、登山とはなんだろうか?

と考えずにはいられません。

 登山はスポーツではない。
 登山は健康づくりではない。
 登山は宴会するためのものではない。
 登山は登ったことを自慢するためのものではない。
 登山は競うものではない。

自然の中に分け入ることに人間性の回復を感じるのは真実です。

普段の生活では、

 ・ただ温かいお布団で寝れることがそんなにも幸福なことだとか
 ・清潔な水が量の制限なく手に入ることがこんなにもありがたいなことだとか
 ・頭の上に頑丈な屋根があることがこんなにも安心なことだとか

ありがたさを忘れてしまいます。平たく言うと ”今ここにあることの奇跡” を忘れる。

だから、人は自分の人生が不安になった時、「何でもいいよ!生きていたらオッケー!!」と言ってもらうために山に入るんだと思います。

人間の幸福なんて、健康でお腹いっぱい食べれ、温かいお布団で寝れたら、ほんとうはもう他に何にもいらないのです。

それ以上を望むから、人は苦しむ。苦しみはすべて望みが大きすぎるからなのです。

■ 黒戸尾根

5日朝は温かい朝でした。 車のフロントガラスには霜が降りておらず、車を温める必要もなく、5時にすぎに家を出ました。

私の計画では、7時登山口で十分日没前に七丈小屋に入れるので、友人たちを後から追いかける予定でした。七丈小屋までは特に難所はないと思っていたからです。

ただ同行することになる、年上の山の友人が6時に白州道の駅を出るとわざわざ教えてくれていたのは一緒においでという意味かもしれず、とりあえず6時白州を目指しました。

朝の20号線は、走っている車がほとんどいないため、予定より早く5:45には道の駅についてしまいました。まずはトイレ休憩。

そこから並走して、竹宇駒ヶ岳神社の駐車場へ。質素でこじんまりした神社です。身支度をここで済ませ、ヘッドライトの光なしで歩けるようになってから、歩き始めました。

登山道は凍結した枯葉の道。雪がないことに新鮮さを覚えます。それは先日同じ7時間のタフな道でも、標高の高い夜叉神登山口から歩き始める山をしたからですね。

甲斐駒は標高の低いところから自分の足で標高を稼ぐ山です。だから、歩き始めはまだ下界で(笑)、当然雪はない。だからアクセスが楽で通年通える山ともいえます。


ピンクに染まる日向山
吊り橋を渡り、どこにでもある山梨のありふれた里山の森に入ります。この森は山梨の里山の森の、いつもの表情で、私の裏山とも同じです。

けれど、トラバースの道は融解と再凍結を繰り返した平板な氷に枯葉が降り積もった道で、滑りやすい。転んで転倒すると下の尾白川まで転がって行けそうです。冬にずぶぬれになったらそれはもう悲しいですから、決して転倒などせぬよう慎重に脚を運びます。

そんな調子の里山を登って行くと夜が明け、森全体がピンクに染まり、それはやがて強いピンクから柔らかいサーモンピンクに変わり、そしてオレンジに変わり、神は木々が作るバーコード状の影で、紫とピンクのストライプの造形実験をしているかのようです。

紫とピンクの刻々と変わるストライプに魅了されているうちに、笹の平に着きました。ここで休憩一本です。

「ここからアイゼンを履きましょう」

ここからはしっかり雪が付いた道です。私は雪が付いた道でも、アイゼンを履かないで歩けるときは履かないので、まだいいかな、と思いましたが、今回はパーティに便乗している身なので、素直にアイゼン装着。

アイゼンを装着するタイミングというのは、多少経験と知識が要ります。どちらにしてもアイゼンは安全な場所で装着すること。転んでからつけても遅いわけなので。

ずんずんとカラマツの森の中、標高を稼ぎます。 

顔を上げれば鞍掛山が見えた
登山者は経験が浅かったり、いつも人の後ろを歩いていたりすると歩くことだけに集中しすぎ、自分の前の道を見ることを忘れます。

もし一人で歩いていれば、たとえ、トレースの上をなぞるだけの、雪の一般道ではあっても、数メートルおきに顔を上げて、進むべき道を見るでしょう。

テクニカルな言い方では常に10m先を見よ、と言います。そういう事を言わなくても、ただ自分の責任で歩いていれば、人は常に10m先を見ます。

ただ黙々と目の前に足を運ぶことだけに集中して歩けばいい、という歩き方は、まるで「あなたは勉強だけしていればいいのよ」と母親に何もかも任せて勉強だけしている受験生のようです。その受験生は勉強はできるようになりますが、果たしてそれは自分が進学したい大学、進学したい学問へ続く道なのか?

今はとりあえず目の前のことに集中するだけ…という生き方は、努力の方角が間違ってしまうというリスクがある…



思えば、私も顔を上げて数メートル先を見ているつもりでした。結婚、転職、資格取得…でも、いつしか自分らしい道を失い、今自分がどこにいるのかさえ分からなくなっていたのです。それどころか、自分が何者であったのか?も、よくよく考えなければ思い出せなくなっていたのでした。

登山では、足元に集中しつつも広い視野を持ち、その先にあるものに早く気が付いた者のほうが、そうでない登山者より優秀です。

なぜなら、それはつまり危険予知が早いということだからです。顔を上げる習慣は、未来予知の習慣です。

ですから、擦れ違いがあれば、先に気が付いて「こんにちは」と先に声を掛けた方が有能です。いつも目の前に人が来るまで気が付かない人は習慣を改めましょう。

というのは、落石や動物との遭遇にも、気が付かない(気が付けない)恐れがあるからです。山は危険なところだという認識があれば、常に周囲を見渡す癖が付くでしょう。

それだけでなく、顔を上げて歩くと、背中も丸まらず、骨で歩け、美しい景色もみることができます。人間の体は、骨を積んだだけでも自立することができるようになっているので、鉛直のラインを崩さないで歩ければ、使う筋肉の量は最小で済むはずです。

そのことは驚くほど細身のバレエダンサーが2センチほどのつま先の何回も何回もピルエットが回れることから分かります。

標高を上げていくと、黒戸尾根の登山道からは、日向山、鞍掛山、その奥の鋸などが次々と現れます。こうした景色にも早く気が付くことができる。
刃渡り

こうした粛々とした歩きにも飽きたころ、尾根のてっぺんに乗り、刃渡りという鎖場が出てきます。

「ここからはそう飽きないだろう」   そう、その通り。

長いルートというのは、実際は長さではなく、単純に飽きが長さを印象付けるだけだということがあります。

長いルートでも飽きさせず、面白ければ、その長さは長所であり、短所とはならないわけですね。

刃渡りは、ツルネ東稜で通ったナイフリッジのほうが、よほどワイルドでしたので、特に問題なく通過しました。高所恐怖症の夫でも怖くないと思います。








数々の梯子で気が付いたのは、結んであるロープの結びの美しさ、折り目の正しさです。

古いロープでしたが、オーバーハンドノットの結び目がきちんと等間隔でついており、先端はクローブヒッチでした。ロープの張り具合も、強すぎず弱すぎず。ロープの高さもちょうど良い。

私は今回は歩くことに集中するということで、余計なことはすまいと思っていたので、ロープの観察はほどほどにしましたが、美しいフィックスロープの張り方を研究しに、また舞い戻ってもよいかもしれないと思える美しいロープワークでした。










5合目の小屋跡は広い平坦なコルで、近くの岩にはレリーフが入っており、緊急時のビバークにちょうど良さそうな洞がほられています。いくつかテントを張った跡がありました。ここは楽しく遊べそうな場所です。ここまで来てテント泊して帰るだけでも楽しいかもしれません。


レリーフ
























その先にはまた長い吊り橋。そして梯子がたくさん。


梯子を上る時は、前の人が踏み外して落ちてくることを想定して距離を離して登りました。体格が自分より小さい人ならば逆に接近してふらついたら支えるくらいでもいいのかもしれませんが…。ストックは仕舞ったほうが良いかもしれませんね。アイゼンはどうなのでしょうか。つけたまま登りましたが。

たくさんの数えきれない梯子を消化して、平坦な道に入り、まだかしら…と退屈し始めた頃、七丈小屋に到着です。



危険個所

この写真の危険個所でロープを出してクライムダウンした人もヤマレコにいらっしゃいました。鎖でおりれます。ただ怖いのは正しい認識と思います。怖い人はガイドを雇ってまで来ない方がいいのかも。それは山登りという活動ではなく、人がやっていることを自分もしたいという煩悩だと思えます。



■七丈小屋

七丈小屋は、簡素の美がある小屋です。


小屋はプレハブの頑丈そうな作り。入り口のドアは2重になっており、気密性が高そうです。普通、山小屋は木造で立てつけの悪い木製の引き戸が常に空気を流通させているのとは大違いです。

そう、この小屋はまるで礼儀正しくも心を閉ざした、この小屋の主そのもののように気密性が高いのです(笑)

小屋は細部まで整頓されていて、質素ながらも快適さの雰囲気を漂わせており、掃除したての気持ち良い部屋に案内されたときのようです。

端には折り目正しく畳まれた敷布団、掛布団がきっちり積まれています。



南面の窓からは日差しが明るく降り注ぎ、ストーブの上にはこれ以上大きなやかんはない、というくらいの大きなやかんがかかり、お湯はいつでも好きなだけ使えるようになっています。

食事はない小屋と聞いていましたが、4時までに到着すれば出してくれるようです。一度おじさんの手料理を食べてみたいような気もしますね。

私たちは13時の到着で正直なところ、少し早すぎたくらいでした。一時半にはすっかりのんびりモードです。手足を伸ばし、おやつをだし、小屋番さんが出してくれたお汁粉とコーヒーで一服です。

こんな小屋なら、手の込んだ料理などせず、シンプルにお湯で戻すものを食べ、コーヒー豆を持ってきたらいいかもしれません。自分の好きなものを一番おいしく食べる。

この日は休暇の最終日ということもあって、登る人は私たち以外おらず、3人だけで盛り上がって過ごしました。

夕飯は、私は坦々春雨と白ごはん、チーズ、味噌汁。同行パーティはしゃけと厚切りシイタケの入ったみそ風味の鍋にご飯。汁を残し翌朝は餅を入れるのだそうです。私は翌朝はカップヌードルです。
ピオレドール賞を取った山行でもカップヌードルが食料に選ばれたのを見て以来、山の朝は忙しいのでカップヌードルに疑問を抱かなくなりました(笑)

一体何をしゃべっていたんだろう?山の話しかしていないはずですが、ずいぶんたくさんおしゃべりしたような気がします。

お布団は小屋番さんが敷きたいもののようです。作法があるのでしょう。このとき、同行者が「うるさくってすみません」と声を掛けましたが無言でした。通常、無言は「そうだよ、うるさいよ」って意味ですが、この小屋番さんのは分かりません。デフォルトが無言の方なので。

夜は7時半に床に就きました。トイレに外に出ると、甲府の夜景と星が美しく輝いていました。我が家もその光の一つです。夫は今頃、初仕事でしょうか。

小屋の中があまりにも温かいので、夜中に暑くなって着ていた物とソックスを脱いで布団に入りなおしました。






■ 登頂

翌日は5時起床、6時半出発です。人数が少ないので余裕の朝でした。


私は自宅で普通に朝の準備をすると40分くらいかかります。夏のテント泊でも普通に準備するとテントをしまうまで40分かかります。だから、5時起床は6時半出発にしては早すぎるな、と思いました。

朝食のメニューもカップヌードルとシンプルだったので時間が余り、朝ものんびり過ごしました。

日はまだ出ていないものの周囲が明るくなり、ヘッドライトなしでも歩けるくらいの薄明かりになったころ、小屋を出て、よく踏まれた山頂への道をゆきました。

装備はピッケルに持ち替え、念のためハーネスもつけます。稜線は風が強いからサングラスではなくゴーグル。バラクラバを持ってくるのを忘れてしまいましたが、フリースのネックゲイターがあるから代用でき、風も強くないので裸眼ならぬ裸顔でも全く平気です。











ほどなく朝日が富士山の左側から出て、山肌を美しいピンクに染め、刻々と陽の光が色を変える美しい時間帯に稜線を取り立てて危険を感じることもなく、風の冷たさも追い返されるほどではなく、ダウンを着なくて良かったなと少々暑いなとさえ感じつつ標高を上げていきました。

この甲斐駒までの7合目から10合目までの雪道は、多少の危険な場所があります。滑落の危険で有名なルンゼのところは、後続者に私が落ちてもぶつからない距離で歩いてね、と念のため声を掛けました。落ちたら下まで落ちていける斜度と切れ込みでした。がアイゼンが良く効く雪道なのでアイゼンに任せて通過するのに不安を感じることはありませんでした。

途中、岩の段差がとっても大きいところがあり、そこはぶっとい鎖が渡してあります。みんながアイゼンをひっかけた段が岩に刻まれていて、そこに足を乗せるには多少のコンパスの長さとカラダの柔軟性が必要かもしれません。

昔何かで読んだ本に女性が書いた記述で、「小柄な私にはサポートが必要だった」とあったのを覚えていて、私も身長152cmと現代女性の中でも、かなり小柄な方に入るので、足が届くだろうかと心配していましたが、柔軟性でカバーできる範囲でした。

この甲斐駒の稜線はアイゼンワークの講習会で教わったすべての歩行スタイルが出てきます。

直登のフラットフッティングハの字歩き、それより傾斜がきつくなると、今度はクロスレッグで身体を横に向け、傾斜を殺します。インサイドエッジを効かせます。

トラバースではスリーオクロックで、斜面側にピッケルを付きます。そして、それらが使えない傾斜になるとフロントポインティング。つま先を強くけり込み、じっくりではなくさっさと通過します。フラットフッテングはじっくり足を決めて一歩一歩です。フロントの時はじっくりしていたら雪が崩れる可能性がるので、決まったらサッと体重移動し、ピッケルもダガーポジションで3点で体重を支持します。

そうこうして、ありとあらゆるアイゼン歩行の見本みたいなことをしながら歩いていると、8合目の、のっぺりした尾根につきます。景色が素晴らしいので、写真を撮ります。通常は風が強いと思います。この辺の尾根道は燕岳の合戦尾根の上部と雰囲気が似ています。東尾根だからですね。

この日は大快晴で遠く北アまで見渡せました。自分の家がある、奥秩父の辺縁、街との接点の部分は残念ながら靄の陰で確認できませんでした。

下はとてもクリアに晴れていて、長く続く七里岩がまるで、ここからは八ヶ岳、ここからは南アルプス、と領土を分ける万里の長城のようでした。こうして上から見ると人間が限界ぎりぎりまで山の麓を開拓してきたのだということがありありと分かり、人間が自然界の侵略者であることを見せつけられるかのようです。

この8合目からは摩利支天の切れ込んだルンゼが見えました。鳳凰三山、北岳、その奥の塩見、千畳も美しく見え、特に仙丈ヶ岳の上には雪雲が作った影が妖しい感じで濃い紫の模様を作っており、幻想的な感じでした。

逆に北岳はキリッと青空に向かって屹立しており、日本で二番目に高い山だ!と納得できるとんがり具合でした。

八合目から先は、どんどん山頂が近づいてきて期待感が高まる道です。

登っていると短い垂直の虹が富士山の左側に見えました。虹が見えるというのは私には「YES」を意味します。何が「Yes」なのかを考えるのはこちらの役目なのですが、ともかく質問が何にせよ、答えは「Yes」なのです。

もう、私は山頂が約束されたものだというのはとっくの昔に分かってしまい、リラックスして山頂に臨みました。

「ほら祠が見えているよ」

と先行者が声をかけてくださいましたが、実はその祠はとっくに確認していたのです。

山頂の手前で山頂を譲ってくださり、一番乗りで祠の前に立ちました。

遠く伊那の町、御嶽山まで見える360度の大展望の山頂でした。

このまま北沢峠まで下って仙水小屋でお刺身を食べて帰った方がよいのではないかと思ったくらいです(笑)。








奥壁・・・すごい壁です。イメージは山野井さん

摩利支天






■ サクッと下山

こうして素晴らしい山頂を踏み、しばらく山頂を愉しんだ後、そろそろ出ましょうか、と言う感じで山頂を後にしました。

登りも北側の斜面では風がきついところがありましたが、下りは強さが少々増したようでした。

山でのナンバーワン脅威は風です。この甲斐駒の核心、撤退ポイントも風です。

風の強さについてはどれだけ神経質になってもなりすぎることはありません。

なぜなら一度の突風で飛ばされたら一巻の終わりだからです。さらに風は雲を連れてくるものです。風だけならいいけれど、濃い霧に巻かれたら、稜線は白い世界に変貌して方角が分からなくなってしまいます。

ですから、耐風姿勢を取らなければ歩けないような場合でない限り、風が強いと思ったら、さっさと歩いて樹林帯に出来るだけ早く逃げ込むに限ります。

私はゴールデンウィークの仙丈ヶ岳が岳で夫に雪の斜面を走るように指示しました。なぜなら濃いガスが一時稜線に広がったからです。仙丈ヶ岳はのっぺりとした山頂で知られ、竿に赤い布をつけたものを帰り道の目印に残すパーティがいるほどです。 仙丈ヶ岳は下から3時間で登れ、難しい山ではアリマセンがリスクはホワイトアウトと季節外れの嵐です。

ですから、ガスの兆候が見えたら、目の前のトレースがはっきり見えるうちにそれをたどって降りるに限ります。ところが夫は高所恐怖症を持ち出し、頑として急ぐことを拒みました。

これはつまり、彼はこの登山上の危険を認識しておらず、仮に危険が迫った場合に、それから逃げる能力…この場合はアイゼンを履いて急いで歩けたり、走れたり、あるいはグリセードやシリセードで降りれることですが…ができないと言うことです。

・・・と言うことはつまり、彼は仙丈ヶ岳レベルの山には行ってはいけないということなんです。まぁ時はGWでしたから、多少のガスに巻かれ、一日くらい雪山で遭難しても死なないかもしれませんが・・・。

ともかく彼は仙丈ヶ岳がもつリスク、程度の軽い悪い条件のときに打ち勝つ能力を持ってもおらず、また持ちたい、とも思っていない。

だから、私はこの時、夫と行けるのは小屋(安全地帯)が山頂から1時間の冬天狗までなのだ、とつくづく理解し、そしてそれがとても悲しかったのでした。夫とは同じ山にはもう登れない。美しい景色も、困難も共にすることができない。

雪の山と言えば多くの人は雪崩を想うようですが、登山は尾根を歩くので雪崩はとラバーズで頭上が崩れてこない限り、問題になることがあるはずがありません。ずっとてっぺんを行くのですから(笑)。

けれどもてっぺんというものは、風当たりが強く、そして道を見失いやすい。それは社会の成功者にとって、風当たりが強く、道を見失いやすいのと似ています。頂きに近いというものは、つまりそういうことなのです。だから凡人は、木々が風から守ってくれる樹林帯、つまり世間でしがらみが嫌だとか、人間関係に煩わせられながらも、守られて生きていく方が結局は楽なのです。

強い風当たりに耐える強い気持ち、そして、道迷いに陥らない進路発見の能力、その用意がない人は頂上に行けないし、また行かなくていい。

誰もかれもが頂上を目指せという昨今の風潮は、実のところ間違った指南なのでしょう… 

そして、たとえ頂上を目指していたとしても、もっとも尊いものはプロセス、山頂ではなく、その道中にこそあります。

なぜなら、登山道の途中でねん挫してしまったら、山頂はないわけなので。プロセスを大事することと結果をえることは二項対立ではなく、相互依存関係です。

プロセスを大事にしないと結果も得られない。決して急がず、けれども歩みを止めず、細心の注意を払いつつ、楽しむことを忘れず…そうして続けていれば、いつかはかならず頂上にたどり着ける、それが人が神と交わした約束なのです。


そんなことを考えてると、下山の3時間、4時間なんてすぐでした。 帰りは人里の温かさを感じる、雑木の森でホッとし、下界のしがらみに戻りました(笑)




尾白川


時間は14時。 下山時間としては早く優秀ですね。




時間がたくさん余ったので、温泉に入り、さらにお正月は高くて買えなかったからと道の駅白州によって、地元の浅尾大根130円やら、アンデスジャガイモ一袋100円の二つ、それにおいしいと評判の武川米を仕入れ、しっかり主婦に戻って帰路についたのでした。



この記事は三部作です。

四年越し憧れの山に登頂しました。

黒戸尾根ピークハントのタクティックス

甲斐駒の反省




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