Saturday, September 21, 2013

地域研究とホームグランドの山

■ 地域研究とホームグランドの山

地域研究、という言葉をご存じですか? 

私が大学を卒業するころ、各大学では国の意向で組織改編が盛んでした。文学部は、地域研究科や比較研究科などに改名されたり。

同じ英文学を専攻しても、それまではイギリス文学かアメリカ文学かに選択を迫られたのですが、改変で、両方の文学をやりたい人は、比較研究へ、深く一つの地域を掘り下げたい人は、地域研究に進めば良いとなったわけです。

この場合の”地域研究”は、一つの地域を掘り下げればいいだけなので、文学のみを対象にせず、社会現象や経済、法となんでも扱うことができるのです。地域は限定されるが、対象はオールマイティ。なので、ジャズの研究論文や文学の中で出てくる料理の論文を書いたりする人も現れました。切り口が文学研究だけに限定されず多彩になった。

登山にも”地域研究”という活動があります。 

登山で”地域研究”と言った場合、一つの山において、尾根だけでなく、谷、壁、と様々なルートを開拓することのようです。

一つの山を掘り下げること。 

そうすると、尾根歩きだけでなく、谷をやらねばならない。 となれば、沢歩きの技術が、岩の箇所が出てくるとなれば、岩登りのスキルが、必要になるわけですね。 オールマイティな技術が必要となり、一つの山を知り尽くしている頃には、一通りの山の技術が身についている、というわけですね。

■ ホームベースの山 

登山を始めたころ、私は『町内の山』というサイトをよく訪ねていました。

町内の山
http://www.geocities.jp/chonai_yama/

このサイトはとっても面白かったのです。そこにホームベースの山を持て、という主張があり、なるほどな、と思ったのです。結構素直でしょ(笑)。

一つの山に何度も通う。そんな愛すべきホームベースの山を持ちたいな、と思っていました。

ホームベースの山の条件は

1)家から近い
2)四季折々の表情がある
3)ほどよいコースタイム
4)発展性がある

くらいではないかと思います。 要するに 近くて飽きない山

最初それは、私にとって茅ヶ岳でした。何しろ初めて県外の人を連れてザ・山梨の山として紹介して歩いた山ですし…。 最初の頃は、女岩へ行くだけでもなんだかやっとだったのに、今では往復4時間もかからない。ランチさえ持たずに行けちゃう。(まぁ山では何があるか分かりませんから、ちゃんと持って行くべきと思いますが) 今でもウエアや靴を下ろしたい時は、茅が岳に行きます。

去年は実は三ツ峠をホームベース化しようと思っていました。高山植物の保護などの活動ができたので、山を深く知る機会があったからです。山で過ごす時間を長くしたい。 これは山好きみんなの思いではないでしょうか。

登山以外の活動ができるのは貴重です。登山道以外の場所に踏み入ることができるのは、保護活動ならではですし、ピークを目指す登山とは関係のない活動ですから、またそれはそれで登山とは違う形で、山とのかかわり方ができ、山をルートと言う線ではなく、面として知る楽しみが広がります。

鉄塔を作るオジサンたちの方が登山者より山を知っていたりするでしょう。それと同じですね。

また、大菩薩エリアもホームベース化できる可能性のある良いエリアだと考えていました。というのは、大菩薩嶺、意外に広大な山域で、東アルプスの南端と位置付けることも出来るからです。ホームベースとなる山には、そこから活動エリアを広げていける、という発展性も必要なのです。単独峰だとこうはいかないですから。

ただこうしたホームベースの山の発想は、同じルートを何度も歩く、という意味。

季節を替え、時間を替えて、同じルートを何度でも歩く。

同じルートを歩く、というのは、退屈なようで、結構、発見があります。何より山に行くたびに計画に時間を取られることがないので、思いついたら即、山に行けます。何度も行っているので、過去の自分との比較もでき、成長を実感することもできます。

つまり、山により日常的に親しむことができます。そういうホームベースの山で同じルートを歩くなら、地図を持たないで行ける場合もある。

初めての場所ではないということは、自分のテーマだけに意識を集中することができる。

たとえば、冬の靴の歩き心地を試したい場合、夏にも秋にも春にも歩いた道をもう一度歩くと、冬の道の歩き方だけに意識を集中できたりします。

歩く技術に特化しなくても、季節が変われば、また山の表情も変わる。 秋の風情だけを愉しみたい、という山の見方をすることもできます。

友人と連れて歩くなら、友人の相談に乗る、というテーマに集中することだってできます。テーマを絞り込むことができるわけですね。

実は、今年はホームベース活動は、山岳総合センターでのリーダー講習でとん挫中です

しかし、地域研究は、ホームベースはホームベースでも、同じルートを歩くことではありません。

■ 地域研究 = 総合的な山スキル

こちらに地域研究について書いた文章があります。
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 かっては山岳会において『地域研究』が盛んだった。 今や地域研究を標榜する山岳会はほとんど見あたらない。 地域研究に値する山域がなくなったのか、 山岳会の役割や会員の求めるものが違うようになったのか、 理由はいろいろあることと考えている。 

 実は私が所属している山岳会では、 地域研究を活動のひとつとしている。 ただ現実はほとんどなにもしていない状態だ。 ある時集会で、若い会員から『地域研究』って何ですかという質問があった。 その時は他に議題がたんさんあったので、誰もそれには答えなかった。 『地域研究』はもう山岳界では死語になってしまったのだろうか。 ここで私なりに『地域研究』というものを考察してみたい。 ただし個人が行う地域研究もあると思うが、 ここでは山岳会における地域研究についてである。 地域研究という定義・意義は決められたものではなく、 抱くイメージも各自それぞけだと思う。 以下はあくまでも私の個人的な考えである。 

 本題に入る前に地域研究の一般的な意味について調べてみた。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると次のように定義している。  地域研究(ちいきけんきゅう)とは、国際関係学の一分野。 各地域の共時性に留意しながら、その地域の特色を他地域と比較しながら考察し、 当該地域の政治、経済、産業、法制度、社会、文化、民俗などについて広く研究すること。 国際関係論のように、複数の地域・国家の関係性に留意するというよりは、 個々の地域を独立的に捉えようとする。 

 私は山岳会における地域研究を次のように考えている。  「仲間たちがある特定の山域の種々のルートをトレースし、 その山域の全貌を明らかにする。 山岳会の存在意義を高めるだけでなく、 その活動を通じてグループの連帯感を養い、 各自の登山技術を向上させ、 山行を通じての個人的喜びを得ることに主眼をおいた活動である。 研究の対象は登山行為だけにとどまらず、 登山の周辺領域まで拡大されることが多い。」 

 過去には多くの山岳会が得意なフィールドを持ち、 地域研究的な活動をしていた。 ひとつひとつの山行は記録的な価値が低くても、 ひとつの山域での記録がまとまると、 その集積が価値を持ってくるものである。 山岳会はそこに自らの存在価値や満足感を味わうことができるようだ。 一流の登山技術を持たなくとも、 努力と熱意で一流の業績を残すことができるという一面もあった。 山岳会が求心力を求めるのにもよい活動だったのかもしれない。 

 ただ光がある以上、影もある。 地域研究には登山の対象を選ぶ手間が省かれるという面もある。 考えない山行が増え、 あこがれが次の山行を決めるという好ましい姿に遠いものになりやすい。 地域研究をその地域の地理的解明(踏査)に主眼をおくならよいが、 地域研究を登山行為の一部とするならば、 個人が地域研究から何を得、学ぶことができるかが重要となってくる。 組織の中に埋没するのではなく、 主体性を持って組織の中でいかに活動できるかが地域研究を活かせるかの別れ道になる。 多くの地域研究は目的ではなくよき登山者を育てる手段である。 このあたりの位置付けを明確にしておかないと、 組織も個人も満足する結果にはならない。 

 短期間に同一地域を集中的に登って何かを掴む。 これは情熱の発露として尊敬に値する。 しかしある地域への愛情は他を知ることによって深まることが多い。 他の山域をも広く歩き、比較の中での思考も研究に深みを増す。 私は登山を趣味にし始めて40年になるが、 地域研究の一員になったこともないし、 個人的に一つの山域を集中的に歩いたこともない。 一時期、地域研究を活動の中心に据える会に所属していたこともあるが、 私はあえて自分の好きな山に向かっていた。 今になって考えるとよかったと思う反面、 誇れる成果もない山行歴を振り返ると寂しい気もなくはない。 
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地域研究  http://www.geocities.jp/thansunjiti/blog/blog.html より引用

この解説によると、地域研究と言うのは、要するに、一つの山を総合的に知る、ということのようです。

尾根歩きだけでなく、谷も歩き、岩も歩く。 尾根も谷も壁も知ってこそ、○○山を知っていると言える。

そういう視野で見ると、最も易しい最短ルートを通ってピークを踏んだだけで、その山については終り、とする百名山ハンターの山歩きは、なんとも表層的に見えてしまうわけですね。一口かじっただけ、という訳です。

私は山岳総合センターの山の講習会に行っているので、地域研究とは何かについて質問してみました。

いただいた回答によると、昭和30~40年代は各山岳会で地域研究と言うものが盛んで、競って新たなルートを開拓していたのだそうです。

そうして、多くの山岳会が開拓していった、それらのルートは『日本登山大系』に収められているそうです。偉大なる遺産、日本登山大系! 

確かに日本登山全集には、後ろには色々な山岳会の名前が挙げてあります。

ところが、今では、日本登山大系はバリエーションのルート集と位置付けられています。

つまり一般登山者には関係がない世界ですね(笑) 一般登山者は尾根しか歩かない。

しかし、昭和30~40年代って言えば、『ALWAYS三丁目の夕日』ですが…ずいぶん昔の話ですね。私はまだ生まれていませんが(笑) 約50年前ということです。

■ ルート開拓=冒険

私は登山の新参者なので、登山の世界がどういう経緯をたどって今の現状に落ち着いたのか?

まったく分かりませんが、今では一般に登山と言った場合、一般登山者が未知のルートを歩く、ということは一切ありません。

日本アルプスの山々には登山道が整備されつくし、正直言って夏山では地図なしに歩けるくらいです。地図どころか、水筒だって持ってこないで歩いている人がいるくらいです。

その結果、道さえ見ないで歩く人も増えてしまいました。道を見ないで何を見ているのかと言うと、前の人のザックとか足を見ているわけですね(汗) つまり、人の後をついて歩くわけです。

そうすると道を見ていないわけですから、容易に道迷いが発生する。道がどんどん易しくなっているのに道に迷うという…矛盾した現象は、単純に道を見ていない、という行為から発生しています。顔をあげて道を眺める人には明瞭なものが、人の後をついて歩いている人には見えないのです。尾根しかあるいていないのに(笑)。

ので、ある意味、今の登山では、”未知”という要素は、”個人にとってまだ行ったことがない”というだけのことに凝縮されてしまいました。

人類にとって、何も新しいことがないのが今の一般ルートの登山。

そうなると、争点は、困難度や体力度、あるいは数になります。結局夏山はトレーニング、です。

…それで結局、”100個山に行きました”、とか、”体力自慢”、”雨の日だってカミナリの日だって行けるもん”、みたいなところに優劣争いが落ち着くことになる。

すると、当然の帰結としては、遭難が増えますね。

結局、未知ということ=冒険的要素が限りなく少なくなってしまった、というところが事の発端。


(未知という、あらたな地平線を見いだせない)

 ↓

(視野の狭い競争に陥る)

 ↓

(遭難が増えた)

というところに、現代の登山の苦悩があるようです。

(余談ですが、かといってあるべき理想像も描けてはいないらしいのです。)

■ 山ヤ養成基礎講座(笑)?

一個人の登山者が、登山者として成長しようと思った場合、ステップアップという発想は欠かせません。

そのステップアップは、一般には

 1)コースタイムの短い初級の山 → 中級 → 上級

と進むのが一般的な流れです。が、ここまでは一般登山者の山。普通の若い人はあっという間に上級クラスまで進んでしまうと思います。

そうなると、山ヤとしての一歩を踏み出すプログラムが必要になりますが…山ヤとしてのカリキュラムは

 1)ホームベースの山を持って一つのルートに何度も通う (入門レベル)
 2)一つの地域のルートを登りつくす (初級レベル)
   ・岩 
   ・沢
   ・雪
   ・藪 

ですね。

山行の企画に時間を割く必要がない分、ホームベースの山では、歩くことやウエアリング、季節の樹木、写真、その他、自分自身が興味を持っているテーマに専心することができます。

私も初年度は同じ場所に何度も通って歩けるかということや気温の感じ方、ウエアリングの適正度などに興味の的を絞っていました。

2)の地域研究に段階が進むと、歩く技術だけでなく、沢技術、岩登りの技術などのオールマイティの技術に手を広げることができます。

そこまで来てやっと山ヤ道の入門に立ったというところですね。

スゴイ山ヤ、というのはそこから先にずんずん歩んでいった人のことなのです。

ただ、そこから先へ進む人が少ないという嘆きは多所から聞こえてきますね(笑)。

■ ご用心! 山に登ろうとして山に登れなくなる、落とし穴

雪山をやっていると、よく山スキーを薦められますが、山ヤ志望者は気を付けないと山をやろうとして山をやれなくなる羽目に陥ります(笑)。

というのは、スキーをやるとどういう事になるかと言うと、スキー技術を獲得するため、スキーのゲレンデに通うようになってしまいます。

岩登りを始めると、岩をやるために岩のゲレンデに通うようになってしまうのと同じですね。

要するにスキー技術の獲得や岩登り技術の獲得のために山に行く時間がなくなり、山に行かなくなるのです。

アリがちなのは、夏は岩に通い、冬はスキーに通うパターン…すると、もう、山登りをしなくなり、山で朝日を見たり、星を眺めたり、テント泊したり、という楽しみはなくなってしまいます。

こうした危険があるのは、フリークライミング、スキー(バックカントリー)、そしてアイスクライミングですね。

元々は山に登るための技術だったものが、そもそもの動機とかけ離れてしまって、一つの技術局面だけがクローズアップされる、ということになり、専門化が進んだ、とも言えますが、その実態は、単純に山を見ていないで技術習得にアップアップ、とも言えます。

山に興味が薄れ、自己スキルのUPのみに興味の対象を絞り込まれてしまう・・・のは、現代の一つの病理とも言えるかもしれません。

現代人と言えば、人間中心の世界観…世界の中心は人間様だと誤解しているのが現代人なのですから・・・

山に行けば、人間こそが自然の一部であり、その逆ではないと分かるはずなのですが・・・。

このことは何度強調しても強調しすぎることがないように思います。世界の主役は人間ではない。

■ 結局は山が好きかどうか

そういう意味では、登山という行為は、結局は、山が好き、かどうか…山恋、山への愛情、それだけが純粋な動機となるべきものなのかもしれません。

そこの根本が怪しくなってしまっているのが、中高年者の登山ブームで、それは山が好きだから山に行くのではない人が多いことから分かります。 

彼らが山好きでないことがなぜ分かるのか?と言うと、やはり山を知ろうという姿勢というのは、計画を立てる、というところから現れるからです。

連れて行ってもらう登山には山を知りたいという動機が欠けているような気がします。一回や二回ではなくて、自分で行ける山にも行かないで、ツアーに流れるのは、違う動機が働いているからでしょう。色々な山が合ってもいいですが、山の愉しみの大きな部分を占める山企画・・・計画立てるのは山好きならとても楽しいワクワクするプロセスです。

山を飛び回る原動力の源が、山恋ではない…らしい。

それは、私が近年山を始めたところだというある中高年男性から聞いた驚きの一言が裏付けるのでした…

「山なんてどこでもいいんですよ」

まさに「100の山に100の喜びあり」とした感性と全く反対を行くのではないでしょうか…

このような状況に陥ってしまっている山の世界…なんとも悲しい状況ですね。






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